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銃を突き付けられながら乗せられたその乗り物を、何と呼んだものかわからない。強いて名前を付けるなら、やはり〈船〉だろうか。
楕円の中心が膨らんだような形をしたそれは、宙に浮かんでいた。わたしは生まれて初めて空を飛んだのだった。
わたしたちが押し込められた客室らしき部屋は透明なボウルを被せられたような作りになっていて、景色と空が見渡せた。湾曲した窓の向こうを、荒野の景色が音もなく流れていった。乗り心地に関しても、馬車に較べれば段違いで、振る舞われたワインのような飲み物が、一滴たりともグラスの外に溢れることがなかった。
わたしは満々と注がれた飲み物を、手を伸ばすこともなく見つめていた。隣に座る〈マザー〉も動こうとはしなかった。
部屋の出入り口は一つだけで、その前に立ちはだかるようにして〈名なし〉が立っていた。右手には、ベルダーシュたちを撃ったライフル。左腕は動かないのか、マントの下で垂れ下がっていた。
彼の眼はずっと空中に向けられていた。わたしのことなど、覚えてもいないような振る舞いだった。
わたしの方は〈名なし〉を見据えていた。
「ねえ」
作り物の眼球が動いた。
「あなた、裏切ったの?」
彼は唇を結んだままだった。
「ヒースと手を組んだの?」わたしは続けた。「あの時、わたしを逃がしてくれたのは嘘? 本当は殺そうとしたのかしら」
何も聞こえていないかのように、〈名なし〉は目を逸らした。
わたしは〈マザー〉に宥められ、一先ず気持ちを落ち着けた。
「彼が、あなたを助けたガンマン?」〈マザー〉が囁くように言った。
「そう見えるんですけど、自信がなくなってきました」
すると〈マザー〉は腰を上げ、覚束ない足取りで〈名なし〉の方へ歩いて行った。コツコツと、杖が床を打つ弱々しい音だけが辺りに響いた。
〈マザー〉が〈名なし〉の正面に立った。
「私の眼を見て。見えるかしら」〈マザー〉は己の顔を指し、それから片手を〈名なし〉の方へ伸ばした。〈名なし〉の頬に触れる様は、まるで口づけをせんとする恋人同士のようだった。「――虹彩認証を実施」
帽子の影で、壊れた左眼が赤く光った。〈名なし〉は数秒間、〈マザー〉と見つめ合ったまま動きを止めていた。やがて彼は、頬に添えられた手を退けるように顔を引いた。
「やっぱり、あなたなのね」
〈名なし〉は誰何するように〈マザー〉を見つめていた。
「あなたの古い知り合いよ」と、〈マザー〉は肩を竦めた。「ずっとずっと古い知り合い」
〈名なし〉は口を開き、何か言おうとしていた。けれど声にはならなかった。言葉を必死で探して、けれど見つからずに唇を動かすしかなかった、という様子だった。
そんな彼の後ろで扉が開いた。
「困りますね、オリガ。あまり彼を困らせないでいただきたい」
ヒースが〈名なし〉を押し退けるようにして入ってきた。
流れていた周りの景色が、いつの間にか止まっていた。テーブルに置かれた赤紫色の飲み物は、やはり溢れていなかった。
ヒースは胸に手を充て、恭しく頭を下げた。
「〈彼ら〉がお待ちです。どうぞこちらへ」
宙に浮いていた〈船〉は、銀色の建物に横付けされる形で駐まっていた。
建物は円筒状で、赤い大地に突き刺した棒のようにも見えた。背は、わたしが首を目いっぱい逸らさなければならないほど高く、上の方の側面が陽射しを吸収して鈍く光っていた。武器のような質感でもあった。
後ろから〈名なし〉に追い立てられ、歩き出した。しばらく前から何かに驚く気持ちが死んでいたわたしは、大人しく従った。
外観だけでなく、何もかもが大きかった。けれど、大きさに反してそれを利用する者の数が圧倒的に少なそうだった。大きく口を開けた入り口を潜り、そこらの街の目抜き通りよりも幅のある通路を進んでいく間、わたしたちの他には人影は愚か、生き物一匹見当たらなかった。そのせいで、建物全体に廃墟のような印象があった。
靴音だけを響かせながらしばらく進むと、明るい、天井の高い広間に出た。
正確にいえば天井は、抜けるように高くなっていて、確認することが出来なかった。硝子張りになっているらしく、円柱型にくり抜かれた先が白く光っていた。その光が、広間全体を照らしていた。
周りには、何もなかった。白く輝く平らな床が広がるばかりだった。けれど、その上を進むにつれ、石の箱が置かれているのが見えてきた。丁度、棺を立たせたような大きさだった。
ヒースが足を止め、振り返った。
「ようこそ、〈管理者たち〉の館へ」
低い、唸りのようなものが聞こえた。風の音とは違い、もっと機械が立てるような音だった。それと連動するように、周囲の壁で小さな光が点滅し出した。眠っていた怪物が目を覚まし、のっそりと首を持ち上げる姿が頭に浮かんだ。
空中に何かが現われた。
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