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 わたしは草原に立っていた。

 青々と茂る牧草の向こうには、頂上に雪の掛かった山脈が見渡せた。一つ一つの山の名前を、わたしは知っている。ちゃんと形を見分けることが出来る。

 トットットッ、と軽やかな足音が近付いてきた。

「アニー」ソートの上から、父が言った。「一先ず休憩しよう。続きは食事をしてからだ」

 そして父は、再びソートを走り出させ去って行った。その行く先では、見慣れた我が家が、煙突から煙を上げていた。

 わたしは食堂に立っている。

 テーブルには父と母と弟たちが着いていた。父の隣に一つだけ空いているのが、わたしの席だった。

「さあ、アニー。座って食べよう」

 わたしは席に着いた。

 温かい食事。スープも肉もパンも、全てに温度があった。

 食卓に着いた誰もが笑っていた。母が父に造ったばかりのソートの具合を訊ね、父は上々だと答えた。上の弟はカウボーイになると言って、下の弟もそれを真似た。早くソートに乗れるようになりたいという兄弟の言葉を、父は嬉しそうに聞いていた。

「どうしたの、アニー?」母が訊ねてきた。「ぼんやりして。食欲がないの?」

「ううん、そうじゃないわ」わたしは首を振った。「ちょっと考え事をしていただけ」

「午後の部品の買い付けは、父さんが一人で行ってこよう」

 この言葉に、わたしはハッとした。

「駄目よ。わたしも行く」

「しかし、顔色が良くないぞ。お前は休んでいなさい」

「平気よ。わたしも行く」

 弟たちも行きたいと言い出した。それらと纏めて、わたしの意見は却下された。

 わたしはまた、食堂に立っていた。

 窓の外が暗くなっている。父が、街から帰ってきたところだった。

「街で丁度、ソートを買いたいという人と知り合ったんだ」

 そう言って父は、客人を招き入れようとした。

「駄目――」わたしは言った。「その男を中に入れては駄目」

 けれどわたしの声は声にならなかった。誰の耳にも届くことなく、事態は見る見る進行していった。

 ブーツの靴底が床板を踏みしめる。

 顔に傷をこさえた男が、ランプの灯の中に入ってくる。

 わたしは男に向けて、いつの間にか手にしていた銃の引き金を引いた――。


 目を開く。

 眼前には正方形の石を敷き詰めた壁が広がっていた。

 それが天井であると気付くまで時間が掛かった。わたしはどこかに、仰向けで寝かされていた。

 記憶が上手く繋がらない。最後に憶えているのは、崖に立つ二人の男たちだった。

 そうだ、〈名なし〉――。わたしは思わず視線を走らせた。

 あの場所から、どうしてこの場所へ来たかはわからない。どうもベッドに寝かされているようだったけれど、身体が上手く動かず見回すことが出来なかった。

 足音がした。誰かが近付いてくるのがわかった。

 人影が、わたしの顔を覗き込んできた。初めは逆光でよく見えなかったけれど、眼が慣れるにつれ、相手の格好を知ることが出来た。

 赤土色のローブを纏い、顔には鏡のような仮面。

 わたしはまた眼を見開いた。今度は先ほどより大きかった。眼窩からこぼれ落ちることも厭わなかった。眼を剥き引き攣った自分の顔が目の前にあるのだから、恐怖は余計に増幅された。

 この世界に、そんな仮面を付けるような存在は一つしかいない。

 逃げようとしたけれど、身体中が痺れていた。それでも口が僅かに動いたので、声を絞り出そうと試みた。悲鳴を上げれば或いは、相手を驚かせるぐらいは出来るかと思った。結局喉から出てきたのは情けなく喘いだ声だけだったけれど。

「無理に動かさない方がいい」くぐもった声が聞こえた。

 恐怖心から来る幻聴かとも考えた。けれど、声はたしかに、わたしの外側にあるものだった。

 仮面が外れた。持ち主が、自ら外したのだった。

 真っ白な肌をした、男性とも女性ともとれる若い顔がそこにはあった。

「安心しろ」彼(もしくは彼女)は言った。「獲って食べたりはしない」

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