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銃声が辺りに轟いた。
発砲の手応えは確かにあった。銃声は鼓膜に刺さり、腕には衝撃が残っていた。
でも何かが違った。訓練の時、的に命中させたのとは何かが違うのだ。
ブッツァーティは健在だった。腕を広げた格好のまま、例の笑みを浮かべて立っていた。
わたしは彼を撃てなかった。いや、撃ったけれど当てられなかった。ライフルは空を向いていた。
向かされている、と気付くまでに時間が掛かった。誰かの手が、銃身を持ち上げていたのだ。
「――何だよ」
ブッツァーティが、わたしの傍に立つ人物に向けて言った。どうして奴は撃ってこないのだろう、とわたしの中で疑問が水面に顔を覗かせた。
「邪魔すんじゃねえよ。いいところだったんだぜ?」
「続きは後でさせてやる」
腕の持ち主が答えた。余程の力でライフルを掴んでいるのか、全く振り解くことが出来なかった。
「どうせ裁判に掛けて、最後は首を吊らせるんだろうが」
ブッツァーティは笑みを浮かべたままだったけれど、どこか様子がおかしかった。先ほどまでの、相手を嘲るような色が消えていた。
「そんなつまらないことはしないよ」わたしの傍に立つ、青い人影は言った。その人物はこちらを向いた。「君もだ、アニー。ブッツァーティを追い掛けてきたら、思わぬ収穫だった。いささか災難だとは思うけど」
「ヒース……」声を出そうとしたけれど、喉が締まって上手く喋れなかった。「これは……どういう……こと……?」
「君たちは貴重なサンプルだからね。回収する前に死なせるわけにもいかないから、動きを止めさせてもらったんだ」
ヒースの手がライフルから離れた。けれど、わたしはライフルを動かすことが出来なかった。腕だけではなく全身が、筋肉が凍り付いたようにわたしの言うことを聞かなくなっていた。恐らくブッツァーティも、同じ状態にあったのだろう。奴の笑顔は硬直し、小刻みに震えていた。その中で眼差しには、はっきりとした殺意が浮かんでいた。
催眠術の類いだろうか。それにしては、いつ掛けられたのかが全くわからない。しかもわたしだけではなく、離れて立つブッツァーティにまで効果を発揮しているのだ。何か未知の、それこそ〈魔法〉と呼ぶしかないような力が働いているとしか思えなかった。
何も訊ねられずにいるうちに、わたしたちは影に覆われた。精一杯顎を上げ、目線を動かすと、わたしたちの頭上の空を楕円形の物体が覆っているのが見えた。
円の両側から紐のようなものが三本ずつ投げられた。それが地面に落ちると、人影が続々と伝い下りてきた。全部で十人はいただろうか。全員が同じ格好をしていたけれど、人づてに聞いたことのある、テラーズのそれとは違っていた。
自然のどこにも属さないような、人工的な青。ヒースと同じ騎兵隊の制服だ。
わたしを混乱させたのは、彼らの顔だった。そう、降り立った人影は全員が男で、そしてその全員が、装束同様ヒースと同じ顔をしていたのだ。
「悪い夢でも観ている――」わたしの傍にいた男が言った。「そんな顔をしているね」
彼の言葉は、そのままわたしの胸に渦巻いているものだった。
「だけど、残念ながらこれは夢じゃない。現実だ。君たちが僕らの前では全くの無力であることも、君たちが人間ではないことも」
「人間……では……ない……?」
視界が、頭の中が渦に吸い込まれていくようだった。外から入ってくる情報の質量が大きすぎて、頭で消化出来ない。倒れずにいられたのは、ただ身体が硬直していたからに過ぎなかった。その分余計に、意識と身体が引き離されていく気がしたけれど。
「詳しい話は〈彼ら〉の口から聞くといい。尤も、聞いたところで、正常な精神を保っていられるかはわからないけどね」
他のヒースたちが二手に分かれた。一方はブッツァーティを拘束に向かい、もう一方はこちらへやって来た。彼らの間に言葉はなかった。あたかも五本の指の如く、それぞれが別々の役割を無駄なく果たしていた。
首筋に棘のような痛みが走ったかと思うと、全身の力が抜けた。抜かれた、というべきかもしれない。倒れかけたところを支えられ、ライフルは取り上げられた。首を座らせるどころか口を閉じている力も入らず、わたしは唇の端から舌を垂らしたまま、銀色の楕円が浮かぶ空を眺めるしかなかった。
次第に景色もぼやけてきた。全身を弛緩させきった〈何か〉は、わたしの意識にも手を伸ばしてきたようだった。わたしは操り手の消えたマリオネットを思い起こした。魂が抜けたように床に転がるそれと、この時のわたしはたぶん大差がなかった。
ほとんど真っ白になった意識の中で、銃声を聞いた。
初めは気のせいかとも思ったけれど、同じ音が二発三発と続いた。
泥沼の水面に顔を出すような気持ちで、わたしは緩みつつある意識を精一杯引き絞った。わたしを運んでいたヒース(と同じ顔をした男)たちが別の方を向いていた。彼らはわたしの身体を地面に下ろすと、腰に差していた銃と思しき物を抜いて構えた。引き金が引かれると、銃身の先からは蒼白い閃光が発せられた。
銃声は続いた。やがて、空中で何かが弾けたかと思うと、わたしの傍らに立っていた一人の肩に弾が当たった。よくは見えなかったけれど、飛び散った血は制服よりも青かった。その何滴かが、わたしの顔に降ってきた。
更に男たちは負傷していった。中には眉間を撃ち抜かれる者もあった。
わたしの視界に影が現われた。
その影に、身体を抱え上げられた。
頬の感覚は残っていなかったけれど、赤黒い布地が顔いっぱいに押し付けられていた。
「〈禁忌〉はどうした、アンドロイド」ヒースの声がした。「我々は人間だぞ」
銃声と、金属の弾ける音が轟いた。
「何故オルタナどもの肩を持つ?」
話が見えない。ヒースの口ぶりでは、まるでわたしたちがオルタナのようだった。
「――オリガの思想か」
〈名なし〉は何も言わなかった。
見える景色から察するに、わたしは〈名なし〉の肩に抱えられていた。ヒースの方へはお尻を向けていた形となる。見えるのは、ゴツゴツとした岩ばかりだった。
〈名なし〉は崖の縁に近付きつつあった。
やがて岩が途切れた。暗い谷底。僅かに、底を川が流れているのが見えた。流れは速そうだ。高さの面からいっても、落ちたらただでは済まないだろうということは、ぼんやりした頭でもわかった。
〈名なし〉が、わたしの腰に回した腕に力を込めた。何か囁くような気配があった。
どういうことか、問う暇はなかった。時間があったとしても、口が動かなかっただろうけど。
わたしは谷に向けて放り投げられた。
その瞬間、時間の流れが遅くなった。
わたしの身体は空中で回転した。崖の上には二人の男。〈名なし〉とヒースだ。〈名なし〉の体勢から、わたしは彼の右肩から放られたのだとわかった。直った筈の左腕は、動かないのか垂れ下がっていた。ヒースは何か叫んでいるようだった。彼の顔に焦りの色が浮かんでいるのを、初めて見た。
そんな二人の姿が、上方へ消えていった。どちらかといえば、わたしが下へ消えたのだけど。
落下中に体勢を崩さないという点では、身体を動かせないのは好都合だった。
更に都合の良いことに、途中で意識が途絶えた。恐怖も痛みも感じずに済んだのだ。もちろん、そのまま人生を終える恐れも充分にあったことは言うまでもない。
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