3-3

 快復したソートに跨がり、わたしたちは再び前進を始めた。

 先頭を行くのはヒースの馬。その後ろに〈名なし〉が付き、最後にわたしが付いていく。前を走る二人の背中を眺めながら、わたしは岩場でのやり取りを反芻した。

「断る」とでも言うように、〈名なし〉は騎兵隊員に背を向けた。

 ヒースがわたしを見た。

「モーゼス嬢。彼の所有権を譲っていただけませんか」

「それは……」所有権も何も、〈名なし〉はわたしの所持するオルタナではなかった。彼の所有権は――と考えたところで、或る疑問が湧いた。

 彼は、誰かの所有物なのだろうか?

 主人のいないオルタナなど聞いたことがなかった。オルタナの活動には人間の指示が必須である。彼らが自ら行動を起こすことなどあり得ない。オルタナの使命は、人間に仕えることだけなのだから。

「君の所有者は誰だい?」ヒースが直接訊ねた。

「……」

「わからないのかい?」騎兵隊員が繰り返した。「では君は、どんな指示を受けて動いているというんだい?」

 〈名なし〉は相変わらず口を噤んだままだった。何かを思い出そうとしているようでもあったけれど、答えが出てくることはなかった。

 騎兵隊員は溜息と共に肩をすぼめた。

「オーケイ、わかった。残念だが仕方がない。君のことは諦めよう」

「いいの?」わたしは思わず訊いてしまった。

「他人のオルタナを勝手に借りるわけにはいきません。仮にも私は、連邦政府に属する人間ですから。法は守らねば」

 それから、ナサニエル・ヨークまでの分岐点まで同行することになり、わたしたちは一緒に出発したのだった。

 二人の後を追いながら、ヒースはこれからどうするのだろうと考えた。彼には、ブッツァーティがペリグリンの山にいることは伝えていない。わたし達と別れた後、途中で情報を集めつつ、めぼしい戦力を調達するのだろうか。

 不意に、或る案が頭を過ぎった。それは夜空を駆ける彗星のようにほんの一瞬姿を見せただけだったけれど、光跡がいつまでも頭の中に残るようなものでもあった。

 三頭のソートが足を止めた。

 前方に看板が二枚、並んでいるのが見えた。

 それぞれ矢印が引かれており、右がナサニエル・ヨーク、左が恐らく〈フロンティア〉の地名だろう、知らない街の名前を示していた。ここが分岐点のようだった。

「では、私はここで。どうかお気を付けて、モーゼス嬢」

 わたしは答えなかった。わたしもまた、胸の内側で分かれ道に立っていた。

 いや、違う。

 既に心は決まっていたのだ。何も言えなかったのは、どう切り出したものかわからなかったからに過ぎない。

 そして、そちらの道を選ぶ己の心を認めたくもなかった。

 尚も殺意で動こうとする己の心を。

 だけど――。

 だけど、わたしはやはり、まだ家に帰るわけにはいかなかった。

「一緒に行くわ」わたしはヒースに言った。「わたしもブッツァーティを追跡する」

「奴は危険です。それはあなたもわかっている筈だ」

「でも、あなたがいるわ」そう、昨夜とは違う。射撃の腕を持っていないわたしと、そもそも人間を攻撃できないオルタナだけではない。今は戦いのプロフェッショナルがいるのだ。「三人で力を合わせれば、あの男を捕らえることは出来る」

「そちらのオルタナ君もついてくるのかい?」

 わたしは〈名なし〉を振り向いた。彼は何も言わず、ただ分岐点の方を向いていた。拒否しないということは、即ち賛成ということだった。

「だけど、レディを戦いの場に連れて行くのは気が引けるな」ヒースが言った。

「自分の身は自分で守るわ」取っておいたカードを切る時が来た。「それに、わたしはブッツァーティの行き先を知ってる」

「本当に?」

「一緒に連れて行ってくれるというのなら話すわ」

 するとヒースは溜息を吐いた。観念した、というような仕草だった。

「やれやれ。とんだ策士を相手にしてしまったみたいだ」彼はくだけた口調になった。

「これでも一応、経営者ですもの」父に代わって、と思うと、胸の隅に棘が刺さったような痛みを感じた。「取引の方法は心得ているつもりよ」

「なるほど」

 ヒースはわたしの申し出を受け入れた。

 彼のソートが出発したけれど、〈名なし〉はその場に留まったままだった。

「どうしたの?」

 訊ねてから彼の、だらんと垂れた左腕が目についた。

「途中の街でも直せるわよ。それとも、一人でナサニエル・ヨークへ向かう?」

 〈名なし〉が一瞬、こちらを見た。何かを問われたような気がしたけれど、答える間もなく、彼はソートを方向転換させ、歩き出した。

 わたしはその場に取り残された。

 心臓を掴まれたみたいに、鼓動が乱れていた。

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