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陽が昇り街が動き出す頃、わたしは保安官のオフィスの、薄暗い牢の中にいた。忠告を聞かなかったばかりか、拘束された男をけしかけ決闘騒ぎまで起こしたのだから、当然といえば当然の話だ。
尤も、解せないのは〈名なし〉がどうやって牢から脱したかということだった。
謎を解明する手掛かりとしては、二つある牢のうちの片方の扉が拉げていたことが挙げられるかもしれない。オルタナが本気を出せば、或いは人間用の牢など簡単に破壊できるのだろう。お陰でわたしと〈名なし〉は、二人で同じ牢へ放り込まれることになったわけだけど。
地面にうつ伏せている彼を見ていたら、ここまで運んできた男たちの手つきが思い出された。壊れた機械を扱う際のそれだった。どれだけ人間に似ていようとも、一度人ではないとわかれば、それは機械として扱われる。保安官たちにとって〈名なし〉はもはや、わたしの荷物と同じなのだった。だから平気で同じ牢に放り込む。男女の隔たりなど、ここには存在しないから。
「どうして教えてくれなかったの?」わたしは壁に寄り掛かって、膝を抱えたまま彼に訊ねた。「あなたがオルタナだとわかっていれば、あんなこと頼まなかったのに」
〈名なし〉は何も言わなかった。ショートした左腕の回路が、未だにパチパチと火花を散らしていた。作り物だとわかっていても、なまじ人と同じ形をしているせいで痛々しく映った。
わたしは口の中で呟くように問うた。
「その腕、痛むの?」
沈黙したまま、彼は腕を引っ込めた。
「悪かったわね、その……巻き込んで」
許すとも許さないとも〈名なし〉は言わなかった。
オフィスとを隔てる鉄扉が開いて、保安官がやって来た。彼は鍵束をジャラジャラと鳴らしながら、牢の前に立った。
「君たちの処遇が決まった」
「死刑かしら」
「この街で人死には出させんよ」保安官は肩を竦めた。「追放だ」
年季の入ったソートが二頭、わたし達に与えられた。砂埃や嵐のせいで彼方此方にガタが来ているようだったけれど、荒野を自分の足で歩かされることに比べれば遥かにマシだった。
ナサニエル・ヨークへ戻れというのが保安官からの指示だった。彼はノールトン判事にこの街での一件を報告し、ワイルダーにあるわたしの家から迎えを寄越させる手配をしたと言っていた。〈名なし〉の腕の修理も無償で行われるとのことだった。僅かにでも反省の心があるのなら言うことを聞くべきだ、と言外に言われている気がした。
陽が最も高く昇った頃、わたしたちはアイゼンの街を出た。人工筋の草臥れたソートでも、日が沈むまでにはナサニエル・ヨークの街へは到着出来る時間だった。
目抜き通りを進んでいると、宿のポーチに立つ主人の女性と眼が合った。荷物を取りに行った際、彼女は口を利いてくれなかった。わたしは一方的に御礼を言って、宿を出た。ここでも会釈したけれど、視線を断たれてしまった。無理もない。そう自分に言い聞かせた。わたしは、色々な人の善意を無駄にしたのだ。
街を出てしばらく行くと、道という道が消えた。
砂と岩と乾燥植物だけの世界。
ここからはソートの方向認識に頼るほかなくなる。彼らの思考回路が壊れていないことを信じて馬を進めていると、ふと、これが一種の処刑なのではないかという考えが過ぎった。壊れた馬に乗せ荒野に解き放ち、飢え死にさせる。街で人死にを出したくないという保安官にはぴったりの処刑方法だ。
これは罰だ。
わたしは口の中で呟いた。
警告を無視して、復讐心に駆られるまま容易に〈フロンティア〉へ踏み込んだ罰なのだ――。
視界がぼやけ、地平線が曖昧になった。
不意に水の音がした。
目の前に水筒が差し出されていた。持ち主は〈名なし〉だった。
彼は前を向いたまま、更に水筒を押し出してきた。
わたしは小さく頷いて、水筒を受け取った。
いつの間にかソートの速度が落ちていた。彼らにも休憩が必要なようだった。
適当な岩場を見つけ、馬を下りた。ソートたちは膝を折り、その場に蹲った。人工筋に溜まった熱を排出するまで、小一時間は掛かりそうだった。
わたしも影になっている岩に腰を下ろした。〈名なし〉は立ったままだった。
「わたしたちは本当にナサニエル・ヨークへ向かっているのかしら」そんな言葉が、口から自然に漏れた。
〈名なし〉はわたしたちが向かうべき方向を見つめていた。
「ああ、そうね。あなたにもわかるのよね。自分の位置が」言ってから口の中が苦くなって、わたしは唇を噛み締めた。「……あとどれぐらいで着くかしら」
彼は太陽を見上げた。日の出ているうちに、という意味かもしれなかった。
「そう。安心だわ」
すると突然、〈名なし〉がマントを翻した。銃を抜き、撃鉄を起こす。あまりに急激に空気が張り詰めたものだから、わたしの心臓は不規則に大きく撥ねた。
「ど、どうしたの?」
〈名なし〉は答えず、わたし達がやって来た方を見つめていた。その地平の先に、何かを見通しているようだった。
やがて、陽炎揺らめく地平にわたしでも視認できる影が現われた。規則的に上下運動を繰り返すそれは、地面を蹴りながら進むソートだった。一頭立てで、背中には人を乗せていた。
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