2-4
空は白みつつあった。
風の渡る音だけが、辺りを満たしていた。
カサカサと軽い、乾いた音は、剥がれ落ちたビラだろうか。
確かめる余裕はなかった。わたしは、往来の真ん中で二十メートルの距離に隔てられて向かい合う二人の男から目を離すことが出来ずにいた。
決闘というものの存在は知っていても、実際に目にするのはこれが初めてだった。これから殺し合いが始まる。命までは失われずとも、血が流れることはほぼ確実だった。わたしは身体の底から涌いてくる震えを抑えるため、拳を強く握りしめた。
ルールはあってないようなものだった。互いに向き合い、相手が動くのを待つ。もし、射撃の素振りを見せないうちに撃ってしまえば卑怯者のレッテルを貼られる。撃たれた側が失うものと撃った側が払わなければならない代価が全く等しくないように思えるけれど、双方納得の上で位置に着いたのだから、口を出すわけにもいかなかった。
こんなつまらない名誉を重んじるくせに、父の命を奪ったことには平気な顔をしているブッツァーティに、また腹の底が熱くなった。同時に、奴を葬る時には、奴の〈名誉〉とやらにも土を付けてやろうと、固く心に決めた。
一陣の風が吹き付けた。
砂埃が舞い、視界が遮られた。
わたしが一瞬だけ目を瞑った、その隙だった。
銃声が、夜明け前の空気を裂いた。
地面に何かが落ち、わたしの足元まで転がってきた。
穴の空いたステットソンハット。酒場で見た、カウボーイの物ではない。穴はたった今空いたことを示すように、煙を上げていた。
視界が晴れてくると、二つの人影が立っていた。片方は銃を引き抜く姿勢のまま硬直し、もう片方は相手に向けて引き金を引いた後だった。
前者はブッツァーティ。後者は〈名なし〉だ。
「なるほど」目を剥いていたブッツァーティの口元に、ぎこちなくではあるけれど笑みが浮かんだ。「たしかにスゲえ腕だ」
「撃って」わたしは叫んだ。「その男を殺して」
〈名なし〉はしかし、銃を相手に向けたまま動かなかった。彼がどうして速やかに引き金を引かないのか、その時のわたしには理解できなかった。
「何してるの? 早く」
すると耳許で、爆発にも似た銃声が鳴った。わたしは思わず小さく声を上げ、耳に手を充てた。
耳鳴りが、しばらくの間やまなかった。何が起きたのか把握するまで、時間を要した。
空薬莢の落ちる音が聞こえてきた。煙を吐き出す銃口は、わたしのすぐ近くにあった。ショットガン。構えていたのはブッツァーティの仲間で、銃口が向けられていたのは〈名なし〉だった。
男が舌打ちした。
「何なんだあの野郎……」
わたしも〈名なし〉の方へ目を凝らした。
放たれた弾は空中で静止していた。まるで、見えない壁にでも囚われたように。
ブッツァーティが、例の不快な笑い声を上げた。
「面白え芸を持ってるじゃねえか」
ショットガンの不意打ちは、普通ならば〈名なし〉の頭を吹き飛ばしていてもおかしくはなかった。けれど〈名なし〉は健在で、負傷した様子は見られなかった。彼は片手で、放たれた散弾を防いでいた。
人間が持ち得ない、鋼鉄製の腕で。
勢いを失った弾丸たちが地面に落ちた。
「そういうことかよ。まさかオルタナと決闘する日が来るなんてな」言いながら、ブッツァーティが歩き出した。〈名なし〉との距離を詰めていった。「撃てよ、人形。ここを狙えば一発で仕留められるぜ?」
〈名なし〉の向けた銃口の前にブッツァーティが立った。奴は己の眉間をこれ見よがしに指していた。もし〈名なし〉がそのまま引き金を引けば、弾丸が奴の頭蓋を穿つのは間違いなかった。
だけど〈名なし〉には引き金を引くことは出来ない。それは彼が――彼らオルタナが、或る禁忌に縛られた存在であるからだった。
〈アジモフの禁忌〉。
人の手で作られた存在であるオルタナが造物主である人間へ危害を加えることを阻止する三つの禁則事項。
第一条 オルタナは人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 オルタナは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第一条に反する場合、この限りではない。
第三条 オルタナは前掲第一条および第二条に反する恐れのない限り、自己を守らねばならない。
これにより人間たちの安全は約束され、オルタナの奴隷的地位が決定付けられている。〈フロンティア〉に限らず世界を覆う根源的な価値観が、これら三つの条文によって形作られているのだった。
わたしは〈名なし〉がオルタナである事実を受け入れることが出来なかった。うちで従僕として使っているサミィを初めとして、オルタナといえば人の形こそしているものの、あくまで機械の側に属する存在だと一目でわかる外見を持つのが普通だったからだ。会った時から今の今まで人間だと思ってきた相手が実はオルタナだったというのは、殆ど夢を見ているような思いだった。帽子の下で彼の左眼が真っ赤に灯るのを目にしても尚、現実を受け入れることには抵抗があった。
「撃てよ、オルタナ。撃て、撃て、撃て!」
銃を構えたまま硬直した〈名なし〉の手に、わたしは一縷の望みを託していた。あとほんの数センチでいい。僅かにでも引き金を引いてくれたら。そうすれば全てが終わる。わたしは家に帰り、土の下で眠る父に事の顛末を報告して、牧場の再建に取り掛かる。家族との生活を再開させられる。今までの平和な暮らしに戻ることが出来る――。
無意識のうちに、〈魔女〉のペンダントを握っていた。
祈り。このペンダントを通して、誰かに祈りを届けられる気がした。
尤もそんなことは気のせいでしかなかったけれど。
金属の塊が地面に倒れる音がした。〈名なし〉が蹴倒されたのだ。
「なんだよ、中身はただの人形か」そう言ってブッツァーティは〈名なし〉に向けて唾を吐いた。「人間そっくりなのは顔だけか」
ブッツァーティの銃が抜かれた。奴は〈名なし〉の左腕を踏みつけ、躊躇することなく鉛弾を六発撃ち込んだ。
「テメエの身を守ることだけは一丁前か」
ショットガンの弾を空中で止めた〈名なし〉の左腕が、力を失ったように地面に落ちた。所々で火花を散らしていた。
「さて、お嬢ちゃん。まだ続けるかい?」ブッツァーティがこちらを向いて、顔の銃創を引き攣らせた。「頼りの助っ人はこのザマだ。結局お前さんは、自分で銃を抜くしかないようだが」
身体が動かなかった。奴に対する殺意の熱で自分を鼓舞しようとしても、身体は冷たくなりすぎていた。
鼻を鳴らす音がした。
「残念だな。良い眼をしてると思ったんだが、勢いだけか」ブッツァーティは銃を収め、歩き出した。
三人の男たちはそれぞれ道端に繋いでおいたソートに跨がった。
その内の一頭、ブッツァーティの馬がこちらへやって来た。
「追い掛けてくるのは自由だぜ。いつでも相手してやるよ」馬上から、奴が見下ろしてきた。「ペリグリンの山にいる。死にたくなったらいつでも来な」
人工筋をしならせながら、ソートは駆けていった。砂煙に消えていく後ろ姿を、わたしは見送ることしか出来なかった。
気付けば辺りの闇が薄まりつつあった。
頭上の空は、すっかり明るくなっていた。
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