第三章~エピローグ

第三章 深山



深山――その一


 昏冥の中、一人、耳を澄ましている。物音はしない。風さえもここまではたどり着くことはない。


 地球を飛び立っていったロケット。あれは新しい世界へはたどり着けない。私はそれを知っていた。

 行くも、死。ここに残っても、いずれ死。

 私以外の技術者は行って死ぬことを選び、私は一人この山へ逃げることを選んだ。


 食料……。いくつかのシェルターをあさって乾燥食料を集積しておいた。

 飲料……。岩場の奥にわき水を見つけた。


 いつまで生きる? いつまでも。自分の寿命が尽きるまで。咳き込む体でぼんやり思う。


 この一人だけの世界で。

 生に意味もなく、もはや、死にも意味はなかった。

 ――彼女が現れるその時までは。



深山――その二


 あめはいつのまにかやんでいた。

 あんなにかなしく、はげしくふっていたのに。

 だからわたしは、あるきだした。

 ぬれただいちが、くろく、ひかっていた。

 けれどもどこへいけばいいのか、わたしにはもう、わからないでいる。

 さかみちをのぼってゆくとやまのなかへはいっていったようだ。

 

 なつかしいみどり。それはもう、みあたらないけれど、わたしはそこへとふみいれる。

 そうしてわたしはであった。さいごのにんげんに。


 それはほんとうにそう、わたしがであった、さいごのにんげん。



深山――その三

 

 出会いは偶然だったし、出会うつもりもそもそも無かった。

 念のため言うが私はこのロボットの製造には関わっていない。

 ただ風の噂で情報だけは知っていた。

 第三次ブレイクスルー素体。命、知性と生物が今まで重ねてきたブレイクスルーをさらに超えるモノ、か。

 なんて愚かしいことを考えたのだと鼻で笑っていたが、実際に目にすると少し驚きに変わった。


 たしかにこれは美しく、そしてどこか懐かしい。

 

 だから、しばらく私はそれに見とれていた。見とれてしまっていた。

 けれどもそれが良くなかった。咳き込んだ拍子にあのロボットに存在を感づかれてしまった。

 ロボットは私の方を向く。緑色の瞳は私の顔を映し出す。

 その瞳が微かにゆらいだ――。そんな気がした。



深山――その四


 びっくりした。

 ひどく、ひどく、びっくりした。


 だって、みどりのむこう、わたしのしかいのさきに、いきているにんげんがいたからだ。

 いきて、うごいている、にんげん。

 せきこんで、からだのちょうしがわるそうにみえたけれど、いきて、うごいている、にんげん。


 これはふしぎなことだった。いきているにんげんは、みんなあの“ろけっと”にのってたびだったはず、なのに。

 こうしていきて、うごいているにんげんがいて、わたしのこころはとまどってしまった。


 だから、わたしはおもわず、よびかけてしまった。


「だれ?」


 あなたはだれですか? どうしてこんなところにいるのですか?

 わたしの、こころが、わずかにふるえる。



深山――その五


 だれ?

 問われて咳き込みながら私は苦笑した。

 機械に誰何(すいか)されるなんて、思ってもみなかった。

 いや、この壊れた世界で誰かに誰何されるなんて、思ってもみなかった。

 自分の口が歪むのを感じた。自分が良くする卑小で尊大な笑い。かつて人に嫌われた笑いだった。それでもこの機械は気にした様子もない。

 それが――少しだけ嬉しかった。


 だから。

 この機械と少し、ほんの少しだけ話をしてみようか。

 そんな気分になったのは、きっとその機械が真っ直ぐに自分を見つめてくれたからだと思う。私は機械に向かって歩を進める。真っ直ぐのつもりだったが、若干ふらふらとした軌跡を描いて。



深山――その六


 にんげんはりょうてをひろげると、えがおでゆっくり、ほんとうにゆっくりとこちらに近づいてきた。あれはきっとむていこうをあらわす、いしひょうじ。

 そのにんげんのえがおは、おしえられたえがおとは、ちょっとちがっていたけれど、たぶん、えがおだったとおもう。


 けれど、どこかなきそうなかおにもみえた。


 わたしのこころがすこし、ふあんになった。どうしてこのにんげんは、なきそうなかおをしてわらうのだろう。

 どうしてそんなえがおなのに、どこかかなしそうなのだろう。



深山――その七


 私はロボットの側まで辿り着いた。とはいえ、近づいたはいいがなんと声をかければよいものか。私は少し迷ってしまう。いまの自分は、まるでいたずらを見咎められた子供だった。

 深く息を吸う。

 ……。

 空気がうまい。なぜか久しぶりにそう感じた。いままでそんなこと思いはしなかったのに。

 ロボットはどこか不安げな顔をして私を見つめている。少しおかしくなった。想定外の出来事に戸惑っているのは、向こうも同じなのだ。だから言った。

「そっちこそ、こんなところで、何している?」

 自分のことを棚に上げて、私はこういう風にロボットに話しかけた。



深山――その八


「こんなところで、なにしている?」


 そういわれた。そのことばをきいて、わたしはびっくりしてしまった。それはこちらがしたかったしつもん、そのままだったから。

 さきにいわれるとは、おもいもしなかった。くちにだしかけたことばがきえてしまう。


 そうしてうまれるぎもん。


 わたしはなにをしているのだろう。

 いったいどうしてあるいているんだろう。

 なぜこんなところにいるのだろう。

 わたしのこころが、こまってしまう。


 だから、すこしきろくをさかのぼってみた。


 そうしてきろくが、ひとつのいし、におもいあたる。はじめにきめたこと。はじめてわたしが、わたしできめたこと。それをはっきり、おもいだす。


“だれかのためにいきること”


 そうだった。それがわたしのあるきはじめたりゆうだった。


 きっとこのにんげんもだれかのうちにはいるのだろう。

 ならばやくにたたなければならない。


 それがろぼっとのやくめだから。

 むかしからきめられたきかいのやくわりなのだから。

 やくわり。

 やくわりをおもうとかなしくなった。

 どうしてだかわからないけど、こころのなかみが、かなしくなった。


 なぜだろう、ひどく、ひどく、かなしくなった。


 ふりはらうように、わたしはいう。つくったえがおでこういった。


「きっと、あなたにつかえるためです。まいますたー」



深山――その九


 ロボットはうやうやしく私に向かって礼をした。……。これはこのロボットを作った人間にとって想定外の出来事なのだろう。この壊れた世界で人に出会う。それはきっとひどくどちらにとっても間違ったことなのだろう。

 だけど私とこのロボットは出会ってしまった。ロボットはまるで私をかつて自分が仕えていた――実際には仕えられていたのだが――人間の様に私のことを取り扱う。


 ……。


 なんと言えばいいのか。私はそっとこの機械から目線を外す。見ていることが痛々しかった。

 そうして私は途方に暮れる。このロボットに特にしてもらいたいことなど無かった。なぜなら自分は一人で孤独に死んでゆくはずの存在だったから。そうしてもうすぐ終わりが訪れるはずの存在だったから。

 ロボットにまた目をやる。この人に似ずぎたロボットは私のことをじっと見つめている。私はなんだかむずがゆくなった。

 だからそんな目で見つめないでくれ。気持ちが揺らいでしまうから。この機械に頼ってしまいたくなってしまうから。

「……」

 いや、頼ってしまっても良いのかも知れない。この世界で最早見咎める者もいるまい。救って貰って良いのかも知れない。もはらそれを問う存在さえなく。

 私はどこまでも孤独で、そして自由だった。

 死を前にして、私に与えられた、それは選択。

 けれども私は迷っていた。

 私はロボットを前に思い悩む。



深山――その十


 にんげんはわたしをめのまえにして、いろいろとかんがえているようだった。

 それはどこか、こまっているようにもみえた。

 であってしまってこまっている。

 それはわたしもおなじだ。

 こんらんしているとおもう。

 じぶんでもひどくこんらんしているとおもう。


 そうしてひとつのぎもんがうまれる。


 わたしはこのにんげんにすべてをおしつけていないだろうか。

 すべてをゆだねてしまっていないだろうか。

 それがふたんになってないだろうか。

 ふあんでふあんでしかたない。

 わたしはにんげんのかおをじっとみつめる。

 そのぐあいのわるそうなひょうじょうをじっとみつめる。

 と、そのかおがくつうにゆがみ、はげしくなんどもせきこんだ。


 あなた、だいじょうぶですか。どこかぐあいがわるいのですか?


 そんなことをおもった。だからくちにしてみた。


「どこかぐあいがわるいのですか?」


 だいじょうぶですか。あなた。わたしに、なにかできることはありませんか?



深山――その十一


 ロボットは咳き込む私に声をかけた。なに、ちょっとした発作だ。なんともない。もうすぐ終わる自分にとってこれは何ともない出来事だった。そう、水も食糧も全て汚染されているのだ。それをずっと摂取していれば、この終わりはわかりきっていたことだった。

 私はロボットに返事をする。


「大丈夫だ。ちょっと死にそうなだけだ」


 ほんとうに大丈夫だ。ただちょっと死にそうで、それがこのロボットの前というのが少し気恥ずかしい。私は寂しげに笑った。



深山――その十二


「だいじょうぶだ。ちょっとしにそうなだけだ」


 にんげんは言った。


 そのかおが、とてもさびしそうにおもえた。

 こんなところで、ひとりで、とてもさびしそうに、おもえた。

 だからわたしはいった。

 このにんげんにむかっていった。


「あなたは、どうしてここにいるんです?」


 ろけっとはすべてたったのに。

 わたしはことばとへんじをまつ。

 つくったえがお――それがたもてているかはわからないけれど――で、じっと。



深山――その十三


 私の息が落ち着くのを待ってロボットは静かに問いを発した。

「あなたは、どうしてここにいるんです?」

 どうして。問われて珍しく火花のように答えが湧き出る。それはあのロケットに乗りたくなかったからだ。地球で死にたかったからだ。何もない宇宙空間で干涸らびるように死ぬのはごめんだ。爆発に巻き決まれて死ぬのはもっとごめんだ。私は地球を愛していた。このこわれかけた星を愛していた。だから――。


「ここで死ぬためだ。宇宙ではなく、この地球上で死ぬためだ」


 私は答えた。ロボットに答えた。どこか揚々とそして自信満々に。そして自らの思いを押し殺して簡潔に。



深山――その十四


 わたしはこたえをきいてとまどってしまった。

 しぬためにいきる――?

 それはわたしのしこうのほかだった。

 それにろけっとにのっていればにんげんたちはあんぜんだったはず。

 このにんげんも、ろけっとにのっていればいきのびられた、はず。

 それなのに、どうして。


 このにんげんはしぬことをねがっているのだろう?

 わたしのしこうがふしぎでみたされた。

 ふしぎなことはきいてみなければならない。

 わたしはこのにんげんにむかってたずねる。


「どうしてろけっとにのらなかったんですか?」

 

 どうしていきようとしないのですか?

 しぬためにいきるなんてかなしいです。

 いきつづけるのがにんげん、とよばれるそんざいのほんしつなのではないですか?

 

 わたしはぎもんをくちにだす。



深山――その十五


 案の定ロボットは質問してきた。それは予測された質問だった。私は心の底で僅かに笑う。私はもちろん答えを持っていた。ロケットに乗らなかった答えを。だからそれを指し示してやる。

「あのロケットは新たなる星にたどり着けないからさ」

 どこか暗い情動に突き動かされて私はこのロボットの問いに答えた。

「ロケットはどこへも、たどり着くことはできない。そのたいていは、熱圏さえも突破できなかった。ヒトや動物、植物、たくさんのものを詰めすぎたから、地球の引力から逃れることさえできなかった」

「……」

「そんなのに乗って死ぬよりもここで死ぬのを選んだ。ただそれだけのことだ」


 最後は吐き捨てるように。私はこの無言で立ちすくむロボットに向かって言い放った。心が何故かすっきりとした。私は心の中でほくそ笑む。

 さあ、ロケットを信じていたロボットさん、君は、君ならばどう答える?



深山――その十六


 このにんげんはいった。ろけっとはあたらなほしにたどりつけないと。

 このにんげんはいった。そのほとんどがねつけんでもえつきたと。

 このにんげんはいった。それならばここでしぬほうをえらぶと。


 このにんげんは。

 ただしいのかもしれない。


 けれど。


 わたしのそばにちからづよいことばがあった。

 

 それはろけっとのおと。ろけっとのひびき。


 めをとじる。いまでもおもいかえせる。あのちからづよさ。あのひびき。


 だからわたしはしんじる。


 ろけっとのちからをしんじる。


「わたしは、ろけっとのちからをしんじる!」


 さけんでいた。いつのまにかこのにんげんにむかってさけんでいた。

 さあどうだ、にんげん。わたしはろけっとをしんじる。たったひとつのろけっとでもいい。あらたなるせかいににんげんたちをはこんだとしんじる。

 だってそれは――。

 だってそれは――。

 わたしのしこうが、わたしのいちばんのはじまりのばしょ、にふれる。


 ――そのことは、ずっとむかし、いちばんはじめに、かわされたやくそくだから。


 そのやくそくをおもいだす。そっとそっとおもいだす。



深山――その十七


 実のところその返事さえ実は予想済みだった。このロボットはそういう存在なのだ。

 だから逆に尋ねてやる。もっとこのロボットを追い詰めてやる。私は声を張り上げる。


「だったら、どうして、お前は行かなかったんだ?」


 力を信じるのなら、その力を信じるというのなら、どうしておまえは――。


「お前は、ロケットに乗らなかったのだ?」


 そう尋ね、私はこのロボットの反応を待った。



深山――その十八


 わたし――は。


 にんげんのそのといにこたえるのはひどくむねがくるしい。


 わたし――は、こんなに、むねがくるしい。


 だってわたしは。

 

 のこされた。とりのこされた。このほしに、とりのこされた。ひとりでいきるように。


「とりのこされた、そんざいだから」


 このちきゅうでいきるように、めいぜられたそんざいだから。ひとりいきるようにめいぜられた、そんざいだから。はじめてこのにんげんからめをそらし、わたしはそうこたえた。


深山――その十九


 深く息を吸い込む。そうだ。このロボットはそう言う存在なのだ。たったそれだけの存在。本来ならばちっぽけでちっぽけでちっぽけな存在。


 この星を見捨てたヒトは、宇宙で地上の夢を見て、地上に取り残された機械は、この星の上で宇宙の人々の夢を見る、か。


 それはなんて、惨めな夢なのか。


 私はそっとため息をついた。そうして空を見上げる。ヒトが昇っていった空を。そんなことまでして人間は自己の存在の証明をこの星に刻み込みたかったのだろうか。私はこの少女型のロボットを見る。この美しい存在を見つめる。


 聖女で娼婦、毒婦で、天女。それら全てを期待され、そうしてそれに絶対に負けない存在。

 人間がこの星、この地上で見た、最後の夢。

 人間が宇宙の果てを旅しながら見続ける美しい、故郷の夢。


 この星の担い手。あるいはこの星を継ぐもの。礫砂となったこの星で、ただ一人その終焉までヒトの姿のまま生き続ける具象存在。

 あるいは墓標。生きた墓標。かつてこのような存在がここにいたことを告げる、かつてこのような夢を見た生物がこの星にいたことを誰かに告げる、つまりはそれだけの存在。


 そう、それが、つまり、わたし。ちきゅうで、いきた、にんげんたちのぼひょう。


 惑星の残り手。

 崩壊した惑星の上でただ一人、人間の帰りを待ち続ける、いや、待ち続けることを期待された、人類の神話となるべき存在。


 その存在が、たとえなくなってもかまわない。ただそのようなものが地球に、自分たちが見捨てた星に残っているかも知れない、という救いの為だけに惑星の上で永遠の命を与えられた、人型の究極生命体。


 GREEN KEEPER


 それが彼女の本当の名前。それをそっと口にする。


深山――そのニ十


「ぐりーん きーぱー」


 このにんげんはたしかにいった。

 わたしのほんとうのなまえをたしかにいった。


 それはとてもなつかしいひびき。

 なんねん、なんじゅうねんときいたことのないひびき。


 わたしはこのにんげんのかおをみつめる。

 やっぱり、どこかであったきろくはなかった。

 けれど、わたしのことをしっているのだろう。

 あったことはないけれど、わたしのことをしっているのだろう。


 にんげんはてんをみあげていた。

 わたしもそれにならってみる。

 あのそらのむこう、はるかむこうににんげんたちと、それをはこんだろけっとたちがいる。

 いるはずだ。

 

 もうあえないけれど。

 きっともうにどとあえないけれど。


 きっとかならずかれらはいるのだ。


 なぜかわたしののどから“うた”があふれだした。

 

 それはいままでもうたってきたうた。

“このほしのはるかかなたとくとおく”


 そんなだいめいのうた。


 てんにむかって、そのうたをささげる。

 そっと、ささげてみる。



深山――その二十一


 空の彼方を思っていると、小さな歌が聞こえてきた。見ればロボットが歌を口ずさんでいた。

 歌は、不格好で、調子外れの物だったけれど、それはたしかに歌であった。私は歌っているロボットをそっと見つめる。このロボット――いや彼女は恐らく心底、ロケットとのことを信じているのだろう。


 ――互いが互いにし掛けた絶対無謬、確認不能の大魔法。あるいは馬鹿げたおまじない。彼女が人を信じ続ける限り、人はこの空の彼方にあり続け、人が彼女を信じ続ける限り、彼女はこの星で在り続ける。

 分かたれた二つの存在がきっとふたたび出会うまで続く、それは約束。

 分かたれなければならなかった存在がふたたび出会うまで続く、それは契約。

 ここにいるのは最後の人間。

 ここいいるのは最後の機械。

 この星、最後になるはずの生命体。


 歌を歌う彼女を見ながら私は思いにふけった。しばらくそんな歌に耳を傾けていた。


 そして終わりは唐突だった。もしかしたらこれも彼女がもたらしたのかも知れない。私は激しく咳き込みがっくりと荒れた大地に膝をつく。口に当てた手はべっとりと血で汚れていた。歌が止む。そして手がさしのべられた。おもわずそれを掴む。激しく、強く。



深山――その二十二


 にんげんは、はげしくせきこみ、ひざをついた。

 わたしはそっと、てをさしのべる。

 のばしたては、つよいちからで、にぎりしめられた。

 しんじられないくらい、つよいちからだった。

 

 あわてないで。ここにいます。


 たしかめるかのように、わたしはにぎりてをかさねてゆく。


「おまえはとりのこされた、そんざいではない」


 かすれたこえが、きこえてきた。しゃべらなくていいのにそのにんげんはしゃべっていた。つめたいてなのに、はいたちだけがどこかなまあたたかった。


「ではいったい、どうしてわたしはここにいるのでしょう」


「りゆう、をみつけるんだ。おまえじしんの、ちからで」


「……」


 そうしてきゅうにちからがぬけた。


 このにんげんがきをうしなったのだ。しんだ、わけではない。まだこのにんげんにはこきゅうがあった。こどうがあった。


 けれどどうしよう。


 いったい、どうしたらよいのだろう。

 こういうとき、どうすればいいかなんて、いままで、だれもおしえてくれなかった。


 とりあえず、いわばのかげににんげんをはこんだ。そっとよこにねかしかいふくをまつ。――もしかしたらかいふくしないかもしれない。それをおもうとわたしのこころがつらくなってしまう。

 つらいこころのなかひたすらまつ。やがてよるのとばりがおとずれた。



深山――その二十三


 気がつくと岩陰の下に寝かされていた。日は沈み、当たりはすっかり夜のようだ。――寒い。どうやら寒さで目を覚ましたらしい。

 そうして気がつく。もう自分に終わりが迫っていることを。

 全てがあいまいで、全てがぼんやりとしている。

 その中で映る緑色の髪。そうか、わずかに発光しているのか。薄ぼんやりとした意識の中でそんなことを思う。ロボット――彼女がそこにいた。寂しそうに、ちょこんと座って私の顔を見下ろしていた。


「めをさまされましたか?」


 彼女は言った。弱々しく私は頷いた。けれどそれがせいいっぱいだった。また地面に頭をつける。


「わたしに、なにかできることはありますか?」


 彼女は言った。何もない……いや。

 ぼんやりとした思考の中思い出す。思いをそっと口にする。


「歌を歌ってくれないか」

 

 私が倒れるまで歌っていた歌を。


「そんなんでいいのですか?」


「ああ」


 私はかすれた声で言う。やがて歌が聞こえだした。


 歌は何遍も繰り返された。まるで私を見送っているようだった。


 最後に、一つだけ聞いてみた。いや聞けたかどうかはわからないけれど、聞いてみた。


「君は、いまでもロケットを信じるかい?」


「わたしは、ろけっとをしんじます。ろけっとをつくった、にんげんをしんじます」


 彼女はまっすぐな瞳でそう言ったように思えた。私は満足してうなずく――いや首を動かせたかどうか。けれども、できなくても、私は心の中で頷く。それさえも夢かもしれない。

 ああ、信じよう。私たちがお前の存在を信じるように。

 最後の人間。この星で最後に生まれ、そうして、最後まで生き続けるモノ。

 彼女はこの星が宇宙の彼方にある限り、決して滅びることはない。



深山――その二十四


 そのひとののぞみどおり、うたをうたっていた。


 なんべんもなんべんもくりかえしうたっていた。


 そして、そのひとがしぬまでそこにいた。


 しんでうごかなくなったそのにんげんをまえにそっとよびかけてみた。


「あなたは、もう、うごかないのですか」


 へんじはなかった。


「このうたは、おきに、めしましたか?」


 へんじはなかった。


「わたしの、ほんとうのなまえはなんでしたか?」


 へんじはなかった。


「わたしは、なにをしたらいいのですか?」


 へんじは――なかった。


 わたしは、ないた。


 きっと、うまれてはじめてないたのだ。じぶんがどうすればいいのかわからなくて、たったそれだけのことで、だれかにすくいをもとめている。


「りゆう、をみつけるんだ。おまえじしんの、ちからで」


 このにんげんはそういっていた。わたしのこころも、そうだといっていた。わたしはこころのきろくをさがす。

 やがてりゆうをみつけだした。にんげんたちがわたしにたくしたけいかくも、ろけっとたちとのちからづよいやくそくも。なにもかも。


 わたしはこのちじょうでいきつづけなくてはいけない。


 そうしていつか、あわなくてはならない。とおくへいってしまったにんげんと、ふたたびめぐりあわないとならない。わかれたひとたちすべてに、わたしはさいかいしなくてはならないのだ。


 それがすむまでわたしは、しぬことはないだろう。


 あるきだす。そらをみあげる。にじがでていた。


 はるかかなた、てんをめざし、にじがでていた。




第三章 深山 完




エピローグ 緑が丘 


 みどり、みどり。それはみどり。

 すべて、なくしたから、そうして、なくしたけれど、わすれられないから、よみがえった。

 だれにも、なににも、なにひとつ、わすれられたくないから、わたしが、よみがらせた。

 みどり。みどり。

 いちめんのみどり。

 このせかいは、いちめんのみどり。


 そのせかいでわたしはずっとこうしている。


 ずっとかえりをまっている。


 にんげんたちのかえりをまっている。




あのうみ みやま みなこえて END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あのうみ みやま みなこえて 陋巷の一翁 @remono1889

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ