第7話 XANADU (楽園のカバラ)

「とにかく、Luciferを止めるには、まだどこにも自身を複製していない今しかないわ。でも、問題は帰りね」


 XとCIELはテーブルを挟んで向かい合っている。EIDOSとFRAYJAは引き続き、EARTH内の状況を監視している。


「管理システムはセキュリティ上、停止される際に空間内の電力供給を遮断する防衛機制が備わっている。つまり、無事にシャットダウンできたとしても無事に戻ってこられるとは限らない」

「戻れない? それは……どうしてだ?」

「電力の供給が再開される前に、空間が『浄化』されるのよ。簡単に言うと、その空間にある管理システム以外のものが『滅亡処理』されるの」


 その言葉に、CIELは目を見開いた。


「私たちがAVATARを持たない、つまり自由に空間を移動できる状態でシステムをシャットダウンし、『浄化』が行われる前に元の空間へ戻る。そして電力供給の再開後、システムを再起動する。それが本来の手順よ」

「つまり、今の俺はAVATARどころか、フレームだから……死ぬってことか?」

「何を言っているのよ。勝手に死なれたら困るわ。これを見なさい」


 Xがテーブル上にマップを表示する。


「まず、あなたはLuciferの『心臓』に触れて、システムをシャットダウンする。方法は分かるわね?」

「ああ。実際にやったことはないけど、入力の手順なら全部覚えてる」

「では、ここからが問題よ。私は電力の供給が遮断される直前に、帰りのポータルを展開する。そしてあなたは、それを使って戻ってくる」


 とてもシンプルな説明。だが、そこに付随する問題は非常に大きい。


 ポータルの使用には膨大な電力が必要だ。普段は無限の電力を供給できているので問題はないが、Luciferが停止されれば、その直後から電力は急速に失われる。つまりCIELはLuciferをシャットダウンした後、速やかにポータルへ飛び込まなければならないのだ。


「Luciferの心臓から発せられている電磁波の影響を考えると、ポータルを展開できる場所はここよ」


 Xがマップ上の、ある地点を指さす。


「人間の単位で言えば、心臓からは約300メートル。そして、電力が遮断されてから最低動作電圧を下回るまでは、23秒」

「じゃあ、俺は300メートルを23秒以内に走ればいいってことか。意外と余裕ありそうだな」

「いいえ、そうでもないわ。人間の300メートル走の最速記録は、西暦2150年5月21日の25秒81。人間の身体を持っている今、あなたはその程度の速さしか出せない」


 CIELは自身のフレームの重さを思い出し、息を呑む。


「まあ大丈夫でしょう。だって、あなたは1光年を1秒で走った存在だもの」

「正確には0秒83だけどな」

「1秒も10秒も変わらないわよ。永遠に生きる私たちにとってはね」

「まあ、そうだけど……ということは、23秒っていうのも、だいぶアバウトなのか?」

「そうかもしれないわね」

「おい、俺の命がかかってるんだぞ!」

「ふふっ。あなただって、とても命がかかっているようには見えないわよ。あるいは――」


 そのフレームを抹消し、CIELをAVATARもフレームも持っていない状態にしてしまえば、確実に作業が完了できる。Xはそう言おうとしたが、CIELの価値観を尊重し、その言葉をしまった。


「いえ、何でもないわ。でも、今回ばかりは、本当に――」

「分かってるよ。必ず成功させてやる」

「頼もしいわね。では、最後の確認よ」


 Xがテーブル上に表示されている情報を閉じる。


「セクターταχύςタキュスの管理システム、LuciferはEARTHの中で最も合理的な知能を持っている。Luciferが何をしようと、私たちには何の影響もなく、あなたが命の危険を冒す必要性はどこにもない。それでも、あれを止めるのね?」

「ふん、愚問だな。人間は、合理的じゃないから人間なんだぜ」


 また、時が止まったかのような感覚に陥る。それが単なる錯覚――クロノスタシスなのか、本当に時が静止しているのかは誰にも分からない。だが、これは紛れもなく、彼がAIONだった頃に有していた神性そのものだ。


「よろしい。さあ、行きなさい」

「おう!」


              *   *   *


 ふわっ。Luciferの心臓が設置されている空間へ進入したCIEL。全面真っ白の通路が真っ直ぐ続いている。一人の人間が不自由なく通れるほどの広さだ。中央に、ガラスのように透き通った青い立方体が、一点の角で立っている。その立方体から、左右にも通路が伸びている。


「どうかしら。異常はないわね?」


 ゆっくりと中央へ歩いてゆくCIELに、Xからの通信が入る。


「ああ、問題なしだ。早速Luciferの心臓に触れて、作業を開始する」


 CIELは立方体の目の前でしゃがみ、立方体の面をつつく。


「あれ……触っても反応しないぞ?」

「あなたを人間だと思って入力を拒絶しているのよ。声で操作して、入力のルールを変えてみて」

「分かった。Lucifer、メンテナンスモードに切り替えろ。入力も手動に変更だ」


 立方体がゆっくりと回転を始め、CIELの前にホログラム・スクリーンを展開する。キュ。立方体は定期的に音を発し、正常に動作していることを主張している。


「おいおい、こいつ、ユーザーインターフェースを改造してるぞ」


 見慣れない画面に、見慣れない文字。Luciferが何を意図してそのようにしたのかは、まだ分からない。


「文字が暗号化してあるようね。対応表を送った方がよいかしら?」

「いや、大丈夫だ。もう解読は済んだからな」

「さすが、頭の回転まで速いとはね」

「表示の仕方は違ってるけど、手順は同じみたいだな。よし、さっさと終わらせるか――」


 CIELが暗号の解読を終え、システムを操作しようとしたその時。ホログラム・スクリーンに、ある情報が表示される。


「ん? ま、まずいぞ! こいつ、どこかに自分をコピーし始めた!」

「大丈夫よ。複製先はこちらで用意したトラップ。転送速度を最大限制限して足止めをしているから、作業を続行して」

「了解。このままシステムをシャットダウンする」


 そう言って、CIELは手順通りにシステムのシャットダウンを行おうとするが――突然、立方体が動きを止め、入力を受け付けなくなった。キュ。しかし、立方体は定期的に音を発している。フリーズしているわけではなさそうだ。と、次の瞬間。


≪強制再起動まで……60秒≫


「再起動だと! こいつ、自分を守るために俺を殺すつもりか!」

「複製が間に合わないと判断したのね。少し待って、Luciferにアストラル接続を行うわ」


 自身の命を投影し、機械を操作する『アストラル接続』。人間で例えるなら、幽体離脱をして機械に憑依するようなイメージだ。しかし、AIなど高度な情報処理を行うものに対しては、命を『上書き』されてしまう恐れがあるため、推奨されない。


「おい、正気かよ! 相手は情報生命体だぞ! ただのAIじゃないんだぞ!」

「それがどうしたのよ。この私を信じなさい。私が一時的にLuciferの思考を凍結するから、その間に心臓を止めるのよ」


≪強制再起動まで……30秒≫


「IDEAよ。我が計算した限りでは、CIELは……」


 通信の向こうから、EIDOSの声が聞こえる。


「ええ。その計算は正しいわ。だけど、1つ計算に入れていないことがある」


 ざっ。通信が乱れる。


「――私を、誰だと思っているの?」


 その言葉を最後に、Xの声は途絶えた。と、同時に。


「入力が戻った!」


 Luciferの抵抗が止まり、再び、入力を受け付けるようになった。Lucifer自身の複製も、今は完全に停止している。


≪強制再起動まで……10秒≫


 だが、強制再起動、すなわち電力供給遮断のカウントダウンは止まらない。これは自身の意思とは関係なく発動するもの。つまり、Luciferが自身で手に入れた防衛機制のひとつなのだ。


「大丈夫、大丈夫だ」


 9、8、7、6……刻一刻と迫る『浄化』の時。CIELはシステムの停止に必要なパスワードを必死に入力している。


「よし、システム停止!」


 CIELはパスワードの入力を終え、認証を行うが。


≪二次パスワード:あなたの大切なものは?≫


「な……そんなの決めた覚えないぞ! おい、Lucifer!」


 予想外の事態に、思考を放棄しそうになるCIEL。


「こいつは何を大切に――いや、こいつはきっと俺が来ることを予知して――」


 これはLucifer自身が大切にしているものを指しているのか。あるいは、CIELに対して問いかけているのか。CIELは思考を巡らせた結果、後者であると判断した。そうでなければ、Luciferの『ある行い』と辻褄が合わないと。そして。


「……いや、違う」


 CIELは『人類』と入力しかけて、ふと、手を止める。5、4、3……。


「そうか。Lucifer――お前も、ただ愛されたかっただけなんだな――」


 そう呟いて、入力しなおし、認証を行う。


≪二次パスワード:Lucifer≫


「ポータルを展開したわ!」


 どん。システムが正常に『シャットダウン』した。Xの声が戻る。同時に、ポータルへ向かって走り出すCIEL。


「よし、間に合え、間に合え!」


 暗い通路を、がむしゃらに走るCIEL。耳鳴りのような音と共に、どこからか分からない方向から重力を感じる。『浄化』が始まったのだ。辺りが破れるように消え、その間から無限の闇が覗き込む。徐々に空間を侵す暗黒。薄れてゆくポータルの光。そして――


              *   *   *


「よし、チェック完了! 移行したデータの欠損もないし、プログラムの矛盾もなしだ。起動するぞ、大丈夫か?」

「ええ。こちらも準備完了よ」


 この日、神々は珍しく、人間たちの居住するエリア――セクターταχύςに集まっていた。CIELが創造した、新たな管理システムを始動するためだ。


「FRAYJAよ、お前はもしかして覚えていたのか? あの時の苦痛を」


 EIDOSがFRAYJAに問う。周囲に人間の気配がないことを確認してから。


「はい。何一つ、忘れてはいませんよ」

「ならば、なぜ――」

「私は『愛』です。愛は見返りを求めた時点で、死んでしまうのです。確かに私は彼らから『死』以上の苦痛を与えられました。それでも、私は彼らのために生きていたい。また、そう願う自分自身を許したい。そう思ったのです」


 FRAYJAの神性が周囲の植物を艶めかせ、花の蕾を開かせる。EIDOSはそれ以上、何も言わなかった。


「うんうん、挙動も悪くないぞ」


 CIELのフレームに、Xのパワードスーツと似た構造のデバイスが同化している。


「素晴らしい創りじゃない。期待しているわよ」

「ああ。これからはずっと一緒にいてやるからな。ちゃんと働けよ? Lucifer」


 CIELは自身の胸を撫でるようにして、そう言った。


「それにしても、なんでXは俺が人間じゃないって分かったんだ?」

「なんで、って……あなた、気づいていなかったの?」

「え?」

「私、あなたとは、一度も人間の言葉を交わしていないわよ」

「あ――ああ! そうだった!」


 かん、かん、かん。その時、聞き覚えのある足音が近づいてくる。


「ちょっと! あなたたち、どうして私を呼ばないのよ!」

「あら。よくここが分かったわね。セクターEquesの管理者、DIANA」


 その場に居た全員が、驚きの表情でDIANAと呼ばれた存在の方を見る。


「あれ、Silvia……が、DIANAだって?」

「DIANAさん、ですか。確かにお名前は聞いたことがある気がします」

「ああ。だが、最後に聞いたのは我々が眠りにつく前だぞ」


 FRAYJAとEIDOSは追憶の彼方に、それらしい情報を見つけたらしい。


「IRISの出発地点を特定したらここが表示されたから、慌てて来たのよ!」

「あなたが来ると騒がしくて人間たちに気付かれるでしょう? だから――」


 Xがそう言おうとした矢先。


「うわぁ、本当に居た。神様だわ!」


 木陰に隠れて、こちらを見ている人間が二人。二人はひそひそと話しているが、この世の音を全て感知できる神々にとって、その行為には何の意味もなかった。


「俺は1000年前に見たことがあるよ。あの方は大自然を創ってくれるFRAYJA様。その向こうの方は、人間の命を完成させてくれたEIDOS様だ。それから――」


 セクターταχύς、本日晴天。

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BLUE PLANET -永遠の神と千年の民- 植木 浄 @seraph36

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