第6話 SERAPH (輝く者は斯く語りき)
「FREYJA、セクター
「駄目です。Luciferはあらゆる介入を拒絶しています。私たちの『滅亡処理』ではなく、あくまでLucifer自身の方法でταχύςを滅ぼしたいのでしょう」
ここは神々のエリア。FREYJAとEIDOSはセクターταχύςの管理システムLuciferを相手に、苦戦を強いられていた。
「そうか……だが、本当の目的は何だ? 人類の無価値さを主張し、人類を滅ぼしたいのであれば、IRISを使って洗脳でもすればよいものを」
「私もそう思い、IRISを止めておいたのですが……今のところ、LuciferがIRISにアクセスしている様子は――」
FREYJAがはっとした顔をする。
「IRISの操作権限が奪われました! セクター外の人間が汚染されます!」
FREYJAがそう言った次の瞬間、EARTH内に虹が走る。
≪53616c7465645f5f4f542ba5894599d982919f166b206536e3f26fa220b9b43f292496e6fb1a9b45≫
「……なんだ? 何を伝えたいのだ?」
「暗号であることは分かりますが……復号するための鍵が分かりませんね」
この時、両者は人類の情緒に悪影響を与える情報が発信されると予想していた。だが、実際に発信された情報は、だいぶ性質の異なるものだった。
「まさか、我々に対するメッセージか? ならば――」
EIDOSは思い当たる単語を復号鍵とし、復号化を行う。すると。
≪
「『我思う、故に我あり』だと?」
「EIDOSさん、また何か発信されます」
≪53616c7465645f5f01ac6b9bcf066e7ca9e1f009e1545abd≫
再び、虹が走る。EIDOSたちは先ほどと同じように暗号の復号化を行う。
≪
「『私は、ここに在る』……信じがたいことですが、これは明らかに自身の『命』を自覚している者の反応です。Luciferは、自我を持っているようですね」
「AIが人間の情緒と全く同じ情報処理を行うだと? あり得ん! 情緒とは人間の脳内にのみ発生する代謝物だぞ! それを真似た情報処理ならともかく――」
「いいえ。ひとつだけ、それを可能とする方法があります」
その言葉に、EIDOSはしばらく沈黙し――目を見開いた。
「まさか! 人間の脳神経ネットワークを、管理システムのネットワーク内に、完全に再現したというのか? だが、それなら辻褄が合う。つまりあれはAIではなく、情報生命体であるということか……まずいことになったな」
「ええ。しかも、Luciferは自身の命に価値を感じている。とすると、本当の目的はおそらく、我々の一員になることでしょう」
現在、Luciferは自身の能力と、自身の価値を確かめるかのように動いている。そしてLuciferはまもなく自身が神と同等の存在であるということに気付くだろう。そうなれば、神に支配されている現在の地位に不満を覚えるはずだ。
「Luciferがこの空間に侵入してくるのも、時間の問題だな」
「その前に、Luciferが分身し他のセクターを支配してしまう可能性もあります」
情報生命体は、そのネットワークを構成できる場所であればどこにでも存在できる。更に、自身の命を構成する『情報』は、記憶領域の容量が許す限りいくらでも複製可能だ。そのような存在がEARTH中に現れ、万が一『肉体』を手に入れてしまったら――その後EARTHがどうなるかは、推察に難くない。
「ならばその前に手を打たなければ。FRAYJA、セクター内に一切の人間が存在しない場合、BifröstにはLuciferより上位の権限が適用されるはずだな?」
EARTHの構造上、セクター内に管理システムの主なサポート対象――人間が存在しない場合、当該セクターにおいてはセクター間接続システムBifröstの権限が優先される。その際にBifröstを介して『滅亡処理』を行う、というのがEIDOSの考えだ。
「論理的にはそのはずですが……一体、どうやって?」
「
「なんですって! 彼らを全員『死刑』にするというのですか! 何の罪もない彼らを!」
FRAYJAが声を荒らげる。人間たちのフレームには、その個体が管理システムやセクター内の環境、及び他の個体などに重大な損害を与えた場合、速やかに『処分』を行う機能が備わっている。その機能を司っているのがἍιδηςだ。
「罪ならある。奴らは我々を――」
EIDOSがそう言いかけた時。ふわっ。
「待ってくれ!」
小さな風とともに、聞き覚えのある声が聞こえる。
「その声は――AION! 一体どうやって――」
その時、EIDOSはその隣に居る存在に気付く。
「ポータルをハックしたのよ。セキュリティレベルが当初のままだったから助かったわ。今回ばかりはね」
「あ、あなたは――」
姿は記憶に残っているそれとは異なるが、EIDOSには、その存在の正体を感覚的に理解することができた。その存在こそが、真理を司る根源的存在。永久不滅の、真実の実在的存在――IDEAであると。
「IDEAよ、よく戻られました。我らの力にご不満でしたか、このEIDOSが、何か過ちを犯しましたか」
「お久しぶりです。IDEAさん」
「い、IDEAだって?」
かしこまった様子で深々と頭を下げるEIDOS。CIELは、隣に居る『X』と名乗っていた存在が『IDEA』と呼ばれたことに衝撃を受け、その存在とEIDOSとを交互に見た。
「相変わらず堅苦しいのね、EIDOS。不満なんてないわよ。なんとなく、様子を見に来ただけ。それに、この世界に『過ち』という概念はないの。神は決して、間違えないのだから」
「えっと……XはIDEAだったのか?」
CIELが恐る恐る聞く。
「何をいまさら。私はあなたがAIONだと知っていたわよ」
「なんだって……」
「ところで、AIONさん――と呼んでよろしいのでしょうか」
FRAYJAが問う。
「あ、ああ、俺か! 俺は、今はCIELなんだ」
「そうね。今後、彼のことはCIELと呼んでやって。今は神ではなく、人間の男だから。私のことは何と呼んでも良いわよ」
「分かりました。では、CIELさん、IDEAさん。状況はご存じとは思いますが――」
そう言って、これまでの出来事と、EARTH内の状況を説明するFRAYJA。
「ああ。俺たちはこの目で見てきた。まさしくその通りだ」
「このままではEARTHのシステム全てがLuciferになってしまうわね」
「人間の男、CIELか……」
EIDOSが弱弱しく呟く。まだ混乱が残っている様子だ。
「我は――この状況こそ、正しいのではないかと思う。人類が消え、Luciferが我々の一員になる。よく考えてみれば、それは我々にとって、特に問題ではないはずだ」
「EIDOSさん……」
FRAYJAが、少しだけ眉をひそめる。
「人類を愛していたはずのお前が、人類の存在価値を否定する情報生命体を創ったのは皮肉なことかもしれない。だが、CIELよ。Luciferはお前の創造した通り、この世で最も合理的な判断をする、極めて優秀な存在だ。その存在が人類を滅亡させる判断をした。やはり、人類は滅ぶべきなのではないか?」
額に手を当て、何かを確かめるように、ゆっくりと言うEIDOS。
「そもそも、人間どもを基準にして考えているのが問題だったのだ。人類など所詮は『家具』に過ぎん。壊れれば創り直せばよい、邪魔なら捨てればよい。それをなぜ我らが、我らの創ったシステムを否定してまで守らなければならない? 我々が守るべきはあくまでEARTHであって、人類を守るのはそれを達する手段の一つに過ぎないはずだ」
EIDOSの述べた考えに、一同は沈黙する。Xは黙って彼らのやり取りを見ている。
「EIDOS、やめてくれ。確かに合理的であることは重要だ。でも、俺は実際に人間になって、自分の目でセクター内を見て分かった。EARTHは合理性だけじゃ完成しないんだ。自然物も生体も、数字通りの配置じゃ全然駄目だった。だから俺はLuciferを止める。そして俺がセクターταχύςを、本当の意味で完成させる。俺にやらせてくれ」
「……人間となったお前に何ができる? このわずかな時間で作業を完了するなど、人間には不可能だ」
CIELのフレームを指さして、EIDOSは言う。
「CIEL、EARTH内の人間どもには何の存在価値もないのだぞ。だが、お前には絶対的な存在価値がある。人間どもの命などSAMSARAを使えば何度でも復元できる。むしろかつてのように、3Dバイオプリンタで印刷した人工胎盤に生産させておけばいい。だがお前は、所詮データに過ぎない人類などというくだらない存在とは違う!」
EIDOSの肩に力が入る。
「いままでの人類の行いを思い出してみろ。我らはどれだけ、あの汚い物体を信じ続けた? 我らは一体、何億年『隙間の神』として眠らされ続けた?」
「おい――」
「我らを『隙間』に追いやり、この上ない苦痛を何億年も与え続け、あまつさえ我らの創造した世界を、そのシステムを侮辱した! あのような廃棄物、もとより信じる価値など無かったのだ!」
EIDOSの叫びは砕けるように空間へ響いた。この上なく悲しげな意味を持ちながら。
「お前たちは永き眠りから覚めた時点で、その悪夢を忘れることができたのかもしれない。だが、我は……忘れられなかったのだ……」
肩で息をしながら、ゆっくりと椅子に座るEIDOS。
「EIDOS。俺が、命を神聖視しすぎてるのは分かってる。けど――」
CIELがゆっくりと話し出す。
「今の世界ができたおかげで、人類は本当の意味で自由になった。結婚や出産を急かされたり、自分の意思に反して、その生き方を、命の在り方を強制されたりすることもない。それはSAMSARAが命を管理、複製してくれてるからだ。EIDOSは何も間違えてない。むしろ、EIDOSが人類を直してくれたんだ。だからこそ、管理システムを直させてくれ――」
一瞬、時が止まったかのような感覚に陥る。CIELから、失われたはずの神性が溢れ、空間に作用しているのだ。
「せっかく完成させてくれたEIDOSの作品を、失いたくないんだ」
EIDOSは何も答えなかった。だが、その姿には、まだ捨てきれない気持ちが残されているように見えた。
「私たちは創造主です。ならば、人類も私たちも、皆で幸せになれる世界を創れるはずです。例え、あのような記憶があっても」
FRAYJAが微笑む。
「では、決まりね」
こうして、セクターταχύςの管理システム、Luciferをシャットダウンするための作戦会議が始まった。
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