耳あり芳一アナザーストーリー

ちびまるフォイ

鬼の濡れ衣

「芳一、お前……その血の跡はどうしたんじゃ」


「え? こ、これは!?」


芳一の着物の背中にはべったりと血の手形が付いていました。

それを見た和尚さんは暗い顔で芳一を別の部屋に呼びました。


「芳一、実は今まで黙っていたことがある……」


「和尚さんのお賽銭箱にある熟女本なんて知りません!」


「そうではない。お前の兄弟子のことじゃ」


「都にいかれた兄弟子たちのことですか?」


「実は……みんな鬼に食われたのじゃ」

「そんな……!」


「ある日、お前のように血の手形をつけた翌日。

 ぱったりと姿を消してしまったんじゃ」


和尚はかつて寺にいたはずの僧の顔を思い出した。

多くの人で賑わっていた寺も今では和尚と芳一の二人きり。


「和尚さん、鬼を倒すことは出来ないんですか」


「無理じゃ。わしも最初はなんとか鬼を倒そうと

 いろいろ呪術で待ち構えていたのじゃが、

 鬼を目視することもできないまま弟子を連れて……」


「和尚さん泣かないでください……」


「最後の弟子であるお前まで連れて行かれたら

 わしはいったいどうすればいいんじゃ……」


「鬼……そうだ、鬼といえば不可視の経文があると聞きました」


「……ああ、それか」


「和尚さん。鬼から見えなくなるその経文を

 私の体に書いてください。そうすれば鬼から逃れられます!」


「……そうしよう」


なぜか乗り気じゃない和尚が気になったものの、

芳一は体中に経文を書いてもらった。


「どうですか和尚さん。これなら鬼の心配はありませんよ!」


「……そうじゃな」


「浮かない返事ですね。なにかあるんですか」


「言うか言わないかずっと迷っていたんじゃが

 お前が最後の弟子になるかも知れないから話しておこうと思う」


「ケモナー熟女という新ジャンルに目覚めたことですか」


「いや、これまでの弟子もお前と同じことをしていたんじゃよ」


「それじゃ不可視の経文を体に書いたのに

 鬼に連れ去られてしまったんですか!?」


「ああ……」


「それはどこかに書き損じがあったのではないですか?

 耳の裏とか書き忘れたりしていませんか!?」


「いや……今回ばかりはちゃんと書いた」


「そ、それなら大丈夫ですよね? ですよね?」


「……」


和尚はけして答えなかった。

芳一はおまじない程度の効力しか無い経文を信じるしかなかった。


翌日の晩のこと。

芳一は眠ることができずに鬼を待ち続けていた。


「ただ鬼に連れ去られてたまるか。

 せめて鬼の正体を見極めてやる……!」


夜中に怖い話を見たせいで目がギラギラに冴えて眠れなくなった芳一。

臨戦態勢のまま次の日を迎えた。


「……あれ?」


芳一は無事だった。


「和尚さん! 和尚さーーん!!」


「おお芳一! 無事だったか!!」


「やっぱりこの経文の効果はあったんですよ!

 昨日ずっと起きていましたが鬼の気配すら感じなかったです!」


「しかし安心してはならないぞ、芳一。

 翌々日の晩以降に消えた弟子もいるからな」


「えっ……」


「すまん。お前を安心させようと黙っていたのじゃ」


「和尚さん、経文消えてないかチェックしてもらっていいですか?」


芳一は体に書かれた経文がうっかり消えないように

何度も何度も体に上書きして濃くしていった。


その成果もあってか、翌日、翌々日、その先までも

鬼が芳一を連れに現れることはなかった。


「和尚さん、これまでの弟子で最長記録はいつですか?」


「芳一が一番の最長記録じゃよ。

 これだけの時間を経ても姿を消さなかったのはお前がはじめてじゃ」


「もう鬼来ないんじゃないですか」

「かもしれんのう」


いくつもの夜を超えるうちにしだいに緊張感は薄れていった。


「和尚さん、ちょっと町へ出かけてきます」

「おおそうか」


芳一は寺から出て町へやってきた。

すると、道行く子供が自分を指差して笑った。


「あははは! 体にいたずら書きしているハゲだ~~」


「ちっ、ちがいます! これはいたずら書きじゃない!」


本来ありがたがられるはずの聖職者がバカにされるとは。

芳一はぷんぷんしながら銭湯へとやってくる。


「すみません、ちょっともんもんしょってるヤバい人は入れないんですよ」


「いやこれは入れ墨ではないんですよ」


「消えるんですか?」


「消えないですけど」


「じゃあだめです」


普段は寺で隠居生活していたために芳一は気づかなかった。

自分の見てくれがとんでもない状態であることに。


馴染みのキャバ寺に行っても門前払い。

お気に入りの尼嬢に会うことすら叶わなかった。


「ひどい……これじゃ何のために町へ出たんだ……」


鬼対策として消えない墨で体に書いた経文は

芳一からあらゆる人間的な生活を奪ってしまった。


「芳一、おかえり。町で息抜きはできたかい?」


「いえ……死にたくなりました……」


この先続く和尚さんとの一つ屋根の下で監禁生活を送るくらいなら

いっそ鬼にでも連れ去られる方がよかった。


けれど体の経文はこすっても洗っても削っても消えはしない。

すでに皮膚まで沈着してしまっていた。


「これからどうすればいんだろう……。

 鬼が来てくれればいいのに……」


自分のこの先に待ち受けている生活に絶望した芳一。

ふと、ある考えが芳一の頭をよぎった。


「待てよ。この経文を消すことはできなくても、

 無効化することはできるんじゃないか?」


書かれている経文に誤字が含まれると効力が失われるように、

皮膚の経文を消すことは出来なくても無効化はできるかもしれない。


無効化してしまえば鬼が見つけてくれるかもしれない。

見た目で差別される生活を続けるくらいならそのほうがいい。


「しかし、経文といえどもある意味で呪いの一種。

 変に書き換えたらものすごい災いが襲ってきそうだな……」


芳一は和尚が寝静まった夜に床を抜け出しては、

体に書かれた経文の巻物を探し回った。


経文の取り扱いが書かれている巻物なら、

無効化する方法もなにか見つかるかも知れないと信じた。


「こ、これだ……! ついに見つけたぞ……!」


夜の徘徊の末に巻物を見つけることが出来た。

中を開くと自分の体に書かれた経文と同じものが書かれている。


「……あれ? これ(上)って書いてあるぞ?」


巻物の背表紙には(上)と書かれていた。

経文を書くときも和尚さんはこの巻物だけで完結していた。


「まだなにか巻物があるのか……?」


下巻があるのではと芳一はふたたび寺を探した。

すると、本棚に入っている本の裏側にもう一つの巻物が隠されていた。


「どうしてこんなところに下巻が……」


下巻には上巻に対する注意事項などが書かれていた。

下巻の燃やしたり汚損してしまうと経文の効果そのものがなくなる、とある。


「なるほどなぁ。それで簡単に破かれたりしないよう

 こんな見つかりにくい場所に保管していたのか」


芳一が読み進めると驚きの一文を見つけた。


「なになに……この経文は鬼だけでなく、

 経文を書いてない人間からも不可視になれる……え!?」


上巻はあくまでも基本ステップ。

下巻はその経文を更にパワーアップさせる内容が書かれていた。


芳一はこれまで圧倒的に「死」側に傾いていた

自分の人生設計天秤が「生」側に一気に傾くのを感じた。


「と、とととと、透明人間になれるってこと!?」


芳一は追加経文を記憶すると下巻を同じ場所にしまった。

翌日、煩悩を押し殺し和尚にそれとなく話しかけた。


「……和尚さん」


「どうした芳一。いつになく声が沈んでいるぞ」


「今日の晩、鬼がやってくるかもしれません」


「な、なぜじゃ!? これまで現れなかっただろ!?

 それにそんな気配を感じることも!!」


「毎晩、鬼に怯えているうちにわかるようになったんです。

 "あ、今日だな"と。これが風の知らせと言うのでしょう」


「芳一……。しかし、気のせいかもしれないし……」


「いいえ! きっと来る! 必ず鬼は来ますとも!!」


「なんでお前が強気なんじゃ。

 それではわしも鬼を撃退するために寝ずの番を……」


「いえいえ! 和尚さんは寝てください!!」


「え? でも鬼来るんじゃろ?」


「鬼は来ます! でも和尚さんは寝ててください! 絶対に!」


「お前は助かりたいのか連れ去られたいのかどっちなんじゃ」


その夜、どうしても鬼を撃退したいと言う和尚を気絶させた。

鬼に連れ去られたのでもう探さないでくれという置き手紙も準備。


「さて、これから透明人間ハッピーライフのはじまりだ!」


鬼との激しい攻防を演出するため、

ビリビリに引き裂いた着物を脱ぎ散らかす。


下巻の指示通りに、自分の体に経文を書き加えた。


ハゲ全裸となった芳一はあらゆる呪縛から解き放たれ、

煩悩まるだしで一目散に銭湯へと向かった。


番頭の前に立っても反応はない。

やはり見えていなかった。


(やっぱり経文の力はあるんだ!!)


透明化を確信した芳一は煩悩をたぎらせる。

何度も「女湯」を確認してから、のれんをくぐった。






「ほ、芳一!? お前も……!?」


その日、芳一はすべての兄弟子たちと感動の再会を果たした。

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