第9話

 『精霊王の帰路』は非常に良い演目だった。

 大きな盛り上がりは無いけど、友人と喧嘩をして「本当は大好きなのに」と泣く人間の少女を見て、自分の行いと感情の間で揺れ動いていた精霊王が「なんだ、精霊も人間も変わらないじゃないか」と気付き、途端に気持ちが軽やかになるシーンは素晴らしかった。

 他の生き物とのどこかコミカルなやり取りも面白かったし、ユニークな旋律の曲が多くて思わず口ずさんでしまいそうだ。


 馬車に乗り込んで、オズワルドと感想を述べ合う。

 歌劇は面白かったし今日はもうこれで帰れるし、嬉しいことばかりだ。


「とても楽しい時間でした」

「気に入っていただけて嬉しいです。童話と比べるのも良いですよ。良ければお貸しします」

「ありがとうございます。あの童話でしたら兄が持っていたと思いますわ」

「辺境伯が?」


 オズワルドが驚いた顔をする。

 歌劇を見終わってからはきちんと目が合う。

 彼は彼で緊張していたのかもしれない。


「お兄様は読書が趣味なんです。難しい本もたくさん読みますけど、昔から持っている童話も時々読み返しているんですよ」

「辺境伯が……童話を……」

「『おうじのまほう』が特にお気に入りなんです」

「ん、んふふ」


 堪え切れない、という風にオズワルドが噴き出す。

 すみません、と言って咳ばらいをするが肩は震えている。


 気持ちはわかる。

 『おうじのまほう』は少年と魔法使いの友情がメインに描かれた可愛らしい冒険譚だ。

 口を開けば棘か毒しか出て来ない男の愛読書としては意外性が強すぎる。


 何とか持ち直したオズワルドが、もう一度咳ばらいをした。


「申し訳ない、人の好みを笑うのは良くないな」

「良いんです。私もいつも、お兄様はどうして童話が好きなのに全然お優しくないのだろうと不思議に思っていますもの」

「辺境伯はメイヴィス嬢に優しくないんですか?」

「えぇ全く」


 オズワルドは意外です、と呟いた。

 何が意外なのか全くわからない。

 あの兄が誰かに優しくしているところなんて見たことが無い。


「でも仲は良いんでしょう」


 私は肩を竦めた。


「どうでしょう。喧嘩ばかりなので」

「喧嘩?」

「私が怒ってばかりで、お兄様にはいつもあしらわれてしまいますけど」


 窓の外から、オレンジ色の日が差し込む。

 山の間に落ち始めた太陽を眺めながら、今日のことを振り返る。


 散々嫌がったわりには楽しい時間だった。

 朝に感じた兄への怒りや絶望感は拭い切れないが、そんなに悪くない一日だったとさえ思える。


 それに何より、婚儀の日程を延ばすことは出来たのは大きな収穫だ。

 オズワルドがこの婚姻に不満を抱いていなさそうなのは残念だったけど、かと言って兄や公爵の言いなりでもなさそうだ。

 短い間、婚約者として接するのも苦ではない。


 彼が悪い人ではないのは今日だけでよくわかった。

 私との話が無くなっても、彼には山のような縁談が舞い込むだろう。

 お金と時間を使わせてしまうのは忍びないけど、これも私の夢の為。


 私は今夜の兄との夕食に向け、私は気を引き締めるのだった。

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