第三話 回生
やはり、巻き込むべきではなかった。
声が喉元に詰まって出ない。それなのに、胃液のようなものは少し気を許しでもしたら、吐き出してしまいそうだ。
頬に温かい液体が垂れるのが分かる。ノゾムのものだ。彼から飛び散ったもの。
目の前の光景にただ理解が追いつかなかった。だが、理解の範疇は更に想像を超えていく。
頬を垂れていた血は、まるで意思を持っているかのように奏から離れていった。道路に飛び散った血も同じように、一つの場所へ集まっていく。
なにが起きているのか分からなかった。肉片のような物も動き出し、全てが彼の一部に戻っていった
そこには、完全に身体が再生されたノゾム・シブヤの姿。クッキーも状況を掴めていないようで、何も言わない。
「……え?」
やっとのことで出た言葉が、とてつもなく情けない動揺。
途端、意識を取り戻した彼が、一度大きく顔を震わせた後目を覚まし、大量の冷や汗と共に無我夢中で呼吸する。
「はぁ……はっ……ふーっ、———。……何だよ、これ」
ノゾムは瞳孔を開きながら、辺りを恐る恐る見渡した。
奏、クッキー、学生ぐらいしか使わない交通道路。木々、オフィスビル……研究所。
「奏……行かなきゃ」
「……え?」
ノゾムは起き上がると、研究所に向かって歩き出す。
「ねぇ、ちょっと」
「ノゾム様!」
クッキーは自身を分解し、ホバースクーターの形から人の形へと再構築した。オールバックの白髪に、メガネの老紳士。服もきっちりとした物を着ている。
慌てて彼はノゾムへ駆け寄り、肩へと手を置く。
「何故……どうやってご存命を?」
奏は。何も理解できないまま彼らに急いで近づいた。
「分からない。痛かった。寒かった。多分俺はさっき死んだんだと思う。でも今生きている。俺が理由を知らないなら、この場じゃ誰も分からないだろ」
「そ、そうは言われましても」
「奏。今は急ごう。俺のことは後からでも間に合うだろ」
「そ、そんな。私は今だって、あなたと会話できていることが信じられない」
別に疑いたいとか、そういう感情ではない。ただ、理解ができない。目の前で頭を撃ち抜かれた人間が身体を再生したどころか、今立って歩いて会話までしている。
本当は死んだのは自分で、これは夢の世界なのではと思うくらいだ。
しかし彼は振り返らずに前へと進む。
ノゾム・シブヤ。何故。あなたはそんなに冷静でいるの?
「別に、何かに納得して俺は歩いているわけじゃない。でも君は突然、クインズに現れて、世界の形を変える棺とかいうのを、なんとかしようとしてる」
ノゾムはマリファニア研究所へと進む。クッキーは主人の判断に任せたのか何も言わない。
「今起こったのはクインズの学生が、頭を撃ち抜かれたけど何故か生き返った。ただそれだけのこと。……世界にとって重要なのは、君が白雪姫へ辿り着くことだ」
研究所まで、もう残すところはエントランス前の大階段のみ。
「だから行こう。撃ってきた奴らに気づかれない内に。後もう少しだ」
ノゾムは振り返り、奏へと手を伸ばす。その手はちょっとゴツゴツしていて、でも細く綺麗な肌だった。
決断を、しなくてはいけない。鍵を持つモノとして、決断を。
例え、何を犠牲にしたとしても……私はっ。
「私はあなたを巻き込んだ。それは変わらない事実。それであなたを一度殺してしまったわ。それでも、約束して。何度死んだとしても……絶対に私を棺まで連れていって」
「あぁ、もちろん」
「ありがとう。私も、何度だってあなたの死を……受け止めるから」
奏は彼の手を取って、共に大階段を上がり出した。クッキーは私達には何も言わず、腕から武器のような物を生成し、先行する。
私はずるい。巻き込みたくないと言ったのに。目の前で一度死んでしまった彼を見た。撃ったのは私の家族だった。
彼が今、生きているのは、とんでもなく都合の良い奇跡でしかなくて、なのにそれを運命のように受け入れたがる。
そうしないと、罪悪感に殺されてしまうから。
大階段を登り切ると。窓ガラスが一切なく、二階建てと思われる真っ白い研究所のエントランスが目の前に現れる。
「中で何が起こっているか、私には想像がつかない」
「もう既に訳がわかないことだらけだ。一つや二つ増えたって」
ノゾムはそう言い正面のドアを開ける。クッキーが急いで中に入り、武器を構えるが、広い入り口の中には誰もおらず、中は暗かった。
「……行こう」
彼の言葉に頷いて、研究所内へと入っていく。エントランスから第一通路を通って、目的地の第六区画まで行かなければならない。
先は長い。彼らは警戒を強めながら、闇の中へと姿を消していった。
エゴの負託船 神山 緑 @KamiYama-Ryoku
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