第 6 話 過去 〜私とお義兄さん

〜十七年前〜



 白澤家が崩壊した。両親が離婚を決意し、別居することになった。

 椿は美大に進学のために、実家からそう遠くないが一人暮らしを始め、桜は母親と家に残り、父親は家を出た。家族はバラバラの生活を送っていた。


 突然、桜から連絡が来たのは、大学二年生の夏休みに入った頃だった。会って、話がしたいという。


 亮太先輩を桜に取られたあの事件以来、椿は桜とぎこちない関係のままだった。桜は、何事もなかったかのように接してきたが、椿が避けていた。

 亮太先輩が家から帰ったあと、椿は桜を問い詰めた。どうして好きでもない男と寝たのか、と。


 桜は、平然とした顔で言った。

「あの人はやめときなさい、つばちゃん」


 桜は、椿を守りたいと言った。

 椿を、最低な男に取られたくはない。その一心だったと。

 桜が、椿を一番に思っている事は知っている。その思いが、椿を大切にするその思い自体が、椿を苦しめていることを、桜はわかっていない。


 初めて恋した人を、叶うはずのない桜に奪われ、椿は桜と大喧嘩をした。


 しかし今思えば、亮太にとって椿は、彼女ではない女生徒の一人だった。椿一人が舞い上がっていただけだったのだ。

 桜との大喧嘩を経て、亮太先輩が卒業して学校からいなくなって、椿が大学に入学して、やっと気付いた。

 気付きはしたが、もう桜との仲を修繕する間もなく、会う機会もなくなっていた。


 そんな中、突然の桜からの連絡。話したいこと。

 緊張しかなかった。一体何を話すことがあるのか。何を話されるのか。


 呼び出されたのは、時並町の少し外れにあるレストランだった。

 カジュアルな雰囲気の、カフェも兼ねたオーガニックレストランだった。中に入ると、妖精が何人かまとわりついてくる。桜が既にいるのは、店内の妖精の数で理解した。店の奥の席から、桜がこちらに手をあげる。

「つばちゃん」

 呼び方も扱いも、今までと変わらない。

 数年経っても変わらぬ桜の美しさ。我が姉ながら、顔面に惚れ惚れしてしまうほどだ。


 その姉の隣に、見知らぬ男性が座っていた。

 それを見て、椿は察する。わざわざ呼び出して彼氏紹介なんて桜はしない。


「お母さんたちにはまだ話していないんだけれど、まずつばちゃんにお話ししたくて」

 桜は、椿がテーブルの向かいに座ると早速話を切り出した。


 店員がメニューを尋ねてくる。

 ちらりと向かいの二人を見ると、まだ何も頼んでいないようだった。

「私はホットのアールグレイ」

 桜が言うと、隣の男性に目配せする。

「僕はアイスコーヒーで」

「アイスコーヒー二つで」

 椿は男性に続けて、注文した。

 店員が注文を繰り返し、会釈をして去っていく。


「結婚、するの?」

 結論を長引かせる必要もない。椿は、桜に訊いてみた。


 桜は綺麗な瞳を丸くさせ、隣の男性に照れくさそうに笑いかけた。

「うん、そうなの。それで紹介したくて」

「はじめまして、清水将司まさしです」

 将司と名乗った男性は、笑顔を向けてきた。白いポロシャツの似合う中肉中背の男性。髪はきちんとワックスでまとめ、清潔感のある男性だ。桜より、いくつか年上にも見える。


 椿は小さく会釈した。

「飯島椿です」

 両親の離婚で、椿は苗字を父親の性に変えた。なんだか、白澤の束縛から逃れたくて。


「おめでとう、お姉ちゃん」

 緊張と、まだ全面的に許してはいない気持ちからか、単純な言葉しか出てこない。

 桜もそれを知ってか、悲しげな笑みしか浮かべなかった。

「ありがとう」


 新婚に、こんな気を使わせるのもどうかと思う。同時に、それくらいのことをしたんだ、と桜にはわかってほしかった。


「それで、つばちゃんに一番最初に紹介したかった理由わけがあって」

 桜の言葉の濁し方で、ここから先は聞きたくないと直感的に感じる。

 テーブルの周りにいる妖精も、そわそわとして立ったり座ったりを繰り返している。


「気付……かない? つばちゃん」

 おずおずと桜が訊いてくる。

 椿は首を傾げた。何を気付くというのだろうか。

 そわそわとする桜と、バツの悪そうな顔をする隣の将司。


 まさか、とは思ったが、桜がここまで決まりの悪そうにする事柄はそう多くない。桜に反抗した唯一の喧嘩、亮太に関わることだ。

 将司の性は「清水」といった。

 亮太先輩の性は——。


「嘘でしょ」

 椿は口を閉じることができなかった。信じたくはないが、それ以外に桜がここに呼び出してまで将司を紹介してくる理由が思い浮かばない。


「桜さんと、お付き合いをさせて頂いていて、この前プロポーズさせてもらいました。それで、その、清水亮太は、僕の弟です」

 将司は、深々と頭を下げた。

 年上の男性からの、誠心誠意の言葉。まるで、自分の弟の非を詫びているかのような。

「あの、頭をあげてください」

 将に頭を下げられる理由がない。


 桜はというと、桜まで、ゆっくりと頭を下げていく。

「まさか、まさくんがあの子のお兄さんだなんて知らなくて。決して他意はないの。でも、つばちゃんを傷付けた一件だったのは認めるわ。あの時は、ごめんなさい。こんな形でも、つばちゃん、私たちの結婚を認めてもらないかしら」


 年上二人に頭を下げられ、椿はどうすることもできない。

「二人とも、頭を上げて」

 慌てて二人に声をかける。


 椿の向かいに、気まずそうに座る婚約中の二人。

「亮太先輩は、どう思ってるんですか」

「あいつにはまだ言っていない。椿ちゃんに了承を得てからと思っていた」

 将司の言葉が、より重く感じる。


 椿は自然に見えるように、息を吸って、吐き出す。心を落ち着かせた。

「二人の結婚に、あたしが反対する理由はありません。あたしの事は気にしないでください」

 椿の言葉に、桜も将司もほっとした顔を見せる。


 ズルい女。

 こんな状況で、認めなかったらこちらが悪人じゃないか。認めざるを得ないじゃないか。二人して、そんな純粋な瞳で、こちらを見ないで欲しい。


「おめでとう。お幸せに」

 椿のできる、最大限の作り笑顔。それだけでも、向かいの二人は嬉しそうに笑う。


 見えるたくさんの妖精は、祝福するようにテーブルの周りを回っている。

 桜には敵わない。敵おうと思う事が間違いなのだ。

「お幸せに」

 ぽつりと、二人に聞こえないほど小さな声で呟く。


 椿と亮太先輩は、こうして親戚となったのだった。

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