第 7 話 現在 〜君との手紙〜
陽が昇ってすぐ。夏の蒸し暑さはまだ地表には届かないくらいの朝早く。
俺はある人の墓に来ていた。
今日がその人の命日だったから。
きっと、ここに来たのは俺が一番乗りのはずだ。毎年、そこは譲れない。
毎年顔を合わせる和尚に挨拶をし、水おけを持って墓に向かう。水をかけて、墓を綺麗に拭く。
朝早すぎる来訪に、毎年きっと笑っているんだろう。
花を入れ替え、線香の束に火をつけて墓石の中に置く。
ため息をついて、しゃがみ込んだ。
「毎年早いね」
圭夏が、後ろに立った。圭夏も毎年、一緒にここに来る。
「いつも来れないから、せめてこの日だけでも、一番に拭いてやりたいじゃん」
「開けるの?」
圭夏の手には、手紙が握られている。
俺も、持ってきてる。
タイムカプセルのように杉の木に埋めていたから、缶の中に入れていたとはいえ、少し土で汚れている。
大人になってから開けろと言われた手紙を、思わず掘り返した。色々なことがありすぎて、そのまま埋めておいたら、忘れてしまいそうで。あいつの残したものを、手元に持っていたくて。
どのくらいそこにいたのか、じっとしているだけで汗が滲んでくるほど時間は経っていた。
墓地の奥から、この墓に眠る子の両親が歩いてくるのが見える。
両親が来ることも、毎年だからわかっていた。
「いつも、ありがとう」
二人は頭を下げ、一通りの作業を終える。俺がいつも先に来ているから、やることも早く済む。
じっくりと、時間をかけて、二人は手を合わせる。早くに子供を亡くしてるんだ。俺がここで出る幕じゃない。俺は少し離れたところで、二人が手を合わせ終えるのを待った。
今年で、もう三年になる。
突然、近所でも有名だった子が、会えない存在になってしまったのは。
手を合わせ終えて、両親の二人は帰る準備をする。
「よかったら、ご飯でもどう?」
毎年呼んでくれる。
でも、この二人と話してるとどうしてもしんみりすることは確実で、まだ提案を受け入れたことはなかった。
「予定あるので。ありがとうございます」
頭を下げ、二人がそこから去るのを見送る。
「行けばいいのに」
圭夏はふうと息を漏らす。
「まだ無理かな」
「おー、久しぶり」
両親とすれ違うように、若い男が近付いてきた。
ポロシャツに短パン姿、短髪で健康的に焼けた肌の、快活な笑顔を向けてくるのは、
「一昨年ぶりかな」
圭夏は嬉しそうに笑う。
「大学でバタバタして、去年来れんかった」
英司は、二つ上の先輩だ。小中高の学校は違ったけれど、小さい頃は、英司ともよく杉の木で遊んだ。木登りが上手かった。
英司も花を
「今でも信じられへんな」
ぼそりと呟く。
「近所でも、お前らの声よう響いとったから」
「本当だね」
違う声が後ろからする。そこには、亮太さんがいた。
「朝から亮太さんは眼福だね」
あえて俺に向かって言う圭夏。圭夏の思惑通り、俺はムッと亮太さんにぼやきを入れる。
「カフェはいいの、亮太さん」
亮太さんは含み笑いを見せた。
「あんなカフェ、ちょっと店員がいなくても大丈夫だよ。常連さんの来る時間帯は、だいたい把握してるし」
そんなんでいいのか、カフェのオーナー。
「お久しぶりです」
英司は笑顔で会釈する。
「久しぶり」
亮太さんは顔の前で両手をひらひらと振った。
「英司、学校はどう? 慣れた?」
「高校と勝手が違いすぎて、訳わからんすわ」
亮太さんは華やかに笑った。
「大学はいいよ。楽しんで」
高校と同じく、むしろ大学でこそ亮太さんの伝説を発揮したっていう噂は聞くけれど。高校よりえげつなさそうだから聞きたくはない。
英司も亮太さんも手を合わせ、線香をあげる。
「そういえば、もうすぐ妖精ちゃん……椿ちゃんが帰ってくるらしいよ」
亮太さんが思い出したように言った。
椿ちゃん。俺の頭の中の女性を
それを見た亮太さんは首を傾げた。
「覚えてないか。会ったことあるよね? 桜さんの妹さんだよ」
桜とは、俺の母親の名前だ。その妹ということは、俺の伯母さんに当たる人物か。なんとなく、記憶の中に
「わっちゃん覚えてなかったの」
呆れるように圭夏がため息をついた。
「会ったことある。覚えてるよ」
圭夏が覚えているのに、俺は覚えていないのは相当失礼なことをしている。小さい頃、圭夏と一緒に居ない時なんてほとんどなかったのだから。圭夏が俺の身内に会っていたのなら、そこに俺もいたはずだ。
なんとなく、椿さんと聞くとシュークリームを思い出す。なんでだろう。後で思い出しておこう。
「ずっとフランスに行ってたんだけど、戻ってくるんだって」
海外を知る女か。いい女感がプンプンする。俺の考えていることがわかるのか、圭夏がしっかりと俺を睨んできてる。
亮太さんは、椿という名の人物との思い出をフラッシュバックさせるように言葉を並べる。
その表情から、良い思い出なのか、悪い思い出なのかいまいち掴めない。
亮太さんのことだから、覚えている女性には手を出してると思ったけど。流石に身内には出さないか。
「ほらあれ。絵が描ける子でね、カフェに絵を置いて行ってくれたんだ」
ああ、あの絵を描いた人か。カフェの妖精。
あんな綺麗な絵を描く、海外在住の女性なんて、スペックが高い。
「良い人なんですか」
俺は、広い意味で質問をしてみた。良い女なのか、良い人間なのか、良い顔の人なのか。
亮太さんは俺を見ると、口角を上げて左上に視線をずらした。左上は、何か記憶を思い出している視線。亮太さんは、椿という名の伯母さんとの記憶を思い出している。
あ、これ手出してるんじゃないか。怖い人だ。流石に身内には手出せない。後腐れのない他人じゃなきゃ対処できない。
それをやってのけてしまうのが、亮太さんの怖いところだ。
「良い子だよ。本当に、根っから」
頷きながら言う亮太さんの言葉に、嘘は無かったと思う。
それを裏付けるのは、だいぶ先の話だったのだけれど。
突然、英司が俺の顔を覗き込んできた。
「なんですか」
「お前、大丈夫か? 元気なさそうっていうか、ちょっと心配になる顔しとるで」
英司は、飼っていたペットが死んでしまったかのような憐みを帯びた目を向けてくる。
英司の言葉に疑問を持つ。
俺はまだ落ち込んでいるのだろうか。隣には圭夏がいる。
英司が言うのは、
俺と圭夏が、お兄ちゃんのように慕っていた、悠哉。悠哉の記憶は、三年前で止まったまま。あいつが病院にいるベッドでの姿で止まっている。
そう、もう三年経つのだ。小さかった少年も、憎たらしい、女に困らない高校二年生に成長した。いや、小さい頃からモテモテではあったが。悠哉とバレンタインのチョコの数を競っていたのも懐かしい。
前は見てる。元気に学生生活だって送れているんだから。
「落ち込んではないですよ」
英司は、納得するように頷いた。
「そうか。ならええんやけど」
「和水は、毎日女の子に追われて疲れてるのかな」
亮太さんの言葉に、圭夏はあははと腹を抱えた。
「元気すぎて困っちゃう」
女の子というか、圭夏のことでの悩みは尽きないんだけどな。
三年前からずっと。
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