第 8 話 過去 〜私とシュークリームの子〜

〜八年前〜



 椿は、白く豪勢な、元々自分の実家であった一軒家の前に立っていた。桜は、実家にそのまま旦那の将と、息子の和水くんと三人で住んでいる。離婚した母親は、再婚をした男性の所にいる。代々続く白澤の名を続けるため、桜と将は白澤の苗字で結婚している。


 インターホンを押すと、桜の声が聞こえた。だが、ドアを開けて出てきたのは男の子だった。まっ白な肌で、茶色がかったさらさらの髪の毛。フランス人形が出てきたのかと、一瞬勘違いしてしまった。周りを飛ぶ妖精の数も、亮太先輩以来初めて、こんなに多い。


 扉を開けた男の子は上目遣いに、警戒したような目でじっと椿を見ている。その後ろから、桜が出てきた。

「いらっしゃい。早かったわね」

 にこやかに笑った桜を見て、椿は唖然とした。ほとんど変わっていない。まさか、こんな大きな子供がいる母親には見えない。桜とは六歳離れているが、椿の方が老けて見られてしまうかもしれない。

 桜と将の結婚式から、一切会わずに約十年。大学を卒業してからデザイナーとして就職し、忙しい毎日を送っていたため、全く会うことができなかった。


「誰?」

 男の子が桜に訊いた。

「お母さんの妹よ」

 桜の言葉に、男の子はもう一度椿を上目遣いに見る。さっきより、警戒心は薄れたみたいだ。

 この子が和水くん。生まれてすぐに一度だけ見に行ったが、それからもうこんな大きくなっているなんて。

 和水は、椿が警戒すべき人間ではないとわかると、長いまつ毛の乗る目を細めて、小さな歯をみせて微笑んだ。まるで天使の笑顔だ。


「こんにちは」

 和水くんに挨拶をして、しゃがんで視線を合わせると、和水は桜を見上げた。

「椿よ」

 桜が、愛息子に妹の名を伝える。

 和水は椿に向き直り、小さく会釈をした。

「こんにちは、椿さん」

 おばさんと呼ばれなかったのが何よりもの救いだ。


「これ、どうぞ食べて」

 椿は、一時間並んで買った箱を和水に渡した。この辺りで非常に人気だというスイーツ店のシュークリームだ。若者の間で美味しいと話題になっているらしい。

 和水はそれを受け取り、嬉しそうにこちらを見た。

「開けてもいい?」

「どうぞ」

 中を覗いた和水は顔をあげた。

「シュークリームだ! 大好きなんだ、ありがとう!」

 と、元気に家の奥へ走って行った。


「かわいいわね。さすがお姉ちゃんの子供だわ」

 桜は微笑んで目を細める。

「ありがとう。あがって」


 幸せそうだ。


 家に上がると、ダイニングテーブルの上に、椿の持ってきたシュークリームの箱が置いてあった。リビングに和水の姿はない。上の階からどったんばったんと音がする。

「和水くん、元気ね」

 桜は笑った。

「幼馴染みの女の子が来てるのよ」

 だからか。元気な子供達だ。


「あ、久しぶり〜」

 リビングに通され、豪華なソファに座っているのは、椿の初恋の相手だった。

 姉の結婚式に出席した時以来に見る、初恋相手。

 これは聞いていない。亮太先輩が来ているなんて、聞いていない。

 桜に目を向けると、困ったような顔を椿に向けてきた。

「今日、つばちゃんが来るって聞いたら、亮太くんも来るって聞かなくて」

 それを拒否するのが、姉の役目であり、妹の初恋の男を奪った女のするべき行動なのではないか。


「お久しぶりです、亮太先輩」

 震える声をなんとか抑え、椿は亮太に挨拶を終えた。

 あははと亮太先輩は軽快に笑う。

「もー、義姉ねえさんの結婚式でも言ったじゃん。もう親戚なんだから先輩はやめてよ」

 色々あったにせよ、亮太先輩は椿の義兄あにとなったのだ。もう、彼と椿は親戚、義兄妹きょうだいだ。


「妖精ちゃん、今何してるの?」

「今、デザイナーとして」

「え、もう就職?」

「そうですね」

「もうそんな大っきいの? 信じられないな」

 まるで親戚のおばさんのような怒涛の質問責め。悲しさや悔しさを思い出す余裕もなく、亮太の質問に回答していくだけで、緊張も解れ、当時を思い出したように、楽しい時間は過ぎた。

 桜は、まるで今更の罪滅ぼしのように、椿と清水先輩の会話には割って入ってこない。


「俺はね、まだ何したいかわかんないからふらふらしてるんだ」

 亮太らしいといえば、らしい。彼がどこかの会社で働いている姿は想像できなかった。椿の二つ上だから、彼は今、二十七歳だ。

「会社勤めより、先輩はひっそりとカフェとか経営してる方が、合ってますね」

 椿の言葉に、亮太は一瞬固まっていた。何か、おかしなことを言ってしまっただろうか。

「カフェか、いいかもね」

 亮太の口元は、魅力的に口角を上げていた。この笑みで、どれだけの女性を虜にしてきたことだろう。

 あの時の、暑い外での冷たいキスを思い出し、椿は顔が火照る。


「是非、カフェ作ったら行かせてください」

「そうだね。考えてみる」

 亮太は、真剣に頷いた。


 その後も、椿は桜と亮太と、リビングで紅茶をいただきながら他愛ない話を続けた。桜の旦那、亮太の兄である将さんは医者だ。近くの清水総合病院の院長の息子さん。今日は病院の当直で、会う事は難しいらしい。


「ちょっと、お手洗い借りてもいい?」

 椿は、外国製であろう皮のソファから立ち上がる。

「そこの階段の近くよ」

 桜はその方向を指さした。

「ありがとう」


 リビングから、扉を一枚隔て廊下に出る。

 大きく息を吸って、吐いた。知らず知らずのうちに突っ張っていた緊張の糸が緩んでいくのを感じる。


 言われた通り、リビングを出て、階段の近くにトイレがあった。開けると、花の香りが通り抜ける。装飾品も海外製らしいガラスの人形がいくつか棚に置いてある。

 自分の一人暮らしの家には、絶対にこの家の人たちは呼べない。姉と自分の家の格差に頭がくらくらした。


 トイレを出て、足をリビングに向けた時だった。

「今日もゆうやはクラブでしょ」

 和水の声だ。階段の上から声がする。

「今日、新しい漫画読ませてもらいたかったのに」

 女の子の声。幼馴染みと言われていた子だろうか。


「さっき、わっちゃんキモかったよ」

 女の子の暴言に、和水くんは鼻を鳴らす。

「ああいうタイプには、このキャラが合ってるんだよ」

 ゲームの話だろうか。

 悪いと思いながらも、聞き耳をそばだでてしまう。

「こんな所で言ってたら聞こえるよ」

 女の子の言葉に、椿はどきりとした。それこそ、こちらは階段の下にいるのだから、二人に椿の姿が見えることはない。

「大丈夫だよ。亮太さんがいるんだから。あの人もどうせ亮太さんに夢中。憧れるなあ」

「その、わっちゃん嫌い」

「ああいうおばさんには、かわいい活発なお人形系でふるまった方が、よくしてもらえんの」

 女の子の溜息が聞こえる。


 和水の声が、玄関で聞いた時よりも随分低い気がした。

「しかもさ、よりによってシュークリームだよ。けいか、あとで俺の分食べといて」

「ラッキー。知ってるの? あそこのシュークリーム、すごい人気のお店だよ。おばさんも、すごい並んだんじゃない?」

「残念。クラスの女子たちに十個はもらってるよ」

「あっそ。で、その女子たちにもらったシュークリームの行方は?」

「他の男子」

「ほんと最悪」


 和水くんに頑張って好かれようと心の奥で思っていた椿は、自分が思っている以上にショックを受けたらしい。二人の会話を聞きながら、硬直していた。

 その間に、二人は動き出したようだ。

 階段の柱の向こうから、二人の姿が見えた。女の子は、椿の姿にあっと声をあげる。

 和水は、一瞬驚いた顔を見せ、真顔に戻ってから笑った。

「シュークリーム、美味しかった! ありがとう!」

 小さい頃から嫌いだった、お姉ちゃんの笑顔に、よく似ていた。

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