繋ぐ過去の少年
第 9 話 過去の僕の話 〜僕とだるまさん〜
———— 小学五年生の僕
「ゆうやー!」
和水の声が、ご近所中に響いた。
早いな。待ち合わせより二十分も早い。僕は窓を開けて顔を出した。
「和水、早いよ」
「けいかもいる! 早く行くぞ!」
和水の後ろには、飛び跳ねて手を振っている圭夏の姿。
僕は頭を掻いた。今起きたばっかりで、まだパジャマなんだけど。
「暑いでしょ。家入ってていいよ」
そう言うと、和水と圭夏は顔を見合わせた。
「ゆうくん、まだ出れないの?」
圭夏に言われ、僕は窓の近くに立ってみせる。
「この通り、まだパジャマだよ」
「バーカ!」
和水はそう叫んで僕の家の玄関の方へ走って行った。圭夏も、それを追いかける。たぶん、お母さんが出てくれるだろう。
僕はため息をついてパジャマから洋服に着替え始めた。
「いらっしゃい」
明るいお母さんの声が下から聞こえる。
「こんにちは!」
二人の元気なあいさつも聞こえた。
パタパタと二人の足音が階段を上ってきた。
二人は、よく僕の家にも来るから、僕の部屋がどこにあるか把握している。
おっと、あの二人今すぐ来そう!
僕の今の状況は、パジャマのズボンを脱いだところだった。
「とつげーき!」
和水がドアを豪快に開けて入ってきた。
「あははははは」
僕はベッドに倒れこんで腹を抱えて爆笑していた。
「ど、どうしたの、ゆうくん」
笑いすぎて涙まで出てきた目を二人に向けると、二人はどん引きしたように僕からなるべく離れて立っている。
僕は、ぎりぎりでジーンズを履いていた。ベッド脇には、悲しく脱ぎ捨てられたパジャマのズボンがくてっと落ちている。
「もう少しで、パンツ見られるところだった」
和水はにやりと笑った。
「白ブリーフか?」
「いえいえ、今日は柄パンですよ」
「バカ!」
圭夏が和水の頭をポカポカと叩く。
「あ、圭夏、僕のパンツ見る? 今日はね、仮面ライダー!」
ジーンズの隙間から、パンツの柄を確認する。
「だせえ!」
「ゆうくんもバカ!」
近くに置いてあったクッションを顔面に投げ付けられた。
「いたっ、やったな」
部屋をクッションが舞う。
一通りクッション戦争を終えて、タンスから半そでのトレーナーを引っ張りだして、ベッドに放る。
さっき笑いすぎたからか、咳が出た。よくあることだ。僕は喘息を持ってる。
「大丈夫か?」
心配そうに僕を見つめる和水の顔を見る。くそ、かわいいな。
いつまで可愛いんだろうな。この性格だと、いつかひねくれそうだ。
上のパジャマを脱いでトレーナーに着替えると、さっそく和水と圭夏に腕をつかまれた。
「早く行こ」
二人の声が重なる。
「え、ちょっと待って。僕まだ朝ご飯食べてないんだけど」
「遅すぎ、ゆうくん」
まだ朝の八時前だよ。
二人に連れられて下に降りる。
「おばさーん」
和水が僕のお母さんを呼んだ。
「できてるわよ」
お母さんは満面の笑みで、僕にでっかいおにぎりを二つ持たせる。
なんという連携プレイ。いつお母さんにおにぎりを頼んだんだ。
「いってきまーす」
僕の声は力なく家に挨拶をする。
今日、僕らは杉の木の公園で遊ぶ約束をしていた。今日は、っていうか、ほぼ毎日だけど。
和水と圭夏は、小さい頃からの幼なじみだ。僕の方が二歳年上だけどね。
和水は、
二人の家系は、由緒正しい家系で、僕の
でも、この二人を守ってやらなきゃいけないっていう僕の気持ちは、この昔の関係に忠実なのかもしれない。
あれ、つまり僕の家って、隠密みたいな、忍者? そんな家系だったってことかな。何かかっこいいじゃない、僕。
ふと前を歩く二人を見る。
車が通っていないにしろ、赤信号を渡ろうとしていた。
「ストップ!」
僕が声をあげると、びくりと二人は立ち止まる。
「赤信号、みんなで渡ったら大惨事!」
前の二人に叫ぶと、和水と圭夏は、振り返ってあっかんべーをしてきた。
こいつら、いつか僕に感謝する時が来て欲しい。
公園に着くと、もうすでに何人か街の小学生たちが遊びにきていた。
「木登りやりたい!」
圭夏が言い出した。
「やだよ、まずだるまさんが転んだ!」
反論側の和水。
「だって、さっき木登り最初にやるって決めたじゃん!」
「そんな話してないね」
「はい、最初はグー」
僕が言うと、素直に二人はグーを出した。
「ジャンケンポイ!」
結果は、和水がパーで圭夏がチョキだった。
「木登りー!」
圭夏は飛び上がる。
「じゃあ、二人で杉の木に行ってて」
「え、ゆうやは?」
「優雅なお食事を済ませたら行くよ」
「どこが優雅だよ」
「おにぎりなところが」
和水は笑った。
「じゃあ、そのおにぎり食べ終わったら早く登って来いよ!」
「うん」
「行こ、わっちゃん」
二人は手を繋いで杉の木に走っていった。杉の木にいた先客の中に、二人は入って行った。
僕ら三人は、この町では結構有名だ。僕らの家が、昔からあって大きいから近所の人には知られている。それに、見てよ、あのうるさい二人。これでご近所さんに知られていないわけがない。和水は顔が可愛いから、プラスで有名だし。
僕らの言う杉の木は、それこそ僕らの御先祖様の時代からずっとあるといわれている、巨大な杉の木だ。
この公園の名物のようなものでもある杉の木は、子供にとっては、絶好の木登りができる場所。昔からある木なだけに、枝が折れることは滅多にない。まだ、僕も登れるし。大人も、登ろうと思えば登れるかもしれない。
僕は、この町では年上の方になる。僕は五年生だから、再来年が中学受験だ。けど、まだ全くそんなことを考えたことはない。そろそろ、勉強した方がいいのかな。
みんなの笑い声をベンチで聞きながらおにぎりを食べていた。
平和だなー。
ふとそんなことを思ってしまった。皆が年下なせいか、普通よりしっかりした子供になった僕は、おじさんっぽい所が多少あるらしい。大人に、たまに言われる。でも、そう思うシチュエーションだもん。
セミも、夏なんだなって感じさせるように、適度に鳴いている。うるさすぎってのも考えものだから、ちょうどいい。かなり暑いけど、まあ夏なんだからしょうがない。
神様も、仕事で暑くしてるんだ。セミも好きで鳴いてるわけじゃない。我慢くらいしてあげなきゃ。
おにぎりは、二口目で具に辿り着いた。中身は昆布だった。僕の好きな具。
セミの必死の鳴き声と、和水や圭夏、一緒に遊んでいる子供の笑い声を聞いていると、だんだんと眠気が襲ってきた。
「ゆうや!」
和水の声がして、重い瞼を開けると、もう汗だくな和水が走り寄ってきた。
「ゆうや、食べ終わった?」
「ああ、うん」
「ゆうや、寝ようとしてたでしょ?」
「ばれてた?」
「ばれてた」
「うん、ごめん」
僕は頭を起こそうと目の間をつまんで、頭をノックしてみた。
「ゆうくん、眠いの?」
圭夏も、和水の後を追ってこっちに来た。
「なんか、今日は変な感じがする」
「疲れてるのか?」
「疲れることは特になにもしてないと思うんだけどなあ」
「ゆうや、特に熱中してるものもないしね」
「うん、そうそう。熱中するものないから、疲れもしない……ってコラ」
疲れてるかもしれない人にノリつっこみをさせないでくれ。
「大丈夫? ごめんね。無理に誘ったから」
圭夏が、僕の座るベンチの傍らに座りこんだ。
僕は圭夏の頭を撫でる。
「大丈夫だよ。木登りどうだった?」
圭夏は、嬉しそうに僕に頭を撫でられると、
「わっちゃんはね、あたしより高く登れないくせに、登るのは早いんだよ」
「じゃあ、その勝負は和水の勝ち?」
「そう!」
和水がドヤ顔を圭夏に近付ける。
「ちがうじゃん。えいちゃんが一番でしょ」
「その次は俺だもん。けいかと俺なら、俺の方が早い」
えいちゃんとは、英司っていう僕と同い年の男の子だ。小学校は違うけれど近所の友達だ。たぶん、今もあの子供が群がる杉の木のところにいる。
「えー、そう考えるの?」
「あったりまえだ」
「でも、ゆうくんが入れば、ゆうくん一番だよね?」
「どうかなあ」
確かに、今一番だったらしい英司より、僕は杉の木に早くも高くも登れる。
「ゆうくん、まだ眠い?」
「うん……少しね。ボーっとしてる」
言葉が先か、僕の身体がぐらりと落ちたのが先か。
突然、どこか、水の中に突き落とされた感覚がした。口から出た小さな空気の泡が、上で揺れる青い光の方へと上がっていく。
僕は、僕が吐き出したその空気をつかもうと手を伸ばした。
まるで、僕の中の何かが落ちてしまったかのように、その空気にはその大切なものが入っている気がした。
無くしちゃいけない。失っちゃいけない。手を伸ばしたけど、体は下へとゆっくりと落ちていく。
僕を焦らすように、空気と僕との距離は、待ちくたびれるほどゆっくりと離れていく。
どうせなら、早く離れてしまえば諦めはつくのに。ずっと、空気を見つめ続けることしかできない。
目を開けると、目の前には大天使がいた。太陽を真上から受けて、キラキラ輝く金色に近い茶髪は、緩いウェーブがかかっている。長いまつ毛はどこか遠くを見てる。白いTシャツを着て——あ、大天使Tシャツ着てる。
茶色い瞳が、下にある僕の顔を覗き込んだ。
「あ、起きたね」
僕は何が何だかわからず、とりあえず起き上がってみた。まず、頭が痛かった。目を瞑って、痛みが和らぐのを待つ。
大天使に見えていた男の人に、膝枕をされていたみたいだった。
「熱中症かな、これ飲んだ方がいいよ」
男の人は、冷たい飲み物を渡してくれる。
「ありがとうございます」
受け取りはしたものの、知らない人からの飲み物はあまり飲む気になれない。
すると、男の人は遠くに声をかけた。
「和水ー、起きたよー」
僕は顔を上げる。
五、六人の子供が、ドタドタと杉の木からこっちに走ってくるのが見えた。
この人、和水を知ってるんだ。
「ゆうや大丈夫!?」
「ゆうくん!」
汗だくの和水が、心配そうな顔をした圭夏が、走り寄ってきた。他にも、さっきまでそこの杉の木で遊んでいた子供のほとんどが集まって、和水や圭夏と同じような顔をしている。
「僕……」
「ゆうや、全然来てくれないから圭夏と一緒に戻ったら、顔真っ白にして倒れてたんだよ」
「僕が?」
「それで、亮太
木登りの英司が言った。二つ名みたいでかっこいいね、木登りの英司。
僕はもう一度、男の人を見た。この人は僕を助けてくれたんだ。
「ありがとうございました」
僕が頭を下げると、男の人はふわりと微笑んで両手を前で振る。
「はじめましてかな。和水のお父さんの弟です。亮太です。よろしくね」
和水の伯父さんだ。かっこいい人がいるって聞いたことがある。この人だったんだ。寝ぼけてたからだけど、天使に見間違えるんだ。確かにかっこいい。
お礼の代わりに、僕は亮太さんからもらった飲み物を飲んだ。水分が身体に入って来るだけで気持ちいい。
それにしても、どこから夢だったんだろう。木登りの結果を聞いた辺りから?
「大丈夫?」
和水が言った。
僕は皆に笑ってみせた。
「ごめん。眠くて寝ちゃったみたい。大丈夫! 眠りの王子様は目を覚ました!」
「誰がキスしたんですかー?」
和水が口に手を当てて言った。
女の子たちがキャーキャー声を上げる。
「よかった……」
女の子の中で一人、泣きそうになっている女の子がいた。圭夏は、流れそうな涙を目に溜めてうつむいていた。
「ごめんね。もう、平気だよ」
僕は圭夏の頭を撫でた。
圭夏は流れ出してしまった涙を、服の袖で拭いてうなずく。
「さて、何しようか」
僕が言うと、皆はわーわーと声を上げるが、よく聞くと、木登りか、だるまさんがころんだ、のどっちかだということがわかった。
君たち、それしか遊ぶものはないのかね。
「元気だねえ」
亮太さんはにこにこと僕らを見ている。
「亮太兄もやろうや!」
英司の誘いに、亮太さんは首を横に振った。
「今度は俺が倒れちゃうよ。見てるだけで楽しいから遊んでおいで」
「じゃあ、勝手に決めるけど、だるまさんがころんだね!」
僕の勝手な判断を下すと、それを希望していた子達は喜び、そうじゃなかった子達の落胆の声が聞こえる。
「じゃあ、最初の鬼はゆうやね!」
和水の言葉で、そこにいた全員が杉の木に向かう。
「だーるーまーさーんがこーろーんーだ!」
僕は勢いよく振り返る。さっきまで治まってたのに、また頭痛がし始めた。
「英司!」
「動いてないやん!」
「いーや、動いたね」
「ゆうくん厳しいよー」
「髪の毛一本動いたら駄目だよ。わかった?」
「無理ー!」
みんなのブーイングは無視して、二回戦を始める。
「だーるーまーさーんがこーろーんーだ!」
振り返ったとき、目の前が百八十度回転した。頭がガンガン痛くなってその場に立っていられなくなった。
けど、そう思う前から、もう僕は地面に倒れていたらしい。
やっぱり、今日僕はどこか変だ。
「ゆうや!」
また和水の声を聞きながら、僕の意識は遠のいていった。
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