第13話 過去の僕の話 〜僕と最後の妖精〜
———— 中学二年生の僕
最近、いつもの杉の木に、女の人が座っている。
さすがに杉の木では遊ぶことのなくなった僕。まだ、たまに和水と圭夏は行って遊んでるらしいけど。三人が集まる時は、僕の部屋にみんな集まっていることが多い。だから、あんまり杉の木を気にしなかった。
学校から家へ帰る途中に杉の木はある。
一回見つけてしまうと、どうも気になっちゃう。
杉の木は公園だけれど、基本小学生しか来ない。すごく朝早くだと、おじいちゃんおばあちゃんが体操とかしているけれど。この下校の時間帯は、小学生が多い。
そこに、ポツンと女性がいると、かなり目立った。ベンチでもなく、杉の木の根元に、ポツンと座っている。座っているか、木の枝を突っ立って見ている。
最初は、もうマフラーを巻くほど寒い季節なのに、トレンチコートを羽織っているだけの女性が、気になったとこからだった。
僕は中学二年生。和水と圭夏は小学校六年生になった。
僕が電車通学になったから、基本僕らの登下校は、朝に僕の乗る駅まで一緒にいってバイバイして、帰りにたまたま一緒になれたら家まで帰る。そんな感じだった。
たまたま、帰りが被った日。
「今日悠くんの家に行きたいな」
圭夏がぐるぐる巻きのマフラーの中で、もごもごと呟く。
和水も圭夏も六年生。受験だ。
二人とも、僕の後を追って同じ中学を受験するらしい。和水は、頑張ればいけると思ってた。けど、びっくりなのは圭夏だ。小学校の成績は、決していい方ではなかったけれど、いざ受験勉強となると、秘められた力を発揮して、偏差値が判定内に上がった。暗記とか、瞬間記憶能力がすごい圭夏は、当たり前の小学校の勉強より、やらなきゃいけない受験の方が合ってたみたい。
普通、そこでつまずくんだと思うんだけど。
とりあえず、二人と同じ中学に通えそうで良かった。
家に来るなら、二人の勉強教えてあげようかな。学校の先輩としてね。二人と一緒に学校通うためだと思えば、頑張れる。
「じゃあ僕が受験の先生してあげる」
僕が言うと、受験勉強のせいで、圭夏よりも勉強が嫌いになりそうな和水が顔を
「チョコパイあるよ」
子供騙しなお菓子の誘いに、和水はむくれる。
「チョコパイの中身いらないよなー」
和水は給食当番の袋を蹴りながら歩いている。
「わっちゃんって、お菓子の好き嫌い多いよね」
「グルメって呼んで」
「グルメは好き嫌いしないよ」
僕がぼそりと言うと、和水はぎろりとこちらを睨んでくる。
最近、ピリピリしてるのか、和水の態度が冷たい。
「あそこにさ、最近女の人がいるんだ」
僕の言葉に、二人は足を止めて杉の木を振り返る。
「声かけて、お菓子でももらいに行く?」
和水は、お話したお姉さんにはお菓子が貰えるものだと思っている。
「あー、ううん、それだけ」
確かに、だからなんだって話だ。
「変な悠くん」
ころころと笑う圭夏。白い息がふわりと上がった。
別の日。
どうして、あの人が気になったのかわからない。
一人で帰路を歩く、部活帰りだった。僕は悩みに悩んだ結果、吹奏楽部に入った。楽器はオーボエだ。一年生の時、体験入部で初めて色々な楽器を吹いたんだけど、金管楽器もダメ。一枚リードのクラリネットとかサックスも全然音が鳴らなかったんだけど、オーボエだけ吹けたんだ。二枚リードっていうのと相性が良かったみたい。最近は、人が足りなくてファゴットも兼用してる。結構上手いんだよ、僕。
今までは、僕の前に賑やかな二人がいたから、二人の声を音楽のように聞いてた。それがないと、寒空の下を一人で歩くのは、とても寒い。
いつもの杉の木の隣の道に入ると、今日もやっぱり女の人は木の根本に座っている。
その時何故か、僕に和水が乗り移っていたのかもしれない。
もしあの人が自殺しようとしてるなら、止めたいと思ったのか。
僕は、帰宅する足を公園に向けていた。
今日も、女の人は杉の木の根元に座っている。引き返せないところまで近付くと、女の人は小さめのスケッチブックにボールペンで絵を描いてることがわかった。
ただ絵を描いてる人に近づいてしまった!
帰るには近付きすぎていて、僕は仕方なく女の人の隣に座った。
女の人は驚いた様子で僕に気付き、さっと描いてる絵も閉じてしまう。とても怪しまれているようで、お尻でじりじりと離れていく。すっくと立ち上がると、お尻の汚れをパタパタと払い、立ち去ろうとする。
ここで離れてしまうと、僕が女の人を追い出したみたいになっちゃう。
「お姉さん」
この後なんて言葉をかけるか考えていなかったのに、思わず声をかける。和水だったら、すぐ出てくるんだろうか。
お姉さんは振り返ると、ぺこりと会釈した。
「場所取ってごめんね」
「違うよ」
慌てて僕が引き止めると、お姉さんは首を傾げた。
「お姉さんとお話したくて」
とりあえず繋ぎ止めたかった僕はそんな事を言ってみる。人生初のナンパかもしれない。
お姉さんは少し考えると、笑顔を見せてくれた。
「お話って?」
「最近、ここにいるの見たから」
「この辺の子?」
お姉さんは戻ってきてくれた。僕の隣に再び腰掛ける。
「うん、そこの中学校」
お姉さんは驚きの声をあげた。
「中学生なの」
たまに驚かれる。中学生に見えないらしい。やっぱり、和水と圭夏と一緒にいるから、どうしても保護者目線になることが多い。僕が中学生に見えないのは二人のせいだ。
改めて僕を頭から足先まで観察したお姉さんはあははと照れくさそうに笑った。
「確かに、そこの中学の制服だね」
「お姉さんもこの辺の人?」
「今は違うけど、昔はこの辺に住んでたよ」
「じゃあ僕の名前知ってるかも」
もしくは、僕の幼なじみの名前知ってるかも。
「どうして?」
僕がにやりと笑うと、お姉さんはわくわくした様子で僕の言葉を待ってくれる。
「僕は笹島悠哉」
名前を名乗ると、はっと何かに気付いたような顔をしてから、打ち消すようにえー、と声を出す。
「笹島さんちの息子さんか。和水くんと圭夏ちゃんと一緒にいる」
やっぱり有名人なんだ、僕の幼なじみは。とても誇らしい。
「お姉さんは?」
ショートボブの髪の毛を軽く耳にかける。
「椿です」
「知らないや」
椿さんは笑った。
「悠哉くんみたいに有名ではないかな。和水くんのお母さんの妹だよ」
「え!」
和水に伯母さんがいるのを初めて知った。伯父さんはよく和水の家に居るから知っているけれど。
「はじめまして」
僕はまさかの身近な人に頭を下げる。
椿さんは微笑んだ。
「はじめまして」
「何を描いてたの?」
僕が訊くと、椿さんは首を横に振った。振った後に、また照れくさそうに笑う。
「なんでもないよ」
見せて。と言うと、椿さんは首を横に振る。
笑わないよ。と言っても、首を振る。
下手な絵なんてないよ。と言ってみても、笑いながら首を振る。
僕はじれったくなって、椿さんの手にあるスケッチブックを奪い取り、立ち上がって取り返されないように離れた。
「きれい!」
スケッチブックには、子供と一緒に遊ぶ小さな妖精が描かれている。いろんな色が使われていたり、ボールペンだけで描いてあったり、様々だ。
「か、返して」
木の根本で、四つん這いになって今にも泣きそうになっている椿さんを見て、僕は慌てて側に戻り、スケッチブックを返した。
「ごめんなさい」
僕が謝ると、椿さんも申し訳なさそうに首を横に振った。
「見ちゃいけないものだった? すごく綺麗だったけど」
椿さんは、大事そうにスケッチブックを撫でる。
「ありがとう。ほとんど、人に見せたことはなくて」
「もう一回見せてって言ったら怒る?」
少し、表情に上目遣いの和水を降臨させてみる。
椿さんは
「あまり、面白いものでもないから」
無言の和水顔面攻撃。
椿さんは和水に負けた。恐る恐る、ガラス細工を扱うようにスケッチブックを渡してくれる。
「ありがとう」
さすが、和水。
スケッチブックには、半分以上のページに既に絵が描かれていた。お世辞なんてなしに、本当に綺麗な女の子とたくさんの妖精が遊んでいる絵。じっくり時間をかけて見ても、飽きないくらい密に、数もたくさんある。
「本当に、綺麗だよ。みんな可愛い」
僕はスケッチブックから目が離せないまま、椿さんに感想を伝えてみる。
「こんな風に妖精が見えたら、楽しいだろうね」
椿さんの目が揺れ、伏せられた。
「楽しくはないよ」
椿さんは、早く返して欲しそうにそわそわと膝周りのスカートを握っては放し、握っては放しを繰り返している。
椿さんの視線で顔に穴が開きそうだったから、僕は渋々スケッチブックを返した。
「椿さんは、妖精が見えるの?」
僕の言葉に、目を泳がせる。不思議な人。
「妖精が見えたらさ、遊び相手になってくれたりさ、願いを叶えてくれたり、いいことばっかりじゃない?」
椿さんは首を横に振った。
「妖精が嫌いなの?」
こんなに綺麗に描くのに。
「見えるって知られてしまったら、離れていくから」
椿さんの言葉に、僕は自分で思い当たる節があって口を
「離れちゃうのは、悲しいよね」
「ごめんね、こんな話してもつまらないよね」
椿さんは、慌てたようにそこから立ち上がる。
「なにか温かいもの飲みに行こう。P・Wって知ってる?」
P・W。ピュアウォーター。清水亮太。話は聞いていた。
「亮太さんのカフェ?」
椿さんが頷いた。
「初めましてと、スケッチブック見てくれたお礼に」
「僕ココア飲みたい!」
そこから五分くらい歩けば、亮太さんのカフェがある。
最近オープンしたって聞いてたけど、行くのは初めてだ。
カフェのドアを開けると、ドアに付いたベルが鳴る。暖かい空気に、僕はほっと息をついた。
そこには、待ってましたと明るい顔をした亮太さんが居た。
「不思議な組み合わせだね」
亮太さんは、いつも微笑んでる目を丸くした。
「杉の木で会って」
椿さんは、照れるようにカウンターに座る。
「あれ、公園の熱中症くんじゃない? おっきくなったね。今日は寒いから熱中症にはならないね」
亮太さんは椿さんの隣に座った僕の頭をぽんぽんと撫でると、にやりと笑った。
「もう大丈夫です」
僕は慌てる。あの時、必死に周りに言わないでくれって言って別れたきりだ。恥ずかしい。
「熱中症? どうしたの?」
椿さんはそわそわした様子で訊いてくる。
僕と亮太さんは、熱中症で僕が公園で倒れた話を椿さんにした。
椿さんは、終始驚いたり笑ったり、さっきより表情がころころ変わる。
僕は、二人の会話より店内で流れている曲が気になった。
「亮太さん、この曲なに?」
聴いたことがある気もするけれど、なんだっけ。
「お、カーペンターズに興味があるとは、悠哉くん渋いね」
「昔の洋楽好きなんだ。吹奏楽部だし」
そう、大会どこかの学校が演奏していて聞いたことがあったかもしれない。好きな曲だな、今度これやりたいって部長に言ってみようかな。
「吹奏楽部か。何吹いてるの」
「オーボエ」
亮太さんは嬉しそうに笑う。
「いいねえ、渋いねえ。じゃあ、CD貸してあげるよ」
と、亮太さんの後ろの棚にある錠前をガチャガチャといじり出した。
「亮太さん、それ鍵無くしたの?」
僕が聞くと、あははと笑う。
「そうなんだよ、でも大事なCDとか入ってるし、鍵ついてる方がオシャレでしょ。だからこれでなんとかしてるの」
と、見せてきたのは細い針金。
簡単な錠前だから、開けられちゃうんだ。
泥棒のようなピッキング裁きで亮太さんは棚を開け、一枚のアルバムを渡してくれた。
後で、聴いてみよう。和水も最近聴いてるから、聴かせてあげよう。
おや? と思ったのは、僕にココア、椿さんにアメリカンコーヒーを出してもらった時だった。
コーヒーを受け取ると、椿さんと亮太さんの手が一瞬触れ合う。さっと椿さんは手を離した。
「熱いから気をつけて」
にっこり笑う亮太さん。
椿さんは恥ずかしそうにこくこくと頷いている。
んー、これ、僕もしかしてお邪魔虫なのでは。
ココア飲んだら、帰ろうかな。帰って、ダレてるであろう和水と、圭夏に勉強を教えてあげる方がいいかもしれない。
「悠哉くんは、もう妖精ちゃんのスケッチブック見た?」
あ、話しかけられちゃった。
亮太さんの言葉に、椿さんは慌てた。
「見た! すごい綺麗だった」
僕が言うと、亮太さんは嬉しそうに笑った。
「だよね、すごい可愛いよね。俺、妖精ちゃんの絵もっとみんなに広めた方がいいと思うんだ」
「とりあえず、このカフェに絵置くのは? ファミレスとかよく、絵置いてある感じ」
亮太さんはいっぱい頷いた。
「いいねいいね。もし、そのスケッチブックの中から選ばせてくれるなら、今日額縁買ってくるよ」
話の中心であるはずの椿さんは、僕たちの盛り上がりについてこれてない。
「あの、あたしの絵なんて全然良くないんで、飾るとかそんな」
亮太さんは、カウンター越しに身を乗り出して、椿さんの唇を指で塞いだ。
「僕たちは、今君の絵が素敵って話をしてるんだから。自分で自分を卑下しちゃダメだよ」
顔が真っ赤な椿さんはこくこくと頷く。
大人の世界だ。あと四年後じゃないと見ちゃいけない世界だ。
「いい子」
亮太さんはふわっと笑って、頬を指で撫でた。
「妖精ちゃん、君の絵を飾らせてもらえますか?」
椿さんは、さっきより大きく頷くと、スケッチブックを亮太さんに差し出した。
スケッチブックを受け取ると、亮太さんは僕に向かって歯を見せてにやっと笑う。
「交渉成立」
すごい。これが、噂に聞く亮太さん。和水が尊敬して、憧れるわけだ。
僕と亮太さんは、椿さんのスケッチブックからいいと思う絵を厳選した。全部素敵すぎて選べなかったけど、僕が一番いいと思う絵と、亮太さんがいいと思う絵、椿さんが一番好きな絵を三枚選んだ。僕は、木の葉っぱに座っている妖精の絵だ。これがすごい可愛い。
「椿さん、どっかに出したりしないの? 売るとか」
早速、亮太さんは近くの百貨店に車で額縁を買いに行ってしまった。その間、店見てて、と僕たちを置いて行った。こんな行動力でこのカフェもオープンしたのかもしれない。
「そんな、あたしの絵なんて売れないよ」
椿さんは、また悲しいことを言う。
僕は亮太さんの真似をして、椿さんの口に指を当てて、笑ってみる。
「椿さんの絵は綺麗だよ。僕と亮太さんが言ってるんだもん。信じて」
椿さんの顔を真っ赤にはできなかったけど、椿さんは、笑って頷いてくれた。
「ありがとう」
「日本じゃダメなら、海外とかもいいよね。フランスとか、街中で売ったりしてるんでしょ。前テレビで見た」
「海外かー、行ってみてもいいかもね」
「行ったら、お土産チョコとかがいいな。美味しいやつ」
椿さんは笑った。
「悠哉くんには、美味しいココアの素買ってくるよ」
「やった! 海外のものって、美味しそうだね」
少しして、亮太さんが帰ってきて、スケッチブックの絵を額縁に入れた。
「いいね。カフェが一段とお洒落になった。これでお客さん増えちゃうな」
亮太さんは、嬉しそうに額縁をテーブル席の横に飾っていた。
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