第12話 過去の僕の話 〜気持ちをぶつけられた、その時の僕〜

———— 中学一年生の僕



 冬。今日も僕の部屋には二人がいる。でも、最近は、いつもの騒いだような感じはない。会話もほとんどなかった。寒いから。そういうわけでもない。ヒーターが部屋に置いてあるから、ベッドの上にいる二人は頬と鼻が少し赤くなっているわ。


 僕は、第一志望の、この地域で一番難しいとされている中学に受かった。一応全国模試ではB判定だったし、特に本番の失敗もなく、合格した。頑張ってきてよかった。お父さんも、鼻が高いって褒めてくれた。これで、お願いしてた中学からスマホデビューも夢じゃない。


 部活も何にしようか、今からすごい悩んでる。スポーツも好きだけど、文化系の部活もいいよね。吹奏楽とか、軽音もかっこいいな、ギターとか初めてみたい。

 受験が終わって、いえーい遊べる! って思ったけれど、僕の中学には入学試験っていうものが、別に存在するらしい。受験が終わって皆怠けないようにだって。少しくらい遊ばせてくれてもいいのにね。


 だから、僕はあまり受験期と変わらずに勉強を続けている。

 和水と圭夏は僕に気をつかってか、漫画を大人しく読んでいた。この部屋に来ないってのが一番僕のためだと思うけど、居ないのも寂しいから、これがベスト。

 漫画が大好きな圭夏の目は和水と違って、もの凄いスピードで、絵と文字を追っている。五秒以内で、次のページをめくっているようだ。


「ちゃんと読んでるの?」

 ふと気になって、僕は訊いてみた。

 和水は、圭夏に質問されてるとわかるのか、しっかり無視して漫画に浸っている。

 圭夏はムッとした顔をあげた。

「じゃあ、どこかセリフを言ってみて」


 圭夏に言われて、僕はベッドの上に散らばっている、二人が読んでいるシリーズの二巻を拾ってパラパラとめくる。この巻は、圭夏が半年くらい前に呼んだ所だ。

「じゃあ、これは校長先生の言葉ね」

 と、僕が、あるセリフを音読する。

 圭夏はパッと顔を輝かせた。

「次はきりくんのセリフだよね」

 と、きりくんのセリフを一言一句間違えずにすらすらと答える。


 そんなの全部言えないよ、か、キャラの次の行動くらいを当ててくると思っていた僕は、目を見開いた。圭夏の答えたセリフは、一言一句間違ってない。


「じゃあ、こっち」

 ちょっと面白くなってきた僕は、圭夏がかなり昔に読んだ一巻のページをめくり、同じことをしてみる。

 あえて、キャラの名前は言わなかった。それに、次の言葉は、少し長いセリフになっている。それを踏まえて、僕はここを出題した。さすがに、こんなに長いセリフは間違えるだろう。


 圭夏はムッとした顔を見せた。

「長いセリフでしょ」

「うん」

 それはわかるんだ。それでも凄いな。でも、勝ったかな。これは、二巻より前に読んだもののはずなんだから。


 優越感に浸る僕を余所に、圭夏は頭の中で言葉を整理しているようだった。

「かっこいいよねえ、この言葉言われてる時のきりくんの絵が大好き」

 と、すらすらとセリフを答えた。

 僕は驚いてその一コマに目を落とした。そこには、圭夏の言葉と全く同じ長セリフを、キャラが喋っている。そこのコマには、圭夏の喋るセリフを聞くきりくんが描かれている。


「恐れ入りました」

 僕は頭を下げた。

 圭夏は胸を張る。

「また、いつでもかかってらっしゃい」

 一部始終を見ていた和水は、その後笑い転げていた。何が可笑しいんだ。と、僕と圭夏はそれに便乗して和水をくすぐりにかかる。


 くすぐり合いを終えて、はあはあと三人で息を整える。少し咳が出そうだったけど、また和水に言われそうで頑張って耐えた。


「でも、本当にすごいと思う。暗記力があるんだね」

 社会とか、英語の単語にその力を分けて欲しい。

 圭夏は照れ照れと嬉しそうに漫画に目を落とした。


「こういうセリフとか覚えられるんならさ、女優さんとか向いてるんじゃない?」

 僕が言うと、圭夏は目をキラキラさせて顔をあげた。

「女優さんになれるかな」

 和水は笑い飛ばす。

「圭夏が女優!? 無理無理、サルの役しか来ないよ」

 和水に腹パンチが入った。


「女優さんなりたいな。好きな物語の、好きなセリフを言うんでしょ。素敵だな」

 なれると思うな。クイズの時に、すらすらと言ったセリフも、シーンをさいげんしてるみたいで上手かったし。

「声優とかもいいかもね。圭夏の好きなアニメのキャラに声をつけるんだよ」

 圭夏は顔を輝かせた。

「将来の夢決まった!」

「せいぜい脇役止まりだな」

「なによ、じゃあわっちゃんの将来の夢はなんなの?」

 お返しに質問をする圭夏。


 そういえば、聞いたことないな、和水の将来の夢。和水こそ、モデルとか俳優さんとか、アイドルになれそうだけど。

 和水は、話したくないのか、もごもごと続きを話さない。諦めてくれないかと、一度こっちを見つめ返してくるから、僕と圭夏は、じっくりと和水の言葉を待つ。

「あーもう! 医者だよ、医者!」

 根負けした和水が白状した。

「わっちゃんお医者さんになりたいの!」

「そっか、お父さんお医者さんだもんね」

 和水がお父さんを継いでお医者さんなら、僕は先生になるのもいいなあ。二人に勉強教えるの楽しいし。


「ちげーし」

 和水は唇を尖らせた。

「お父さんに憧れてじゃないの?」

 圭夏の問いに、和水は何故か僕をじっと見つめて、顔を背けた。

「なんでか、突然医者になりたくなったの!」

 と、和水は突然立ち上がった。

「お母さんにシュークリーム持たされたの思い出したから取ってくる!」

  恥ずかしかったのか、和水は逃げるように部屋を出て行った。


「将来の夢が言えるのはかっこいいことなのにね」

 僕が言うと、圭夏は出て行った和水から僕に向き直る。

「悠くんの将来の夢は?」


 うーん、ないから困っちゃうんだよね。


「今和水のを聞いて思ったのは、学校の先生かな」

「悠くんが学校の先生だったら嬉しいなあ」

「圭夏の将来の夢を近くで応援するなら、裏方さんもかっこいいよね」

 圭夏は首を傾げた。

「裏方さん?」

「女優さんたちを支える仕事だよ。音響さんとか、照明さんとか大道具さん。圭夏たちみたいな素敵な女優さんを輝かせるために、頑張るんだ」

 僕が言うと、圭夏は照れ臭そうにもじもじした。

「悠くんと一緒にお仕事できるってこと?」

「そういうこと」

「えへへ、楽しみ」

 圭夏はにっこりと笑った。


 ふと、圭夏が女優さんって言うから出た言葉だったけれど、うん、本当に裏方っていうのもありだな。和水も俳優になってくれたら、僕は二人の映画を作るんだ。監督もいいね。

 よし、そのためにはとりあえず勉強だ。

 僕は体を机に向け、問題集を取り出した。さっきまで国語の漢字をやってたけど、飽きてきた。次は社会だ。圭夏のように、暗記ができればいいのに。僕、戦国時代が一番好きなんだけど、肝心の、そこで活躍した戦国大名がいまいち覚えられないんだ。

 問3

 上杉謙信と、川中島で数回に及んで戦った、甲斐の戦国大名を答えなさい。


「悠くん」

「ん?」


 甲斐? 甲斐って……静岡だよね。僕の頭の中でたくさんの戦国大名が顔を出してきた。織田信長、徳川家康、朝倉氏、毛利元就、浅井氏、上杉謙信、伊達正宗、長宗我部氏、島津氏……待って、全く関係ない遠い大名まで出てきた。


「悠くんって、好きな人いるの?」


 あ! 静岡と言えば信玄餅。

「武田信玄!」


「……悠くん、タケダシンゲンって人が好きなの?」

「え、あ、違う! 何? ごめん、聞いてなかったかも」

 僕が後ろのベッドに座る圭夏を見ると、圭夏は顔を真っ赤にしている。

 これは、僕が聞いてはいけないものな気がする。学校で、同じ光景を何回か見た。それで、僕は女の子を泣かせてしまったことがある。それがトラウマでもあった。

 圭夏を泣かせたくない。

 お願い、これ以上言わないで。


「悠くんの、好きな女の子になれませんか?」

 近くにあるクッションをぎゅっと抱いて、それを、僕から発せられる言葉の盾にでもしてるかのよう。

「……圭夏」

「あたし、悠くんが好きなの!」


 そろそろと、階段を上がってくる音がする。聞こえてないといいけど。


「悠くん」

 圭夏は、返事をしてくれない僕に不安げな顔を見せた。目にはうるうると涙を浮かべているのがわかる。

「圭夏、ありがとう。でも、圭夏は僕じゃ駄目だよ」

「何で?」

「圭夏には、もっとふさわしい王子様がいるはずだよ」


 ドアが開いた。

「あー! 圭夏、何で泣いてんだ! 悠哉にいじめられたか?」

「いじめてないよ!」

「うそつけ! じゃあ、何で圭夏が泣いてんだよ!」

「わっちゃん、それは——」


 和水は圭夏に、持っていたお盆からシュークリームを取って強引に圭夏の前に押しつける。圭夏はそれを受け取り、口をつぐんだ。

「お母さんから」

「……ありがと」

 和水は床にお盆を置く。

「で、これがおばさんから」

 と、僕たちにココアを配る。


「悠哉は、圭夏を泣かせた罰としてシュークリームはなし」


 お盆には、シュークリームとドーナツが乗っている。きっとシュークリームは僕用で、シュークリームの嫌いな和水に、母さんがドーナツを一緒に持たせたんだ。

「和水シュークリーム嫌いじゃん」

「でも俺が二つ食べるの!」


 何か言い返そうとしたけど、和水の表情を見て、僕の口から出て行きそうになった言葉たちは喉の奥へと引き返して行った。

 和水は、僕を羨ましそうな目で僕を見ていた。その分同じように恨めしい。そんな顔。


 和水は、一瞬目を伏せ、頭の中でたくさんの、和水の小さな体の中で渦巻く感情を整理したかと思うと、僕に舌を出してきた。

「悠哉のバーカ!」

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