第11話 過去の僕の話 〜僕の苦手な和水〜

———— 小学六年生の僕



 今日も、和水と圭夏は僕の部屋に来ている。二人は四年生だ。


「えー!」

 圭夏が大声をあげた。

「どうした!?」

 僕と和水は圭夏を方を見る。

「きりくんが! きりくんがー!」

「あー! ちょっと、そこまだ俺読んでないんだからな! 言うなよ!」

「きりくんがー」

 圭夏はベッドに倒れこんで僕の枕をぼふぼふと叩く。あのー、それ、今日干したふかふかの枕なんですけど。


 圭夏の読んでる漫画は、去年から変わらない。「きりくん」とは、この漫画の主人公だ。最後は圭夏が取り乱すような形で終わってしまう。

「悠くん、これ知ってたの?」

「まあ、一応その漫画の持ち主だからね」

「ちょっと! 次の巻は?」

「まだ発売されてないよ。確か、あと三ヶ月後くらい先だよ」

「えー! 何、この終わり方! 作者ふざけんな!」

「こらこら、圭夏ちゃん、興奮して女の子がそんな暴言吐いちゃいけません」

「だって! きりくんが!」

「そうだねー、バタッといっちゃったね」

「あー悠哉! 言わないで! まだ俺読んでないの!」

「っていう和水は何してるの?」

「あー!」

 和水が大声をあげ、圭夏が驚いたように和水を見る。


 いつもの光景。僕は勉強机に座って受験勉強をして、圭夏は僕のベッドの上で漫画を読む。和水は、手持ち無沙汰のように僕の部屋をうろうろしたり、僕の部屋にある音楽とかを熱心に聴いている。僕の部屋にあるのは、クイーンとかビートルズとか。昔の洋楽にハマってる。

 今日は、僕の部屋の棚をずっと引っかき回していた。


 和水はにへっと笑って、何かを僕たちに見せてきた。

「トランプ発見」

「トランプ探してたの?」

「だって、ずっとなかったんだもん。前はあったのにさ」

「じゃあトランプやろっ」

「悠哉も!」

「君たち、知ってる? 僕は、とうとう受験生と分類される人間になってしまったんだよ」

「じゃあ、何で受験生が小学四年生と遊んでるの?」

「それは、君たちが押し掛けてきたからでしょ」

 この二人を家に上がらせたお母さんもどうかと思うんだけどね。


「悠哉、塾って行かないの?」

「週三で行ってるよ」

「大丈夫なのか? 英司は、毎日塾で忙しいって言ってるぞ」

 杉の木で一緒に遊んでいた英司は、小学校が違うからなかなか会わなくなった。きっと、和水は携帯を持たされてるから英司と連絡をとってるんだろう。僕があまり杉の木に行かなくなったから、この二人も行ってない。

 僕は、中学にあがったら持たせてもらえる。

 和水は、こんな性格だから持たせてないと安心できないよね。僕が親でも持たせると思う。


「大丈夫だよ。僕、最近成績いいんだよ」

「そんなんでいいの?」

「大丈夫、大丈夫。僕にはお父さんもついてるし」

「悠くんのお父さんって、算数の先生なんだっけ」

「うん。数学ね」

「算数と数学って、何が違うのさ」

「なんだろね」

 僕は机の上にある辞書を取り出す。

「算数と数学は……算数は、これから僕たちがやることになる、数学の初歩だって」

「え、じゃあこれから、もっとややこしくなるの? 中学に入ると」

「そうみたいだね」

「やだー」

 圭夏はベッドの上でごろごろと回る。


 圭夏を見て笑っていると、最近減ってきた咳がまた出てきた。

「悠くん、風邪?」

「うん、そうみたい」

 和水を見ると、トランプを持って仁王立ちをしている。

「悠哉、嘘つくなよ」

 思い出させちゃったかな、一年前喧嘩したの。

「別に、嘘なんてついてないよ」

「おばさんに、今悠哉が辛そうな咳してた。って言うぞ」

「それだけは言うな!」

 思ってたより声を張り上げたのか、一瞬でその場がしんと静まり返った。


 階段を上がってくる音がした。

「どうかしたの?」

 お母さんだった。今日は仕事が休みみたい。

「あ、おばさん——」

 和水がこの機に乗じて口を滑らせようとしてることはわかった。

「何でもないよ。ただ、トランプして騒いでただけ」

 僕が先に言って和水を制する。後ろから、和水の睨みをひしひしと感じる。

「そう、ならいいけど」

 お母さんはドアを閉めて階段を下りて行った。


「何で言わないんだよ」

 僕は甘んじて和水の睨みを受け入れる。こんな目をするよになったんだね。かっこいいじゃん。

「心配を、かけさせたくないんだよ」

 和水はさっきよりも眉を吊り上げた。

「悠哉」

「何?」

「おばさんに、反抗したことある?」

「何いきなり」

「いいから答えろ」

「ないよ、たぶん」

「何で? ムカついたりしたら普通言うだろ、色々」

 この和水の、静かな興奮具合は、少し諭したくらいじゃ収まりそうにない。駄目だな、これは。少し言うか。


「面倒くさいんだよ。口応えしても、また言い返されるし。それでまたイラつくのも嫌でしょ? だったら、最初から言わないで、自分で処理した方が、楽だと思わない?」


「悠くん、わっちゃん?」

 圭夏が、怯えたように僕と和水を交互に見ている。

「違う。絶対に違う」

 和水は、近付いてきて僕の瞳を睨みつける。

 僕も負けじと、和水を睨み返す。

「何が?」

「お前は、逃げてるだけだ」


 頭に衝撃が走った。

 逃げてる? 僕が?


「何もかも、面倒くさいとか言って、結局、逃げてるだけだ! 深入りしない前に、自分が本当に傷つく前に。逃げれば、自分が傷つかなくて済む。そうだろ?」

 僕は目を見開いて和水を見た。まさか、和水にこんなことを言われるなんて思わなかったんだ。

 聞いたことのある台詞。圭夏が読んでる、僕の漫画の台詞だ。主人公の「きりくん」が、ライバルに向かって叫ぶシーン。引用して言ってるんだろうけど、それを僕に当てはめて喧嘩してくるなんて。


 わかってた。僕がいろんなことから逃げてるってことくらい。ただ、認めたくなかったんだ。

「……何いってんの?」

 僕の口から出てきたのは、こんな言葉だった。もっと、他のことが言いたいのに、喉はこんな言葉しか通してくれない。


 和水は背を向ける。

「正直に生きてない悠哉、つまんない」

 和水は部屋を出て行った。圭夏は、僕と和水を交互に見てから、慌てて和水のあとを追いかける。


 何なんだよ……。また喧嘩しちゃった。また圭夏困ってたじゃん。

 僕はその場に立って、和水の出て行った方を見ていた。全部、漫画から引用してるのはわかってるけど、年下に、あんなこと言われちゃ、面目丸つぶれだ。


 階段を上がってくる音がした。

「和水くん、凄い怒ったみたいに帰って行ったけど、大丈夫?」

 僕は笑った。

「平気だよ。明日には元通りになってると思うよ」

 お母さんも笑った。

「そう、ならいいんだけど」

 お母さんは僕の部屋から出ていった。


 ふざけんなよ。何が大丈夫だ。大丈夫なんかじゃないよ。

 僕は、ベッドに置いてあったクッションを上から思いっきり殴りつけた。ただ、上からだったから、クッションが飛んで他の物に当たることはない。

 お母さんには気づかれないように。自然と、そんな考えをしてしまう。

 そんな僕が、嫌になった。


 くそ……。

「ああああああああ!」

 僕は、クッションに顔を埋めて大声を出した。


 その後、また咳が出てきた。今度は、血も出た。クッションに血が付いた。

 喉から、空気だけが出ていっているみたい。

 僕、どうなっちゃってるんだろう。


 もう、何が何だかわかんない。

 涙が出てきた。

 かっこ悪いけど、今は誰も見ていないから、泣いたっていいか。

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