第10話 過去の僕の話 〜何かが発覚したその時の僕〜

 公園で倒れたことは、お母さんたちに言わないように、皆に口止めしておいた。亮太さんにも、ただの熱中症で、お母さんからは僕がちゃんと言うと説得した。お母さんを心配させるのも嫌だしね。

 たぶん、ただの貧血だ。その日の夜、僕はお母さんにレバニラを頼んだ。血を作らなきゃ。お母さんは、それを聞いて嫌そうな顔をした。お母さんは、レバーが嫌いなんだ。

「お父さんと二人で食べてね」

 お母さんはそう言って、台所に立った。


 心配は、かけさせたくない。悲しそうに、頭を抱えたりするお父さんやお母さんなんて、みたくない。

 そんなことにならないように、今までやってきたし、これからもやれる。たぶん、僕に反抗期が来ても、親にあたることはないかもしれない。


 それとも、たまりにたまって当たるのかな。

 本当の僕は、親に反抗したくてうずうずしてる。でも、表の僕がそれを抑えてるんだ。頭の中で、親に反抗する僕を想像して、こんな風にできたらどんなにいいだろう……って。


 この沼に足を踏み入れると、なかなか元に戻れない。踏み入れると、底に着くまで沼に入り込んでしまう。そうなると、友達も何も信じられなくなって、自分も何なのかわからなくなる。


 僕って何?

 笹島悠哉って何なんだ?

 存在するのか。そんなやつ。


 そんな、あと一歩踏み出せば自殺してしまうんじゃないかってなるくらいまで泥だらけになっても、僕は親や友人の前では笑顔を見せる。その笑顔は本物だけど、その一秒前までは、泥だらけだったんだ。


 大丈夫だよ。僕は何も傷ついちゃいない。そんな風にふるまって、僕の中はずたずたになってるんだ。皆に気づいてほしい。でも、気づかれるのが怖い。そんな矛盾はもうわかってる。でも、もし気づかれてしまったら、『僕』が崩れ落ちるかもしれない。


 きっと、皆が思ってるほど、いい子じゃないんだよ、僕は。


「悠哉ー、ご飯ー」

 下から、お母さんの声がした。

「はーい」


 今日も僕は、僕に失望して一日を終える。



「ゆうやー、トランプないのー?」

「その棚の中にない?」


 とある日の午後。今日は日曜だから学校はない。

 僕の部屋にいるのは、和水と圭夏だ。

 和水は棚を探ってトランプを見つけ出そうとしている。圭夏はベッドに座って、僕の部屋にある漫画に読みふけってる。ついさっきまで五巻を読んでたのに、もう八巻の最後の方を呼んでいる。圭夏は、本当に読むのが早い。

 圭夏は、この漫画の主人公が好きらしい。僕はあんまり好きじゃない。だって、いかにも、主役を務めるために生まれました。みたいな性格と環境だから。主役を助けてくれるキャラの方が格好いい。


「UNOしかないよ」

「じゃあUNOでいいんじゃない?」

「えー、トランプやりたかった」

「っていうか、僕は今お勉強中なんだけどね」

 勉強中なのに、二人を部屋に入れた僕も僕だけど。


「それって受験ってやつ?」

「うん。そろそろやれって先生とお父さんに言われたからさ。色んな所の過去問やってるの」

「自主性って言葉を知らないのかよ」

「へえ、よく知ってるね。そんな言葉」

「昨日、学校で習った」

 あ、そう。


「カコモンって何?」

 圭夏が、漫画から顔をあげていった。

「去年とかに出された入試問題だよ」

「ふうん、ゆうくん、大変?」

 あまり理解してないような反応だ。

「まあね。でも、本当にまだ受験するなんて考えてないしね。見てみる? 過去問」


「見せて!」

 僕は、圭夏の手に今やっている問題集を渡した。

 圭夏も和水も、問題集をじっと覗き込む。

「どうすればこんな所の角度がわかるの?」


 勉強中と言ってはいるけれど、ただ、問題集を広げて、シャーペンを持ってただけ。そもそも、受験なんてやる気ないんだもん。お父さんが、高校の数学の先生で、受験をしろ。みたいなことを言ってるだけ。

 まだ、第一志望がどこだかも決めてない。でも、どうせやるなら、レベル高いところに受かってやろうか……。そんなことも考えてる。


「そこは、こことここが同じだから、ここから引けばいいんだよ」

「へえー」

 後輩二人は、真剣に僕の解説を聞いていた。こんなに真剣に聞いてくれると、もっと色々教えたくなる。ここは、お父さん譲りだと思う。お母さんはよく言うんだ。「あなたたち、二人でしつこい」って。そう言われると、僕とお父さんは顔を見合せて笑う。


「もしさ、ゆうくんが中学に行っちゃったら、こんな風に遊べなくなっちゃう?」

 圭夏が、心配そうに僕を見てきた。

 中学に行くのは確定なんだけどね。

 僕は笑う。

「大丈夫。どんなに忙しくても、僕、二人に会わないと調子狂うよ」

 圭夏も和水も、笑顔になる。そのまま腕を大きく広げて、二人が抱きついてきた。

「おおー」

 僕はまだまだ細くて小さい二人を受け止める。


 和水が数秒して、顔を上げた。

「ゆうや!」

「ん?」

「UNOやろっ」

 勉強させてくれ!



「スキップ」

「げっ」

「あ、ないや」

「ドロー2」

「ドロー2」

「ドロー2」

「ドロー2」

「ドロー2」

「なんで二人とも一気に出さないんだよ!」

「戦略だよ」

「ゆうくんひっかかったー」

「今度こそ、ゆうやを倒すぞ!」

 イエーイと、二人は手を合わせる。

「もう、自分の分も含めて十枚」


 結局、僕もUNOに参加していた。圭夏、和水、僕の順だ。で、この二人はこんな戦略をいつも使ってくる。僕はいつもこれにひっかかる。

 でも、最終的には、僕が勝つ。今のところ、十五勝無敗だ。まあ、経験の差だよ。

「ウノ」

「えー!」

「いかさましてないだろうな!」

「してないって。そんな卑怯なことはしません」


 圭夏が、赤の7を出した。和水は、裏にしている僕の残り一枚のカードを透視するかのごとく凝視する。もう、英語のカードは持ってないらしい。和水が何を出すかで、僕の勝敗が決まる。もし、僕が出せないカードを和水が出してきたら、僕の持ってるカードの推測が絞れてきちゃうからね。


「これだ!」

 和水は、黄色の7を出した。

 僕が持っているカードは、黄色の4だ。

「あがりー!……ゲホッ」

 興奮して叫びすぎたのか、咳が出てきた。


「あー!」

「わっちゃん、勝たせちゃ駄目じゃん!」


 僕は咳が止まらず、口と胸を押さえてせき込んだ。

「ゆうくん、平気?」

 圭夏に背中をさすってもらっても、咳は全く止まらない。

「ゆうや、水飲んでこいよ」

 和水に言われて、僕は頷いて立ちあがった。


 口に当てている手に、何かがついた。

「ゆうくん……」

 圭夏が怯えたように僕の名前を呼ぶ。

「え……?」

 僕は手の平を見て硬直してしまった。血が、手の平についている。

 和水は二歩ほど後ずさりして、僕の部屋から出て行こうとする。誰かに伝える気だ。


 僕は和水の肩を掴んでTシャツを握った。

「言わないでいい」

 誰かに助けを求めようとする和水は、少し涙目になっている。

「大丈夫だから、よくあることだよ」

「そんなゆうや見たことねえもん! なんかの病気だよ!」

「たまに、咳と一緒に出ちゃうんだ。大丈夫だから」


 ここで和水をちゃんと落ち着かせないと、僕の知らないところで大人に言っちゃいそうだ。そしたら、お母さんお父さんに知られて、もし病気だったら、入院することになったら、迷惑かけちゃう。

 それだけはダメだ。どうせ、ただの喘息なんだから。

 肺は今咳をしたそうだけど、なんとか我慢できる。酸素のない空気を、吸っては吐いているような気分だった。


 和水が、とりあえず部屋から出ようとはしなくなったのを見て、僕は和水の肩から手を離した。

 和水の肩に、僕の血がついてしまった。

 かなりの力で掴んでいたから、和水は痛そうに肩をさする。

「和水、ごめん。洗って返すからこれ着替えて」

 クローゼットから僕のTシャツを取り出す。

「うん」

 僕の威圧に負けたのか、しょんぼりした和水はいそいそと着替え出した。


「本当に、大丈夫? ただの喘息?」

 圭夏が眉毛を最大限八の字にして、僕のTシャツの袖をつまむ。

「大丈夫だって。UNOしてて」

 和水のTシャツを預かる。


「帰る」

 和水は不貞腐れた顔をして言い放った。

 まあ、そうなるよね。

「お母さんたちには言わないでよ? 言うなら僕がちゃんと言うから」

「言わねえよ、バーカ!」

 和水は涙目で大声を出すと、ばたばたと家を出ていった。


 圭夏はおろおろと僕と出ていった和水を交互に見ている。

 わがままでごめんね。

「圭夏、和水と一緒に帰ってあげて」

 小さく頷くと、圭夏は和水を追って部屋を出ていった。


 窓から覗くと、和水は僕の家の前で、あの出ていった勢いそのままにぐるぐる回りながら、圭夏が出てくるのを待っている。可愛いやつ。

 圭夏が出てくると、きっと顔を上げてこっちを睨んできた。

「また明日ね」

 僕は窓を開けて手を振る。

「バカバカバーカ!」

 和水は最大限このご近所さんに聞こえる大声を出すと、走って行っちゃった。


 圭夏にも手を振ると、寂しそうに手を振って、和水を追いかける。

 二人の家は、それぞれ僕の家から走ると三十秒くらいで着く。


 ちゃんと、言わないで置いてくれるかな。

 僕は、突然がらんと寂しくなった家で、我慢していた咳を思う存分発揮する。仕事で親のいない家は、小さな埃も見えるように静かだった。


 和水の洗わなきゃ。

 僕は親が帰ってくる前に、血のついたTシャツを洗面台で洗って、Tシャツ一つだけのために洗濯機を回した。

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