とある賊の結末②

 俺達の常識を逸した行為を目の当たりにした賊は、恐怖と困惑に満ちた表情でこちらを見ていた。

 俺がこの山賊の前で口付けを見せつけた理由は一つ。自分達の仲間を無残に殺した女が愛しげに男と口付けている場面を目の前で見れば、どんな気分だろうか。そんな事を少しだけ考えてしまった。それだけだ。


「お、お前達は、一体……なん、なんだ……それにその女。もしかして魔族か……?」

「今頃気づいたのか? 随分目が悪いんだな」


 俺は嘲笑して言ってやる。ティリスを慰み者にしようとしたのだ。これくらいの罰は当然である。

 ティリスは俺の唾液すら逃さぬように唇をぺろりと舐めて、俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。今は、賊を侮蔑したように見下ろしている。

 無駄な時間、無駄な殺戮だったな、とは思う。元々生きている価値のない連中を殺すなど、無益にも程がある。

 唯一得た利益と言えば、奪う側だった者達が奪われる側に回った時にどんな顔をするかわかった、という事くらいだ。ただ、その昂りと愉悦はなかなかよかった。これがマルス相手なら、さぞ気分が良いだろう。


「おい、助けてくれ! 頼むから……なんだってする!」


 またこの言葉か、と嘆息した。町長に言われた時はまだ悦に浸れたが、野盗崩れに言われても何も感じない。賊の『何でもする』は何もできないのと同じだ。何もできないから、彼らは人から略奪するしかなかったのだ。最もそれは、俺もあまり人の事を言えた義理ではないのだけれど。


「なあ、教えてくれ」

「な、なんだ? 俺に答えれる事なら──」

「今までそうやって命乞いをしてきた連中を、お前は何人殺した?」


 俺が訊くと、賊は言葉を詰まらせた。

 正義感で動いているわけではない。人を襲い、女を犯し、男を殺し、略奪の限りを尽くす……彼らはそれを散々繰り返してきただけの連中だ。もしかすると、彼らには彼らなりの事情があるのかもしれない。そうしないと生きていけないだけの事情があったのだろう。

 ただ、そうして奪ってきた人生であるなら、当然今度は自分達が奪われる立場になるのだ。言葉にせよ、暴力にせよ、人を傷つけていいのは、自分が傷つく覚悟がある奴だけだ。

 それを、彼に教えたかっただけなのかもしれない。


「もしかして──」


 ティリスはそんな彼を見下ろしながら、言った。


「あなたは、自分の命に価値があると思っているんですか?」


 銀髪の美しい魔神は、無表情で淡々と訊いた。そこには一切の感情がこもっておらず、まるで蛆でも見るかのように、見下している。おそらく、俺も彼女と同じように彼を見ていただろう。


「蛆虫の分際で、滑稽ですね。あなたには草木ほどの価値すらないというのに」


 ティリスの言葉に、賊の瞳は怒りと憎しみに燃えていた。圧倒的な力の差を見せつけられ、自由を奪われ、交渉の余地もない。

 もう助かる術がない──そう、自覚していく。その表情を見ていた俺は、この後どうなるかある程度予測がついていた。

 黙ったまま、横に立てておいた長剣を鞘から引き抜き──


「ふ、ふざけるなあああああっ! この悪――」


 賊が最後まで言い切る前に、その長剣をその醜い顔に突き刺した。ズブりと顔を剣が貫き、気色の悪い音と感触と共に、血が飛び散る。剣を肉塊から引き抜き血を払うと、ぐしゃりと野盗の肉塊は転がった。

 人を殺したのはこれが初めてだった。だが、思った以上に躊躇がなかった。もう俺は完全に壊れてしまっているのだろうか。


ご主人様マスター……?」


 ティリスが意外そうに俺を見ていた。

 どうせ今の賊は、俺が殺していなくても、彼女が殺していただろう。だが、こんな生きているに値しない屑に、俺の大切な人を『悪魔』と罵らせたりはしない。そんな事は俺が許さない。


「お前は……悪魔なんかじゃない。あってたまるか」


 俺はそうとだけ言い、彼女から視線を逸らした。なんだか妙に小っ恥ずかしかったのだ。

 ティリスはそんな俺を見て嬉しそうに顔を輝かせたかと思うと、首根っこに抱き着いてきた。


「アレク様……私は、一生あなたに付き添います。そう、させて下さい」

「……当たり前だろ」


 そう応えてティリスの髪を撫でてその名を呼ぶと、彼女がゆっくりと顔を上げた。

 瑞々しい唇をこちらに向けて、そっと彼女は瞳を閉じた。

 そして、もう一度口付けを交わす。

 唇を離すと、彼女はとろんとした瞳でこちらを見上げていた。

 そこにいたのは、決して悪魔ではない。山羊の角と蝙蝠の翼を持ってはいるが、生娘のような優しい笑顔を見せている──悪魔的に美しい、俺の女だった。


◇◇◇


「あ……ご主人様マスター。野営はもう少し離れたところでしませんか? ここでは虫が涌いてしまいます」


 ティリスは困ったように笑って、周囲に転がる死体を見た。

 周囲には凄惨な光景が広がっている。死臭と臓物の臭いで吐きそうだ。それに、汚い男の返り血も浴びてしまった。一刻も早く、こんな場所からは離れたい。

 彼女の言葉に同意して、そのまま馬車で少しだけ移動した。

 移動する前に念の為賊どもの荷物を調べてみたが、結局彼らはほとんど食糧や金品を持っていなかった。

 本当に殺し損だった。いや、彼らが今後奪っていたであろう命や金品が奪われずに済んだ事を考えると、無駄ではなかったのだろうか。


(……これはこれで危険思想だな)


 ふと自分の考えを冷静に見つめ直してみて、苦笑いをする。今まで考えた事もなかったような事を、無意識に考えてしまっている。力を持つと、人は変わってしまうのだろうか。もう、俺は戻れないのだろうか。

 ふとティリスを見ると、不思議そうに首を傾げている。かと思うと、馬車の中から布を取ってきて……ごしごし、と俺の頬をこすった。


「汚れてました」


 綺麗に拭けたのだろう。彼女が満足そうに微笑んだ。持っていた布が少し紅くなっているところを見ると、賊の返り血が顔にかかっていたようだ。


「……もうちょっとだけ行こうか。川が近くにあったと思うから、水浴びもできるだろうし」

「はい、ご主人様マスター


 結局賊の荷物には何も手を付けなかった。彼らが持っていた武器を売れば少しは金になったかもしれないが、わざわざ荷物を増やすのもどうかと思い、そのまま放置しておいた。誰かが拾って売って、それでその人の身銭にでもなれば、賊も草木よりは価値がある存在にはなれるはずだ。


(そういえば……隊商キャラバンの連中が盗賊団がどうの、と言っていたな)


 それに、賊の頭目の名前……何と言っていたか。そう、そうだ。ヤーザムだ。

 この頭目の名前に何か引っかかりを覚えたと思ったのだが、今思い出した。

 ほんの数週間前、俺がまだ勇者マルスのパーティーにいた頃である。マルス達が討伐していた賊の名前が、確かヤーザムだった。この時になると、既に俺は戦場にすら立たせてもらえず、荷物番をしていただけで詳しくは知らない。結局追討が面倒になって逃がしたとマルスが言っていた記憶がある。

 さっきの賊どもがヤーザムの手下の残党であったというのであれば、少し厄介だ。ヤーザムは賊の中でも情け容赦がなくて有名で、ギルドでも指名手配されている。奴の居場所を聞き出してから殺すべきだったかな、と少しだけ後悔した。

 俺に力があるのなら……そういう使だってあるはずなのだ。

 盗賊団や山賊などは、魔物と大差がない。むしろ魔物よりもタチが悪いかもしれない。しかし、結局は冒険者ギルドや領主に討伐依頼が来なければ、奴らはやりたい放題だ。大きな町には入ってこないが、小さな村や通行人を襲ってさえいれば、一生困らない。泣くのは、いつも俺のような弱者だ。

 ティリスがいなければ、俺はあの賊達にすら対抗する手段がなく、殺されていた。いや、隊商キャラバンの時もそうだった。上位魔神グレーターデーモンの圧倒的武力の御蔭で、俺は今もこうして生きているのだ。

 本当に全く、男として情けないというか、何というか。好きな女ぐらい守りたいものだな、と思うが、ティリスを守れるくらい強くなるには、きっと俺が魔神将アークデーモンにでもならなければ、無理そうだ。

 俺は弱いままだけども、隣にいる上位魔神ティリスは、圧倒的な強者だ。もし、彼女の力を俺の力と言って良いのであれば、これからは弱き者達を守る為にも使うべきかもしれない、と心のどこかで思っていた。

 弱かった俺は、誰にも守ってもらえなかったから。いや、俺が力を持った時にやりたかった事は……本来、そういう事であったはずだから。


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【作者コメント】


こんにちは、九条です。

昨日近況ノートでこの『イチャラブテイマーでの面倒な細かい設定を設けた理由』について解説した記事をあげました。


この記事では、


①なぜ優秀な勇者パーティーに無能な主人公がいるのか

②なぜ将来を誓っている幼馴染が裏切るのか()

③なぜ主人公やその周囲は特殊な力に気付かなかったのか

④酷く雑に使われていてプライドもズタズタなのに、なぜ主人公はパーティーを自分から抜けなかったのか


等、追放モノを書くにあたって自分が頭を悩ませた、テンプレに潜む矛盾点に対してどう取り組んだか、について書いてあります。


https://kakuyomu.jp/users/kujyo_writer/news/1177354054935717047


もちろん、読まなくてもストーリーに差し支えはありません。そういう設定とか知りたくない、物語を純粋に楽しみたいっていう人は、読まないで下さいね。


それでは、今後ともイチャラブテイマーを宜しくお願い致します。

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