最終話 まんでがん、香川県。
「――」
帰還した弓兵が、玉座を見上げて王の真名を呼ぶ。
「その名を口にするなと、讃岐暦のはじめに言ったはずだ」
赤と金の豪奢な椅子に腰掛ける、スーツ姿の老人が、弓兵を見下ろして釘を刺す。
「クライマックスに感情が昂ってしまってね、ダイザン」
「ダイザン〝様〟だ」
「これは失礼」
弓兵は今さら片膝を着き、傅いて報告する。
「希少生存体が桃太郎を破りました。うどん勝負そのものは引き分けですが」
「で、あるか」
「全ては貴方のシナリオどおりに」
「逸脱がないよう動いてくれていることに感謝する」
「……ありがとう、とは言えないんですね」
「なんだ?」
「いいえ、何でも」
それより、と弓兵は話題を変える。
「ダイザン様はさらに老け込みましたね。ひと夏の間に、十年分は老化している」
「……」
「延命措置を止めて何日ですか」
「お前が知る必要はない」
苛立ちまじりの回答は、後半、咳まじりになる。
「シュウカツ、というやつだ」
「リクルートスーツだったのですか、それ」
「フッ……」
ダイザンが笑った。それだけで弓兵のこころは幾分か満たされる。
「引き続き、与力を頼むぞ。那須与一」
「ハァ、その名で呼ばれるのも疲れました」
また叱られる前に弓兵は「御意に」と答え、龍がぶち破ったままの大穴から飛び出していった。
★
本多榛名が姿を消したのは、ゴールドタワーの決戦から一週間足らずのことだった。うどん屋『鹿目』に残された書き置きには、《麺通団》リーダーの座をカナメに譲り、竜宮城で隠遁するなどと綴られている。あと字が汚い。
「じがきたない」
言ってやるなよ。ニコルお前も五十歩百歩だろ。
「こいつがフェイクで、実際は攫われている可能性もあるな」
「本人が書いたのは間違いないです」
犬耳をおっ立てたキヨが意見する。書き置きをくんくん嗅いで。
「ハルナさんの匂いがハッキリしてます」
「すっかり犬になって……」
「そこはツッコまなくていいです!」
可愛いぜ。
「きーちゃん、無理やり書かされたって可能性も、あるんじゃない?」
双子の姉が、キヨのしっぽを無意味にモフモフしながら尋ねる。
「匂いから詳しく探ってみる……うーん、汗の成分からして、緊張してる?」
「どんな緊張かしら~」
「そ、それは~~」
なぜか目を泳がせてもにょるキヨ。ともあれ、さすが人間のン億倍の嗅覚だな。緊張している理由は不明だが、正常な判断のできない状態にあったなら、迎えを遣らねばなるまい。
「あいわかった。店は俺が見とくから、みんなでハルナを探してくれ」
「だめ」
ニコルが即答で否決する。
「おとーさんがさがすの」
「いやあ、適材適所を鑑みるとだな……」
「そうしてほしいって、はるな、おもってるから」
咎めるような愛娘の眼差しが痛い。牙の間から炎を漏らすのやめてくれ。
「お師匠さん、乙女心に関しては見習いの小僧以下ですね~」
「ちょいちょい言い方~~!」
やわらかな物腰に反して毒舌極まる。南原スミおそるべし。
「お店のほうは、任せてください! ~~っ、まだ、任せてくださいなんて言えるほどじゃないかもですが、今日だけは!」
ぐいぐい来るキヨに仰け反らされ、カナメは仕方なく頷く。
「わかった。お前たち任せたぞ」
キヨを筆頭にガールズの敬礼が揃う。
「「「ど、らじゃー!」」」
なんぞ、という顔をカナメがしているとニコルが解説する。
「ぶ、はよくないって、いわれたから」
「ドレッドノート級の〝ど〟で~す♡」
「なんとドラゴンともかけてるんですよ!」
かしまし三人娘、その明るさ、うどん屋『鹿目』の未来を照らしているようで。カナメは笑って「いってきます」を告げる。大丈夫だ、多少の粗相があっても少女力がカバーする。お客が笑顔になるのがイチバンだからな。
さて、書き置きにあった「竜宮城」とは何処だろう。かつて闇市の入口には、竜宮城をイメージした門があった。ただ、今はもう焼け落ちており、闇市自体も別の場所に移されている。体制側に割れている更地で隠遁するとは思えない。
(……浦島伝説に立ち帰ろう)
お話の舞台は詫間町、浦島太郎が浜で亀を救けるところから始まる。竜宮城は当然その浜から続く海の底にあるわけだ。ハルナが海底に棲めるハズはないから、とどのつまりは。
「ここだよな」
ざざんと白波立つ、はじまりの浜辺にカナメは立つ。
目の前には、漁の道具を仕舞っておくためにあるような、粗末な小さな小屋があり。嵌め込みの危うい木の扉をカナメはノックする。親愛をこめて三回。返事はないが開いて踏み入る。
「……」
雑な板張りの壁から射す陽光に照らされ「竜宮城」でハルナが膝を抱えていた。父母ヶ浜へ海水浴に出かけた時のおしゃれな服を着て。
「乙姫様にしちゃあ、質素だな」
カナメは隣に腰を下ろす。本多榛名は答えない。
「タイやヒラメの舞い踊りもない」
ぐ~っと背伸びをして、カナメは仰向けに寝そべる。
無言の時間が五分か、十分か継続して、ハルナが口火を切る。
「ゴールドタワーで何もできんかった」
膝を抱える指先に力が篭り、スカートの皺が大きくなる。
「レジスタンス《麺通団》のリーダーだったのに」
「気にするなって」
「気にするよ」
震える声で訥々とハルナが語る。
「ハマダがウチをリーダーに据えたんは、理由があるんよ」
「言うな――」
「ダイザンはウチのお父さんで『娘が三くだり半を叩きつける』絵面をレジスタンスは望んだの」
実際に叩きつけていた。あの日、香川県庁で。
「ジャンヌダルクになって欲しかったんよ。ウチもそれに応えたかった」
「……居場所が欲しかったから、だろ?」
「カナメは察しがいいね」
ハルナが重い溜息をつく。
「リーダーとして役割を果たせていないし、こころの底では、ダイザンを憎めない」
カナメと同じくばたりと寝そべって、ぼんやりと続ける。
「小さい頃から、ダイザンはウチに何でも与えてくれた。でも、それにのめり込むと取り上げて禁止にした。娘のことに執着する親バカだった」
テレビゲームにのめり込んだときは、まさかゲーム禁止条例を敷くとは思わなかったなあ。苦笑を通り越した泣き顔をハルナは浮かべる。
「モンスターペアレントだけど、愛を行動で示す人だった。本当はうどんのことも大好きで、よく『うどんの唄』を口ずさみながら美味しいのをつくってくれた」
「なら……どうして『鶴亀製麺』を県内に入れて、昔ながらのうどん店を駆逐した?」
「きっと、自分がつくったおうどん以外を好きにならないよう、先手を打ったんよ」
ひどい父親でしょ。ごろり寝返りを打って、まるで火あぶりを待つ聖女のように、諦観の微笑をカナメへと向ける。
「でも、それでも嫌いになれない」
「……」
「ゴールドタワーで痛感したの。あんなことを許す父親を、やっぱりウチは嫌いになれない」
そんなの申し訳が立たない。だからここで隠遁するの。無理に明るくハルナが告げ。
「うそこけ」
カナメは一蹴する。
「俺に探しに来てほしかったんだろ」
ほっぺむにむにの刑だ。ニコルより強めにいくぞ。どお~~だ!
「ホントに隠遁したい奴が『竜宮城で』なんてヒント残すかよ」
「も~~、カナメはさ、そんなんじゃ女の子にモテんよ?」
「お前にはモテてる」
「あーいえばこういう」
口、塞いじゃうよ。強がるハルナの心中やいかに。
お膳立てだ。馬鹿でも分かる。
「望むところだ」
間髪入れず、カナメのほうから口づけを交わす。これまで二度に渡りキスに失敗してきた。一度目は閉店後の店内で、二度目は駕籠の中で……今度こそ、ちゃんと唇を重ねられた。
「へたくそ。歯が当たったよ。いたい」
訂正しよう。失敗したらしい。歯が痛いミートゥー。
「初めてなんてそんなもんだ」
「じゃあ、経験値上げるために、もう一回!」
したたかな女だよ、お前は。救われたがってることを隠さない。ずるい女だよ。
それでいい……それでいいんだ。そういうところだ。エリちゃんに見出そうとしていた俺の理想なんて、へのかっぱで「らしさ」を貫くところだ。
(お前はまんまでいてくれ。ハルナ)
心臓の鼓動が、今になって高鳴り始める。イケメン気取りには限界があった。もうボロが出てる。けれども隠すまい。へたくそな等身大で応えたい。アイシテル、なんて言葉にするほど陳腐になりそうで、気の利いた言葉なんて添えられず。ただ魔法をかけるように瞼を細めるのみ。
満点ではないにせよ、気持ちにすれ違いがなければ、何度だって経験を積める。日暮れまでにレベルをカンストできる。――ハズだった。
ハルナから求められた二度目の口づけは、叶わない。まるでドッキリ番組のネタばらしのごとく、小屋の板張りが、屋根から壁からまるっと吹き飛んだ。
(竜巻でも直撃したのか?)
雨ざらしとなった小屋だったものの上で、抱き合うカナメとハルナは目撃する。殺陣のように見事に刀を振り抜いた、桃太郎の姿を。
「倒したボスキャラが、最終面で復活するなんてザラだが……早すぎだろうが」
「犬・猿・雉より馬がお似合いや。蹴られとき!」
「なんとでもほざけカスども。とどめを刺さぬほうが悪い」
桃太郎は意に介さず、新たな得物、虹色に輝く刀身の太刀を掲げる。
「美しいだろう。秘蔵の宝剣・サヌカイ刀だ。希少サヌカイトの粉末を塗して鍛えあげられた鋼は、触れたものを〝飛翔力〟により吹き飛ばす!」
さっき小屋がなくなったもんな。ご説明どうも。
「サヌカイ刀の前で防御は無意味。切っ先が掠めれば、死。最強の武具よ」
「んなもん持ち出すってこたあ、俺たちをカスとは思ってないよな」
カナメの挑発に、桃太郎が鬼の形相を浮かべる。
「すぐに軽口など叩けぬよう殺してやる」
おーおー、怒ってる。巌流島の闘い然り、相手の冷静さを欠かせるに越したことはないが、やれるのか《偉人兵器》相手に。ゴールドタワーでジョルトの拳が入ったのは、記憶が曖昧だがラッキーパンチだ。奇跡は二度起こらない。まずいぞ。
「奇跡は二度起こらない」
桃太郎に言葉にされてしまった。言霊パワー二倍だ、やめてくれ。
ハルナを後ろに庇い、カナメは冷や汗を垂らす。心地悪さが顎先を伝って落ちる。と同時に桃太郎が「キエーッ」と奇声を上げて斬りかかってくる。
絶体絶命のピンチは、少年漫画の法則によって破られた。突然に現れた那須与一が割って入り、アーチェリーの収納ケースをもって刃を受け流したのだ。真っ向からの防御ではなく受け流し、しかし、サヌカイ刀の〝飛翔力〟によって中身ごと彼方へと吹き飛ばされてしまう。
「ふっ、貴様らの雉に救われたな」
「奇跡は二度起こらないが、必然なら起こる」
徒手空拳で構え、与一が頼もしい台詞を吐く。
「那須与一……手前は監視が本分だ。斯様に介入の機会がある。が、裏切りが必然だと?」
「我はお前を何度でも裏切る。そもそも仲間だと思ったことはない」
「成程。結構。死ね」
鬼無桃太郎と那須与一、《偉人兵器》二騎による闘いの火蓋が切って落とされる。
先に動いたのは桃太郎。ただ、攻撃の「起こり」をカナメは視認できなかった。気づいた時には、桃太郎は与一の背後へ抜けて残心をとっている。格闘ゲームでいえば1Pと2Pが入れ替わったかたち。どうやら初撃は不発に終わったようだ。
「鬼殺剣技・戌咬、よくぞ躱した」
「一度見た技だ、我には当たらぬ」
すでに弓を失いながら、与一に焦りの色は一ピクセルもない。
「果たしてまことか確かめてやろう……猿廻!」
片手一本で、刀の柄の端を握った桃太郎が、鞭を振り回すがごとく歪な軌道で斬撃を放つ。一撃一撃は軽くともサヌカイ刀の性質により必殺と化した五月雨斬り、その全てを、那須与一は危なげなく回避していく。まるでボクサーが紙一重でパンチを躱しているようだ。
「ホウ……大口を叩くだけのことはある」
御伽の剣客は両手持ちに切り替え、上段に構える。
「ならば手前の知らぬ、最速の秘剣をもって葬ろう」
闘気を滾らせる桃太郎に対し、与一はなぜか構えを解く。まったく棒立ちだ。
「今さら降伏など許さぬぞ。死ねいッ、雉落ぃいい!」
剣道で最速のメンを繰り出す選手が、どれほどの疾さであっただろうか。コンマ〇七秒か、〇五秒か。桃太郎のそれは上段からの振り下ろし、中割りのない手抜きアニメーションを想わせる剣速だった。与一はあえなく袈裟斬りにされ――ていない。サヌカイ刀の虹刃が、バリアに引っ掛かったように与一の首元に固定されている。桃太郎が力を込めようともビクともしない。
「馬鹿なッ……なぜ斬れぬ! なぜ消し飛ばぬ!」
「教えてほしいかい」
小悪魔の嗤いを与一が浮かべる。
「我が体内にある希少サヌカイトの〝飛翔力〟をもって相殺した」
タネ明かしと共に桃太郎の腕をつかみ、捻り上げる。万力の握力で。刃先から落ちたサヌカイ刀は効果により砂浜をボーリングし地中へ沈んでいく。
「弓を持たぬ弓兵ごときにぃいい!」
「我、那須与一に非ず」
嗤いは消え、眼光に宿る小悪魔は大悪魔に進化する。
「当てられたら負けでいいよ」
「猿を超える剛力……石の力ではない……分かったぞ、金太郎であろう!」
「はずれ」
ボキンと桃太郎の腕がありえない方向へ曲がり、追い討ちのボディブローが膝を着かせる。跪いた桃太郎の髷をひっつかむと、与一は海へと引き摺り、最後にはポイ捨てしてしまった。
「兵器風情が、真実にたどり着くことはない」
「……なあ、那須与一じゃないってお前」
「〝いったい何者なんだ?〟」
カナメの問いは先回りされる。自称・那須与一ではない何者かに。普段のように飄々とした口調で。
「いかにも。我は~~なんて喋り方も本当はガラじゃないね」
ひとりウケている様子で鼻を鳴らしてからNOT那須与一は続ける。
「ぼくの名前は他にある。でも、君には『与一』と呼ばれてたいな」
「めっっちゃ気になるだろ。夜も眠れなくなったらどーすんだ」
ほっぺむにむにの刑に処すぞ。怖いからやんねーけど。
「くっくっく……教えたところで、君の知る名前じゃないよ。《偉人兵器》じゃあないからね」
それに、と付け加える与一の表情は、どこか恋する乙女のようで。
「君にはそっちの名前で呼ばれたくない。大切な名前なんだ」
「フラれちまったか」
「カナメく~ん?」
ハルナに睨まれ、ほっぺむにむにの刑に処される。むにむにっていうか、つねつねなんだなコレが。いてえ。あの、いてえです。
「新喜劇は終いにして、本題に移ろう」
こほんと咳払いして与一が閑話休題を告げる。
「これからふたりを県庁へ案内する。ダイザンがお待ちかねだ」
「オイオイ、こないだ第二番勝負をやったとこだぞ」
せめて一週間くらいクールタイムをだな。不満を発するカナメの口に、与一の指先が添えられる。
「時間がないんだ」
「もしかして……よくないの?」
ハルナが心配そうに尋ねる。ダイザンの体調、そういうことか。
与一は黙したまま肯定も否定もしない。
「行こう」
与一がカナメとハルナの手を握る。
途端に、三人の身体がふわりと宙に浮き上がった。
「ニコちゃんと同じちから?」
「希少サヌカイトの飛翔力か」
「ご名答」
与一は少し得意げに、全身から青い光を迸らせる。それはカナメたちにも伝播して、光を纏うことで花火のように空へと打ち上がる。そしてドラゴンなんとかみたいに舞空する。真昼の流れ星になる。
「手をはなさないでね」
やや先行して飛ぶ与一が振り返る。
「ロマンチックだな」
「はなしたら落ちちゃうからさ」
すでに高度はゴールドタワーより高く、落ちればたとえ水面でも命はない。
「ぜんぜんロマンチックやないね」
「それこそ新喜劇だろ」
「スーサイド新喜劇とは、いやはや。まいったな」
三位一体・空の旅は、最短最速での女木島着を実現する。ただし着地したのは県庁ではなく港、女木港鬼ヶ島防波堤灯台の上である。重さ九トン御影石造り。鬼の姿を模している。
「県庁直行じゃあないんだな」
「人間を飛ばすのは難しいんだ。ハマチの餌になってないだけ感謝して」
「じゃあ、このまま三人で手を繋いでいこっか!」
父親のことが心配だろうに、明るくペースを崩さずハルナが前に出る。
「ダイザンは君のそういうところが」
「与一ちゃん、ウチをディスるん~?」
「まったく逆さ」
灯台を下り、徒歩で女木島を往く。歩幅の違いで三人四脚のようなチグハグさ。山頂を目指すカナメの心中は、小学生の時分に戻ったような、放課後のノスタルジーがあった。
「ウチら、ムカデ人間みたいやね」
「その例えはやめろ」
山の天気は何とやら。途中から鈍色の雲が立ちこめ、土砂降りの雨となる。なんとか県庁へ駆け込んだ時には、三人ともびしょ濡れになっている。
「カナメの雨男パワーのせいやね」
スカートの裾を絞りながらハルナがぷんすこ理不尽を垂れる。
「お前は晴女じゃなかったのかよ」
「与一ちゃんが雨女なのかも? 二対一でパワー負け!」
「ぼくは、そういう迷信を考えたことはないよ」
「じゃあ雨女ってことで。ニコルに続いて雨勢が増えて嬉しいぜ」
「非科学的だ」
やれやれと与一が嘆息する。
「つーけどよ、希少サヌカイトとなんつーもんがあるんだ。案外あるかもしれないぞ」
「石のちからは、いずれ科学の一部になる。はじめて火や電気を目にした人類には、ファンタジーのように映るものさ」
「ははあ~ん」
ナルホドポーズをとるカナメに、与一が怪訝な眼差しを向ける。
「なに?」
「いや、やっぱ那須与一じゃないんだなって」
「そう言ってるだろう。行くよ」
二度目の県庁ツアーは、県庁勤めと元・県庁勤め(県庁住まい?)の同伴だ。頼もしい。あまりに殺風景過ぎて、ソロなら確実に迷子になっている。山頂に建っているせいか、上の階から入って下りる構造で、なんだか秘密基地めいてワクワクする。敵の本拠地なのに。横スクロールのアクションゲーム『岩男』の最終面みたいだ。
「与一ちゃん」
ふとハルナが足を止める。
「今、向かっとる先にダイザンはおらん……どこに連れてくん?」
「ふふ、さすがはご令嬢」
否定はしないんだな。
「罠にかけようってんじゃないだろうな」
「まさか。ダイザンと会う前に、知ってもらおうと思ってね」
何を、と尋ねると、与一が自嘲ぎみに笑う。
「ダイザンという男を。君たちを取り巻く世界の真実を」
「実はゲームの世界だった、なんてオチはやめてくれよ」
「残念ながら現実だよ」
与一が案内するのは、どうやらハルナも知らないエリアであるようだった。希少サヌカイトがないと現れない隠し通路が二本、さらにパスワードがないと開かない隠し扉を経て、ドーム状の部屋へと至る。そこは全面無数のモニタになっており、様々な映像が映し出されている。
「頭が痛くなりそうな部屋だなオイ」
「ここはダイザンが最も隠したい部分。決して君たちには見せたくない部屋」
さらりと与一が告げる。
「お前、ダイザンに殺されるんじゃないか」
「かもね。最大の裏切り行為だから」
でもね。と続ける与一の目には、決意の光が灯る。
「ひと夏の経験を経て、君たちは君たち自身になった。だから知ってほしいんだ」
「分かるように言えって学校で教わらなかったのかよ」
「学校には行ったことがない」
与一が腕を一薙ぎすると、無数のモニタは一つを残して暗転する。残された足元のモニタには、何やら採掘している男女の姿が映し出されている。
「今こそ語ろう。遠い昔話を――」
ピッケルを振るっている彼が、齢三十九歳のダイザンだ。職業は地質学者。元々はうどん職人を目指していたが、二十代で挫折し、職を転々としていた。地質学については三十代に入ってから学び始め、驚異的なスピードで頭角を現していく。
「どうして突然に地質学をって?」
まあ、そうなるよね。彼といっしょに採掘しているもう一人の地質学者、マブチ博士が火をつけたのさ。ふふっ……彼女はダイザンの初恋でね。ニュースで彼女の今を知り、力になりたいと……いや、もう一度お近づきになりたいと、下心をもって地質学に埋没していく。
ともあれ、ダイザンは助手として博士の研究室に入ることになった。映像は女木島で新しい鉱石について調べているところ。さあ、そろそろダイザンが見つけるよ。希少サヌカイトを。
「次の映像に移ろう」
向かって左手のモニタに映っているのは、学会発表のシーンだね。希少サヌカイトを発見したのはダイザンだ。けれども発見者として歴史に刻まれたのは、マブチ博士の恋人の名前だった……博士は、交通事故で亡くした恋人……仁尾タケシの遺志を継いだんだ。希少サヌカイトの発見は、故人に捧げるプレゼントにされた。彼が発見し研究していたことにしてね。
裏切られたダイザンは深く傷つき、博士を殺害する。
「当該シーンの映像はないから安心して」
向かって右手のモニタに映っているのは、採掘用AIロボットを従え、女木島を占拠したダイザン。当時は男木島から希少サヌカイトが見つかっていなかったから、それを独占して……はてさて、学会に知らしめたかったのか、静かに喪に服する聖域を作りたかったのか。
島民全員が人質となり外から手出しできなくなり。状況が動いたのは占拠から数年後、政府は島民の命を厭わず女木島攻略に挑む。AIロボットを暴走させる技術により、内から崩壊させようという作戦だ。ダイザンは作戦を事前に察知し、厳重にプロテクトをかけた一体を残し、AIロボットを廃棄していた。代わりに島を守っていたのは《偉人兵器》だった――。
「いよいよ最終チャプター」
正面のモニタに映っているのが研究施設にして現・香川県庁。すなわち今この場所だ。政府軍を退けたダイザンは、支配を香川全土に広げた。この頃すでにダイザンは妄執に囚われている。失った初恋を理想像のままに再生させようとしている。《偉人兵器》はいわば副産物だね。
「強欲」が生んだ天才は、博士の遺体から採取した遺伝子をベースに、精巧なクローンを作り上げる。裏切りの季節より遠い、十代の彼女を。
「だが、ダイザンは老い過ぎていた」
青い春を共有するには老熟していた。絶望し、ダイザンは彼女を二度殺す。
そこから長い長い時が流れて……時間が心の傷を癒した頃、ダイザンは赤ん坊の彼女をつくり、父親として育てることにした。父親として愛したが、やはり、恋人になりたいという「強欲」を捨てることはできなかった。
ダイザンは、若かりし時分の記憶だけをコピーした実験体をつくる。交通事故で死にかけの若い男を使って。自身のクローンでないのは、恋人になれなかった自分という負い目、交通事故で亡くなった彼女の恋人への羨望、ないまぜになった末の――新生への祈り。
「お待ちかねの質問タイムだよ」
「……自作自演ってことだろ、それ」
「ああ。だから、絶対に知られるわけにはいかなった」
自作自演にしないために。アオハルを完成させるために。与一は目線を合わせず語る。
「……バラしてるじゃねーか」
答えず瞼を瞑り、与一がハルナに振る。
「ご令嬢から質問は?」
「もしかして、ウチの家出も?」
「恋を後押しするには吊り橋効果っ」
恋を実らせるために冒険が必要だった。万が一に備えて守護龍を添えてね。
「ニコちゃんが、守護龍」
「元々は副産物だった。采配にはダイザンの情が……いいや、合理の産物か」
「全てあいつの掌中ってわけかよ」
カナメはモニタの一つに拳を叩きつける。
「彼に代わり『赦してくれ』なんて言えない。赦してもらえるハズもない」
けれど最初に言ったよね。祈るようなポーズで与一が乞う。
「ひと夏の経験を経て、君たちは君たち自身になった、オリジナルになった……だから知ってほしいんだ。他者としてダイザンという男のことを」
「ウチにとってはお父さんで、それ以上でも以下でもないんよ」
「うん。あなたはそれでいい」
やさしい声色で与一が鷹揚に頷く。
「クソだという感想しか湧かなくても、知らなきゃならんかったのか?」
「少なくとも君がダイザンを嘲ることはない。本当の意味ではね」
「まったく笑えないジョークだ」
「残念ながら現実だよ」
「笑えねえ」
カナメには皮肉とばかりに与一が失笑する。
「誰からも忘れられることが、二度目の死だ。永遠の死。そうなってほしくない」
「もう『市民ケーン』のモデルになった奴レベルで名を残してると思うぞ」
「ただ悪名という意味でじゃないよ。彼も人の子だったと、覚えていてほしいんだ」
「……お前が覚えておけばいいだろ」
「ぼくは……そうだね、ぼくのわがままだ。ぼくはあの人と滅びたい」
「まったく、強欲な奴ばっかだな」
カナメは不良の蹲踞で大きく溜息をつき、不遜に顔を上げる。
「いいとも。知っておいてやる。あいつの業も背負ってやる」
それでいいか? ぶっきらぼうにカナメが尋ねると、与一はきょとんと無垢な少女の顔をして、ぷっと純粋な笑いを噴き出す。文字どおり抱腹絶倒する。
「そこは『何人死んだと思ってるんだ!』でしょ」
「ドラマの着地点は、大体ちっぽけな個人のちっぽけな想いに帰結する」
だから驚かない。赦しもしない。後世には大悪人として伝えるし、レジスタンス《麺通団》として県民をケアしていく。淡々と語るカナメに、与一は「それでいい」と床で背伸びする。
「はあ、ダイザンの危惧が馬鹿らしく思える。こんな簡単に『背負う』が言えちゃうなんてっ……くくっ、それこそ強欲だね。さすがだよ」
「俺はダイザンにはならない」
「うん。だからこそ打ち明けたんだ」
寝転がったままの与一が、床のモニタを一撫でする。
「――ねえっ、今、揺れんかった?」
不意にハルナが声を上げた。
「そうか?」
駕籠でも酔ってたし敏感過ぎるんじゃねーの。やっぱ乗るなら気遣い満点のニコルに限る。
「まさかこの映像4DXとか」
「そんな仕様はないよ。そして揺れはぼくも感じた」
「雑巾みたいに転がってりゃな」
「五月蠅いな。状況は全部見越してる。政府軍が来たんだよ」
「何っ、そりゃマズイんじゃないの」
かつて島民の命を見捨てた連中だろうが!
「桃太郎と村上水軍という『主力』を失ったのを好機と見たんだね。ちなみに那須与一も死んだことになってるらしい。時間がない、と言った理由の一つ」
「島の人たちはッ――」
焦るハルナが途中でハッとする。
「そういえば、県庁に来るまで、誰も見かけていない……?」
「避難させておいたよ。でないと君たちの不評を買う」
「ほいじゃ、ここで待ってりゃ終わりだな」
「そうはいかない」
ゆらりと与一が立ち上がる。悪魔のように鋭い眼差しで。
「君たちはダイザンと勝負をしてもらう。そのために連れてきた」
「……冗談だ。ハルナも心配してるしな」
「まったく君という男は」
呆れた様子の与一から何かを投げ寄越される。
「そいつを持っていって。迷子になると困るから」
キャッチした右手を広げてみる。虹色の鉱石、希少サヌカイトだ。
「――まんでに好き勝手させん。ここはウチんきやきん!」
闘志充分のハルナがスタートを切る。
「いこまいっ、カナメ!」
「おうとも」
与一に見送られ、隠し部屋を出発する。手にした希少サヌカイトの放つ光が、偽の壁を看破して消失させていく。おかげで通常エリアへとスムーズに戻ることができた。ハルナが「知っとるとこに出た!」と言ってるから間違いない。カナメには殺風景過ぎて判別つかないが。
「ダイザンは調理室におるハズ!」
「案内は任せた」
内心ホッとしているところで、すぐ先にある通路が爆ぜる。左の壁が吹き飛んで瓦礫が飛び散る。
道なき道からヌッと現れたのはSWATめいた、しかし《麺通団》ではない武装兵。前のめりに構えたアサルトライフルの銃口が、すいっと孤を描いてこちらへ向く。いきなり絶体絶命だ。
「仲間だ。やめてくれ」
カナメがホールドアップするより早く、兵士の背後から伸びてきた手により、銃口が下ろされる。ロン毛に無精ひげ、いつものハマダである。聞けば、政府軍から急な要請を受けて、レジスタンスも援護することになったらしい。リーダー不在で判断を下したことをハマダは謝ってくれたが、実務を殆ど任せていたので今さら問題はない。
「おとーさん!」
「師匠っ!」
ハマダに続いて顔を出したのは、ドラゴン少女とウルフ少女のペア、ニコルとキヨだ。
「お前たちも来てたのか」
「おとーさん、ここにいるきがした」
「わたしの鼻もそう言ってました!」
こりゃ地の果てに逃げても見つけられそうだ。
「合流できたことですし、《麺通団》としての指示をいただきたく」
「時間を稼いで!」
ハルナのお願いにハマダが即応する。政府軍の兵士からアサルトライフルを奪い、転ばせて、銃把をもって昏倒させてから「了解」と答える。必殺仕事人かよ。
「存分に、お心のままに。リーダー」
「リーダーはカナメに譲ったんよ」
「では、元リーダー。私とお揃いですね」
レジスタンス《麺通団》の意思はトランシーバーで後続と共有され。援軍として参加していたハマダたちが一丸となり、政府軍を食い止めてくれる。ニコルの炎ブレスが通路を火の海に変え、キヨの嗅覚がバックアタックを許さない。慎重にいけば一時間は保つだろう。
「たのんだぜ、精鋭っ!」
信頼を背中で伝える。最後の勝負へと急ぐ。ハルナと共に辿り着いた場所は、スーパーマーケットもとい産直の売り場のような部屋だった。ずらりと生鮮食品が並び、隠されたオアシスのように調理台が置かれている。そこに佇む老人は、頬が痩せこけて印象がずいぶん変わっているが、香川の支配者・ダイザンその人である。
「待ちくたびれたぞ、勇者一行」
「世界の半分くれんのかよ」
「嘘なのは分かっているのだろう?」
「ゲーマーのくせによ」
カナメは苦い笑いを噛み締め、宣戦布告する。
「――勝負だ、クソ野郎!」
★
人生は何かを成すには短く、成さざるには長過ぎる。
どちらも味わった私は、一周して再び「成す」べく、残り僅かとなった人生を無限に伸長した。どこぞの怪盗三世の敵がそうしていたように、だ。
そして、悠久の刻の中で、長らく地獄をつくってきた。理由は至極ありふれている。自己実現を「成す」ためだ。この世の悪党を番付にすれば、私は『市民ケーン』のモデルといい勝負をしているだろう。
今まさに舞台装置としての地獄は整い、生まれ変わった私が勇者として城に乗り込んでくる。古い私が魔王として敗れ去ればハッピーエンドだ。誰にも自作自演とは言わせない。この物語を陳腐な三流小説にはさせない。そのために全てを秘匿してきたのだ――。
ぼんやり佇む老人は、ただ静かに来訪を待つ。扉が開け放たれる音で目を醒ます。
「待ちくたびれたぞ、勇者一行」
「世界の半分くれんのかよ」
「嘘なのは分かっているのだろう?」
「ゲーマーのくせによ」
勇者は苦い笑いを噛み締め、宣戦布告する。
「――勝負だ、クソ野郎!」
口汚く啖呵を切る勇者を、一歩前に出た姫君が「待って」と制する。説得コマンドを試みるのか?
プリンセスたる愛娘の口から発せられたのは真逆の台詞であった。
「ウチにやらせて」
豪気だねえ。さすがは眞渕英里可だ。行動力のある女だ。
脚本にない展開だが、さもありなん。
「その男と共に培ったうどんの業……このダイザンに見せてみろ」
齢二十九の鹿目潤を立会人とし、最期の第三番勝負を始める。
「急な招待だ。ここにある食材は自由に使っていい」
「ウチんきの冷蔵庫に入ってたもんは、ウチのもんやろ」
「なるほど。確かにな」
私が仕込んだ出汁も使うか? と提案してみたが、そちらは突っぱねられてしまった。反抗期の娘を持つというのも悪くない。
うどん粉は、北海道から九州まで各種ブランド品を取り揃えている。ダイザンは、いわゆるグミ系麺になるよう配合し、ボウルの中でこねていく。手つきは赤子をあやすように。
ハルナはどの粉を使った? 製粉会社は? ブレンドの比率は? ふふ、気になってしまうのが讃岐人のサガであるな。あるいは父親のサガか。
詮無きことだとダイザンは思う。うどん勝負は、出来がどうあれ負けを認めると決めている。
そして何より、娘に限って誤ったうどんを作るはずがない。よき勝負になる。心が躍るぞ。
ボウルでのこね作業を終えて「踏み」工程に移る。ハルナもうどん生地のタネを床に置き、リズムよく踏みならしていく……が、しかし。そのリズムを狂わせる騒音が部屋の外から響いてくる。おそらく政府軍の連中だろう。万死に値する。眼前にいれば、死霊のゆびさしをくれてやるところだが……。
「うどんはいいな」
「――!」
「うどんは美味い」
雑音を打ち消すように、ハルナが「うどんの唄」を口ずさむ。あでやかに伸びる歌声だ。年頃の、眞渕英里可の声帯でそれを聴くのは初めてだった。アイドルにもなれよう。感慨深い。
「しょっぱい夜も――」
「「あるんだよ」」
ついハモらせてしまった。気恥ずかしさを感じるのは数百年ぶりだ。
照れ隠しに、ダイザンは黙々と作業を進める。打ち・延ばしの工程では、無理が祟り、咳き込んでしまい手間取った。されど、蝋燭の火も、電球のフィラメントも最期に強く輝くもの。すぐに持ち直して「切り」工程にシフトする。
(視界が霞む。視力が相当落ちている)
想定済みだ。力の入れようで〝自在の間隔で〟うどん生地が切れる器具を用意してある。包丁を下ろすたびバネの力により、次に切る位置が調整されるというシロモノだ。問題はない。惜しむらくは愛娘の顔をハッキリと見れないことだが、見知らぬ私自身の顔も見ないで済むのだ。よしとしよう。
(さて、そろそろ釜に火を入れねば)
マッチを手にして擦らんとするダイザンは、三度スカしてしまう。――ぬかった。便利な着火器具にしておけばよいものを、慣れというのは恐ろしいもので、こちらは気が回らなんだ。
「貸せ」
「……貴様に助けられるとはな」
「浦島太郎なんでな。ノロマな亀を見ちゃいられないんだ」
「口だけは達者よのう」
自称・浦島太郎の起こした火はガス釜へと移り、湯を沸かし始める。希少サヌカイトは薪の代わりになるが、やはり屋内では扱いが難しく、いかにダイザンといえどもガスが現役だ。
茹でる・揚げる・そして出揃う――両陣営のおうどんッ!
「勝敗は互いに賞味して決める。そこの浦島太郎も審査に加わってよいぞ」
「勝つ気がないみたいな言いようだな」
「フン、うどんの味に嘘をつけるかね?」
ダイザンは二杯のかけうどんを試食台に置く。ゴクリとふたりが息を呑んだのが聞こえた。なかなか小気味のよい心地だ。
「かけ出汁の〝にごり〟が尋常じゃないぞ。いくつ出汁を重ねてるんだ?」
「ひぃ、ふぅ、みぃ……もっと深い」
どんぶりを持ち上げ、ひと口飲んだハルナが、聞き茶ならぬ聞き出汁に入る。
「少なくとも、さば節、うるめ節、めじか節……塊と削り節の両方から抽出しとるね」
「よくぞ気づいた。正解だ」
うどん英才教育を施した甲斐がある。
「複雑に絡み合う、うま味のハーモニーが、ただ暴力的なパンチ力やなくて、そう――遊園地っ、うま味の遊園地の中におるみたい!」
「遊園地か……ふっ、そのような表現をされるとは」
ハルナを遊園地に連れていったことはない。かつて仁尾にあった、サンシャインの名を冠するそれは遠い昔に潰え、中讃のレオマもすでにない。県外、岡山のブラジリアンランドに連れていくわけにもいかなかった。皮肉だとすればパンチ力のある感想だ。
「麺もグミ系でカドが立っとる。出汁によく絡む、美味しいうどんだよ。お父さん」
トドメにお父さん、か。返す言葉もない。
「娘の成長を見せてもらおう」
ハルナの作ったうどんのどんぶりを受け取り、覗き込む。じっと見つめてピントを合わせれば、黄金のきらめきが雪崩れ込んでくる。
「これは……この澄んだ黄金(こがね)の水面は……出汁の種類をしぼっているからこそ」
見た目の美しさが申し分ない。震える手でなんとかひと口、舌の上へ。
じわりとやさしい味が広がる。いりこより上回っているのは、かつお節の味だ。
「かつて西讃の果てに、かつおぶし問屋が開いた小さなうどん屋があった……美味かった……あの味を思い出す」
瞼を閉じ、味に想いを馳せる。たとえるならば凪――平らかなる、穏やかな瀬戸内の海だ。表現している素材の中には、海のものともいえぬ豊潤なうま味がある。この正体はシイタケか。いつだったか宮城県で食べた、つけうどんの出汁も斯様な味であった。やさしい味に深みを出すため一役買っている。
――やさしさ。うどんの麺にしてもそうだ。九州は博多うどんの粉を使ったな。やわらかく、それでいて麺全体でスクラムを組むようなまとまり感がある。
「全て、私の体調を気遣ったものだな」
数百年ぶりにダイザンは破顔一笑する。
「うどんの本質は、もてなしの文化……贔屓なしに、お前の勝ちだ」
「ほんだら――」
「うむ。敗者は死をもって償おう」
ダイザンは背中で隠したリモコンのスイッチを押下する。途端に床に亀裂が走り、あっけなく崩落し、父娘を分断する。こちらへ跳ぼうとするハルナを、もう一人の私がつかまえてくれた。何よりだ。
「お父さん!」
「敗者には死って、そうじゃねーだろ!」
「やさしさを無下にする父を見限るのだ。そのやさしさ、浦島太郎へ注いでやれ」
さらば――。天井が崩れて落ちてきた瓦礫が、完全な目隠しとなり、別れを演出する。
あっけなく幕は下りた。あっけないくらいが良い。引き摺るほどにこころを狂わせる。終演の後はただ、余韻を味わいながら世界が閉じるのを待つのみだ。
揺れる、崩れる、香川県庁――かつての地質研究所――苦い思い出の残る場所。カウントダウンの表示されないゲームオーバーを、瓦礫の合間に見つけたスペースで寝そべり、ダイザンは迎える準備をする。仰向けに、胸の上で指を組み、瞼を閉じる。不意にふわりと頭が持ち上がり、やわらかいものを宛てがわれる感覚……天の遣いか、雲の枕か。
「もう、あの世かね」
「残念ながら現世」
「その声は……シャーリーか」
「やっと那須与一を卒業できたよ、はぁ~あ」
膝枕をしてくれているらしい、元・弓兵は小さく毒づき、ダイザンの髪を撫でる。
「吉永シャーリー、なんてふざけた名前だけど、君がくれた大切な名だ」
「最初の案では〝さゆり〟だったんだがな」
「ぜったいダメだからねソレ」
「違いない」
崩れゆくダンジョンの最奥で、ふたり笑い合う。
「おめでとう。魔王様の逃げ切りだよ。成し遂げたね」
「さらりとホラを吹くんじゃない。勇者一行に真実をバラしただろう」
「ありゃ~バレてた」
「この歳になると雰囲気で分かる」
「そりゃ~千歳に迫る妖怪だもんね」
訂正するよ。シャーリーは穏やかな声色で言い直す。
「やぼうはついえた。じごくにおちな」
「ひどすぎるな」
「いっしょに滅びてあげるから」
もう燃料の希少サヌカイトは勇者にあげたんだ。と、シャーリーは告げる。
「じき、ぼくもエネルギー切れになる」
「最後の最後に、最後のAIロボットも暴走したか……」
「君が人生のオワリに、ぼくだけに縋って死んでいく。ぼくの夢だったんだ」
「電気羊の夢でも見ておけ」
「そういう悪態、嫌いじゃなかったよ」
「ふぅ……負けたよ。お前の勝ちだ。シャーリー」
意識が遠のいていく。最期に聞いたのは、最も慈愛に満ちた声だった。
「おやすみ。カナメ」
★
――。
「クッソ、ぜってぇアイツ、バイオハザードするやつ好きだろ!」
崩落するダンジョンから脱出すべく、カナメはハルナと肩を並べて走る。
「ふふ、ゼル伝かもしれんよ」
「いいねえ。よくない」
派手に揺れて崩れているようで、それでいて脱出の猶予が残されてるっぽいあたり、ゲーマーの所業だ。ムカつくぜ。
「こうして走っとると、アニメのエンディングみたいやね」
「バックに夕焼け背負って、草原か土手だったらな!」
「ほんだら、もんたら続きで走ろか」
ダイザンの自死に落ち込んでいると思ったが、鼓舞するような明るさで。カナメが返そうとした「勘弁してくれ」は「望むところだ」にすり替わる。台詞とガッツが噛み合わない。正直もう体力がない。うどん業で足腰を鍛えていたつもりだったが、アラサーの弊害か。
酸欠で意識が朦朧としてきたところで、曲がり角でバッタリ巨狼に出遭う。だまれ小僧とか言いそうな奴だ。こんなん飼ってるとか聞いてないぞダイザン。死んだわ。
『師匠っ!』
巨狼が、小僧ではなく師匠扱いしてくれる。ということは。
「キヨ……なのか……?」
『はいっ! 変身しちゃいました!』
そっか~~! よかったな! 強そうだ!(師匠を超えたな!)
「おとーさん!」
「ご両名とも、ご無事で!」
狼頭の後ろから、ひょっこりニコルとハマダが顔を出す。
「どうして、逃げてないんだよ、お前ら!」
ありがとな!
「キヨがにおいたどってくれた」
「政府軍はすでに撤退。我ら《麺通団》も、ここにいる面子が最後です」
「おとーさん、はるな、のって!」
まさかの四人乗りで魔狼フェンリルもといキヨは駆ける。降ってくる瓦礫を避け、転がるそれを跳び越え、サスペンションでも入ってるかのような柔軟さで壁を蹴りコーナーリング、さらに疾く駆ける。
「ハルナ……大丈夫かっ」
今のキヨにライダーの快適を慮る余裕はない。お前、乗り物酔いひどいだろ。崩落してるのお前ン家だし、ダイザンのことだって――
「大丈夫」
目が遭った刹那で全て汲み取ったように、ハルナが一笑する。
「今は吐きそうなくらいがちょうどいいっ、それにっ」
栗色の髪を靡かせ、声を大にして続ける。
「あの人の清算を認めてあげたい、そんな気がするのっ!」
「……そうかっ」
割れる足場、崩れる天井、スリルドライブの果て……通路の消失点に、一行は閃光を視る。
「きめてやれキヨ! お前が明日のメインヒロインだっ!」
『~~っ、いっきまーす!』
四足獣の俊足が、怒涛のスピードを生んで光の先へ。
ダンジョンから脱出した勇者パーティを、多くの兵士が見上げていた。フェンリルの背に乗り、夕陽を背に跳ぶ彼らは、伝説となった――。
(パパン!)時は讃岐暦八〇三年。西讃の果てに一軒のうどん屋あり。
掲げる屋号は『鹿目』食わせるうどんは豪気にして鮮烈。燧のいりこは日本一。
行列連なる小さな店に、朝陽と共に暖簾が掛かり(パパン・パン・パパン!)さあ開店だ。
看板娘が炎のブレスで盛大にオープンを知らしめ、銀のサッシが開いて客が吸い込まれていく。
テーブルに着いた客から口々にオーダーが飛び、聖徳太子にゃなりきれず、ひとまず作ってから「かけの人~!」双子の店員が食い手を探す。混沌極まる様式美(パン!)
忙しなさの中に幸せあり。大将と女将さんの顔にも笑顔。
「いらっしゃい、まいどあり!」
気さくに声かけ世間話、うどん屋の日常は続いていく――。
と、ここで物語はいったんお開き。
本を閉じたら、ぜひ香川県へ。
お粗末!
まんでがん ~ディストピア讃岐でうどん打つ~ 瀬戸内ジャクソン @setouchiJ
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます