第5話 ゴールドタワーの決闘
八月某日。
讃岐浜街道、北北東へ走行中のトラック。――同、荷台。
「本当に、その装備でよろしいのですか」
SWATさながらの恰好をした団員が並ぶ、暗い幌の内にあって、たった二人おうどん屋の恰好をしている。カナメは白装束に紺の前垂れ、ハルナは桃色エプロンに三角巾といった具合だ。心配するハマダにカナメは答える。
「料理の味は、一割は美に宿るモンだ。盛り付け、皿のかたち、それから職人の立ち姿」
「一割の差で負けたら、くやしいもんね」
覚悟を決めている料理人たちに、ハマダも腹を括った様子で頷く。
「承知しました。調理場まで必ずお守りいたします」
「頼りにしとるきん」
「ハッ」
リーダーの信頼に、ハマダが独特の敬礼をもって応える。
「なんだそのポーズ……」
「交差させた左手はどんぶりを支える掌。右手のピースは箸を意味します」
「《麺通団》最敬礼のポーズなんよ」
「だせぇ」
かっこいいな。
「心の声と逆になっとるよ」
「カナメさんもやってみては。ハマりますよ。ハマダだけに」
「やかましいわ」
「でんれ~~~っ!」
だせぇ敬礼をしたままのハマダの頭上から、幌を突き破ってドラゴン少女が降ってくる。腕を交差するポーズのせいでハマダは受け止められず、ヒップドロップをモロに食らって荷台に沈む。
「みてきたけど、ごーるどたわー、てき、いっぱい」
「詳しい様子は分かりますか」
ニコルの尻に敷かれたハマダが呻きながら尋ねる。
「ハマダきらい」
お前なんでそんなハマダ嫌いなの。
「そう言わないで教えてやってくれ」
「おとーさんならいいよ」
えっとね、と。ニコルはボディランゲージとばかりに龍翼を広げて続ける。
「いりぐち、とおせんぼしてるかんじだった」
「想定してたケースのとおりやね」
ハルナが大きく嘆息する。
「あいつら、ウチらを遅刻させて不戦勝する気や」
「会場はゴールドタワーの展望階だからな。入口を突破しても、エレベーターが停止されてるとキツい」
「ニコルにおまかせ!」
ハルナより小さな胸を張って、フンスと鼻息荒く、愛娘が仰け反る。
「それで行くしかねーか。頼りにしてるぜ!」
宇多津町、燦然と輝くゴールドタワー。――同、地上入口前。
トラックの運転を替わりハンドルを握るハマダは、ゴールを守るように密集する荒くれどもを視認する。一目で「賊」と分かるその姿、現代に蘇りし村上水軍だ。
「すっかり桃太郎の家来というわけですか」
GKよろしく賊のセンターでどっしり構える巨人、蛮族の王を想わせるそいつが、異様なネックレスをしていると気づく。目を凝らせば、それは生首を連ねた文字どおりの〝首かざり〟であった。一番目立つ真ん中の首は、特徴的なスネオヘアーをしており……ハマダは割れるほど奥歯を噛み締める。
「鬼退治といきましょう」
アクセルをぐいと踏み込む。地面に設置されていたスパイクがタイヤを破裂させるが、ハマダは構わず加速させる。ハンドル調整でトラックの横転を防ぎ、蛇のようにうねりながら吶喊。
しかし、巨人はトラックを素手で受け止めた。やや減速していたとはいえ化物の所業である。
フロントガラス越しに、ハマダと巨人は睨み合う。
「我が名はエンオウ。ただなんとなく、ゴールドタワーの入口に立っている男だ」
「私はハマダ。あなたに殺されたキクチの友人です」
きゅりきゅりとタイヤが空転し、ホイールのみとなり、火花が散る。
「無関係を気取っているところ恐縮ですが、私は囮ですよ」
「そうかい。そんじゃあ囮どうし仲良くやろうや」
「! おのれエテ公……」
「いいねえ。粗野なほうが俺の好みだぜ」
エンオウが下卑た笑みを浮かべ、舌なめずりする――その頭上一二七メートルで。うどん職人を乗せた一匹の龍が蒼穹を泳いでいた。
「瀬戸大橋、落ちているんだなァ」
寂しげなカナメの呟きに、後ろのハルナが「記念公園は健在!」とフォローを入れてくれる。焼け石に水である。龍へ変身したニコルにタンデムするふたりは、天空三階と呼ばれるゴールドタワー展望階まで上昇している。ぐるりタワーの周りを旋回し、人影のない面を発見したら、
「強火でGO!」
「ぶ、らじゃー!」
龍の顎から放出された火炎が、ガラスを溶かして大穴を開ける。気圧差で突風が吹き、収まるのを待ってから天空三階に着地する。カナメが先に降り、エスコートしようとハルナに伸ばした手が――空を切った。上空から一本の矢が降ってきて、彼女の肩口を掠めバランスを崩させた。そのまま滑り落ち、宙へと投げ出される。
(ニコルにキャッチさせるか? いや……)
地上一二七メートルから落下するハルナに「鳴らせ!」と叫ぶ。ハルナはエプロンのポケットから二つの石、サヌカイトを取り出して打ち合わせた。途端に、カナメの右手がイソギンチャクのごとく変異する。白く太い触手は〝地を這ううどん怪物〟のそれだ。リーチを活かしてハルナの身体を絡め獲り、天空三階まで引き上げる。
「感動的なシチュエーションやけど、その手、気持ち悪いね」
「うるさいわい」
カナメの右手、親指と人差し指の間には、希少サヌカイトの欠片が埋めてある。人体の末端であれば全身が変異することなく、自在に能力を使えることが突き止められていた。
触手ハンドを一振り、手袋を脱ぐように消失させ、カナメは龍を見上げる。
「ニコルはハマダの加勢を頼む。嫌いかもしれないが」
「おとーさんのおねがい、かなえる!」
「親孝行だな。鼻が高い」
見送るカナメに「それでええん?」とハルナが尋ねる。迷いなく「いいんだ」と即答した。たとえ偽物の父親でも、本物に対して冒涜になるのだとしても、ニコルがそう望むなら。
「おいおいおい、勝手にお涙ちょうだいしているンじゃあないぞ」
振り返れば、仮設の調理場に立つ人相最悪・桃太郎。そして傍らには所在なさげなキヨの姿。カナメはだいたいの事情を察する。可能性としては頭の片隅にあった。
「貴様ら、間者を立てたな」
口にしたのは桃太郎である。
「貴様らは〝予定どおり〟そこから入って来ようとした……だが〝予定とちがい〟射殺されていない」
屋上に配置させた雉がサボっているせいだ。ビキビキと額に青筋を浮かべ、鬼の形相で続ける。
「那須与一……ダイザンの雉と思うていたが、よもや貴様らの雉であったとはのう」
この鬼無桃太郎、一杯食わされたわ。忌々しげに桃ザムライは天井を睨みつける。天空三階より上にいる弓兵を。
(与一はわざと見逃してくれた)
それが「矢一本分」というわけか?
「まあ、よかろう。簡単に決着しては面白くない」
桃太郎はキヨの肩をポンと叩き「お前もそう思うだろう」と囁く。キヨは沈痛な面持ちで瞼を瞑る。不良がカツアゲしてる図にしか見えない。
「しょっぱい夜もあるんだよ」
不意に、ハルナがうどんの唄を口ずさむ。キヨはハッと双眸を見開き、ゆっくり顔を上げる。
「ウチらが、キヨちゃんの夜を明かす。釜玉うどんの黄身みたいに、包み込んで、きらきらに照らしてあげる」
だから、とハルナが得意のガッツポーズをきめる。
「キヨちゃんは心配せんといて! こんなしょうたれ、ウチとカナメがぼっこぼこにするきん!」
「つーわけだ。全部言われたよ」
やれやれポーズでおどけてみせるカナメに、キヨが何かを言おうとして、しかし呑み込み、瞳を揺らめかせる。その細い肩に手を置いていた桃太郎が、セクハラ上司とばかりに肩を抱き、顔を並べて邪悪な笑みを浮かべる。
「勘違いしているなあ……第二番勝負、貴様らの相手はァ……こいつだあ!」
キヨに包丁を持たせ、桃太郎は『シャイニング』で見たような面をする。
そして「ぼこぼこにしてみたまえ」と。――ふざけやがって。
よく見れば、ミトンを外したキヨの指先は、古傷に紛れて多くの新しい裂傷が窺える。今日ここで対決するため特訓を積んできたというのか。ただの言いなりで、そこまでできるものか。彼女にとってのっぴきならない背景があるはずだ。
(ならば、訊くまい)
真正面から応えるまで。
「全力でぶつかってこい!」
「……師匠」
「まだ俺を師匠と呼んでくれるのなら、しっかり受け止めてやる。なかなか美味かったが俺ほどじゃあないなって笑ってやる。師匠は負けない。どんとこい!」
十代で師匠越えを果たした天才棋士のことが脳裏を掠めるが、カナメは頭を振って思考を払う。
「すばらしきかな師弟愛!」
キヨからようやくシャイニン顔を離した桃太郎が、パン、パン、とわざとらしく拍手する。
「しかし茶番はそこまで。いざ幕開けだ!」
ガシャン、とスポットライトが審査員席を照らす。身なりの良い中年の男が三人。
「県内から集めた美食家たちだ。さあ、その舌をうならせてみろ!」
第二番勝負が始まる。さっそく桃太郎が調理台に乗せたのは、キャビアをはじめとした高級食材の数々――うどんの食材とは到底思えない。つまり一品料理に使うものだ。
「やっぱり金の力できたね」
「キヨが特訓させられてたのは、十中八九そっちの料理だな」
あえてキヨを起用するのは俺らへの精神攻撃か。さもありなん。
「俺たちは〝遺伝子の力〟で行く!」
ハルナが頷き、一品料理に使う具材のベールを解く。それは讃岐地鶏の骨付もも肉だ。
「ふんっ、安い鶏肉なんぞで立ち向かおうとは」
敵陣の調理場から失笑が飛んでくる。少女に料理を任せ、突っ立っているだけのサムライから。
「雉に裏切られた桃太郎がよく言うぜ」
「下郎がァ~~!」
「ハルナ、調理を始めるぞ」
料理人にあらざる者は無視して、やるべきを進めていく。ハルナに鶏肉を任せ、カナメはいつもどおり調理台にコーンスターチを曳く。そして、巨大なチーズのような、うどん生地の塊を乗せる。
(さて――)
キヨを通して、うどん粉のピーキーな調整がバレているとして、あのモモタロさんの態度じゃあ軽視されている。高級食材よりうどんを下に見ている。妨害らしい妨害はないかもな。
「おうどんを嘗めるなよ」
驚かせてやろうぜ、なあ、キヨ……お前もそう思うだろ。ちらりと敵陣を一瞥すれば、カナメが教えたとおり、懸命に生地を延ばしているキヨの横顔があり。そこにうどんを軽んじる弛みはない。
(行こうぜ、たましい込めて!)
カナメは麺棒を手に、キヨと同じ工程をスタートさせる。調理場は離れていても、まるで同じうどん屋で働いているように師弟の呼吸はリンクする。
「むぅ。なんかウチほったらかしにされてない?」
鶏肉の下ごしらえをしつつ、となりのハルナさんが頬を膨らませる。
「お前のダンナになる奴は苦労しそうだな」
「カナメ……鶏に生まれてこなくてよかったね」
調理バサミを手にハルナが目のハイライトをくすませる。髪を一本だけ咥えるのやめなさいよ。
どったんばったんクッキングは続き、制限時間いっぱい、両陣営の料理が出揃う。桃太郎チームは釜揚げうどんに高級食材の盛り合わせ。『鹿目』チームは同じく釜揚げ、そして骨付鳥だ。
「犬よ、大義である。珍味の素材を生かした味付け、カッとなり殺した前任と遜色なし」
審査員に出す料理をまさかのつまみ食いして、桃太郎は満足げに舌なめずりする。
「晴れて犬からお役御免だ。いざさらば」
軽薄に言って腰の大刀を抜く。次の刹那には、辞令がわりの一閃が逆袈裟にキヨを斬り裂いていた。
突然の凶行にカナメは動けなかった。斬撃のモーションは一フレームにも満たない。奥歯に加速装置のボタンでもなければ間に合うハズがない。それでも――超人でないことを呪わずにはいられない。
「キヨ!」
ようやく声が発せる。金縛りが解けたような心地でカナメは走る。糸が切れたように倒れたキヨの身体を抱き起し、状態を確認する。傷は深い。かろうじて息はあるが長くない。
「ムダだ。死ぬように斬った」
「ムダかどうか……やってみなけりゃわからねえ!」
カナメは、自身の右手の皮膚を噛みちぎる。
「何をするつもりだ。忍術の心得でもあるのかね」
「かもな!」
爪で虹色の石片をほじくり出し、キヨの胸の傷口へと埋める。
「ハルナ!」
茫然自失で青ざめていたハルナが、カナメの呼びかけで我に返り、再びエプロンのポケットから石を手にする。即座に打ち合わせ、サヌカイトの音色が天空三階に響き、約束された奇跡が起こる。キヨの身体は風船のごとく膨らみ、溢れ、太鼓台サイズを超えた〝地を這ううどん怪物〟と化す。フロアの高さには収まりきらず、ぎゅうぎゅうで身動きがとれないでいる。
「血迷ったことを……」
怪物へと刀を構える桃太郎だったが、刃が通る肉厚ではない。
「血迷う? ふざけるな、可能性に賭けたんだ」
レジスタンス《サヌカイ党》のキクチは、希少サヌカイトを医療に転用しようとしていた。もらった石片を右手に埋め込んだ際、当然に切開を要したが、サヌカイト共鳴による形質変化の後は「古傷のように」手術痕が塞がっていた。副作用として再生の効能があるのだ。今は怪物になっているキヨも、引きずり出せば全快している――かもしれない。重篤な状態の人間に試したことはない以上、断言はできない。変異のショックに耐えられず、という可能性も否めない。それでも賭けるしかなかった。
「キヨが暴れたら相手を頼む」
まだハルナは冷静さに欠いていたものの、包丁を手に頷く。
「愚か者どもが……犬ごときの命に執着するなど」
「もう犬はお役御免しただろ」
カナメは血で染まる拳を握る。
「あいつは〝南原キヨ〟って名前がある」
「犬を辞めて醜悪な化物にまで身を落とす、斯様なカスに名前などいらぬ」
「……お前にとってキヨはっ……何だったんだ!」
「東かがわの集落を燃やした時、その餓鬼だけが怖れぬ目をしていた。双子の姉を守るためなら何でもする、という気概があった」
それがどうだ。やれやれと桃太郎は掌を掲げる。
「貴様のところで腑抜けにされてしもうたわ」
「クソ太郎が……!」
ぶん殴りたい衝動をカナメは抑え、手ぬぐいで右手を応急処置、完成した料理を審査員席へと運ぶ。
だが、桃太郎に阻まれる。
「こちらの審査が先だ。料理は時間が命であるからのう」
反駁するなら斬り捨てる、という雰囲気で威圧してくる。おろおろしていた審査員の美食家たちも、羅刹の眼光に射抜かれ、恐怖に促されて桃太郎チームから試食を始める。
「アジショー!(美味い)この釜揚げうどんは、釜揚げ状態にあってもコシが失われていない」
そうか、キヨ、お前は……俺がやろうとしていたことを同じように。
「うどんなどどうでもいい。高級食材の盛り合わせを食え!」
刀の切っ先で脅され、審査員は一品料理のほうへ箸を伸ばす。
「これはこれは、さすがにアジショー!(美味い)」
「キャビアにフォアグラにトリュフ、数年ぶりに口にしましたよ」
「さすがはダイザン殿の手配、ということですかな」
美食家のサガというべきか。地獄のような状況にあっても活気づいている。
「ダイザンではなく、この鬼無桃太郎を誉めろ」
「いやはや参りました。桃太郎殿」
「ふっふっふ」
勝負あったな、と不敵な視線を桃太郎が寄越してくる。
「やってみなけりゃ、わからないと、さっきも言ったろう」
カナメは審査員の前に、釜揚げうどんの入った桶と、骨付鳥の乗った銀皿を置く。
「さあ、ご賞味あれ」
ごくりと喉を鳴らし、審査員が『鹿目』チームの試食を開始する。
「むむ……! 先ほどの釜揚げに劣らず……いや……さらにコシが……!」
「釜から揚げた時点でコシが最大になるよう調整してあるのか!」
「釜揚げでしか成立しえない美味さだ!」
審査員の反応にチッと桃太郎が舌打ちする。
「さて一品料理のほうは――」
銀皿の上で飴色に輝く骨付鳥をつかみ、美食家たちはかぶりつく。途端に無言になり、一心不乱に一本たいらげた彼らの目には涙が。
「遺伝子が抗えない……これぞ香川県の伝統料理っ!」
「やわらかな雛の骨付鳥が、コシの強いうどんと対比になっている!」
「旨辛の味付けに酒が欲しくなりますな!」
審査員は頷き合い、柏手を打つ。
「「「アジショー!」」」
これに激高したのは桃太郎である。問答無用に横一閃、審査員全員の首が飛び、噴水のごとく鮮血がシャワーとなる。もう無茶苦茶だ。カナメの堪忍袋も緒が切れてどこかにいった。
手ぬぐいを巻いた右手を、再びグッと握る。
「……」
ボクシング用語で〝ジョルト〟という拳がある。前のめりに、拳に全体重を乗せて振り抜くリスキーなパンチだ。ウェイトの軽いアウトボクサーでも相手の意識を刈り取れる反面、躱されたときの隙は計り知れない。
助走をつけて桃太郎へ拳を放つ一秒間、自分のそれがジョルトにあたると、カナメの脳裏を過ぎるのだが――意識してやったわけではない。怒りまかせの拳だ。
(きっと、この攻撃は失敗する)
悪寒が背筋を駆け抜けるが、止まれない。
怒りが恐れを上書きする。
「桃太郎ぉ――!」
「桃太郎ぉ――!」
遅い、ひどく遅い拳だ。繰り出す前から顔面狙いであると判る。大振りでムダが多すぎる。
桃太郎は、いったん納刀した太刀の柄に右手を添え、心中で嘆息する。抜刀と同時にカウンターで首が飛ぶ。それで終いだ。うどん勝負などなかったことにしてくれよう。
桃太郎の余裕は、次の瞬間に掻き消える。刀が抜けない。伸びてきたうどん怪物の触手に腕をつかまれている。――ええい、理性などない獣の分際で小癪な!
すぐさま引きちぎり、バックステップを踏みながら今度こそ白刃を抜く。
その時、あらぬ方向から「死」が迫る気配を、桃太郎は察知した。展望エリアに空いたままの大穴の先、地上一二七メートルの空中で逆さに浮いた――否、タワーの頂から跳んだ那須与一が、狩人の眼光で弓を構えている。
(次から次へと……!)
与一が放ったカーボン矢を、桃太郎は宙で斬り落とす。
そして、ようやく本来の敵へと振り返るが……さすがに遅過ぎた。届かないはずの拳は、桃太郎の顔面に深々と突き刺さり、すらり通った鼻柱を叩き折る。
横倒しになり赤く染まっていく視界で、桃太郎は死霊のゆびさしを視る。
「桃ン中へ帰れ、クソざむらい」
あの目……どこかで……。
真実へ行き着く前に、桃太郎の意識は途切れた。
桃太郎との決闘が終わると、キヨは自然に本来の姿へと戻った。ニコルの脱皮に近い。希少サヌカイトが溶け出した水ではなく、そのものを体内に入れたからだろう。ちゃんと息はあるし傷も塞がっているものの懸念点が一つ――「本来の姿」と言ったが、加えて犬耳としっぽが生えてしまっている。キヨが目覚めたら許してくれるだろうか。
「第二番勝負、ノーコンテストやね」
「さすがに、これじゃあな」
ハルナに諦観の笑みでカナメは返す。キヨの身体をテーブルクロスで包み、いつの間にやら復旧していた(仲間が復旧させた?)エレベーターで、ゴールドタワーの地上階まで降りる。
外では《麺通団》のみんなが待っていた。あのクソださいポーズで歓迎してくれる。ださい。
真っ先に駆け寄ってきたのは、裸に防弾チョッキを羽織っただけの裸足のニコルだ。帰宅した父親を迎えるように、ぱあっと明るい眼差しで見上げてくる。
「ニコルたち、かったよ!」
彼女の背後には、東かがわで暴れていたエンオウが倒れ伏している。まるで伐採された巨木だ。その頭部にはククリナイフがギャグみたいに刺さっている。エンオウに腰掛けタバコを一服しているハマダが、弱弱しく手を挙げて応えてくれた。他の団員も疲弊しており、怪我を負っている者も少なくない。
凱旋と呼ぶには血が流れ過ぎている。そもそも、うどん勝負に勝てたわけではない。けれど。
「俺たちも、負けてない!」
団員からワッと歓声が沸く。今だけは、負けなかったことを喜びとして噛み締めさせたい。
かくして第二番勝負の幕が下ろされる。
――。
数日後、うどん屋『鹿目』に元・店員が訪れた。
「ごめんください!」
「剛麺くださいとは良い心がけだ」
「いきなりジョーダンで返すのやめてくださいよお……ししょお」
暖簾から顔を出したキヨが、ぴょこんと立った犬耳を押さえてはにかむ。わんこの手を模した肉球付きのミトンが可愛らしい。続いてキヨの肩越しに顔を出したのは、桃太郎~~ではさすがになく、キヨと同じ顔だった。こっちは犬耳がない。
「どの方がお師匠さん?」
「すーちゃん、挨拶、挨拶!」
キヨに窘められ、ほんわかした雰囲気のドッペルゲンガーが前に出てくる。キヨより清楚な(失礼)文学少女めいた服を纏う彼女は、ゆるやかな所作でお辞儀をし、
「きーちゃんの双子のお姉さん、スミと申します~」
独特の言い回しで名乗る。不思議ちゃんだ。
「レジスタンスの皆さんに救けていただき、ありがとう~って思ってます」
「そうか。君が……キヨの守りたかった人だな」
「はい~。金毘羅さんの近くに幽閉されてました♡」
「う~~っ、すーちゃんはもう黙ってて!」
さっとキヨも入店して隣に並び、頭を下げる。しっぽもシュンと下がっている。
「このたびは、本当に、ご迷惑をおかけしました!」
「オウ。そんじゃあカラダで払ってもらおうか」
「えッ」「あら♡」
赤面する二人に、厨房をサムズアップでカナメは指差す。
「開店時間だ!」
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