第4話 風雲急、香川県。

「店先のお掃除してきます!」

「お客様の列形成しますっ、最後尾はこちらです!」

「洗い物はお任せください!」

 押しかけ弟子ガールの南原キヨは、よく働く女の子だ。彼女が『鹿目』の店員を始めてちょうど一週間が経つ。師匠にさせられたカナメが見る限り、浮き足立っている様子はなく……むしろ鬼気迫る集中というか、ツライことを忘れるべく働いている雰囲気がある。

(あんなことがあった直後だものな)

 ダイザンの《偉人兵器》鬼無桃太郎による集落の焼き討ち、住民のうどん怪物化。キヨはまさに被害者の一人だ。弟子をとるにあたり、もちろん家族について尋ねたが承知の上であるという。あくまで自己申告だ。最初は断ろうと思ったものの「弟子にしてくれるまで動かない」頑なさに折れてしまった。

(ご家族とは未だコンタクトがとれていない)

 師弟関係を了承した途端にキヨはたちまち姿を消す。翌、開店準備をしていると再び現れて『鹿目』の一員として働き始める。終業後は毎日ちゃんと何処かへ帰っているので、レジスタンスが用意した仮設住居で家族と暮らしているのだろう……近いうち挨拶に行かねばなるまい。たとえ来てほしくない事情があるのだとしても。

「師匠! あとかたづけ終わりましたあ!」

 午後三時。暖簾を外して店内清掃を済ませたキヨが、背筋をピンと伸ばして敬礼する。その手には相変わらずミトンが嵌められており、外したところを見たことがない。

 ニコルもキヨに並んで立ち「たあ!」と倣う。さっきまで外でアリんこと遊んでいた事実、カナメは目を瞑ってやり両名とも労う。

「――売上の確認、大丈夫やよ」

 会計担当のハルナが手を挙げ。

「よし、俺も釜の掃除が終わったところだ」

 明日の仕込みはあるが、ちょっと休憩にしよう。カナメの提案に「まだいけます!」と、キヨがミトンの手でファイティングポーズ。この流れ、実は昨日もやった。

「再三言ってるが休憩も仕事のうちだ。仕事のうち……いや、労働時間ではない……とにかく休み!」

 パンパンと柏手を打ち、いったんお開き。休憩時間に入るとニコルはアリんこ遊びを再開し、キヨはというと休憩をもてあまし所在なさげに、とぼとぼ海に面した堤防へ向かう。褪せたコンクリートのそれに上り、瞑想でもしているのか地蔵と化す。

「キヨちゃんは、レジスタンスに入ったばかりのウチに似てる」

 カナメの隣で屈んだハルナが、堤防にぽつんと佇む背中へと目を細める。

「居場所がほしくて、無理をして。ハマダが止めてくれんかったら壊れとった」

「……やっぱりアイツ、家出少女なのかもな」

 家族のところに毎日帰ってるフリして、どこかで野宿している可能性もある。調べる必要があるな。

「家出少女……家出少女かあ」

「どうしたハルナ」

「んーん、なんでもない」

 それより、とハルナが語気を強める。

「キヨちゃんの身元調査より先に――例の件、調べがついたよ」

「! マジか。はええな」

「うん。ハマダの遣いから連絡があって」

 例の件とは、ここ数年間に県内で発生した失踪あるいは死亡者のうち、幼い少女に限定してリストアップするというもの。さすがはガチのレジスタンス組織、諜報活動にも長けている。

「何年か前にね、交通事故で亡くなった〝ことになってる〟親子がいて、子供の名前が――」

「そうか」

 アリと戯れているニコルを一瞥し、カナメは瞼を伏せる。手繰った先に哀しい記憶があるなら、思い出さないほうが良いのかもしれない。けれど幸せな記憶もいっしょにあるのなら。

「場所はどのへんだ?」

「東かがわ」

「そっちか……ちょうどいいかもしれないな」

 実は、水面下で東かがわのレジスタンスとの交流を模索していた。旅をするなら、目的はいくつもあるほうがアド(バンテージ)だ。

「第二番勝負より前に、あちらのレジスタンスと同盟を結びたい」

「わかった。使者を送るね」

「締結の折は、こちらから出向くよう伝えてくれ。俺とハルナだけで行こう」

「カナメはやさしいね。そういうとこだぞ?」

 ハルナがにへらっと笑い、カナメの鼻先を突っついてくる。

「どういう印象の言い回しだよ」

「女たらし」

「色眼鏡で見すぎだろ」

 同盟の件は迅速に、ニコルの件は慎重に。判断を間違えれば後者は取り返しがつかない。最大幸福へ舵取りできるなら、女たらしだろーが、どんな汚名でも被ってやんよ。

(アイツにとって、俺は、家族みたいなものだからな)

 カナメにとってのニコルもまた然り。さすがに齢二桁へ乗るか乗らないかの幼女に欲情する鹿目潤ではないのだ。いくら目がクリッとしてて頬はもちっとしてて爬虫類的なキュートさと哺乳類的なキュートさを兼ね備えているからといって邪な感情を抱くはずが――。

「む」

 気づけば目の前ニコルの顔がある。翼でパタついて同じ目線まで浮遊している。

「ゆうびんやさん、きたよ」

 お手てが土に塗れているからか、ギザっ歯で手紙を咥えている。

 ありがたい配慮だね。おかげで涎塗れだよ。涙がちょちょぎれちゃうね。

 しっとり湿って歯型付きの手紙を受け取り、確認する。

「……伝説のお侍からだ」

 筆字で綴られて読みにくいが、何とか署名は「桃太郎」と解読できた。肝心の内容はというと、第二番勝負について触れられている。ざっくり読み解けば、記されているのは以下のとおり。対決の場所について宇多津のゴールドタワーを指定する。また、審査においてはうどんの他に一品を付けるべし。

 一方的な要求だが、果たし状を叩きつけたのはこちら側、受けたのはあちら側だ。譲歩できる部分は譲歩しておかなければ心象が悪い。この三番勝負は、県の内外から注目されている。ダイザンも情報統制を敷かず、むしろ積極的に広報している。

(それにしても、鬼無桃太郎、アレが第二番勝負の相手か)

 香川県庁で会った際は狂人としか思えなかった。直近の所業を考えても、そうだ。

 手紙の文面から知性を感じはするが、本人が書いたものであるのかどうか。

 果たして、まともにうどん勝負ができるのか。

(万一、万十、いや万百に備えて……同盟締結を急がなければ)

「師匠。条件を呑むんですか?」

 郵便屋の気配に誘われたか、キヨが傍まで来て、手紙を覗き込んでいる。

 残念ながら休憩時間は終いだな。

「呑む。呑むしかあるまい。呑んだ上で対策する」

「ゴールドタワーのくだりはともかく、問題は一品料理やね」

 ハルナの言葉にカナメは鷹揚に頷く。

「うどんの添え物という認識ならば、金時豆の天ぷらなんかイカスと思うが――」

「何の意味もなく『追加で一品』なんて言うわけないんよ」

「大正解だな。泣けてくる」

 おそらく彼奴らの『追加で一品』は、うどん勝負を根底から覆しかねない暴挙となる。あんこう鍋が出てきてもおかしくない。ならば相応の品でこちらも迎え撃つ。

「対抗するなら、みりんをカラメル代わりにした自家製プリンとか」

 うーん、少し弱いか?

「まぐろ!」

 ニコルが元気よく挙手する。

「そりゃ強い。ご期待ください。カッコ不採用カッコとじ」

「瀬戸内だったら、ハマチのほうが美味しいかもしれませんね」

 ニコル案からキヨがまさかのボレー。そこにカナメは勝機を見出す。

「瀬戸内だったら、か……」

「なーんか、つかんだみたいやねえ」

「ふふ」

 ハルナにピースサインで返し、そのままピースをキヨにも贈る。

「偉大なる弟子一号のおかげだ。ありがとうな」

「あっ、そんな、大したことでは!」

 なぜか過剰にキョドりだしたキヨは、咳払いを一つ、「うどんのほうは如何なさいますか!」と話題を変えてくる。

「無論、うどんに関しても手を抜かない」

 第二番勝負は〝釜揚げ〟でいくつもりだ。いつもよりASW多めでコシを強めにした上で、釜揚げの本来麺がとろとろ状態のとき最大スペックになるようピーキーな調整をする。

 というカナメの説明にキヨが「?」を乱舞させている。ニコルも同様だ。同様ではなく何も考えてないだけかもしんない。ただハルナだけが戦慄していた。悪魔的手法だと。

「うどんは、コシが強ければ良いってもんじゃあない。コシも行き過ぎれば、武蔵野うどんのレベルすら超えて――不快に転じる」

 そいつを冷水で締めない〝釜揚げ〟で調整してやれば、黄金時間が生まれる。釜から揚げたての状態でのみ最強へと至る手法だ。代償は〝釜揚げ〟以外ではコシがオーバーして不快へ半歩踏み込んでしまう点。リスクなしに美味いうどんは作れない。

「師匠は、どこでそれを習ったんですか」

「それ! ウチも知りたい!」

 食い気味のふたりにカナメは仰け反りつつ返答する。

「ルーツをたどれば、根っこにあるのは琴平町のうどん学校だな。香川っ子は皆、小学生から中学生の間に、課外授業の一環で足を運び〝免許皆伝〟する」

 それから、とカナメは一瞬口よどみ。

「うどん屋に憧れて修行していた時期がある。ちょっとだけな」

「そっか……それがカナメのルーツなんやね」

「うどん学校、ですか。聞いたことがありません」

 首を傾げるキヨに一抹の淋しさをカナメは覚える。

「君が生まれるより昔の話だ」

 讃岐暦八〇三年、うどん文化の土台は失われている。

 ならば、新たな弘法大師となって伝承しなければ。うどん学校で学ぶ基礎はもちろん、今は無き名店の味を再現しうるのは、タイムトラベラー・鹿目潤において他にない。

「昔の話にばかりしておけないな」

 カナメは、ミトンを嵌めたキヨの手を握る。空いたもう一方でニコルの手も。

「うどんの未来を担うお前たちに、うどん学校を開校する!」

 リンゴーン。とイメージの鐘が鳴り、鹿目うどん学校の授業が始まる。

「うどんは小麦粉と塩と水でできている。まず生地づくりだ」

 ボウルに入れた三種の原料を、キヨとニコルの前に置いた――ところでカナメは尋ねる。

「キヨは、そのミトンを外せるか?」

 もう覚悟ができていたのだろう、逡巡することなく「はいっ」と答えてキヨは求めに応じる。露わになった彼女の両手は、火傷の後遺症を想わせる様相で、ところどころ皮膚が引き攣った状態でくっついている。「桃太郎のせいで……」表情を曇らせ呟いたハルナに、キヨは首を横に振る。

「古い傷です。皆さんになら、見られても大丈夫です!」

 いい人だって、もう分かっていますから。照れくさそうにキヨが笑う。

「からかわれることも多いですけど、これは、勲章なんです」

 むかし、家が火事になって……。キヨが事情を打ち明ける。犯人不明の放火があったこと。燃える梁が落ちて下敷きになった姉を、文字どおり火事場の馬鹿力で救い出したこと。想像を絶する背景だったが、キヨの表情に翳りない。

「うどんをこねるには問題ありません!」

「よく言った。さすが我が弟子ぞ」

 キヨとニコルに手洗いをさせてから、いよいよ実践へ。

 ボウルの中で赤子をあやすように原料を混ぜた後、手前から押し出すように何度もこねていく。団子になったらナイロンパウチに入れてゴザの上へ。パウチ越しに足で踏んでコシをつくり出していく。

「BPM高めの唄を口ずさんで踏むのがポイントだ」

「じゃ、うどんのうた!」

 ニコル案は素晴らしいがBPM理解してないな、ヨシ!

「テンポ上げていくぞ……うどんの唄……しっかり付いてこい!」

 うどんはいいな。うどんは美味い。早回しで某サユリちゃんの口上をハルナが入れつつ、唄に乗せてうどんのタネを踏む。西暦にはうどんLIVEなんてのもあったなあ。ライブハウスで客がバンドの演奏を聴きながら踏み工程をやるのだ。ネット記事に取り上げられたことがある。

「一人前の量なら、踏みはそのくらいで良いだろう」

 カナメはうどん職人の神器・麺棒を弟子たちに授ける。

「タネをしばらくお腹にあてて温めたら、本格的にこねる!」

 パウチから取り出して台に乗せ、コーンスターチを塗したら、麺棒を使って「前へ、前へ」と伸ばしていく。裏返してまた伸ばし、麺棒に巻き付けてさらに伸ばし。

「厚さ三ミリまで伸ばせたら、手の甲の上で屏風のように重ねる」

「できました!」

 キヨが先に重ね終え、敬礼っ。

「ようし、ニコルのほうはどうだ?」

「ハルナがてつだってくれた!」

「まあ良いだろう! 切り工程に移るぞ!」

 バネ式で、ある程度等間隔に包丁を下ろせる装置もあるが、今回は完全手作業でいく。

「五ミリ間隔でリズムよくだ。手を止めるんじゃあないぞ」

「また、うどんの唄ですか!」

 キヨの問いにカナメは「良い質問だ」と返し、自身がうどん学校で習ったとおりの解を答える。

「ここは『すき・すき・だいすき!』のリズムを繰り返す!」

 思ったとおり、ハルナから怪訝な眼差しが向けられた。

「ロリコンちゃうわ……仮にロリコンだとしてもロリコンという名の紳士だわ」

「まだウチなんも言うてないよ」

 うどん学校の方法であることを懇切丁寧に説明し、事なきを得る。

「切り終わったら、重なった生地の上側を、置いた麺棒を跨ぐように広げていく」

「あっ……なんだか、どうなるか分かる気がします!」

 キヨが興奮気味に声を上げ、カナメは頷く。

「麺棒を持ち上げれば、うどんが暖簾のように持ち上がるってわけだ」

「いらっしゃーい! たいしょー、やってるかあ!」

「ニコルに一億萬ポイント」

 やるよね~。かつて俺もやったわ。

「最後、茹で工程いくぞ!」

 もう釜は掃除して休ませている。それぞれコンロと鍋を用意した。

 沸騰するまで湯を沸かし、先ほど切った麺を投入する。

「うどんが底につかないようヘラで混ぜ、五分待つ。硬さを確認して具合よしと判断したなら、うん、釜ではないが〝釜揚げ〟うどんの完成だ」

 ――かくして。鹿目うどん学校の生徒たちは、自らの手でうどんを作り上げることに成功した。どんぶりへ揚げたてのうどんを、いりこベースの、やや濃い口の出汁醤油に浸けて召し上がれ。

「お、美味しい……美味しいです!」

「やみー」

「よし、試作した配合も成功したようだな」

 小麦粉については事前にカナメが混ぜて準備していた。

「さっき言うとった、釜揚げ特化のピーキーな調整やね」

「ああ。だが何より、ニコルとキヨが正しい手順でうどんを作ったからだ」

 指示を飛ばしながら準備していた〝巻物〟をカナメはふたりに手渡す。

「鹿目うどん学校の卒業証書。教えたのは基礎の部分だが、例に倣って免許皆伝とする」

 わあ、とキヨが目を輝かせる。

「卒業証書、もらったの初めてです!」

「そうなのか?」

「ええっと、その、手を見られるのが恥ずかしくて……」

 そうか。卒業証書を受け取るときにミトンは無理だ。いつ頃に火傷を負ったのかは知らないが、おそらく小学校の卒業式は辞退したのだろう。

「わりぃ。配慮不足だった」

「気にしないでください! 本当に、うれしいんです!」

 一生宝物にします。キヨは何度も頭を下げる。巻物の軸になっているのが麺棒であることを教えてやると、びっくりして、また感動している様子だった。

 ニコルはというと、巻物そのものが気に入ったようで広げたり巻いたりしている。そいつには教えた基礎の技がみっちり書いてあるんだぞ。遊ぶより読んでほしい親心。

「カナメ先生、お疲れ様♪」

 ハルナがぺんっと肩を叩いてくる。

「茶化すなよ」

「茶化してないよ。カナメは先生に向いてると思う」

「……さよか」

 リンゴーン。またイメージの鐘が鳴り、鹿目うどん学校は終業となった。


  ★


「留守を任されるのも慣れてきましたね」

 とある日の開店前。皮肉っぽくなく言って前垂れを締めたのは、レジスタンス《麺通団》のサブリーダー・ハマダである。

「毎度毎度、申し訳ありません……」

「カナメさんが気にされることはない。私は誇らしいのです」

 ロン毛をまとめサッパリした顔立ちで、得意げにハマダは胸を張る。

「これでも《麺通団》の端くれですから。うどん文化の前線基地にして灯台たる『鹿目』の看板を預かれる、名誉なことですよ」

「端くれとかゆーとるけど、以前はハマダがリーダーだったんよ」

 ハルナがカナメに耳打ちする。わりとハマダにも聞こえるくらいの声量で。

「いやいや。私なぞ、文献を頼りに我流でやってきた野武士ですので」

 おふたりには及びません。とハマダは肩を竦める。

「カナメさんの実力もさることながら、リーダーの手腕も確かです。師が良かったのでしょう」

 組織のツートップとして、東かがわのレジスタンス《サヌカイ党》との同盟締結、よろしくお願いいたします。一度も言葉を詰まらせずに述べ、ハマダは一流サラリーマンのようにお辞儀をキメる。元々エリート街道にいた人なのかもしれない。

「ふふん、任せとき!」

「同盟は必ず成し遂げます」

 キヨとニコルも、ハマダの指示で店をよろしく頼むぞ。話を振ると、いつもの敬礼で「了解です!」とキヨが応える。対してニコルはあからさまな不満顔。

「えー、ヤダ。ハマダあんますきくない」

「えー、ヤダ。ハマダあんますきくない、じゃな~~い」

 ほっぺむにむにの刑に処しつつ、ちらりと隣のキヨを一瞥する。相変わらずの勤労少女ぶりだが、未だ身辺調査はできていない。レジスタンスの諜報員に依頼したが、どうしても途中で撒かれてしまうらしい。同盟締結の件が終わったら、俺自身がスニークしよう――カナメは刑の執行を続けながら考える。上手くいけば、そのまま親御さんへの挨拶に雪崩れ込めるしな。

「かなめ、ほっぺいたい」

「抓ったままだったな。わるいわるい」

「ひぃはくよ」

「勘弁してください」

 ニコルが牙の合間から炎を漏らし、カナメは白目を剥く。

「カナメさん……ちょっといいですか」

 ハマダに神妙な面持ちで声をかけられ、ようやくニコルを解放する。と同時に、本当に火を吐いてきたがスウェーで躱した。危なかったぜ。

「東かがわのレジスタンス《サヌカイ党》党首の男ですが、なるべく持ち上げてやってください」

「はあ、持ち上げる」

 ヨイショしろってか。

「プライドの高い男なのです。かつては私と同じ商社に……いえ、昔の話です」

 なんとなくイメージ像ができていく。スネオヘアーで嘴みたいに口が尖っていて。

それは《サヌカイ党》との待ち合わせ場所である、山深い峠の茶屋にて的中する。

「あッはあ~ん、お揃いでぇ」

 グレイテストなショーマンのごとく大仰に腕を広げ、男はやって来た。ゴリラみたいに屈強なメンズを引き連れて。どいつも陰陽師を想起させるフィギュアスケーターのような衣を着て、デザイン面で《麺通団》とは全く異なる。――というか真ん中のヤツまじでスネオヘアーだな。まさか現実に存在するとは。事前のイメージにインテリっぽい眼鏡を足したら完成だよ。

「おっと何も申さないで。お噂はかねがね」

 眼鏡のブリッジを押し上げ、男は続ける。

「あなたがカナメ殿ですね。あのダイザンを相手どり、勝ち星を上げている英雄」

 なんか俺のほうがヨイショされてるんだが。いいのかコレ。

「そして、あなたが《麺通団》現リーダー」

 品定めするようにハルナへ顔を近づけた後、すっと身を引いて男は自己紹介する。

「私はキクチ。レジスタンス《サヌカイ党》の党首。ラジオDJもしております」

 キクチと名乗る男は、執事よろしく恭しくお辞儀をする。ラジオDJ……そういえばカーラジオで聴いた番組の、パーソナリティの声に似ている。気がする。

「お二方には、こちらの駕籠で移動していただく」

 上に棒が通された、古風な木製の駕籠が二つ、阿形・吽形と似た大男らにより置かれる。

「同盟が前提とはいえ、我々の使う山道を知られるわけには参りませんので」

(な~んか、カンジの悪い男やね)

(シッ、聞こえるぞ)

 囁くハルナの背中を押して駕籠に入れ、

「それで構いません。送迎に感謝します」

 カナメは、もう一方の駕籠に乗り込もうとした――ところでキクチに肩をつかまれる。

「おやおや何か勘違いしておられる。そちらは〝私の〟ですよ」

「は……?」

 金剛力士な従者に身柄を引き渡され、あえなくカナメは、ハルナと同じ駕籠へ放り込まれる。一畳ほどしかないスペース、当然おもちゃ箱に入れられた人形みたいにもみくちゃだ。

 訂正しよう。このキクチという男、完全に俺たちをナメている。

「ご、ごめんね」

 ハルナに謝罪の先手を打たれた。くりっと大きな瞳が至近距離にあって。

「うどん屋で寝泊まりしてると大体こんな感じだろ」

「こんまいゆーても、これほどやないよ」

 確かにね。間にニコルを入れる余裕くらいある。分かっているとも……大体いつもどおり、ってことにしたかったの!

 カナメたちの都合などどこ吹く風、ほどなく駕籠が持ち上がり移動を始める。

『――そうそう、到着するまで決して外は覗かぬよう。お願いしますよ』

 併走する駕籠に乗っているのだろう、いけすかないキクチの声が聞こえてくる。素直に従っておくが吉だ。すでにあちらの領地、こちらは護衛なし。険悪ムードは避けたい。のだが、しかし。

「……」「……」

 ハルナとは微妙なムードになってしまった。ならいでか。ラブワゴンでもこんなあからさまなシチュないわ。BPOに抗議するぞ。などと、よしなしごとを考えて気を逸らそうとするカナメであったが、状況がそれを許さない。

 ジ○リに登場するジバシリみたく担ぎ手が跳んでいるのか、ぐわんと駕籠が揺れ、ハルナの身体がカナメのほうへ倒れ込んでくる。その胸は平坦であった。

だからといって平静でいられるかといえば、まったく別問題である。

「……胸、こんまい思っとるやろ」

「地獄みたいな質問すんなよ」

 密着した状態から、ハルナの鼓動が早鐘のように打つのが伝わってくる。緊張から五感が鋭くなり、体温の上昇や、息遣いまではっきり知覚する。

「今なら、誰も見てないね」

 なんとか上半身を起こしたハルナから、熱っぽい眼差しを向けられる。――が、また駕籠が揺れてカナメは再び胸プレスされる。なるほど。過酷すぎるアトラクションにおいてはムードが続かない、これトリビアになりますかね。

「ヴッ……吐きそう。誰も見てないし、ええかな……」

「待ってハルナさん、待って。オレオレ。俺がいるから」

「今ン体勢だったら見えん」

 でも饐えた臭いが充満するから。閉鎖空間に。

「背中さすってやるから我慢しな我慢っ。よーしよし」

 すっかり介護にすり替わり、そんな調子で到着まで耐えた。スリリングである。何度かピンチが訪れたが、ハルナは寸でのところで呑み込み、灼けつく喉に呻きを漏らし。

(なんか結婚三年目の気分だよ、もう)

 吐きそうホールドされること体感時間にして一時間ほど、駕籠が地面に置かれた気配あり。戸が開けられて陽光が射し込んでくる。

「おやおや、駕籠の中で盛っていたのですか」

「そういう風に見えるか」

 スネオヘアーを睨みつけると、キクチは察した様子で肩を竦める。仕草がハマダと似てるぞ。

 体調最悪のハルナを支えながら、カナメは駕籠の外へ出る。そこは墓場であった。墓石が並び立ち、卒塔婆が刺さっている、どこからどう見ても一〇〇〇%墓場である。

「お前ら……もしかしてふざけてるだろ」

 ハマダからのアドバイスを忘れ、棘のある言葉がカナメの口を衝く。

「ハンッ、ふざけてなど。KEIZOに貧者のごとく頼まれたゆえ、連れて来てやったのだ!」

 感謝したまえよ。キクチは憎らしげに吐き捨てる。口調から丁寧さが消えた。

「KEIZO……?」

「ハマダのファーストネーム」

 弱弱しい声でハルナが補足してくれる。あーね。

「ここには『富士田ニコル』とその両親の眠る墓がある」

「――!」

 ニコルのルーツを探る。今回の東かがわ訪問における、もう一つの目的だ。ハマダが根回しをしてくれていたのか。さすが元リーダー張ってただけのことはある。

「富士田家は、希少サヌカイトの発見者、ニオの末裔という噂もあったが……血脈の途絶えた今となっては分からぬ話よ」

 あからさまにキクチが蔑視をかます。

「そもそも我ら《サヌカイ党》にとって、誰が発見しただのというのは瑣末事に過ぎん。肝要なのは、今、誰が持っているかだ!」

 少々熱くなりすぎたな。キクチは眼鏡のテンプルを指先でくいと上げ、クールダウンする。

「同盟締結は、明日、我らの本拠において行う。迎えをやるから好きに行動したまえ」

 せいぜい東かがわに金を落としていってくれよ。キクチは言い残して巨漢の部下と共に去る。宿の用意もしてくれてないのか、コノヤロウ。

 こっちは二人で赴いてンだ。ホストとして役目を果たせよ!

 カナメは心中で毒づきつつ、ハルナの回復を待ち、墓探しを始める。ニコルのファミリーネームと思しき「富士田」が刻まれた御影石は、すぐに見つかった。他の墓と比べて質素なつくり――供えられた花は枯れ果てており、よく見れば墓石そのものも長らく手入れされていないと判る。

「富士田家のお墓、他にはないみたい」

「そうか……」

 放置具合から見て、いくら墓前で待っていても縁者には会えないだろう。ウチの諜報部門からも「見アタラズ」と事前に報告を受けている。そういう身の上だからこそ、ニコルは、ダイザンに目をつけられたのだろうか。

「縁者でなくとも、そこで生きていた以上、知る者はいる」

 近くにニコルの通っていた幼稚園があるはずだ。富士田一家について話を聞けるかもしれない。

「……と、その前に」

 カナメは一息つき、ハルナへ目線を遣る。

「お墓の掃除を、俺たちでしておこう。いちおう縁者……いや、家族だからな」

「カナメってば、そういうとこだぞ」

「んだよ」

 またかよ、女たらしじゃねーぞ。

「当たり前のことを、当たり前に気づいて、当たり前にできる」

 それって実はすごいことだよ。信仰めいた微笑をハルナが浮かべる。

「末法の世ではフツウも尊い、か」

 西暦でも二十世紀からすでに末法であった気もするが。

「今は戦時下で心が荒んでるとか」

「香川の多くの人は、戦時とは思っとらんかもね」

 でも心は荒んどる。ハルナが哀しげに続ける。

「支配されるんに慣れてしもて、レジスタンス以外の人は、まだ日常に生きとる感覚やと思う」

 ほんだきんウチらが声を上げなくちゃ。ハルナの前向きなガッツポにカナメは頷く。レジスタンスの代表として、今回の同盟は必ず成立させなくては。組織が大きくなれば存在感も増す。声が通る。

 ともあれ明日まで自由時間である。墓の掃除を終えたふたりは、ニコルの通っていた園を探す。富士田家の墓がある霊園は小さな丘の上にあり、ぐるりと見渡せば、幼稚園を見つけることができた。

 さっそく訪ねてみると、園長らしきエプロン姿の老婦人に「あら!」と目を丸くして迎えられる。

「ひさしぶりねえ! あなた、確か……誰の親御さんだったかしら」

 首を傾げる園長(仮)にカナメは戸惑う。人違いされてるなこりゃ。

「俺たちは園児の親ではありません。わけあって西讃から来ました」

「まあまあ、西側から! どうぞこちらへ」

 応接室はありませんけど、と苦笑で招かれる。園長(仮)曰く、園児たちは自宅待機させているらしく、どうしても預かりが必要な数人しか今はいないのだそう。その数人を道すがらで引き連れて、一行は職員室へと至る。園長(もう当確でいいだろう)はパタパタ忙しなくお茶を淹れて、カナメとハルナをもてなしてくれる。

「やっぱり、このあいだの焼き討ち事件が」

 ハルナが漏らした問いに、園長は表情を曇らせて「ええ」と瞼を伏せる。

「物騒な世の中ですから」

 どこまで真実が伝わっているか知らないが、焼き討ちを行ったのは体制側で、そして彼女は公務員だ。微妙な立ち位置にあるのだろうと想像がつく。

「それで、ご用向きのほうは?」

 カナメ&ハルナは居住まいを正し、伏せるべき情報は伏せた上で、縁者としてニコルのことを調べていると告げる。

「ニコルちゃんの話が聞きたい? ――ああ、富士田ニコルちゃんね!」 

 名前が珍しいし、迎えにいらっしゃるお母様がフィリピンの方だったから、よく覚えているわ。園長の表情に明るさが差したものの、すぐに沈痛な面持ちへ変わる。

「五年くらい前かしら、哀しい事故だったわね……」

「実は、俺たちニコルという名前の女の子を預かっていて、彼女は記憶を失っているんです」

「まあ! 生きていたのね!」

「それを確かめに」

 写真は残っていませんか? ハルナが尋ねると、園長は棚から分厚いアルバムを抜き、低いテーブルの上で広げる。付いてきた園児らも覗き込む中、写真を確認していく。

「これは入園式の、それから、まんのう公園にピクニックに行った時の写真もあるわ」

 写っていたのは、牙も翼も尻尾もないが、紛れもなく五年前のニコルだった。当時五歳くらいだろうか。龍のオプションを除いて現在と姿形が変わっていない。

「間違いありません。ウチの子は、富士田ニコル、彼女です」

 カナメの答えに園長が涙を浮かべる。預かりの子がハンカチでその涙を拭く。

「ごめんなさいね。よかったわ……あんな凄惨な事故だったから」

 自動車の事故そのものは、実際にあったことであるようだ。事故が仕組まれていなければの話だが。それで今のニコルがドラゴン少女になっているとは、ちょっと言い出せないな。

「そうよ、あなた、やっぱり見たことがあるわ。ニコルちゃんのお父様じゃない?」

「えっ……?」

「一度、お母様の代わりに迎えにいらしたことがあったのよ!」

「あーその、俺は違います」

 記憶喪失でもないですし。カナメが否定すると、園長はまだモヤモヤした様子で。

「あら、そうなの? 他人の空似かしら……ごめんなさいね」

 悪い気はしなかった。ニコルの父親に似ているというのは。でも人の親か……俺がな……。苦い笑いがカナメに浮かぶ。

「最後に大事なことを訊きます。ニコルは幸せそうでしたか?」

「ええ、ええ、愛されていたわ。ニコルちゃんはご両親のことが大好きで、いつも私に話してくれた」

 決して強要された演技ではなかったと園長は語る。

「それだけ聞ければ十分です。どうも、ありがとうございました」

 ホッと安堵して席を立つ。来た甲斐があった。ニコル自身を連れて来なかったのは、虐待などの過去があることを恐れたからだが、杞憂だった。次はいっしょに来よう。墓参りもしよう。

 園長と園児たちに見送られ、カナメとハルナは幼稚園を後にする。

「――ふふ」

「なんだよ」

 農道を歩きながらハルナが笑い、カナメはツッコミを入れる。

「カナメはいい人だな~~って」

 スキップを踏んでくるりと回り「でも堅物だから――」と繋ぐ。

「いい人であろうとしてる、とか?」

「べつに、いい人を演じているつもりはないんだ」

 誠実さが振る舞いに宿るとして。前置きをしてからカナメは続ける。

「振る舞いによる証明は一瞬のきらめきだから、ふつうは見落としてしまう」

 それをハルナは観測してくれてる、ありがたいよ。さらりと感謝を伝えたら、ハルナは面映ゆげに視線を泳がせて「そう」と。呟いたきり不自然に黙り込んでしまう。気まずい。

「あ、あのさ!」

 口火を切ったハルナが提案したのは「今日はホテルの部屋は別にしよう」というものだった。いつもいっしょのうどん屋で寝起きしているわけで、意識されているのが分かるとカナメも面映ゆい。

 悶々としたまま近場のうどん屋(鶴亀製麺)でメシを済ませ、近場の旅籠にチェックインし、その日の活動を終える。終えたかに思われたが。

 ――コンコン。シャワーを浴び終わり、湯上りにタオルで髪をわしわし拭いていると、隣の部屋から壁がノックされた。薄いにもほどがある。

「やばいなこの壁。ベニヤ板かよってレベルだ」

『声も全然通っちゃうもんね』

 ノックに続いてハルナの声が聞こえてくる。宿代が安かったわけだ。

『寝る前にちょっとおしゃべりしようよ』

「壁に背中合わせでか? エモいな」

『雰囲気壊さんといてよお』

「雰囲気より現物が壊れそうだがな。ドリフみたいに」

『ドリフ……?』

「いや、分からないならいい」

 讃岐暦八〇三年、西暦のエンタメが通じないのも仕方ない。つーか、漂流者という意味なら、俺自身もうドリフなわけで皮肉が効いてるな。

『勝手に納得して笑うん禁止!』

「わーるい、何でも話してくれ」

『……たとえば、たとえばの話だよ?』

 入念なイフを置いてハルナが言葉を継ぐ。

『ウチが悪者だったとして』

「なんだその前提はよ」

 もう続きなんざ言わせねえ。カナメはまくし立てる。

「かつて県庁勤めだったとか、どんな過去があっても、他の誰がヴィランだと言っても、俺が見てきた本多榛名はヒーローだ。まあ確かに悪ノリもたまにはあるが……ってオイ凹むなよ」

 とにかく。気恥ずかしさを振り払い、カナメは結論を口にする。

「ハルナを悪者にする全てから俺が守る。全力で」

『……それって、家族として?』

「もちろん、そうだが、最大の意味でとらえてくれ」

『へらこい。言葉にしてよ』

「分かったよ……もう俺は〝エリちゃん〟より、はるかに、お前が好きになってるよ」

 観念して伝えると、ハルナは上機嫌になって壁越しのピロートークを締め括る。

『ふふっ、カナメに捨てられてエリちゃんかわいそう、なんてね♪』

 おやすみ! 就寝を告げる呪文の後、隣の部屋からは音が聞こえてこなかった。意識的にそうしているのだろう。カナメも同じ呪文で応え、なんとか時間をかけて眠りへ落ちていく。幼い時分に修学旅行で感じた、もとい、感じたかった青さがあった。

 翌朝、質素な朝食を済ませたふたりに《サヌカイ党》から迎えが来る。またしても駕籠。ただし、今度は一人ひとつ用意されている。当日はあくまで慇懃にといった具合か。経路を内緒にして連れて行かれた先は、研究所のような施設の中である。天井には剥き出しのパイプが張り巡らされており、それ以外に形容する言葉が見つからない。

「ようこそ! 我らが《サヌカイ党》本部へ!」

 揚々と現れたのは党首のキクチだ。調印式が行われる部屋へと案内される道中、キクチはぺらぺらと党の成り立ちについて語る。

「党名の《サヌカイ党》は、ご存知のとおり讃岐で採れる石、サヌカイトに由来する」

 サヌカイトは、そう、五色台あたりでめっちゃ採れるやつだ。大昔には石器として使われており叩くと綺麗な音がする。

「かといって、我らが求めるのは普通のサヌカイトではない。希少サヌカイト――通称・賢者の石だ。ダイザンは女木島と男木島でしか採れないそれを独占している。許せぬ者たちが集まり結党した」

 NUCの連中が言ってたやつだな。香大(香川大学)で発見された希少糖みたいな響きだ~、なんて当たり障りのない感想を述べると、希少サヌカイトの素晴らしさ講座が始まる。

「希少サヌカイトは、半永久の固形燃料として使えるほか、人知を超えた奇奇怪怪パワーを有している。分かっているだけでも、名作アニメ映画に出てくるような浮遊するパワー、有機物に作用して形質を変化させるパワー……まさに賢者の石と呼ぶにふさわしい!」

 興奮が最高潮に達したところで、キクチは咳払いを挟みトーンを落とす。

「貴殿ら《麺通団》は、うどんの多様性を訴えて現体制と対立している。結党の理念こそ違うが、打倒ダイザンという点では一致する。共闘は望ましい」

「単純な疑問なんだが、どうしてこれまで、同盟の話が出てこなかった?」

 カナメが問うと、キクチはぴたりと足を止めて表情を無にする。

当然麺通団のリーダーがKEIZOであったからだ。俺はKEIZOとは組まない」

 なんとも、くだらない理由だ。くだらない理由だが、そういうので戦争が始まったり決したりすることをカナメは知っている。クソだ。

「新たなリーダー、本多榛名といったか?」

「ウチが何か?」

 蛇のごとく睨むキクチの眼光を、ハルナは負けじと真正面から受け止める。

「私はKEIZOが大嫌いだが、一方でKEIZOを認めてもいた。あいつが易々とリーダーの座を譲るとは思えない……」

 何者だ? 敵意全開でキクチが問う。

 カナメはすぐさま割って入り、キクチを睨み返した。昨日約束したばかりだ。ハルナを悪者にする全てから守ると。

 キクチは興が醒めたという様子で覇気を解き、黙って歩みを再開する。

 しばらくアジトの奥へと進み、通されたのは作戦室という雰囲気の部屋である。天井からは鮮やな赤いタペストリーが下がり、式典にふさわしいカラーも加えられている。陰陽師めいた党服を纏う《サヌカイ党》の連中とはミスマッチ感ありありだが言及はやめておく。

「さて、同盟締結はサイン一つで済むが……生中継で発信しなくてはな」

 映画の撮影でしかお目にかかれない、いかついカメラを担いだ男が、何人もこちらへレンズを向けている。すでに放送は始まっているようだ。

「貴殿らは《麺通団》のトップでありながら、我らの懐へ飛び込んできた。敬意を評しこれを贈ろう」

 キクチが指を鳴らすと、彼の部下が小さなアタッシュケースを、開いた状態で持って来る。そこにはソシャゲのSSRを想わせる虹色の石片が収められていた。レアリティが低そうな石片もセットで。

「我ら《サヌカイ党》が保有する希少サヌカイトの一つだ。同梱の通常サヌカイトは力の発動に使うが、まあ、使い方は自分たちで見つけてくれ」

 アタッシュケースをカナメに渡させると、作戦テーブルを想わせる楕円の卓にキクチは着く。広げられた革製の巻物――同盟締結の証――に素早くサインをして、ハルナに席を譲る。続いて着席したハルナは、記された約定に不利なものが書かれていないか、入念にチェックをしている様子だ。同盟の内容は事前に取り決めされているが、裏切りがないとは言い切れない。

 しかし、カメラが回っている手前、いつまでも時間をかけていては民の信用を失う。ハルナが万年筆を手に取り、巻物にサインせんとした、その時である。

けたたましく警報がアジトに鳴り響く。

「ええい何事だ!」

「桃太郎の一派を名乗る者が、町の高台を占拠っ! 宣戦布告している模様っ……!」

「映像と音声を繋げ!」

 キクチの指示で、部屋の中央にホログラフィックなモニタが出現する。映し出されたのはゴリラ、ではなく山賊めいた装束の大男である。大男というか、もはや巨人だ。直感だが二メートル半を超えている。三メートルあるかもしれない。

『やあやあやあ、我こそは! 我こそはァ! 我ぇこそはァ~~!』

 音声を拾っているマイクが高性能なのか、地声がデカイのか、その両方か。くわんと脳を揺さぶる下卑た声が部屋に満ちる。

『元・村上水軍にして桃太郎が家来ぃ! エンオウ!』

 エンオウ、おそらく猿王は大きな平石をバーベル上げのように掲げる。

 どっかで聞いた名前だな。

『愚かなる民草よ! 終わりを告げる鐘を聞けい!』

 頭上へ掲げた平石を、エンオウは自身の頭へ打ちすえる。サヌカイトの奏でる音が、高らかに鳴り響き――すぐに異変が生じる。エンオウが見下ろす町のいたるところで、突然に〝地を這ううどん怪物〟が発生したのだ。

「やられた!」

 キクチは額に青筋を浮かべ、血走った眼球を剥き、テーブルに拳を叩きつける。

「あいつら東かがわの水源に……井戸という井戸に、密かに希少サヌカイトを投げ込んだな!」

「どういうことだよ。奇跡の石じゃねーのか」

 カナメが問い、震える声でキクチが答える。

「奇跡の石だとも。サヌカイトの共鳴をもって、有機物を形質変化させるパワーだ」

 そうか。希少サヌカイトこそが〝地を這ううどん怪物〟を生むファクターか。アジト内にうどん怪物が発生していないのは、スピーカーを通してだと共鳴が発生しないからだろう。

「医療分野に転用できる可能性があった……だが、水に溶け出して全身にまわれば!」

 ああなるってわけだな。

「キクチ、さん。俺たちも手伝わせてくれ」

「五月蠅い。同盟締結したその日に、ゲストを、それも相手側のトップを失わせられるか」

 荒々しい語気に、党主としてのプライドが宿る。

「ここは我らで何とかする。それをもって同盟に足る力を示そう」

 貴殿らは疾く帰りたまえ! キクチの屈強な部下たちに拘束され、カナメとハルナは、三度目の駕籠に入れられる。有無を言わせず送還され――かなり安全に回り道をしたのか、峠の茶屋で解放された時、空はオレンジに染まっていた。

「……激動すぎる二日間だ」

「同じことを西讃されたらかなわんね」

「手遅れでなければ、愛媛から水を融通してもらおう」

 うどん屋『鹿目』は県境にあり、新居浜に拠点を持つ外部組織(NUC)と交渉しやすい。体制打倒後に甘い汁を吸うためなら、彼奴らは何でもするハズだ。表向きには決して同盟を結ばないだろうが。

「あれ? そういえば、ハルナ、書類にサインはしたか?」

「実は、まだしてない」

「ああ~~同盟締結できてねぇのか~~」

 持ち帰った小さなアタッシュケースが重く感じ始めたぞ。

「次の機会でやろ。なんだかんだ感触よかったし」

「まあ、な……」

 次の機会があることを祈るが。

「やあ」

 タイミングを見計らったように気さくに挨拶され、カナメは振り返る。茶屋の赤い長椅子には黒髪ポニーテールの少女が腰掛け、三色の櫛団子を食べている。体制側の《偉人兵器》那須与一が。

「警戒しなくていいよ。襲うつもりなら声などかけない」

「……」

「まずは東からの生還おめでとう。さすがは希少生存体」

「なんだそりゃ。人を希少糖みたいに呼ぶんじゃねえ」

「いやなに、忘れてくれ」

 団子を一気に頬張り、与一はもごもごと咀嚼して続ける。

「此度の一件、ダイザンが黙認しているとはいえ……さすがの我も度し難い」

「与一ちゃんは味方になってくれるん?」

 ハルナが口を挟み、与一は団子を喉に詰まらせた様子で咳き込む。

「与一〝ちゃん〟ときたか。ちゃん付けで呼ばれたは初めてだ。悪くない」

 団子を失った櫛をピッとカナメに向けて、与一が続ける。

「仲間にはならないが、君が必要とするときに与力しよう。矢一本分を働きをする」

「矢一本分かよ」

「然り。我にも事情がある。那須与一の矢一本分、ご不満かね」

「まあ、せいぜいアテにさせてもらうよ」

 ないよりマシくらいに期待して、軽く手を振って与一と別れる。与力はともかく敵でないスタンスをとってくれる時点で、実のところかなり大きい。もしかしたら敵をやってる最中に一射だけフレンドリーファイアしてくれるのかもしれないが……その時はその時だ。

 徒歩で山を下り、ハルナと共にやっとこさ『鹿目』まで戻ってくると、すっかり日は落ちている。

「リーダー、カナメさん、長旅お疲れ様でした」

 迎えてくれたハマダに顛末を伝え、すぐさま店内にてトップ級会議となる。

「まさか東讃でそんなことが……」

「同じことが西讃で起こらんよう対策せんと」

「ええ、もちろんです」

 明かりを点けてワイワイやっていたせいか、店の奥から寝惚け眼のニコルが顔を出した。一枚の紙きれを手にしており「ん」とカナメに差し出される。

「これ、きよから、でんごん」

 A5サイズの紙きれには、お世話になりました、とだけ綴られており。

「おうちのつごうで、しばらくおやすみするって」

「そうか。伝言ありがとう」

 家族のことといえばだな。カナメは咳払いしてニコルに切り出す。

「東かがわで、ニコルが忘れている思い出を探してきた」

「いい。ききたくない」

「そう言うと思ったよ」

 いっこだけ聞いてくれ。右手の人差し指を立ててカナメは告げる。

「お前は愛されていた。お父さんからも、お母さんからも」

「……それ、もう、いないってことでしょ」

「ああ。だが、愛されていたことを知ってほしかった」

「かなめ、おとーさんみたいだね」

 ニコルの言葉で、園長の言っていたことを思い出す。

「俺は、お前の父親に似ているらしい」

「じゃあ、おとーさんって呼んでいい?」

 いつもは喜怒哀楽はっきり四つしか表現しないニコルが、上目遣いに、フクザツな感情を浮かべている。嬉しさと哀しさをごちゃまぜにして、一生のお願いと言わんばかりに。断るつもりだったカナメの回答は、数秒後には「いいとも」にすり替わってしまう。

「おとーさん」

「おう」

「おとーさん!」

「ここにいるぞ」

 父を呼ぶニコルに腕を広げて応える。帰宅したサラリーマンがそうするように大文字。

 愛娘は龍の翼を広げ、尻尾で地を打ち、カナメの胸へと飛び込んできた。


  ★


 褪せたコンクリートの壁に、錆びた鉄格子の窓――色のない牢獄へいつものように帰宅したキヨは、足枷を嵌められた最愛の家族と抱擁する。

「おかえり、きーちゃん」

 キヨと瓜二つの彼女は、劣悪な環境にあって蓮のように大輪を咲かせる。

「ただいま、すーちゃん」

 仏に縋る心地でキヨは涙を流す。

 すーちゃんと呼ばれた囚人の少女は、キヨの頭をぽんぽんと撫で「また、お師匠さんの話を聞かせて?」いつものように求めるが、キヨはうなじに埋めた顔を横へと振る。

 不意に、牢の入口から伸びた人影が、抱き合うふたりを冒し――。

「おい犬コロ。最後の報告をしろ」

「はい、マスター」

 キヨは力なく立ち上がった。

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