第3話 バケーション・イン、香川県。

 時は讃岐暦八〇三年(パパン!)

 那須与一は、香川県庁に勤める《偉人兵器》である。

 与一の一日のルーティンは、弓の手入れから始まる。ハンドルとリムに分解された洋弓を拭き、カーボン製の矢も一本一本、矢じりから羽に至るまで状態のチェックをする。就寝前にも同じことをしているが、仕事道具に対して慢心は許されない。一日二回、必ず「ヨイカ・ヨシ」の確認を行う。

 そして、まずは、ゆっくり丁寧に得物を組み立てる。弦を軽く引いた後、分解。

一息つき(パン!)今度はすさまじいスピードで(パパン!)一息に組み立てる。シガーボックスのように空中でハンドルとリムを合体させ、ストリングを使わず体重でたわませた本体に弦を張る。すぐさま矢を番え、構え――要した時間に納得すると、もう一度分解してケースに戻す。

 午前六時過ぎ。朝のルーティンを終えた与一は、洋弓を入れたケースを提げ、外回りへ。出るべく県庁の通路を往く、道半ばであった(パパン!)

エントランスに悠然と佇むサムライが一騎、仰々しく抜刀し、冷たい薄ら笑いを浮かべている。

 その男、桃から生まれた桃太郎――…。

「那須与一とお見受けする」

「……」

「からくり人形ではあるまいに、何とか言い給えよ。挨拶は理性ある者のジョーシキだ」

 おや? 拙者も挨拶をしていなかったか? これは失敬! などと、すらすら軽薄そうな口調で語るあたり狂化が解かれている。

(村上水軍に続き、彼まで野に放つか、ダイザン)

 狂化処置により理性を奪っていたのは、あくまで管理しやすいようにするためだ。徒党を組んで瀬戸内を支配していた海賊に、吉備団子で兵を募り、海賊を叩き潰した英雄……檻を壊されないならバーサーカーにして飼っておいたほうがいい。

 先日の村上水軍然り、理性を与えたということは、利用する時が来たということ。

(しかし、鬼無桃太郎……こいつは)

「理性ある者として、さっそく社交辞令といこう」

 飄々とした態度で中段に刀を構えた桃太郎は、次の瞬間、ノーモーションで突きを繰り出してきた。構えの姿勢から空間をスライド移動してきたかのように間合いを詰め、さらにフェンシングの要領で左手一本の刺突にシフトする。タカの目により辛うじて躱すも、紙一重だった。

 突風のごとく与一の背後へ抜けた桃太郎が、ゆったり残心をとって中段に構え直す。

「鬼殺剣技・戌咬。どうだい挨拶にはピッタリであろう」

「狂犬め」

 いくら剣術や兵法に長けていたとて、知性に欠いてはルーピーに相違ない。

「狂ってなどおらんさ。理性最高、理性万々歳だ」

 流水のように緩やかに、中段から八双へ桃太郎は構えを変える。

「ご挨拶は済んだことだし、ひとさし乙女に舞ってもらおうか」

 刹那――切っ先を身体で隠した状態から、フリッカージャブのごとく銀光が閃く。不規則な軌道で絶え間なく繰り出される斬撃に、さしものタカの目も追いきれず、やむなく洋弓のケースを盾にしのぐ。幸い、斬撃一つひとつに〝戌咬〟ほどの威力はなさそうだ。ケースの中身に刃が通ることはない。

 安堵から来る油断が、タカの目を鈍らせた。低いコースで飛んできた刃先が与一の脚を削ぐ。

「鬼殺剣技・猿廻……我が剣、手前を抉ったように思えたが……肉と骨の手ごたえではない」

 桃太郎は怪訝そうに愛刀を見分し、そのまま視線だけ与一へ投げてくる。

「貴様、何者だ」

「……」

 那須与一は答えない。

「よかろう。然らば、桃のように二つに割って確かめるまで」

 すっかり笑みを消した桃太郎が上段に構えた時、「ぴんぽんぱんぽーん♪」という間の抜けた音と共に、館内アナウンスが流れる。うぐいす嬢でなく、抑揚のない、しわがれた男の声で。

『県庁内での私闘は禁止だ。それから休憩時間でもない。勤務に専念したまえ。以上』

 ブツリと放送が途切れる。久方ぶりにダイザンの人間味が垣間見え、与一は笑みを浮かべる。

「よく笑えるな」

 桃太郎が、二日酔いしたような顔をして続ける。

「ヤツの声を聞くだけで怖気がする。拙者に理性を与えたダイザンが、開口一番に何と言ったと思う」

「さあ、なんて言ったんだい」

「『愚民退治だ、地獄をつくれ』だ。あいつ……あの目……柴刈りの翁に非ず」

「君にもユーモアがあるじゃないか」

「ゆうもあだと。冗談ではない」

 桃太郎は得物を鞘に納め、与一より先にサッサと庁外へ出かけていく。

「何処へ」

 与一が背中に問うと、歩みを止めた《偉人兵器》は仰け反るように振り返り、麻の紐で結わえた小さな革袋を掲げる。

「お供を探しに」

(パパン!)桃太郎伝説が再び始まり、クライマックスへ至ろうかという頃! 西端のうどん屋『鹿目』では、いつもの店員らがようやくの休みを満喫しようとしていた――…。

「それじゃあ、ハマダさん、あとはよろしくお願いします」

 両肩からボストンバッグを提げた荷物持ち、カナメが頭を下げると、ロン毛を結わえ無精ひげを剃ったハマダが「任せてください」と自身の胸を叩く。

「カナメさんとリーダーから、手順はしっかり仕込まれましたから」

「番犬として期待しとるからね」

 麦わら帽子をゴム紐で首に引っ掛けた、余所行きオフショルダーのハルナがウインク一つ。

「また村上水軍が来ても、喉笛を食いちぎってやりますよ」

 得物であるククリナイフで曲芸のように剣舞し、ハマダはさらに磨いた武を見せつける。戦闘力はもちろんのこと、レジスタンス《麺通団》のサブリーダーだけあり調理の手際も良い。うどん生地とかけ出汁は用意してあるので、切りと茹での作業を十分任せられる。

「ニコルもっ! ニコルもおしえたっ!」

 すでに浮き輪を装備した白ワンピのニコルが、ぴょんぴょん跳ねて主張する。

「ごめんごめん、ニコちゃんからも接客を教わったよ」

「れいは、いちおくまんえんでいい」

「いやあ……それは体制打倒まで待ってもらいたいな」

 ハマダは苦笑するが、ニコルは《麺通団》にとって武力の要だ。そのくらいもらっても良いかもしれない、とカナメは思う。いちおくまんえんっていくらだ?

「そんじゃま、お天道様が機嫌を損ねないうちに」

「うん。出発しよか!」

 店先には、すでに四輪駆動のバギーが停めてある。警察が使っていたやつを鹵獲して改造した代物だ。悪路でも軽々踏破するスペックを誇る。

 荷物を放り込み、カナメは無骨なハンドルを握った。助手席にはハルナ。後部シートにはニコルが陣取る。エンジン・イグニッション、いざ発進!

 仁尾町の浜辺へ向かうため、山沿いにぐるっと迂回するコースをとる。山と海が隣り合う、THE瀬戸内の風景だ。風光明媚さ極まれり。西讃ドライブに感じ入っていると、カナメは不意にデジャヴを覚える。――知らないハズの記憶が視界に挿入される。

 同じようにハンドルを握っていて、隣にはハルナでなくフィリピーナっぽい焼けた肌の女。大麻のラバーストラップがぶら下がるバックミラーに映るのは、後部座席の幼女……ニコルに似ている、ような気がする。

「カナメ?」

 ハルナの声でハッと我に返る。

 危ねえ! 命預かってンだぞ、俺は。

「なんか意識とんでた。すまん。気をつける」

 眠気覚ましにラジオでもつけるか。視線はまっすぐ、左手だけでスイッチを探していると、ハルナが代わりにカーラジオをONにしてくれた。途端に流れ出す、予讃線の発車メロディにもなっている歌謡曲。ワンコーラスでフェードアウトしていき、パーソナリティの男性が淡々とした口調で解説する。


――はるか昔の名曲『瀬戸の花嫁』をお送りしました。こちら、東かがわレジスタンス放送局。今週も懲りずに番組をお届けします。


「東讃にも、レジスタンスの拠点があるんだったな」

「ウチらとは別の組織で、それぞれ自然発生したってカンジかな」

 なんでも、ダイザンの手先に拠点を三度潰されたが、場所を変えて即日復活しているらしい。西と東では山脈によって断絶しているフシがあり「らしい」というレベルでしかハルナも知らないらしい。

「かなめぇ、もっとおうた、ききたい」

 後ろからニコルが若者の意見を述べる。素直でよろしい。

「後でいっしょに歌ってやるから、チャンネルキープさせてくれ」

「やくそくだかんね!」


 ――昨日、また東かがわの小さな集落が襲撃を受けました。集落は焼き討ちにされて焼失。犯人は一騎のサムライ、さながらその姿は桃太郎であったとか。世も末ですね。

 桃太郎だろうが何だろうが、我らは最後まで抵抗しますよ。拳で。

 それでは、また来週――


 穏やかじゃないニュースに滅入りながらも、バギーは煌めく海岸線を走り、父母ヶ浜に到着する。詫間の浜と違って観光地化が進んでおり、こちらは老若男女で賑わいを見せている。西暦の時代にも「日本のウユニ塩湖」のキャッチコピーで人気を博していたものだ。

「なつをひとりじめしてくる」

 何やら詩的なセリフを口にして、浮き輪装備済のニコルが真っ先に飛び出した。すでにワンピの下には同じくワンピの水着を着込んでいるはずだが、あの様子じゃ、海に吶喊してガワのほうもびしょ濡れだ。替えの服を持ってきておいてよかった、とカナメは安堵する。

「ニコちゃん、最短で夏のトビラを開けてったねえ」

「俺たちも見習わなくちゃあな」

 バギーを野ざらしの駐車スペースに停め、カナメとハルナも父母ヶ浜へと繰り出す。青い松の林を抜けると、広がるは手入れの行き届いたキレイな砂浜だ。小さな海の家が一軒あり、スピーカーからラジオ音質で懐メロを流している。

(リバイバルで流行ってんのか?)

 い~や、何年経とうとも、古き良き名曲は名曲のままだな。歌謡ショーよ永遠なれ。

「ぼーっと突っ立っとらんと、着替えようよ」

「浸ってたんだよエモーショナルに。それを分かるんだよハルナ」

「おっさん」

「おおおおっさんちゃうわ!」

 海の家が管理する簡易更衣室(簡易トイレを彷彿とさせるぞ)で着替えを済ませ、砂浜に建てられた、ぶどう棚然とした憩いスペースにて再会する。

 本多榛名(サマー)にフォームチェンジした彼女は、美少女力を上げていた。ふわりとリボンのようなセパレート型で、腰にはパレオを巻いて南国みがある。

「どう? 美少女やろ~」などと、ない胸を張ってハルナがのたまう。

 胸はともかく、そういうとこだぞ。そういうところも……そっくりで……。

 また《浦中の人魚》が思い浮かぶも、カナメは頭を振って霧散させる。どれだけ見た目が、性格が似ていても、彼女は眞渕英里可じゃない。本多榛名という別人なのだ。

(別人で、そして、大切な……)

 俺の傍らにいてくれる女だ。

「めんこいな。べっぴんさん」

「褒めるときだけ方言風にするん、照れ隠しでもへらこい」

 へらこい=卑怯である。注文が多い美少女だこと。

「……似合ってる。きれいだ」

「ありがと♪ カナメも似合っとるよ」

「ついでみたいに言うな」

なんの意匠もないサーフパンツだけども。

「さあ、夏のトビラが閉まっちゃうゾ! 急げ!」

「閉まらねぇ~~よ、まだ真昼」

 ハルナに手を引かれて灼けた砂浜へと駆け出す。見渡せば楽しみ方は様々だ。波打ち際で戯れる者、砂の城をつくる者、潮干狩りをする者……ニコルは浮き輪で波に身を委ねている。

 うちの子は万一がないから安心だ。いざとなったらドラゴンになって、まあ、父母ヶ浜は阿鼻叫喚と化すがやむを得まい。どんとこい超常現象。

「で、俺らはどうする?」

「そうやなあ。まずは穴を掘って~」

「俺を埋めるの禁止な」

「やることなくなった」

 いきなり虚無ヅラすんのやめろ。

「うそうそ。ウチとビーチバレーで勝負しよっ!」

「勝負事は、ダイザンとのアレで十分なんだがな」

「カナメが勝ったらプレゼントあげる」

 悪戯っぽく上目遣いでハルナが見つめてくる。

「マ~~ジで? くわしく」

「レジスタンス《麺通団》リーダーの座」

「いらねえ」

 いらなすぎてカナメは砂浜に大の字で倒れる。

「なんよ~~っ! すごい立場なんよ!」

 ハルナは不服げに、小さくファイティングポーズをとって両拳をシェイキンさせる。

「本当に、リーダーになるまで大変やったんやから」

 急にしおらしくなり訥々と続ける。

「ウチにはね、カナメにあげられるものが、これしかないの」

 香川県庁からニコルと一抜けして、レジスタンスへ転がり込んだ彼女が、すぐにリーダーになれるとは思えない。相応の嫌疑がかけられ、行動により晴らしていったハズだ。時間をかけてハルナが勝ち得たものを、あっさり勝負なんかで譲り受けられるわけがない。

 わずかに怒りが芽生える。と同時に、彼女のいじらしさに打ち消される。

 カナメは流れゆく雲を見つめたまま「そんなこと言うなよ」と発する。

「もう、お前から、だいぶもらってる。救われてる」

「エリちゃんって人に似とるから?」

 そんなん、何かしてあげたうちに入らん! ハルナが蒼穹を遮り、直上から逆さに覗き込んでくる。不安そうな顔をしている。けれど、決して……何かを清算したくて仕方ない、サヨナラを孕んだ雰囲気はなくて。むしろ、パスポートがほしいと言っているようで。

「ハルナが俺の初恋に似ていて、俺が救われてしまっていることは、嘘にはできねえよ」

 けどな、とカナメは語気を強める。まっすぐ琥珀色の瞳を見つめ返す。

「エリちゃんと過ごせなかった青春時代を、お前と過ごしてる今に接続したりはしない」

 クサいことを言ってる自覚はある。伝わるならクサくて上等。想いよシュールストレミングであれ。

「じゃあ、カナメは……ウチのこと、ハルナ・エリチャンと思っとらん?」

「ハルナ・エリチャンは死んだよ」

「もうちょい言い方あるやろ」

 へっへっへ、悪いね。

「ドザエモンになって拾われたのも、裏切られた気がして傷ついたのも、ちっぽけな勇気を認めてくれたのも……今こうして海水浴に来てるのも、本多榛名との思い出だ。ありがとう」

 仏頂面にならないよう、全力で笑みをつくってみたが、弥勒菩薩のアルカイックスマイル程度にしかならなかったかもだが、ハルナが顔を真っ赤にしてるから正解だろう。

 エリちゃんへのパスポートが欲しかった俺に、それを与えるように――ハルナにパスポートを発行できただろうか。あの日の俺自身を救えただろうか。

「ずるいなあ、カナメは、そんな大人ぶってさ」

「じっさい一回り大人だよ」

「おっさん」

「お、おっさんちゃうわ……おっさんちゃうわ!」

 上半身を起こした勢いでハルナに頭突きをかましてしまい、お互い悶絶する。

「う~~、衝撃でここ一分くらい記憶とんだかも」

「そういうことにしといてくれ」

 恥ずかしいのは、こころの箪笥の奥へ仕舞うに限る。

「ほんじゃま、仕切り直しで(コホン)思い出づくりのビーチバレー勝負!」

 ウチに負けたらカナメが《麺通団》のリーダーやからね。と、さりげにハルナがルール改訂する。

「プレゼントから押しつけになったぞ」

「記憶にございませーん」

 まあ、ハルナも受け取ってもらわないと気が済まないのだろう。無碍にはできない。

「いいぜ。俺が勝ったら特別顧問ってことにしてもらう」

 特に意味はないジョジョ立ちでハルナと視線をバチらせていると、陽光を背負って空からドラゴン少女が舞い降りる。

「ニコルもあそぶ!」

 メンツが奇数になっちまった。どうしたものかと頭を掻く。

「与力してあげようか」

「――!」

 松の樹上から降ってきた声に視線を上げれば、黒ビキニに白パーカーを羽織った姿の、誰だこの黒髪ツインテール少女は、知らねえ。

「って顔してるね。那須与一でござる」

「申し訳程度に『ござる』とか言ってんじゃねえぞ、現代かぶれ」

 現代、讃岐暦八〇三は現代と捉えていいのか、まあいいか。

「君たちを監視する仕事をしていたのだけど、我も休暇がほしくなった」

「恰好がもう休暇する強い意志しかねえ」

「いちいち五月蠅いね、君は……とにかく今日の我はプライベートだ、敵も味方もない」

 松の枝からトランポリン選手よろしく垂直降下した与一は、オルゴール人形のように、くうるりと回ってみせる。ツインテ揺らしてウカレポンチやんけ。

「信じていいのか?」

「我が殺すつもりなら、もう君の頭には矢が刺さっている」

 確かに、言うとおりかもしれない。敵じゃないというなら迎合すべきか。柳生の教えに無手勝流というのがある、敵をつくらない=勝ちってやつだ。

「オーケーわかった。矢ガモにされないうちにお前をチームメイトだ」

 カナメは与一を自チームに引き入れる。自動的にハルナとニコルがペアとなる。ネット越しなら、ふたりに危害は及ぶまいという策だ。ビーチバレーの球なら当たっても知れている。

 さっそく海の家でボールとネットを借り、後者を砂浜に張ってゲーム開始。与一のサーブで始まったビーチバレー勝負は、なぜだかボールが落ちることなく続く。ハルナが上げたボールを、ニコルがアタック――それはカナメに直撃して、与一がカバーして拾い――ネットを越えてまたハルナがボールを上げ、ニコルがアタック――それはカナメに直撃して、与一がカバーして拾い――(中略)

「ちょっと待て、さっきから無限ループに入ってないか」

 ネットを越えてまたハルナがボールを上げ。

「そうなるよう位置どり、ボールに回転をかけ、アタックまで誘導しているからね」

「〇塚ゾーンみたいな真似してんじゃねえ!」

 ニコルのアタックしたボールが、カナメの顔面に直撃する。しかし、やはり与一がカバー。

「どうしてそういうことするの」

 カナメが真顔で尋ねると、与一はいつもの邪悪な笑みを浮かべる。

「もちろん、君に楽しんでもらうためだよ……君はビーチバレーを余すことなく楽しめる、我は君を救い続ける……」

 理想郷だと恍惚そうに与一は語る。どこがだよふざけんな。

 おっと、そろそろアタックが来る頃か――カナメは身構えるも、衝撃はやって来ず。

 相手チームのほうを見遣れば、ニコルが砂浜へ墜落していた。背中の龍翼がしなりと伏し、尻尾もぐったり萎れている。

「ニコル!」

 急いでネットの下を潜り、カナメはすぐさま抱き起こす。どうやら意識はあるものの朦朧としている。顔は火照っていて息も荒い。熱中症に陥ってしまったか。炎天下でアタックを撃ち続けていれば当然だ。

 カナメは与一を睨みつける。彼女はやれやれと嘆息し、

「そこまで計算してはいないよ」

 片目だけ開けて、するり視線を滑らせる。海原へと。

「アレが来るのは分かっていたけどね」

 ――カンカンカンカン! 父母ヶ浜に警鐘が鳴り響く。

「なんだ、ありゃあ」

 沖合から、べらぼうに巨大なクラゲ(?)の群れが漂ってきている。幸い、浅瀬にしか海水浴客がいないため、海の家への避難は数分もすれば完了しそうだが、さて。

「海中にいると判別がつきにくいかな。地を這ううどん怪物……あらため、海を漂ううどん怪物さ」

 やがて上陸して元に戻るけどね。与一の解説にハルナが青ざめ「やられた」と呟く。海から攻めてくるのを予期できなかったと後悔を滲ませる。

「潜水艦から人間魚雷〝回天〟を射出、うどん怪物に変異させたんだ」

 ご丁寧に与一が補足する。そんなん陸から探知するの無理だろ。

「果たし状の勝負、台無しにする気か?」

「勝負は勝負。これは天災ってとこ」

 与一に詭弁であしらわれる。クソ公務員がよ。

「ハルナ、日陰にニコルを運んでくれ」

「カナメは?」

「頭脳労働する」

 策を練るという意思表示にハルナが頷き、カナメは砂浜に胡坐をかいて「見」に徹する。うどん怪物は、本能だけで動く生物だ。つけ入る隙がきっとある。

「カナメ殿の実力、拝見させてもらおう」

 隣にしゃがんだ与一が、頬杖ついてツインテールを垂らす。

「前は力を貸してくれただろ」

「正々堂々が、あの勝負の約定だったからね」

「目の前に迫るアレは、那須与一の信義に反しないと?」

「真っ向からの蹂躙は王者の業だ。恥ずべきものではない」

「そうかい」

 やりとりをしながらも「見」は解かず、カナメはふと、海を漂ううどん怪物の数匹が諍いを起こしていることに気づく。互いのパーソナルエリアに侵入してきた同族を、執拗に容赦なく触手で打ち据えているのだ。そうしているうち距離が離れ、怪物どうしの喧嘩は終わる。

「……」

 カナメは太陽の位置を確認し、勝機を見出す。

「やってみるか」

「ニコちゃん、海の家に休ませてきたよ!」

 戻ってきたハルナは、身の丈ほどある巨大なライフルを抱えている。部品にバラし、バギーの荷台に積んであった切り札だ。なんでも戦車の装甲さえ貫く、対マテリアルライフルだとか。

「そいつなら威力は十分だな」

 与一を一瞥してから、カナメはハルナに続ける。

「倒し方は、すでに証明されている。触手を振り上げてきた瞬間、目を穿つ」

「ほんだら、ボートに乗って一匹ずつ?」

「足場が安定しない上、近づくほど反撃を食らうリスクが伴う。駄目だ」

「やぎろしい相手やね」

「一計を案じるさ。上手くいけば、安心・安全・一網打尽だ」

「! どうするの」

「それはな」

 カナメは救命用に備えてあったゴムボートに乗り、エンジンをかける。

「日暮れまで、鬼ごっこだ」

 作戦概要をハルナに説明し、カナメは単身、瀬戸内海へ出航する。

「舟が出るぞお!」

 なんてな。

 バリバリとやかましい音を響かせ、ゴムボートは沖へと駆ける。水切りのごとく疾く。というイメージをしていたが、あまりスピードは出ない。丸亀ボートレースならビリケツ確定の出だしだ。

「まるで亀に乗っているようだね」

「与一お前……なんでお前」

 しれっと乗船しているんだよ。速度が鈍くなるだろが。

「カナメ殿が『舟が出るぞお』とか申すから」

「自分を鼓舞する雰囲気づくりなの! 泳いで帰れ」

 死霊のゆびさしでゴーホームを指示するも、那須与一はのらりくらり。

「浜にいたら、扇みたいに君の頭を射落としてしまうかも」

「あーくそ乗ってろ邪魔すんじゃねえぞ!」

 ゴムボートはうどん怪物の一匹に迫り、ゲーム的に言えば「!」がポップアップする境界を探りつつ旋回する。やがて一瞬パーソナルエリアに侵入できたのか、うどん怪物の注意を惹くことに成功。追いかけさせ浜からある程度遠ざけては、別の一匹へ同じことを仕掛ける。うどん怪物の泳ぎテクは下の下で、スピードが出ずとも対応できそうだ。

「こうして、いっしょに逃避行をしてると思い出すね」

 また那須与一が妙なことを言い出した。

「思い出さねえよ。いつの記憶だよ。前世かよ」

「そのとおり」

「源平合戦の記憶なんざ持ち合わせてねえ」

「まあ、大昔の記憶には違いないね。君の持ちえない君の記憶さ」

 勘弁してくれ~~という気持ちを込め、ヤケクソぎみにカナメは鼻唄をきざむ。

「なんだいそれ」

「丸亀ボートレースのCMソング」

「ふうん、キャッチーだね。わるくない」

 与一は腕組みして瞼を閉じる。

「君はよく『うどんの唄』を口ずさんでいた。アレもすきだが、そういうポップなのも良い」

「その前世の話もうやめにしねえ?」

 ん? 源平の時代に『うどんの唄』はねえぞ。訝しさが過ぎったところで、ざぱあんと波がボートを揺らす。うどん怪物の触手がボートを掠め海を打ったのだ。運よく転覆を免れたが危なかった。

「うかつだぞ。我が触手に攫われてしまったらどうする」

「ボートが軽くなる」

「我は関節技も得意だぞ」

 さらっと脅すんじゃねえよ。

「はあ、まあ……そんときは助けてやるよ」

 仕方なく答えると与一がきょとんと目を丸くする。

「ふふ」

「なんだよ」

「いや、我の知る限り、君がそういうことを言ってくれたのは初めてだな」

「そりゃトーゼンお前に言ったのは初めてだが」

「ふふ」

「なんだよ」

 それから一時間ほど、他愛ない前世トーク(?)を交えながら怪異どもを掻き回し――空がオレンジに染まり始める。

「ときはきた」

「明智光秀の句かな。土岐源氏をかけている。好ましいね」

「まったく関係ねぇ~~よ、クソ源氏」

 後世の歴史に明るすぎだろ。

 カナメはなるべく多くのうどん怪物を惹きつけつつ、沖から父母ヶ浜へ帰還する。そこには潮だまりに映るもう一つの世界――鏡面世界が広がっていた。この時間帯にだけ見られる奇跡、「日本のウユニ塩湖」と呼ばれる所以だ。

「絶景哉、絶景哉」

 観光客気分でぱちぱち拍手する与一を尻目に、カナメは作戦を第二フェイズへ移す。

「俺も感動に浸りたいところだが……ハルナ!」

「待ちくたびれとったよ!」

 水着姿に対マテリアルライフル、セーラー服と機関銃に負けず劣らずのビジュアルで、ハルナが臨戦態勢をとる。与一はスンと神妙な面持ちになり。

「君たちは……そうか……百鬼夜行を、この地に縫い付けようというのか」

「百もいねーし、夜まで待てない」

「日が落ちたらミラーワールド消えちゃうきんね」

「消えるとも。だが、太陽が海に沈む仁尾町は、日照時間日本一だ!」

 怒れる某・海の生物よろしく次々に上陸した〝地を這ううどん怪物〟は、潮だまりに映る自身の姿に触手攻撃を始める。無論、ノックバックして距離が離れることはなく、波紋が鎮まれば鏡像は再生する。突如として現れたフェイカーにうどん怪物はご執心だ。父母ヶ浜から動けない。

「いこかしゃん!」

 ボーナスステージとばかりにハルナが怪物を狩っていく。一匹ずつ、触手を振り上げたタイミングで、露わになった眼球にライフル弾を撃つ。死のルーチンワークを繰り返し、夜の帳が下りる頃にはすっかり怪物を駆逐していた。

「ラストオーダー!」

 ズドン。本日幾度目かの砲声が鳴り響き、状況終了となる。後にはうどんアイスのように蕩けた白い肉塊と、『鶴亀製麺』の店主と同じく怪物のタネにされた人たち。救出したところ、その全員が、昨日襲われた東かがわの集落出身であると分かった。被害者どうしで面識があり、家族という者もいたのだ。

「ひでえことしやがる」

 カナメは咎める眼差しを遣る。と、樹上の与一は小さくホールドアップして釈明する。

「集落を焼いたのも住民を怪物にしたのも、桃太郎の仕業だよ」

「知ってはいただろ。知っていて、何もしなかった」

「……あからさまの敵意を向けられると居心地が悪いね」

 今日は失礼させてもらおう。水着の射手は、松の枝から枝へ跳び去っていった。

 カナメたちはレジスタンスの権限で海の家を接収し、東かがわの民と共に一夜を過ごすことに。ハマダに連絡をとり、観音寺の有明浜なども警戒にあたらせたが、今のところ父母ヶ浜の他で襲撃はなさそうだ。

(ダイザンは俺を狙ってきている、か?)

 鶴亀を負かした俺を排除した上で、果たし状の勝負に勝ち、正当性を主張する。うどん怪物を対外的には天災として発信するなら、ありうる話に思える。

 うどん怪物――地を這ったり海を漂ったりする――今回もアレが騒動の中心だった。考察が必要だ。どの個体も依代となる人間が必要という点は間違いない。アレが、ニコルを生んだ技術の応用とするならば……うん? ニコルにも、いるのか? 元になった人間が。

 ハッとして海の家にニコルの姿を探すも、見当たらず。

「ニコちゃんなら、夜風にあたりに行ったよ」

 ハルナに行先を教えてもらい、カナメも夜の父母ヶ浜へ繰り出す。星明りの下、寄せては返す波打ち際を、ワンピの裾を靡かせニコルはひとり歩いていた。

「もう、からだの具合は良いのか?」

 カナメが訊くと、ニコルは翼を広げ「がお」と炎を吐いて万全をアピールする。

「よおく分かった」

「ニコルはね、よくわかんないことある」

「何だ? 算数でも国語でもどーんとこい」

「よるのはまべ、ここにきたことある、きがするの……でも、よくわかんない」

 ざざんと切なげに白波が足元へ寄せる。もし、ニコルの素体になった女の子がいて、その記憶を失っているとしたら。

「いっしょに答えを見つけよう。すぐには無理かもしれんが、絶対に!」

 カナメの決意表明に「ん~」とニコルは生返事。

「なんだよ、俺じゃ心許ないか?」

「わすれちゃってること、きになるけど」

 前置きして、ニコルはニカッとギザッ歯を見せる。夜の浜辺に大輪が咲く。

「べつにいいかなって」

「別にいいってお前……」

「わすれちゃってるのは、きっと、だいじなことじゃないからだよ」

「……」

「かなめがいて、はるながいて、まいにちたのしい」

 だからいいかなって。ニコルの口ぶりに一分の憂いもなく、迷いがない。カナメは「そうか」と答えるほかなかった。

(何か、俺はもっと……ニコルのためにしてやれることはないのか?)

「いっしょにおうた、うたって!」

 フクザツな心境が表に出てしまったか、気を遣わせてしまった。保護者気取り失格だ。

「ああ。約束だったな。何がいい?」

「かなめがいちばんすきなやつ」

「じゃあ『うどんの唄』だ」

 うどんはいいな。うどんは美味い。

 ふたりで朗らかにデュエットかましていると、唄を遮る闖入者が現る。

「失礼します!」

 いきなり土下座で登場したのは、ニコルとハルナの間くらいの年頃にある少女だ。両手にミトン(手袋)を嵌めていて、三つ編みの赤髪を肩から前に垂らしている。

「えーと、あんたは」

「わ、わたしの名前は、南原キヨっていいます! ヘンな化け物にされていたところ、救ってくださりありがとうございました!」

 ミナミハラキヨと名乗る少女は、唇をきゅっと引き結び、覚悟を決めた様子で続ける。

「あのっ、わたしを弟子にしてください!」

 しょっぱな土下座からの、キヨは、砂浜に勢いよくデコをめり込ませる。一流のゲザー(土下座うまい人)もかくやという美しさだ。

「……」

 カナメは仏頂面でキヨを見つめ、ふと目線を夜空に遣り、ぽかんとしている隣のニコルを一瞥してから、瞼を閉じてキヨの発した言葉を反芻し、

「弟子だあ~~!?」

 新たな物語が幕を開ける。

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