第2話 うどんで決闘、香川県。
青い空、白い雲、陽光きらめく燧灘。
(――なんて、はじまりの日に望むのは強欲か)
カナメが見上げた先には曇天が広がり、水平線を境に連なる燧灘も、少しばかり荒れ模様だ。
振り返れば白塗りのバラック小屋があり、生まれ変わりを今かと待ちわびている。ように思える。
まもなく小屋の入口には「うどん」の三文字がプリントされた暖簾が掛かる。もちろん『鶴亀製麺』じゃあない。一般うどん店『鹿目』の旗揚げってことだ。
「脱サラしてうどん屋の大将ってなあ、もっと先のビジョンだったんだがな」
「ウチのビジョンでは計画どーり」
ひょいと脇から顔を覗かせたハルナが、垂れた栗毛の髪を、指先で耳に乗せる。
「レジスタンスの保護下にある西讃エリアで、コシのでるうどん粉を配布するんが第一段階」
「そんで、第二段階は〝象徴〟となる一般うどん店を開業する……だろ?」
ニコルの背に乗って県庁から帰還する道すがら、ハルナに得意げに聞かされた話だ。鳥坂峠より西、愛媛県境までの西讃エリアに『鶴亀製麺』はないが、個人経営の店舗もない。蜂起するより前に、後者は徹底的に潰されてしまったのだ。
「そっ。ウチらレジスタンスは、うどんの多様性を訴える《麺通団》やからね!」
ニッとハルナが白い歯を見せる。そういうとこもエリちゃんに似てるんだよな、とカナメは思う。
ちなみに西暦時代の《麺通団》は、讃岐うどんを極めしトップうどんキチ集団である。うどん店を紹介する本を刊行したりと名が知れている。讃岐暦八〇三年という遥か未来にあっても伝説として語り継がれており、ハルナたちレジスタンスは知名度にあやかった形だ。
ざっっぱああああああん! その時〝もう一つの伝説〟が燧灘から曇天へと昇った。水しぶきをカナメの頭上に降らせた龍は、空中でとぐろを巻いてから一直線にこちらへ突っ込んでくる。
『とってきたよお!』
龍頭だけホースの先みたいに上陸させ、がぱっと口を開く。カタクチイワシの稚魚たちが顎から解放され、カナメとハルナの足元でぴちぴち跳ねる。磯の香りがすごい。
「大漁だなあ。ドラゴン漁とはこれいかに」
「いりこにしたら、当分は出汁に困らんねえ」
ほめてほめて、とねだる龍の頭をカナメは撫でてやる。猫みたいにごろごろと喉が鳴る。次の瞬間、カタクチイワシに次いで全裸の童女がずるりと出てきた。龍に食われていたとしか思えないが、これは脱皮ということらしい。マジックショーを成功させたようにドラゴン童女、ニコルは満点スマイルで万歳する。
「カナメはあっち向いてて」
「はいはい」
タオルを用意していたハルナが彼女の身体を拭き、真白いワンピースを着せる。
着替えが終われば、さっそくいりこ(煮干し)づくりだ。金ダライに溜めておいた真水でカタクチイワシの稚魚を洗い、バラック小屋に備えつけられた薪釜に火を入れる。釜へ稚魚をインしたら、じっくり煮ている間に開店準備スタート。
うどん屋に必要な設備は、釜をはじめ粗方揃えられていた。西暦でも全部揃えるのに百万単位で費用が掛かるやつだ。来たる日に備えてレジスタンスが用意してくれていた。たすかる。
「と思ってた矢先に故障するんだもんな」
発動機に繋いで通電しても動かないのは、回転するローラーによって生地を捏ねる機械だ。
「形あるものはみな壊れるんよ」
「悟り開いた僧みたいに言って誤魔化すなよ」
ハルナにじとり目を遣ると、謝罪の代わりにアイテムを掲げてくる。おお、勇者にとって冒険の序盤には欠かせない〝ひのきのぼう〟つーか麺棒だな。
「どんどん人力になっていく……」
「堂に入ってていいでしょお」
一理ある。釜にしたって薪でもガスでもうどんの味は変わらないが、薪でやってるとこを見た客は、その雰囲気に酔う。極論、手ごね・手打ちにしたってそうだ。
様式美というものは軽視できない。一割から二割くらい味に影響が出るとカナメは見る。
手間をかけるだけ価値が創出されるのは良い……いくらか『鶴亀製麺』もやっている技だが、さすがに最初から最後まで手ごね、薪釜というのはチェーン店の彼奴らにはナンセンスだ。そこで差別化することができる。とはいえ微々たるもの。
(何より差別化できる点は、また別にある)
弘法大師空海が残した、土三寒六常五杯の秘法が。
「……」
「どしたん?」
「ん、ああ、いやな……西暦を超えた未来なのに、あんまり未来感ないと思ってさ」
店内の設備にしたってそうだし、慣れ親しんだ地元の景色も、むしろ祖父母の時代にまで戻ってる気がする。ディストピアってそういうもんか? 香川県庁で見たハイテク感と、西讃地域のスラム感が棲み分けられて、一つの世界を作っている的な。
「すんごいロボットはいないのか。スターウォーズみたいなのとか、猫型ロボットとか」
「西暦の終わりにはAIロボットは普及しとったらしいけど」
「けど?」
「AIの叛乱が起こって」
「うへえ、ありそうな未来だ」
全部廃棄処分ってか。そんで技術も封印されたと。
「ウチらにとっては大昔のことやよ。歴史の本に載っとるくらい」
歴史が一周して戻ってきた感あるぞ。
「AIロボットを暴走させた、裏で糸を引いてた人間がいる――って説が有力やけどね」
「ふうん。ちょっと見たかったな、AIロボット」
「男の子、そういうの好きやねえ」
ドラゴンならおるよ。と、店内でくつろいでいるニコルをハルナが指差す。
「そりゃ中世ファンタジーだろ。俺はSFが好きなの!」
「わがままやねえ」
呆れた様子のハルナ。一方、ご指名を受けた中世ファンタジーの権化は、とてとて歩いてきてカナメをじ~っと見上げる。
「ニコルきらい?」
「い、いやあ~~? ファンタジー最高だな!」
取り繕ってニコルの頭をわしわし撫でてやる。満足げだ。なんとか誤魔化せたな!
「かなめ、おうどんつくるでしょ! おうどんはどこ?」
「なんもでっきょらん。これからだ」
足元でぴょんこ跳ねるニコルが、ぶーっと頬を膨らませる。
「粉はどうするん? 配給しとるの使う?」
「うーん、確かにアレは悪くないが、物足りない部分もある」
ハルナから提案を受けるも、カナメは即決を避ける。口元に親指を当てて思案する。
「あのうどん粉に使われてるのは、どんな小麦だ?」
「〝讃岐の夢八〇〇〟っていう、うどん粉専用にウチらが開発した小麦よ」
「一〇〇%か」
「百パー」
西暦の時代には〝讃岐の夢二〇〇〇〟という品種があり、この小麦のみで麺を打っている店も少なくなかった。ハルナの言うそれが八〇〇を冠しているのは讃岐暦にちなんでだろう。味は二〇〇〇に近く、小麦の風味と粘りがあった。――が、単体ではトップクラスの剛麺はつくれない。
「やはりASWが要るな」
「えーえすだぶりゅー?」
身体ごと傾げてクエスチョンを浮かべるニコルに、オーストラリアン・スタンダード・ホワイト、強力なコシを生む豪州産の小麦粉だと伝える。こいつをブレンドできれば理想形に大きく近づく。けれども懸念されるのは流通しているか否か。カナメは、レジスタンス《麺通団》のリーダー様に目配せする。
「ハルナ。調達できるか?」
「ええよ」
「即答とはぴくちり予想してなかったわ」
いいや待て。ええよ、って微妙な言い回しだよな。必要ないって意味かもしれん。
「調達できるって意味でOKか? ほんとにか?」
カナメが心配そうに訊くとサムズアップが返ってくる。
「香川県は鎖国状態やけど、県外からのエージェントは何人も密入しとって《麺通団》と交流がある」
彼らならすぐに調達できるとハルナは告げる。
そういや闇市にいた時言ってたな、支援者のこと。
「勝手の良いヤツらがいるもんだな」
「県外には、ウチらレジスタンスに現体制を打倒してもらいたい……そういう人たちがおって、惜しまずに協力してくれるんよ」
レジスタンスが倒れないのは、ニコルの武ばかりが理由ではなさそうだ。レジスタンスを矢面に立たせ、できるだけ安全圏から変革に加担しようとする者がいる。
「見返りは、体制崩壊・レジスタンスによる暫定政権発足後の甘い汁、ってとこか」
どんな思惑であれ、ASWが手に入るなら御の字だ。営業開始へのビジョンが見えたところで、ニコルが「あっ」と声を発した。まだ何か失念している点があっただろうか、とカナメは顔を上げる。
「どうした?」
「ほら、あれっ」
ニコルが指さす先は、店の外――鈍色の雲間から光が射し、燧灘の上空にうっすら虹をつくっている。
「雨女と雨男のパワーも、明るい未来に屈した。なんてな」
「ウチは晴れ女やきん相殺したんかも」
「びみょーに夢ないこと言うなよ」
ノーレイン・ノーレインボウってことでいいだろ。堤防へと駆け出したニコルの後を追って、カナメもハルナを連れて虹へ近づく。潮風が音を連れ去って、未完成な絵画の中で遊ぶように、いりこが煮上がるまでの一時を過ごす三人であった。
★
ASWを調達してくれるという、外部組織との密談は、西讃の某所にて行われることとなった。そこは山門を潜った寺の敷地内で、石段を上った先で隠れるようにひっそり建つ庵――。雑居ビルの一角より「某所」がパワーを帯びている、などと考えながら、カナメは寺の住職が淹れてくれた抹茶葛湯に口をつける。とろみがあって美味しい。新たなうどんの開発に活かせそうな気がする。
あんかけうどん、悪くないな。
「な~~んて考えよるやろ」
「勝手にモノローグ入れるのやめてくんない。考えてたけど」
四畳半の畳の上、カナメとハルナは正座して待つ。
「……外部組織のエージェント、くそ遅いな」
「尾行されんよう、うんと迂回ルートで来てるんちゃう」
お茶請けの金平糖をひょいパクつまみ、ハルナは平然と「うまし」つってる。
「ハルナよう。お前、正座は得意なんだなあ」
つられて正座ってるカナメは脚の感覚がなくなってきている。
「ウチんきはお作法だけは厳しかったから。おかっこまり大得意」
「金平糖ぽりリズム刻んで言う台詞じゃねえ」
「カナメの前くらいええやろお」
「いやま、いい……ぞ?」
「あっ、うん」
顔赤らめて無言になるのやめーや。俺も気まずい。
ラジオ番組は五秒間、何も喋らないと放送事故になるらしい。そろそろ後先のない「あのさ」をカナメが切り出そうとしたところで、
「お待たせしました」
MIBめいた二人組が庵にこそこそ入ってくる。外部組織のエージェントだ。ASWを恵んでくれるMIBとはこれいかに。カナメとハルナは居住まいを正して迎える。
「ウチら、レジスタンス《麺通団》の本多榛名と――」
「鹿目潤です。そちら《新居浜ユニ・チャーマー》の方ですね」
組織の名を口にするとMIBなふたりは鷹揚に頷き、対面に座す。
「NUCのドウモトとコンドウです。大変遅れまして申し訳ない」
組織の略称もアルファベット三文字でさらにややこしくなった。ドウモトはオールバックのやや童顔な男性、コンドウは狐みたいな雰囲気のある妙齢の女性だ。どちらも漆黒のサングラスを掛けている。
「さっそくですが、ご用件は、ASWを融通してほしいとか」
「そうです。かなりまとまった量を欲しています。それこそ、一カ月うどんに使い続けても尽きないくらいの量を……」
前のめりなカナメに、NUCコンビはごくりと息を呑む。
「本気なのですね。本気であのダイザンに楯突こうと」
「本気も本気よ! カナメはバーサーカーやきんね。ダイザンのしょうたれやボコッ、よ!」
ハルナが得意気に宙へ右フックを放つ。俺、いったい何者だよ。
「失礼しました。
(サヌカイトウって?)
(香川の東側にある、別のレジスタンス)
カナメが耳打ちすると、ハルナが簡潔に答えてくれる。ははあん、こいつら、二股を掛けようって魂胆だな? どっちが体制を倒して主導権を握っても、必ず自分たちが恩恵に与れるように。
「ウチらの前に《サヌカイ党》と会ってたんやろ」
「おっしゃるとおりです。しかれども、貴団体へのサポートに手は抜きません」
「そんで? 見返りはやっぱりアレなん?」
「はい……」
(アレって何だ?)
(聞いとれば分かるて)
二度目の耳打ちは窘められてしまった。
「我らNUCの望みは、希少サヌカイトを手に入れること。貴団体が体制を打倒した暁には、優先的に融通していただきたく……つまり出世払いで構いません」
「そんなにスゴイんですか、そのサヌカイト」
五色台あたりでばんばん採れる、かつて石器に使われた鉱石のハズだが。
さらりとカナメが尋ねると、NUC組が唖然とする。
「うどんにしか興味がないご様子。さすがですね」
動揺を隠せないドウモトがサングラスのブリッジを押し上げる。彼はちらりと隣に目配せし、コンドウが頷いて解説をくれる。
「希少サヌカイトは、通常のそれとは性質が異なります。学名はニオ・サヌカイト。賢者の石とも呼ばれています」
「ネオ・サヌカイト?」
「ニオです。仁尾町のニオ」
「仁尾町で採れると。隣町の」
「――で、あれば苦労はしません。女木島と男木島でしか採れないのです」
じゃあ、なんで仁尾の名を冠してるんだよ。と訊こうと思ったものの、さらに話を逸らしてしまうのでカナメはやめておく。
「二つ名のとおり、奇跡を生むチカラを有しており……ダイヤよりも遥かに価値がある」
「錬金術にでも使えそうですね」
「……使いようによっては」
マジかよ。
「話はわかった」
パンとハルナが柏手を打つ。
「ウチら《麺通団》は受けた恩を忘れんきん。ASWの手配しゃんしゃん頼むよ!」
「「承知っ!」」
密談を短く終え、カナメはハルナと帰路に着く。――途中、おもむろにハルナが財田川の河川敷へ駆け下りた。河原で適当な石を拾い、きれいなサイドスローで水切りを成功させる。一回、二回、三回、四回まで跳ねた。
「このへんの石も、いい石なんやけどねえ」
丸くて、平べったくて。ハルナはまたしゃがんで石を撫でる。
「河口だもんな。カドがとれて落ち着いた雰囲気に」
「み~んな、そうやとええのに」
ハルナは寂しげに、ここにいない誰かに想いを馳せている。
カナメもまた、ある男のことを思い出していた。
『さすが野球部のエース。水切りもお手のモンか』
『元、だよ。甲子園の夢は潰えちまった』
「おーい!」
気づけばハルナは土手の上で。早く早くと手を振っている。
まったく自由気ままな乙姫様だよ。
「今いく!」
カナメは一投だけ水切りに興じてみる。大きく振りかぶって投げた石は、一回も跳ねずに大きな水飛沫を上げる。背後からハルナの爆笑が聞こえてきた。うっせえ~~!
外部組織との談合から戻ると、未だバラック小屋に過ぎない店内でニコルが待っていた。待ちくたびれてスヤスヤと眠っている。龍翼を小さく畳み、テーブルに突っ伏して。
「なんだかんだ、夜になっちゃったね」
「あいつらが悪い」
釜に火を入れ、夕食(うどん)の準備を始める。まだASWはないが、讃岐の夢オンリーの麺が不味いというわけでは決してない。
やがて小麦粉の匂いが漂い出し、んばっとニコルは顔を上げた。野性的な娘である。三人で団欒した後は、また舟を漕ぐニコルを抱いてシャワー室へ連れていく。ハルナに世話をバトンタッチして、店の奥に布団をひいて寝床をつくる。
(ここが、俺たちの家だ)
いざ開店すれば、店は必ずダイザンから狙われる。守るためには常駐するのがベストだ。という建前もあるが、家なき子のカナメにとっては渡りに舟といったところ。いちおう実家のある場所に行ってはみたが更地になっていた。讃岐暦八○三なら仕方ない。
寝巻に着替えて、並んで歯ぁ磨いて、川の字で寝て。
「おやすみ。カナメ」
「ああ、おやすみ。ニコルは……もう寝てるか」
「電気消すね」
「よい夢を」
暗転――。しかし嗚呼、真夏の夜は、蒸されて悪い夢を見る。
頭ン中の抽斗が無遠慮に開かれて、忘れたいと願う記憶の紙片が広げられ。
「あっ」という気まずい顔をした眞渕英里可と邂逅する。隣で自転車を押しているのは坊主頭のダチ、仁尾タケシだ。なんだよお前ら付き合ってたのか? 平静を装って声を掛け、目を泳がせているエリちゃんではなく、タケシと目が遭う。堂々としている親友には清廉さが宿る。
惨めに去るのはプライドが許さなかった。いっしょに下校なんていう地獄を選択してしまう。駄菓子屋の前から、神社の脇を通って財田川の土手へと出る。
――地獄、エリちゃんにとってもそうだろう。後味の悪い呪いをかけたいのだ、俺は。
不意に自転車を倒したタケシが、気まずさを切り裂くように、河川敷へと駆け下りた。河原で適当な石を拾い、豪快なサイドスローで水切りを成功させる。一回、二回、三回、四回――もっと――向こう岸へと達する。タケシを追ったカナメは、エリちゃんに代わり隣に立つ。
「さすが野球部のエース。水切りもお手のモンか」
「元、だよ。甲子園の夢は潰えちまった」
「……わりぃ」
「いいさ。次はコイツが俺の夢だ」
エリちゃんのことを「夢」と呼んでいると思い、胸が痛くなる。けれどヘンだ。タケシの熱い視線は向こう岸へと注がれている。ということは。
「水切り世界チャンピオン?」
「ちげーよ。これ。石だよ」
タケシは足元を指差す。
「怪訝な目すんなって。小学校の頃、修学旅行でさ、五色台に行ったんだ」
「サヌカイトか」
「さすが親友殿は察しが良いな」
タケシが豪放な笑みを浮かべる。
「殆どの生徒にとっちゃ些細な驚きだったと思う。俺にとっては……感動だった」
「五年以上前のことだろ、それ」
「感動の火がな、ずっと燻って消えないんだ。心のどこかで待っていたのかもしれん。甲子園の夢が終わるのを待っていたのかも……なんて、球児失格だよな!」
潰えた夢の哀しみから逃れるため、テキトーなことを言ってるようには思えなかった。瞳には聖なる炎が灯っていた。火の玉ストレートだ。勝てねえ。そんな清廉なる親友がエリちゃんを奪っていくことを、どうこう言える鹿目潤はいない。
「お前の夢、応援してるぜ」
アバヨ、と河川敷で親友と別れる。土手に突っ立ったままのエリちゃんとは、最後まで交わす言葉がなかった。ふたりが見えなくなるまで俺は棒立ちで、そして泣いた――みっともなくオットセイみたいに泣いた。惨めな失恋者でなく、小粋なフレンドを気取れたと祈りながら。
「カナメ、だいじょうぶ?」
「おっ、えっ?」
悪夢は霧散し、涙越しの景色は夜の闇。月明かりを頼りにカナメは目を凝らす。見知らぬ天井から脱却したそれをバックに、馬乗りになったハルナが覗き込んできている。
「オットセイみたいに泣いとったよ」
「うるせえわい」
「よしよし」
完全に馬鹿にしている調子だったが、撫で方はやさしくて。
「カナメはさ、ウチより年上やから、きっとたくさん我慢してきたよね」
やわらかく細い指先が、前髪から頬へ移り、悪戯っぽくズブと沈む。
「今夜だけ、おかあさんになったげる」
「言ってることがわけわからん」
「我慢しなくていいってこと」
「馬鹿にしてッ」
「……イヤ?」
あえなくカナメは屈する。悪夢の全てを清算するような愛の手に甘えてしまう。
過去が変わるわけじゃない。初恋とそっくりな嬢に風俗店で抱いてもらうのと相違ない。それでも。
「イヤじゃない」
ハルナは「ん」とだけ返してカナメの頭を抱き締める。
肌着一枚の胸は、相変わらず平坦でまな板だったが、良い匂いがした。うっすらアカシアの木みたいな匂いに、汗の匂いがまじって形容しがたい。カーチャンというかバーチャンの匂いじゃないかこれ。でも安心する。守護られている実感がある。やさしい夢に落ちていく。
「かなめ、ずるい。ニコルもする」
寝惚け眼のドラゴン娘がにゅっと顔を出し、逆サイドからハルナに抱きついていく。まるでコアラ。いやドラゴンだったわ。
「ニコちゃんも? しゃーないなあ」
シーツにくるまり寄り添って。その夜は静かに、ピエタのように眠った。
――数日後。
白塗りのバラック小屋には「うどん」の暖簾が掛かっていた。やや控えめに店名の『鹿目』も添えてある。レジスタンスの触れ込みもあって、愛媛県境に位置する我らが店舗には、開店初日から大勢の客が押し掛けていた。小屋の許容人数をはるかに超え、行列が道の駅まで続いている。
「ひやかけいっちょお!」
看板娘のニコルがオーダーを取り、
「あいよ!」
カナメが大将としてうどんをつくり、
「百円になります」
エプロン&三角巾装備のハルナが会計する。まさに三位一体の運営である。
提供するおうどんは、かけ・ひやかけのみ。もちろん〝ひやあつ〟など可変オーダーには対応する。麺は〝讃岐の夢八〇〇〟とASWのブレンドで、小麦の風味と強力コシの良いとこどり。出汁はガツンといりこフィーチャー。いりこ使用量は鶴亀の倍以上あろう、圧倒するイノシン酸のうま味で勝負する。
「ひうちのいりこはにほんいちー!」
ニコルが売り文句を朗らかに叫んだところで、営業妨害の純正文句を垂れる輩があらわる。
「おうおうおう! なんじゃこりゃあ!」
「……いかがなされました、お客様」
お客様つーか、落ち武者みたいなナリの屈強そうな男の一団だ。県庁で見たことある。
「うどんにアブラムシが入っとるぞお!」
「おどりゃ、村上水軍なめとったらアカンぞお!」
「打ち壊しじゃあ!」
いかつい顔で周囲を威嚇する男たちに対し、カナメは不思議と平静だった。こういう妨害をハナから想定していたからだ。しかし嗚呼、実際やられるとブチキレるな。
「あのな……確かに、うどん屋ってのは衛生面でヤバイとこも少なくない。机や椅子がボロで座布団が黄ばんでいたり、ビニールハウスで店やってて蜘蛛の巣が張ってるとこもある」
頭に巻いていたペイズリー柄のバンダナを外し、いち人間としてカナメは語る。
「だがな、提供するうどんだけは……ぜったいに一線を越えないんだ。そいつがうどん屋のプライドだ」
村上水軍を相手に指を差す。異議申し立てる弁護士のようでなく、井戸から這い出る死霊のごとく。
「お前らは、うどん屋のプライドを踏みにじった。万死に値する。逝く準備はできてるか」
「へっへっへ、店内で暴力沙汰かあ? こんな狭い店内じゃあ、あの龍も呼べねーだろ」
海賊どもは下衆な笑いを伝染させる。地の利をとったと余裕ぶっこいてやがるな。さすがは女木島を押さえて海上の通行料せしめてたヤローどもだ。
「ワンパンKOで喝采を浴びるさ」
「勝てんのかァ? 俺たちゃ、村上水軍だぜ」
「海賊風情が調子に乗るな……俺は、鹿目潤だ!」
口で時間を稼いでいるうち、ハルナが他の客を避難させ、出入口のサッシを全開にした。カナメの後ろでは、台に上ったニコルが窓を全開。導線の準備が整う。事前に用意していた『特級ヤバイ客対応マニュアル』どおりだ。
カナメがぱちんと指を鳴らすと、ニコルが〝脱皮〟して巨大な龍となる。尻尾は窓から、頭は出入口から出して店の破壊はゼロ、かつ龍変化の勢いで村上水軍はぶっ飛ばされ、遠く燧灘にまとめてドボン。
「海賊らしく海に還ったな」
大将の呟きに、客らは拍手喝采を送るのだった。
賑やかな昼の喧騒から一転して、その夜。暖簾を下ろした『鹿目』の店内で、月明かりを頼りに、カナメは独り仕込みをしていた。手ごねしたうどんの生地をラップで包み、ひたすらに足で踏む。うどんの唄を口ずさみながら。
不意に、店の奥から寝巻のハルナが現れる。闇に乗じて店を破壊されては敵わないので、カナメたちは店舗の余剰スペース(それほどない)で寝泊まりしているのだ。
「まだ、起きてたんやね」
「果たし状で約束した決戦の日も近い。少しでもチカラをつけておきたくてな」
というか、明日の仕込みは必須だ。うどん屋の仕事はハードである。
「疲れたやろ。代わるよ」
「いや、いい」
「よくない。うどんの生地もウチに踏まれるほうがうれしい」
「てんめ……ほいよ、交代」
お言葉に甘えてカナメは椅子に腰掛け休憩をとる。ハルナは寝巻のズボンをまくり、生地を踏み踏み。
ナルホド十代女子の生足で踏まれたうどんか……キャッチコピーとしては十分過ぎるな。などと邪な考えが過ぎり、カナメは頭を振る。
「うどんはいいな♪ うどんは美味い♪」
知っていたのか覚えたのか、うどんの唄をハルナも歌い始める。大女優が口上を入れる間奏部分に差し掛かり、演じることなくカナメに話しかけてくる。
「カナメはさ。エリちゃんに会いたい?」
「どうだかな」
「はぐらかすん禁止っ」
「はあ。こっちの片想いだったし、あっちは家庭をもって幸せに暮らしてる気もするし」
会って思い出話に花を咲かせるほど、傷つくのは俺のほうだ。今が幸せな人間ほど、まるで過去を清算したかのように話すから。――って、今は讃岐暦八〇三年だったか。とっくに同期の連中はあの世だな。転生しちまってるかもしれん。
そんなことはハルナだって百も承知だ。カナメがタイムトラベラーであるという仮説を提示したのは、他でもない彼女なのだから。すなわち質問の着地点は、
「じゃあさ。ずっとこの時代におりなよ」
ってことだ。月光を浴びてうどん生地を踏みながら、背を向けてハルナが続ける。
「……えへへ、言っちゃった。へらこいよね。カナメにも家族がおるのに。自分勝手だよね。なんて、わざわざ口にしてるウチもへらこい」
でもね。そう言ってスタンピングを止め、振り返る。
「きっと、ウチも父親ゆずりに強欲なんよ」
「何の話だよ」
「ウチが乙姫なら、浦島太郎を帰さないって話」
「俺はまだ、鯛やヒラメの舞い踊りを見ちゃいねえ」
少し危うい雰囲気のハルナへ、イージースマイルをカナメは浮かべる。
「勝とうぜ。勝って、とっておきの酒池肉林を見せてくれ」
「カナメってナチュラルに助べえよね」
「うるせえよ」
ハルナの隣に並び、いっしょにうどん生地を踏む。無言の共同作業を続ける。阿吽の呼吸ができていくようで時間に尊さが増していく。エリちゃんともこうして学祭の準備をやりたかったな。なんてな。
「ウチは……ハルナ・エリチャンでもええよ」
「蒸し返すなよ。お前は本多榛名だ。そうだろ」
「うん」
なんとなく視線が遭う。ハルナの目がとろんと細くなり、甘い雰囲気が距離感を奪っていく。必然性のようなものが、見えない力で静かに背中を押してくる。ティーンエイジャーのように浮き立つでもなく、早鐘のように胸を高鳴らせるでもなく、唇は唇へ吸い寄せられていき――。
「じーっ」
見上げるニコルの視線によって呪いは解かれた。
「なななっ、なにっ、どしたん!」
「こ、こわい夢でも見たか?」
磁力で弾かれるように唇を離す。取り繕う。ひでー年長者だ。
「ニコルね、おしっこ」
寝惚け眼で言い、彼女はワンピースの裾を捲る。
「悪かった。許してくれ。ここは店の厨房なんだ」
衛生管理者として首を括らなくちゃなんねえ。
「とーだいではそこらへんでしてたあ」
「はいはい、ウチといっしょにトイレいこね!」
ハルナに連れられ、ニコルは店の奥へと戻っていく。
見届けるカナメは、幸せの残り香を嗅いだ気がした。誰しもが当然に手に入れるようで得難いもの。それは「家族」という名前を持つ。たとえ仮初でも、今この瞬間に感じている幸福を忘れたくない。
「この時代にいるさ。ずっと」
独り言ち、カナメはうどん生地を踏むのだった。
うどん屋『鹿目』は、翌日からの営業も順調で、着実に評判を上げていく。そうしてカレンダーはめくれていき、果たし状で約束した対決の日がやって来る。
ドン・ドン・ドン。戦太鼓が響く決戦の地は、中讃にある土器川の河川敷である。いよいよもって長良川の戦いじみてきた。斎藤道三のようには終わらんぞ。
「にしても、三番勝負とはな」
「もしものことがあるきん、保険かけとかんと」
これが第一番勝負。次があるとはいえ最初が肝心だ。勢いに乗るためにも勝ちを獲りたい。
「おやおや。ぴりぴりと気を張っておられますね」
河川敷にテントを張り、発動機を起動させていると、敵情視察とばかりに対戦相手が姿を現す。ダイザンが用意した刺客は、当然本人ではなく『鶴亀製麺』の店主である。かつてカナメが〝ひやかけ〟を注文した店舗の人物だ。年齢はダイザンと同じく六十代手前くらい。寿司屋のようなナリをしている。
「三番勝負も必要ありません。私一人で十分ですよ」
「ずいぶんと自信家なんだな。鶴亀の」
カナメの牽制に『鶴亀製麺』の店主――名前が不詳のため鶴亀とする――は、フンと鼻を鳴らす。
「当然です。『鶴亀製麺』のうどんは日本で一番食べられている。つまり日本一美味いのです」
「ハンバーガーとコーラ理論じゃねーか」
「あのような下賤の食事といっしょにされては困ります」
うるせえよ。たまには食いたくなるだろうが。どっちの味方だ、俺は。
「ともかく。君のような素人に敗れる鶴亀ではありません。棄権されてはいかがですか」
「やってみなくちゃわからねえ!」
両手の拳を上げて反駁したのはニコルである。
「ウチもニコちゃんに賛成」
ハルナも澄まし顔で小さく挙手する。
「つーわけで、俺らは逃げも隠れもしない。正々堂々、勝負だ」
正々堂々という言葉に圧を込め、カナメは鶴亀を睨みつける。
「もちろん正々堂々やりましょう。決して邪魔は入りませんし、審査員も公正です」
鶴亀が腕を伸ばした先には、審査員として選ばれた三名が待機している。一人は那須与一。一人はハマダ。そして最後の一人は……楊枝を咥えたサラリーマン風の男性。初日の『鶴亀製麺』でカナメの隣に座っていた男だが、体制側の息が掛かっていないとは言い切れない。
(いいさ。どのみち、多少の不正を踏破できないようじゃ先はない)
「おうおうおう!」
「? まだ何か」
カナメが顔を上げれば、筋骨隆々な蛮族の大男が見下ろしてきている。
「……誰だよ……」
「テメーんとこの龍に、海ぃ落とされたモンだよ!」
ああ、アブラムシがどうとか言いがかりつけてた奴ね。村上水軍を名乗っていたな。だが、これほどの巨漢であっただろうか。店の入口を通らないぞ。
「我が名は、村上水軍のエンオウ! あれから筋肉をつけたのだ」
もう龍が相手でも負けはせん! とマッスルポーズをきめる。暑苦しいンだよ。猿王だか炎王だか知らんが、もうどっか行ってくれ。
「俺サマは鶴亀に与力する。テメーが負けて吠え面かくのが愉しみだぜ」
大手を振ってエンオウは去っていく。ギャラリー多いから即暴力ってのはないか。
ドン・ドン・ドン。再び戦太鼓が鳴り、うどん勝負が始まる。鶴亀は村上水軍の面々をサポートに付け、テンプレートに嵌めたような手際の良さで麺を茹でる。村上水軍マジいらない子って感じだが、いざというときの暴力装置なのだろう。
「こっちも始めるぞ。いつもどおりだ!」
「ぶ、らじゃー!」
大将のカナメに応え、看板娘が敬礼する。
「オイ誰だ、ニコルにクレしん観せたヤツは!」
ゴタつきながらもチーム『鹿目』は最高の一杯を用意する。しっかり足で踏み熟成させた生地を、コーンスターチをひいた板の上で手ごねして、重ねて手切りしていく。
「ここまで、気温は予報と相違ないな?」
「うん、予報どおり。暑いよ」
釜から上る湯気越しにハルナが答える。
「よし。では〝土三〟の生地を使い、茹で工程に移る!」
ぼこぼこ沸き立つ釜へと麺を投入し、カナメは太い木の棒で掻き混ぜる。大将と看板娘がうどんの面倒を見ている間、ハルナが寸胴のかけ出汁を小さな鍋に移し、煮詰めていく。燧灘で獲れたカタクチイワシのいりこ出汁だ。昆布も一級のものを使用している。
「村上水軍の動きは、どうだ?」
「ちょっと見てきたあ! ひまそーにしてる!」
「えらいぞニコル」
鶴亀のオッサンも、オッサンなりの自負があるのかもしれない。本当に正々堂々というなら、それで構わない。改訂した『特級ヤバイ客対応マニュアルZ』を使わないに越したことないのだ。
たちまち両者のうどんは完成し、審査員の三人に提供される。
「ふうん……どちらも、あったかい〝かけうどん〟なんだね」
箸を割りながら真っ先にコメントしたのは、那須与一だった。
「すべてのうどんの基本ですからね。また、暑いときこそ熱いものを食すがツウ!」
鶴亀の店主が得意げに語る。審査員に口を挟むなよ……。
「それでは『鶴亀製麺』のおうどんから」
相変わらずロン毛に無精ひげのハマダが、鶴亀のかけうどんを実食する。彼はレジスタンス《麺通団》のサブリーダーだが、不当な審査はしないよう伝えてある。
「ふむ……いつもの味、という感じですね。幅広い年齢層から支持されるよう最適化された味わい。のどごし。安定感がある」
「我も同じ意見だな。これぞ王道を往く味と言えよう」
那須与一がハマダに賛同し、残るリーマンもまた頷いて実食を終える。
「それじゃあ次は、カナメ殿のおうどんだね」
後攻『鹿目』のかけうどんを那須与一が啜る――。
「なんだ、これは」
どんぶりを握る与一の腕が震える。
「これは……暴力だ。手加減をしない、老人や幼児を置き去りにする、付いてこれる者だけ付いてこいという意思表示っ……」
いつになく動揺する与一を前に、鶴亀が嘆息する。
「ふっ、勝負ありですな」
「鶴亀の。ちょっと黙ってろ」
カナメは鶴亀を嗜め、ハマダを一瞥する。それを合図にハマダも『鹿目』のかけうどんを食し、うんうんと何度も頷いてコメントに移る。
「これぞ『鹿目』のかけうどん。西讃らしい剛麺と、ガツンとパンチのあるいりこ出汁。暴力的といえばその通りですが、大いに評価できるかと」
そして最後の審査員、リーマンは自分のタイミングで実食を終え、
「これだ」
呆けた表情で泣いていた。男泣き。弛緩した顔に幸福が宿る。
「おれが食いたかったうどんは、これだ」
途端に、リーマンの双眸に炎が灯る。のらりくらりとした雰囲気がどこへやら、熱血の気質に変わって超絶に舌が回る!
「いりこのイノシン酸と昆布のグルタミン酸が、高濃度の次元でハーモニーを織りなしているッ、それだけじゃあない、剛麺を起こした生地の状態、こいつはッ――」
すさまじい勢いで『鹿目』のかけうどんを完食したリーマンは、パンと柏手を打って「カナメさんの勝ちだッ」と告げる。与一は黙ったまま勝敗を決めないが、ハマダが『鹿目』に票を入れたことで勝負は決することとなった。
「馬鹿な……そんなことが……何故、鶴亀が負ける! 敗因は何だというのだ!」
吠える鶴亀の店主に、カナメは答え合わせをする。
「土三寒六常五杯だ」
「ど、さ……?」
「知らないか。失伝してるよな」
土三寒六常五杯――それは、弘法大師空海が大陸からうどんの製法を持ち帰った際、最も重要とした基本である。土とは夏の土用、寒とは寒中、常とは春と秋を指し、数字は「塩一杯に対する水の比率」を指している。今日みたいに暑い日は、塩一杯を水三杯で溶かした濃い塩水で小麦粉を練る。温度変化の影響を受けやすい、うどんの生地を管理するためには必須だ。
「クーラーの効いていない、テントを張った屋外での勝負。お上品なチェーン店しか知らないお前は、一番基本のところを誤った」
カナメは据わった眼でゆらり右腕を上げる。ニコルも隣でドヤッ顔を浮かべてモノマネ。
そして、村上水軍にも向けた〝死霊のゆびさし〟で揃って宣告する。
「おめぇの負けだ――鶴亀野郎!」「ヤロウ!」
『鶴亀製麺』の店主は滝のような汗を浮かべ、膝から崩れ落ちる。プラトーンばりに仰け反り、底抜けに青い空へと必死に嘆願する。
「ダイザン様! これは何かの間違いです! お赦しを! お赦しください!」
いきなり何だコイツ。人間らしさ爆発させやがって。と思っていたら、鶴亀の身体がポップコーンのように爆ぜた。体内にダイナマイトを仕込んだ人間爆弾だった、というわけではない。弾けた身体はヘビ花火さながらに人の器を逸脱し、異形の怪物へと変貌する。
「U…D…DDD……NNNN!」
コシのありげな咆哮を放つ、その異形。サイズはちょうさ祭りの太鼓台くらいか。ビジュアルはうどん玉のようであり、極太の白い触手をいくつもうねらせている。
(あっ、触手に村上水軍にヤツら捕まった……食われた……呑み込まれた)
突然の捕食シーンに、みな怪物から距離をとり様子をうかがう。
「何だありゃ、ダイザンとこの《偉人兵器》なのか?」
「あんなん見たことない。新型っぽい」
ハルナは目を細めムムム…と注視している。新型ってお前、いや兵器って言われてンなら間違いじゃないか。人っていうかニコルに近い神性を有しているが。
「地を這ううどん怪物」
咥えた楊枝をぽろり落としたリーマンが呟く。
その名にカナメも心当たりがあった。
「なんか、まんまな名前やね」
「フライング・スパゲッティ・モンスターのパロディとして生まれた、ネットミームみたいなもんだ。うどんを食う人類を呪い、人類を食わんとする」
カナメの解説にハルナが所感を口にする。
「がいなやっちゃな」
「……がいな、やっちゃ?」
「イケイケってことだ」
ニコルに問われ、カナメは雑に讃岐弁を解説する。ニコルは気に入ったようで「がいなやっちゃ」を何度も繰り返している。
食事タイムを終えた〝がいなやつ〟こと〝地を這ううどん怪物〟は、触手の下で丸い双眸をぎょろりと剥いて、ずるずるとナメクジのように移動を始める。速度はともかく、伸びる触手が厄介だ。放置してはおけない。
「ダイザンめ、初戦からスーパー暴力装置とは!」
苦虫を噛み潰した面のハマダに、カナメも「まったく」と首肯する。
こちとらスーパー戦隊じゃねーんだ。巨大ロボなんて持ち合わせてねーぞ。
ニコルという龍ならいるが、安易に頼っていいものか……。
その時、空を切り裂く音がいくつも降り注いだ。矢の雨だ。怪異にとっては「死」となり得はしないが、触手の先端を地へ縫い付け、身動きを封じる。
射手は――たった一人の《偉人兵器》だ。
「那須与一」
彼、もとい彼女は洋弓の弦を引き、束ねた矢を再度上空へ撃つ。アローレインは残る触手も封殺し、怪異は完全にガリバー状態となる。
「勘違いされるな。ケジメだよ。正々堂々って約束だから」
とどめとばかりに、与一が一本のカーボン矢をフルドローする。クリッカーは通過しているが、放たれることはなく、じっと構えを保ったまま静止している。対する〝地を這ううどん怪物〟は、ありったけの膂力でもって触手をしならせ、自身を縫い付ける全てを引っこ抜く。
万歳したようなその瞬間を、刹那の隙を、与一が待っていた。
リリースされた与一の矢はまっすぐに飛び、露わになった眼球を刺す。――が、浅い。怪異は構わずハンマーよろしく触手を打ち下ろさんとする。それが与一の頭を割る前に、連続して放たれた二の矢が、一の矢を継いだ。まったく同じコースで芯を射抜き、矢じりを怪異の体内へ押し込む。
「UU……D……NN」
〝地を這ううどん怪物〟は全身をびくりと痙攣させ、今度こそ完全に動かなくなる。ほどなくして、うどんアイスとなってどろり溶け、中から鶴亀店主と村上水軍が出てくる。無事っぽい。
状況終了。那須与一の名に恥じぬ正確無比な矢芸であった。
「なんだ、その、ありがとな」
「勘違いされるなと申した」
冷ややかな態度で与一は踵を返す、が、途中で動きを止める。
カナメに一瞥をくれる眼差し、やや柔らかく。
「久々に食べた君のおうどん、美味しかったよ」
賛辞を残して与一は去っていく。
「……?」
以前に振舞った覚えはまったくない。お忍びで店に来てたか?
それにしたって『鹿目』を開店したのは最近だしな。うーん。まあいいか。
「店員諸君!」
カナメは、あらためてハルナとニコルに対峙する。
こほんと咳払いし、仁王立ちで勝利宣言する。
「俺たちの――勝ちだ!」
土器川の河川敷に「えいえい・おーっ」が木霊して。
うどん一番勝負は、レジスタンスの勝利で幕を下ろした。
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