まんでがん ~ディストピア讃岐でうどん打つ~
瀬戸内ジャクソン
第1話 ここは異世界、香川県。
まるでポストアポカリプスの世紀末。
陽炎ゆらめく荒野をひとり、みすぼらしい青年が歩いている(パパン!)
うだるような暑さの中、思い浮かべるのは早明浦ダムの貯水率だ。この様子なら取水制限が掛かっていてもおかしくない。香川県民にとっては天気予報とともに日常で知りうる情報だが、里帰りしたばかりの青年にとっては未確認のものだった(パン!)
そもそも、地元香川はこれほど荒涼とした大地であったか。片田舎とはいえアスファルトでそれなりに舗装されていたし、西讃の国道について四車線化も遠い未来ではなかったはず。
乗車した高速バスを間違えたか? 青年は思う。大阪から淡路島を経由して四国に渡ったのは間違いない。途中、室津PAで休憩があり、一時降車してコンビニで淡路コーヒーを買ったのだ。再度発車した高速バスは、鳴門海峡を越える頃には濃霧に包まれ、車窓からの景色がいっさい分からなくなった。もしやここは徳島、あるいは高知なのでは?
青年の疑念は(パパン!)目の前に現れた「讃岐うどん」の看板により払拭される。店名より大きな「讃岐うどん」の文字に、ここが香川であることを青年は確信する。――と、お腹がぐぅと鳴った。
(そうだ……俺は、腹が減っているんだ)
ハラヘリで妙な幻覚を見ているに違いない。うどんを食えば救われる(パン!)
青年は決心して店へと踏み入る。釜でうどんを茹でる匂い、小麦の匂いがふわりと漂ってきて鼻腔をくすぐる。たとえ取水制限の最中にあろうとも、うどんを茹でることは止めないのが香川県民だ。
合法ドラッグをキメたとばかりに頭が(パン!)冴えてきた青年は、足取り軽くセルフのカウンターへと歩を進める。銀のトレイにずらり並んだ天ぷらたち。トングで小皿にちく天を乗せつつ、青年は、厨房にいる店員にオーダーをとばす――…。
「ひやあつ、三玉で」
返ってきたのは「ああ?」という訝しげな声だった。
「なんだい、そりゃあ。そんなメニューはないよ」
それに、と店員は続ける。
「アンタに三玉は多すぎる。二つで十分だよ」
「……」
青年は言葉を失う。ひやあつとは、冷たい麺を温かいつゆに入れる食べ方で、香川県ではメジャーな注文方法だ。ひやひや・ひやあつ・あつひや・あつあつ……そして、いったん冷水で締めたうどん玉を、あらためて冷水に通さず常温で提供する「そのまま」といった具合にバリエーションがある。この店員さては県外から来てるな。ちゃんと教育を徹底しておけよ。
出鼻を挫かれたな、という苛立ちを抑え、青年は「かけ、あったかいの、二玉」と妥協のオーダー。店員は「あいよ」と返事して、かけうどんを湛えたどんぶりがカウンターに置かれる。レジで会計を済ませて客席へ。
(香川に戻って早々、ツイてない)
嘆息した青年に、隣席でぶっかけ(うどん)を啜るサラリーマン風の男が首肯する。
「わかるよ。うどんばかりじゃ気が滅入るよな」
「いやあ、そういうわけじゃ……美味しければ毎日でも」
「美味しければ、ねえ。昔は色々うどん屋もあったらしいが、今じゃ県内には『鶴亀製麺』しかない。剛麺と呼ばれていた西讃のおうどんを食べてみたいよ」
おっと、壁に耳あり障子に目あり。オフレコで頼むよ。それだけ言うと、男は席を立ってしまった。返却口にお盆ごとどんぶりを返し、くっくっと口先の爪楊枝を揺らしながら店を出ていく。
県内には『鶴亀製麺』しかない? どういうことだ。県外資本の『鶴亀製麺』は、過去に香川県で店舗を展開しようとしたが失敗、県外でのみ勢力を強めていたはずだ。――看板に「讃岐うどん」の文字が大きく見落としていたが、この店も『鶴亀製麺』の一つだというのか。彼奴らは店名のほうを大きく打ち出していたはずのに。
(やはり俺は、香川県ではないどこかに迷い込んでいるのか)
混乱していると、ふと、天井から吊り下げられたテレビが目に入る。液晶画面にはニュース番組が流れており、《麺通団》を名乗るレジスタンスが、うどんの多様性を訴えて警察と衝突していると報道されていた。いつだったか映像で見た、六十年代の学生闘争もかくやという暴れっぷりだ。ゲバ棒とか持ってるぞ信じられない。
信じられない、そうか、俺はまだ夢の中にいるんだな。現実ではまだ高速バスに揺られていて、淡路島から徳島に入ったあたりなのだろう。きっとそうだ。夢と分かれば怖いものはない。
フッと緊張が解け、青年は全能感をもって店を出る。あらためて看板を見れば、なるほど『鶴亀』だ。そんでもって、相変わらず目の前には荒野が広がっている。ありえない。ありえないのが良い。
「よおし、いっそ全裸にでもなってみるか?」
やっぱり恥ずかしいな。夢の中とはいえ止そう。何かを失ってしまいそうな気がする。
とりあえず、あてどもなく彷徨ってみる。歴史改変されていてもさすがは香川県、百メートルおきにうどん屋が存在している。ただし全て画一デザインの『鶴亀製麺』だが。ははあ、この世界では彼奴らが支配してるから、もはや店名をアピールする必要すらないのだな。
ひとつ謎が解けた気がしてウキウキしていると、サイレンの鳴る音が背後から聞こえる。振り返れば何台ものパトカー(荒地仕様の四輪駆動だ)が並んでおり、警棒を手にした警官たちが降りてくる。
「うどん店から通報があった。貴様、ひやあつ、とか言ったらしいな」
「えっと、あの、はい」
「レジスタンスの使う言葉だ。逮捕する!」
悪夢だ。ちくしょう。お断りだ。青年は警官に抵抗する。掴んでくる手を振り切って逃走すると、破裂音のような乾いた音とともに足元が爆ぜた。威嚇なしで発砲されたのだと理解し、走りながら青ざめる。連続する銃声、不可視のスピードで「死」が飛んでくる恐怖っ!
なああっ! くそっ、夢なら魔法とか使えねーのか? 体力も現実とさほど変わんねーし、どうしようもねーぞ!
遁走しているうち、青年は海沿いに出る。そこが瀬戸内海であるのは間違いない。つまり讃岐浜街道だ。ようやく土地勘が役に立つ。青年の地元である詫間まで入ってしまえばこっちのもの、地形の高低差や茂みを上手く使い、なんとか警察隊を撒くことに成功する。
ふう、と冷や汗を拭った青年のこめかみを、何かが掠めた。掠めたっつーか壁ドンみたいな要領で低木に刺さってる。――矢だ。アルミじゃなくカーボン製だな、アーチェリーで使うやつ。
「今のは威嚇だ。我は雑兵と違って順序をわきまえている」
逆光の夕日を背に現れたのは、ポニーテールの小柄な少女だ。
「そして二の矢は絶対に外さない。那須与一の名にかけて」
しかも偉人を自称するときた。
「那須与一は香川に所縁のある人物だが、性別が違うし、そもそも生きてる時代が違うだろ」
「確かに生きていた時代は違う。データを元に再生されたんだ。性別違いはまあ、ダイザンの趣味かな」
ダイザン。誰だ。俺を追ってるヤツの親玉か。もっとも夢なら詮無いことだが。
そーじゃん夢なら怖くねえ。
「へへ、なーにが那須与一だ。こちとら鹿目潤だっつの」
「カナメジュン……それが君の名か。覚えておこう」
無表情に言って、自称・那須与一は矢を番える。スタンス、取りかけ、セットアップ、ドローイング、フルドロー。次はリリースで俺が死んで、綺麗なフォロースルーをきめるのだろう。上等だコラ。
「まだ墓標に刻むつもりはねえぞ」
「その意気やヨシ」
洋弓がしなり、矢先がクリッカーを通過する。カキンという音とともに「死」が放たれ――刹那、青年の足元が崩れた。否、崩した。踵で大きくスタンピングして。
背中から瀬戸内の海へダイブしながら、カナメは与一に中指を立てる。
(あばよ、夢芝居)
――ざぶん、と世界にフィルターが掛かる。揺らめく水面の光がしだいに遠ざかっていき、浮かんでいく泡を見送りながら、深い水底へと身体と意識が落ちていく。
夢の中でカナメは夢を見る。それは淡い記憶、学生時代に地元で過ごした夏のメモリー。スクール水着に身を包んだ幼馴染が、滴る玉水を煌めかせ、プールサイドから手を振っている。さっきまで彼女が浸かっていた塩素だまりにあって、カナメは小さく手を挙げて応える。
彼女は、水泳が得意で《浦中の人魚》と呼ばれていた。かといって水泳部に所属していたわけでもなく、その実力を発揮したのは水泳の授業のみであったが、どの泳法でもガチ部員を圧倒する記録を叩き出していた。眞渕英里可、エリちゃんと呼んでいたその子は、ソフトテニスでごく平凡な成績を残し、ごく平凡に恋をして、想い人といっしょに讃岐の地を離れた。
エリちゃんは今、どうしているだろうか……夢でそんなことを考えるほど、彼女はカナメにとって初恋であったし、これまで付き合ってきたどの女性も《浦中の人魚》と比べてしまい破局に至る。キスにも至らぬ間に。
目覚めて高速バスのシートに戻れば、隣にエリちゃんがいればいいのに。などと子供じみた妄想を引き連れて、カナメは意識をサルベージさせていく。瞼を開ける。
「うぅ……んン……」
ピンボケした寝惚け眼の視界が、こちらを覗き込んでいる女の輪郭を捉える。やがてはっきり像を結んだ彼女の顔は、まさしく《浦中の人魚》眞渕英里可であった。
「エリちゃん?」
「違う。ウチの名前はハルナゆーんよ」
困ったような笑みを浮かべ、エリちゃんクリソツの少女が名乗る。視界いっぱいに少女ハルナの顔、ということは膝枕をされているようだ。その胸は平坦であった。確かに当該事実において少々、眞渕英里可とは異なる。けれども斯様な差異ごときで諦められようか。
「ハルナ・エリチャン」
「あんた、どーしてもウチをエリちゃんとやらにしたいん?」
少女はフルネームを本多榛名と告げる。
「なるほど。ハルナさんとやら」
「なあに」
「俺は、高速バスに乗っている最中うとうとしてしまい、隣のシートにいるキミの膝へと身を預けてしまった……というわけだな」
「全然ちがう」
膝枕したままハルナが溜息を落としてくる。
「あんたはドザエモンとして浜に打ち上げられとって、親切な美少女のウチが助けたんよ」
なんともはや。みょうきちりんな夢はまだ続いているらしい。カナメは上半身を起こし、周囲を見回す。そこはボロっちい木造のあばら家で、投網のような道具が置いてある。そして板張りの壁の隙間から夕焼けと共に入り込む潮の匂い――家というより漁のための倉庫なのかもしれない。と一瞬思ったが、どうも釜など炊事場を備えている様子。しかも湯気が立っている。
「なにか作っているのか?」
「そこは〝なんがでっきょんな〟でしょお」
「なんもでっきょらん、て返してくれるのか」
「あっはは。それが香川のテンプレ挨拶やもんね」
讃岐弁トークを交わし、ハルナが立ち上がる。釜からうどんを揚げ、小さな桶に入れてカナメに差し出す。
「はいっ、おもてなし!」
桶から立ち昇る小麦の香りに呑まれ、カナメは茫然とする。
かつて香川にはもてなしの文化があった。お遍路さんを家々が迎えて、うどんを振舞っていた。それは一般店のうどん屋に引き継がれていったが、半ば失われかけていたモノだ。一般店ではないセルフの『鶴亀製麺』に征服された世界なら、なおさらだ。ディストピアにあって、もてなしの文化が生きていることにカナメは感動した。感動のあまり茫然としていた。
「ええっ、そこで泣く? またびしょびしょにして、ドザエモンやね」
黒いつゆを注いだ小鉢と、枝を削った箸が渡される。
いざ実食すると、麺は手切りの不揃いさで心地良く、かつ西讃を想わせる剛麺ぶり。つゆもカタクチイワシの旨味が効いている。ベストではないが上の下くらいには評価できる味だ。もてなしのうどんであることを加味すれば総合点は一〇〇点をゆうに超える。超えるとも。
「俺はドザエモンじゃねえ……鹿目潤だ」
涙が零れたからだろうか。食べ進める釜揚げの味は、しょっぱさ増しで感じられるのだった。
そういえば、古い映画の挿入歌で、若かりし大女優が間奏の口上を添える曲があったなあ。うどんの唄ってのが。しょっぱい夜もあるんだよ。まだ帳が降りるには早そうだが。
瀬戸内の西側は夕日が海に沈むため、暮れ泥むまでが非常に長い。詫間からほど近い仁尾のあたりは、日照時間日本一のギネスを持ってるくらいだ。たぶん落ちた場所からそう離れてはいないだろう。
「ごちそうさん。美味であった」
うどんを平らげたカナメは、ここまでの経緯をハルナに打ち明ける。興が乗ってしまい講談師めいた語り口になり、気恥ずかしくなり反省する。いやはや。
「ふうん、カナメも大変やねえ。これからどうするん?」
「レジスタンスと接触する。後はそれから決めるさ」
国家権力ども、刺客・那須与一は、カナメをレジスタンスの一味と断じて殺そうとしている。弁明する余地はなさそうであったし、ならばいっそレジスタンス側に与して保護してもらうが吉だ。
幸い、レジスタンスに会う手段はハルナが知っていた。緑のアヒル印がプリントされた、うどん粉を詰めた袋……『鶴亀製麺』のそれとは規格の異なるうどん粉を、闇市にてレジスタンスが配給しているらしい。
「しゃーないなあ。美少女のウチが案内したげる」
「……どうして、ハルナはそんなに親切なんだ」
「親切な美少女やからよ」
「いやいや、違くて」
「情けは人のためならず、ゆーきんな」
顔に似合わず豪気な口ぶりに、カナメは、エリちゃんではなく祖母の面影を重ねる。悪意はどこにも感じられない。――そもそも俺を助けたところで一文の徳になっても得にはならねえ。お人好しなんだコイツは。
現代において香川県民はケチんぼと思われている。フーテンの虎なんとかって風来坊も、最後の最後になるまで香川の地を踏まなかった。そんな魔界にうちの虎をやれないと監督が拒んでいた。けれど江戸時代くらいに遡れば、助け合い、もてなしの文化に満ちていたと分かる。
水不足なんかでケチがついたのか分からないが、香川県民は、元来お人好しなのだ。
「おばあちゃん、って呼んでいいか」
「まだウチ、花の十代よ。カナメのほうこそ爺でしょ」
「ギリ二十代だぞ、お兄ちゃんと呼べ」
「十代からしたら爺よ」
ほーん、撤回するわ。香川県民は性格悪し。
闇市が開かれるというXデーまでの数日、カナメはこの海辺の小屋でハルナと生活を共にする。どうぶつの棲む森ゲーもかくやというスローライフである。投網漁をして、木の実を採集し、石で口を漱ぎ――
(とはいえ、口ひげはなんとかしたい)
顎を撫でればジョリ、とタワシのような感触。剃刀はなさそうだし感染症も怖い。爪が痛くなりそうだが一本ずつ抜いていくか。まだハルナの眠っている朝焼けの時分、カナメは浜をさまよい、鏡代わりになる潮だまりを探す。さほど苦労せず数分のうちに見つけられた。
(キアヌくらい無精ひげが似合ってるといいな)
鏡よ鏡、屈みこんで水面を覗く。
「……俺、こういう顔だったか?」
滅多に鏡の前に立たない、立ったとしても意識しないので確信が持てない。警察隊とひと悶着あった、ガチで命を狙われた、男子三日会わざれば、なんていう。顔立ちが変わっていてもさもありなん。
「うーむ。しかし、こんなに顎が長かったかね」
「お魚でもおるん?」
後ろからハルナの顔が潮だまりに映る。
「いるのはイケメンと美女だけだよ」
「美女と野獣の間違いやない?」
辛辣な言いようだな。傷ついたぜ。
「カナメが髭面の不審者にならんよう、ウチが剃ったげる」
「剃刀あるんかい」
「刃先を火で炙るし、ちゃ~んとクリームもあります」
どうして言ってくれなかった。訊けば「待ってた」とハルナは答える。
「ウチはね、お髭を剃ってあげるの趣味なんよ」
なんでも父親によくしてあげていたらしい。ファザコンかよ。
(もう、その父親はいないのだろうか。訊けやしない)
代わりにされているのは癪だったが、ハルナとの日々は、エリちゃんとの時間を取り戻せているようで心安らいだ。TV番組で観たようなサバイバルをして過ごし、そうしてXデーの夜がやって来る。
「行こまいっ、カナメ!」
「おうとも」
ハルナと共に意気揚々と闇市へ出かける。ずうっと浜辺沿いに歩き、そこからジャングルめいた森の中へ。海と山が隣り合っているのが瀬戸内ならではの景色だ。荒地化している一帯を差し引いてもファンタジーが平常運行している。
夏の盛り、鈴虫やらカエルやらの合唱に歓迎されつつ茂みを掻き分け進むと、竜宮城めいた巨大な門が現れた。そいつを潜れば、拓けた運動場のような場所が広がっていて、篝火がいくつも焚かれ、露店がいくつも軒を連ねている。説明されずとも闇市に相違ない。
「この店はキーホルダーを売ってるのか」
「よお見ぃな。それゲームやきん」
「は?」
手にとって見れば、キーホルダーのアクセサリーと思われた部分は小さな画面を備え、テ○リスめいたゲームができる仕様となっている。めっっちゃくちゃ懐かしいな?
「闇市で一番人気なんが、それら脱法ゲームなんよ」
「脱法……ゲーム?」
「カナメは、ほんまになんも知らんね」
呆れた様子のハルナが説明しようと口を開くも、露店商がお株を奪う。
「うどん県を支配するダイザン議員が敷いたゲーム条例により、県内のゲームセンターは勿論、家庭用ゲーム機に至るまで全てが破壊されてしまったのだ」
もっとも、西讃には元からゲーセンはなかったがね。出っ歯を見せてケケケと露店商が笑う。
「もしかして、TVゲーム以外にも規制が? 俺めっちゃボドゲも好きで」
「いやいや。テーブルゲームについて規制は一切ない。おかげで今じゃゲームといえばそっち、カタギの店はドイツみたいな雰囲気だ」
おっと。と何か引っ掛かった物言いで、露天商が補足する。
「ゲームと呼ぶべきかは分からんが、ベースボール、野球は厳しく禁止されている」
「はあ? なんでさ」
「ダイザン議員の考えは深淵であらせられるってこった」
「……」
もう夏の甲子園が始まっている時期なのにな。香川からの出場校はないのか。
香川県は決して全国レベルの球児が集っているわけではない。私立にしたって、大阪の強豪校から零れた人材がワンチャンス狙って流れてくる程度。それでも白球を追う情熱は等しくホンモノで。
(球児失格だなんて嘯いてた、アイツも――)
カナメの脳裏に、かつての親友の顔が過ぎる。
「野球? はともかく、ひとりプレイできるゲームは殆ど破壊されたんよ」
ハルナがお手上げポーズで流し目を寄越す。
「残ったのがソレってわけ」
「当店のゲームは質が良いぜ、旦那ァ」
「まあ、その、考えておきます」
海に落ちた際、持ち金の大半を失っている。ポケットに入っていた千円札を何枚か乾かして所持してはいるが、露店商が勧めるキーホルダー型のゲーム機は一万円を超える値がつけられ、なるほど闇市という感じだ。買えん。
(こんな場所にレジスタンスが……こんな場所だからこそ、か)
連中は少なくとも〝ひやあつ〟を解している。《麺通団》を名乗っているくらいだ。横暴な国家権力よりは信用できるだろうよ。ざっとウインドウショッピングもとい露店ひやかしを続けていると、不意にハルナが腕を引く。
「はじまるよ」
つられて視線を遣れば、SWATめいた防具をつけた妙齢の男が木箱の上に立ち、でんでん太鼓を鳴らしている。そういえば、日本昔ばなしのオープニングも香川がモチーフだったな、などと考えつつ男の動向をカナメは見守る。
男は注目が集まったことを確認し、木箱に上がらず後ろに控えていた、同じ装備の仲間たちにアイコンタンクトを送った。仲間たちは、例の、緑アヒル印の袋を抱えて前に出る。たちまち行列ができ、SWAT(仮)は次々に袋を配給していく。特に説明なく無言のままに……。
おそらく彼らがレジスタンスだ。
「思ってたイメージとだいぶ違うな」
「ゲバ棒振り回してると思った?」
あんなんダイザン側のヤラセ、弱者イメージの植え付けよ。ハルナはなぜか(ない)胸を張る。
「じっさいはアサルトライフルからロケランまで持っとる」
「どこから手に入れてくんだよ、んな物騒なもん」
「県外に支援者がおるんよ」
スパチャってレベルじゃねーぞ。とにかく、まずは話をしないとな。
カナメはハルナと配給の列に加わり、順番が来るのを待つ。いよいよレジスタンスの前に立ち、袋が手渡されたところで、カナメは口火を切る。
「お前らがレジスタンス」
途端に、対面の隊員から口を塞がれ、また他の隊員からククリナイフを喉元に突きつけられた。さすがは国家権力相手にバチッてるだけのことある。やはり暴力は全てを解決するってな。くそったれ。
「カナメは警察やないよ。ただの純朴な若い衆。朴念仁」
隣から顔を覗かせたハルナが説明すると、意外にも素直にレジスタンスは緊張を解いた。余計な一言を添えるんじゃあないよ。
「彼は、その警察から追われとるんよ。力を貸してあげて」
ハルナの願いに、隊員たちは「ハッ」と短く返答して従う。お前らもお人好しかよ。
対面しているロン毛に無精ひげの隊員が、どうもリーダーであるらしく、奥の陣地へ案内してくれる。吊るしたランタンが照らすテントの内、彼の隊員とカナメとハルナ、三者対談が行われる。
「経緯は分かりました。あなたは県直轄のうどん店に入り〝ひやあつ〟の四文字を口にした……死にたがりとしか思えませんな」
「いや、そもそも、ここは俺の知ってる香川じゃあないんだ」
カナメはさらに時系列を遡って説明する。県外から高速バスに乗り、淡路島を渡って香川に入ったこと。つい数日前まで、香川県がこのような状態になっているとは露知らずだったこと。レジ公(レジスタンスの人)の眉がみるみるうちに吊り上がっていく。
「待ちぃ。カナメの言いよることは嘘やない」
目ぇ見れば分かる。とハルナが肩入れしてくれる。
そんなヤバイ状況だったの、今。
「しかし……それでは、この方はいったい何者なのですか。やはりダイザンが復活させた那須与一と同じく《偉人兵器》なのでは」
「そんな偉人に見える?」
「見えませんが」
よく分からんがスゲー馬鹿にされた気がするぞ。
「たぶんカナメは、浦島太郎なんよ」
「亀を助けた覚えはさらさらないけどな」
幼稚園児の頃、ビオトープで飼われてたデカイ亀の世話はしていた。プライベートでゼニガメを飼っちゃいないし今後飼うつもりもない。はて。
浦島太郎はものの例え、と前置きしてハルナが続ける。
「那須与一とは違って単純に、って言い方ヘンやけど、タイムスリップしてきたんちゃう」
「はぁ~~っ、マジか、玉手箱なくて助かったわ」
「ふざけてないきん」
「じゃあ、今は西暦何年なんだよ」
「西暦なんてものは終わりましたよ」
このロン毛のレジ公は何を言ってるんだ。
「カナメ、よぅ聞いて。今は讃岐暦八〇三年」
「頭が痛くなってきた。ふざけるのは大概にしろって」
語気を強めたカナメの頬に、一筋の灼熱感が走った。瞬き一回するか否かの間に、ハルナが、レジ公の腰からククリナイフを抜いて一閃したのだ。
「ふざけてない、ゆーたやろ」
「……」
カナメが左頬へ指を添わせれば、薄皮一枚裂けたのか、うっすら鮮血がつく。
「目ぇ覚めた? 夢やない」
「ハルナ、お前こそ何者なんだ」
「ウチは」
ハルナはククリナイフの刃で帯紐を切り、纏っていた小袖をはだける。怪人が正体を現すように大きく派手に翻す。着物が落ちた時――そこにはバイオの主人公みたいな、SWAT装備の女がいた。
「レジスタンス《麺通団》のリーダー、本多榛名」
「……ンだよ、そりゃあ」
堂々たる出で立ちで見下ろしてくるハルナに、カナメは失笑するしかなかった。
対等だと信じていた相手が、実は立派な肩書きの格上で、ましてや自分は監視対象だった。どうしようもないマウントからは逃れられず、吐き気を催す。
「全部、演技だったってか」
心許ない異世界めいた香川の片隅で、歩幅を合わせて歩いてくれる友に出会えた気になっていた。初恋と瓜二つのハルナに、都合のいい幻想を視ようとしていた。
「体制側の《偉人兵器》かもしれんきん、慎重にならんといかんかった」
違うって確信できるまで、敵対的な感情を抱かせるわけにはいかんし。少しだけバツが悪そうにハルナが言い訳を並べている。リーダーだと思っていたロン毛のレジ公も、慇懃無礼なツラで口を挟み、彼女の正当性を補足する。
(やめろよ、そんな、解雇事由の説明みたいに)
さながら俺はパンダ、かもしれない可能性の獣だったわけだ。
だが、パンダではなかった。もてなすべき存在ではなかった。勘違いよりツライぞ。
「――! ――、――!」
もはや、言ってることも聞こえない。ゆっくり心が閉じていく。
ハルナという存在が遠くなっていく。エリちゃんがそうであったように。
滾々と湧く惨めさが内から溢れ、衝動的にカナメは立ち上がっていた。卑屈な憤怒の眼差しでハルナを一瞥し、何も言わずテントを出る。
「カナメ!」
ようやく認識できたハルナの声を背中で聞き、歩みを止めずにジャングルへと入る。藪の中、小枝に腕や脚やらを引っ掻かれるが、怒りで痛みは厭わない。痛みへの強がりが、カナメにできる唯一の反駁であるよう思われた。
(どうして、俺を引き留める)
自身の後ろめたさを説得により払拭、清算したいのか? なんとも手前勝手な話じゃないか。
エリちゃんもそうだった。恋人ができてから、幼馴染の俺を、まるで透明なベールで払うように遠ざけて。けれども彼女は決して恨まれたくなかった。俺に嫌われたくはなかった、いや、俺に嫌われる眞渕英里可でありたくはなかった。文通だけで俺との関係を繋ぎ留めようとした。みんな勝手過ぎるだろ。
ドラマや小説なんかでは、こういうとき雨が降る。主人公の心を反映して。見上げた夜空は霧に覆われ、さもありなんと小雨がカナメの頬を打つ。
雨宿りできる場所を探すか、と意識しながら歩みを進める。意地でもあの竜宮城めいた闇市には戻りたくなかった。さらにジャングルの奥地へ彷徨う。黒々とした紫雲出山を背に、荘内半島の先端へ。
やがて、茂みを掻き分けたカナメの前に白亜の灯台が現れる。讃岐三崎灯台――。
「あった……そりゃあるよな、灯台だもんな、なくなるはずない」
潮風を感じながら、潜水艦のハッチみたいな入口を開け、灯台の中へと踏み入る。すると暗がりの奥から突然に――火炎放射が放たれた。ヨガのフレイムより瞬間的、しかして狐火というには迫力があり。
「うおっ!」
堪らずカナメは尻餅をつく。と、からから鈴が転がるような笑い声が、炎に次いで飛んでくる。
ひょいと月明かりの元へ姿を現したのは、熊でもヨガの人でもなく座敷童だった。座敷はないから洞窟童か、ともあれ前髪ぱっつんの日本人形めいた童女が、ズッコケたカナメを興味津々に覗き込んでくる。その瞳は金色で爬虫類めいている。にたりと見せる歯も鋭い牙でギザってる。それだけじゃない。背中からは蝙蝠っぽい翼が、お尻からはワニっぽい尻尾が伸びている。
そんで? さっきの炎はどこから出した?
「妖怪だな。間違いない」
「ニコルはね、ニコルだよっ」
「ようし、妖怪ニコル、お前は人間を食うか?」
ニコルはふるふる首を横に振る。艶やかな黒髪がばさばさ躍動する。
「炎で俺を嬲るか?」
「さっきのはねえ、びっくり!」
小さい身体を揺らしながら、無垢さたっぷりに万歳してニコルは答える。
「OKわかった。銃や弓を撃ってくる連中より一億倍マシだ」
ここで雨宿りさせてもらっていいか? カナメが訊くと、ニコルはう~んと眉を寄せる。
「いいけど、ニコル雨女だから、長いよ?」
「構わん。急いでない。あと俺も雨男だからお互い様だ」
「ニコルとおんなじだあっ」
「お前は、俺なんかと違って……あったかい雨を降らせそうだけどな」
純真さにあてられ自嘲が漏れる。頭を撫でてやるとニコルはにぱっとギザ歯を見せて笑い、
「じゃ、オジサンとニコルでちょうどいいね!」
「ちょうどいい、ね」
確かに、お似合いかもしれない。山月記の李徴よろしく、山で異形となってコイツと生きていくのも悪くない。李徴のように成したい何かがあったわけじゃあないが。
「ひとつ訂正させてくれ。俺はオジサンじゃない」
「おじいさん?」
かくっと可愛げにニコルが小首を傾げる。
「翁でもない。俺は鹿目潤、カナメだ」
「かなめ~」
百点満点の回答に、カナメはまた頭を撫でてやる。
ハッチを開けた灯台の入口で、ニコルを膝に乗せ、じっと雨が止むのを待つ。
(娘がいるって、こういう……)
慈しめる気持ちになるもんだな。煮え滾っていたはずの怒りが、すっかり冷めている。ここは灯台だが、俺にとっては教会だな。隠れキリシタンかよ。
どれくらい経ったか、ニコルが舟を漕ぎ始めた頃、雨音が止んでいるのに気づく。
そして、焦げついた臭いが夜風に運ばれてくる。
(山火事? 雨の後にか?)
胸騒ぎがして、ニコルをそっと寝かせて灯台を上る。てっぺんから見渡せば――森の局所から火の手が上がっている。位置からしておそらく、あの闇市が。
雷でも落ちた? いいや、稲光も雷鳴もなかった。人為的なものだ。
カナメの脳裏に、据わった目の少女・那須与一の顔が過ぎる。
(俺のせい、だよな)
逃げ切れたと思ってた。そんなご都合展開ねーわ。泳がされてただけだ。俺をレジスタンスの一味だと断じてた、やっこさんは俺が巣に帰るのを待ってただけだ。
「……」
鹿目潤は、びっくりするほど無力。行って何ができる? 何もできやしない。犬死がいいとこだ。
それでもな……始末に負えないことに、行かない俺でありたくない。結局、エリちゃんやハルナとおんなじだ。自分に誇れる自分でありたいんだ。まだ夢見心地が抜けきらなくて、死の恐怖が薄いってんなら上等だよ。臆病者が酔わずに死線へ出られるかっ。
「今がその時だ! ガンホー!」
灯台から下り、ひとり、戦場へとカナメは駆ける。
俺は、自尊心を捨てきれない獣だ。といっても鋭い爪があるわけでも牙があるわけでもなし。山月記みたいに虎になってりゃよかったんだけどな。くそったれ!
李徴というよりメロスの心持ちで、燃ゆる森へと、闇市へと駆け戻る。
途中で躓き、転がるように茂みを抜けると、警官のナリをした暴徒により市場は制圧されていた。火矢を放たれた露店が崩れ落ち、力任せに振るわれた警棒が商品のゲーム機を破壊する。
「まじディストピアじゃねーの」
呟くカナメの足元に、弾き飛ばされ破壊を免れた卵型の携帯ゲーム機が転がる。
拾い上げたところで、あの少女射手が対峙する。
「そいつを寄越してもらえるか。カナメ殿?」
「……那須与一ぃ……」
「覚えてくれていて光栄だな」
洋弓を手にしたまま与一は大仰に腕を広げる。
「君のおかげで、不法な市を潰すことができた。レジスタンスの拠点でもあったようで一石二鳥だ」
「俺を、泳がせてたんだな」
「文字どおりね。いや、溺れてたカナ?」
肩を竦める与一に「この野郎」とカナメは毒づく。
「今の我は、うら若い乙女なのだがね」
与一は、けんけんぱっとカナメに近づき、上目遣いの邪悪な笑みを浮かべる。ニコルとは正反対の。
「野郎にしろ乙女にしろ、我のタカの目は健在だ。誰も逃れられんよ」
「そのワリに、誰かさんを必死に探しているようだが?」
カナメの皮肉に与一の顔が苦々しく歪む。あらかた露店を叩き潰してなお、警官隊は忙しなく何かを、もとい誰かを捜索している。十中八九、レジスタンスのリーダーである本多榛名を。広場で簀巻きにされたレジ公の顔ぶれに彼女はいない。
「君はいちいち癪に障るヤツだな」
「ゲームは心理戦なんだよ」
「はあ?」
あんぐり口を開け眉根を寄せる与一に、カナメは印籠よろしく卵型ウォッチを掲げる。
「お前が渡せっつー、このゲームにしたってそうだ。モンスターを育成して互いに戦わせる仕様で、四つまで技を覚えさせることができる。駆け引きを学ぶにはもってこいだろ」
「……」
「見ろよ、このマヌケ面した、ウドンみたいな名前のモンスター。こいつなんか、香川県の公式PRに使われてたんだぜ?」
「何が言いたい」
「お前らが潰そうとしてる文化はな、今の俺を形づくってるし、必要なもんだと言ってんだ」
逃げ出した腰抜け兵のセリフじゃあないな。だが、大いに隙をつくることができた。
樹上で様子をうかがっていたロン毛のレジ公が奇襲をかけ、空中からククリナイフを振るう。与一は間一髪で躱すが、冷や汗をかいたという表情。それでもさすがは《偉人兵器》といったところか、弓を持ったまま数秒でロン毛を組み伏せてしまった。サブミッションまで使うのか。
「やるなカナメ殿。口先だけは達人だ」
「俺もレジスタンスに生み出された《偉人兵器》だからな」
もちろん口から出まかせである。
「ほう。レジスタンスにも斯様な技術があるとは」
「今すぐお前が、ダイザンのところに案内するってんなら、降ってやってもいい」
「我を、戦場から引き剥がそうという魂胆」
「最後の義理立てだよ」
嘘はついていない。今にして思えば、何にせよハルナは匿おうとしてくれた。俺が《偉人兵器》でないと確信してなお、だ。そいつに報いたいって気持ちは嘘じゃない。
「よかろう……我も武士だ。君の想いは理解できるからね」
裏切りきれぬ者こそ信用できる。与一は納得した様子で、ロン毛にチョップを入れて昏倒させてから、すっくと立ち上がる。握手を求められたがカナメは拒否した。与一はさらに満足げだ。
投降したカナメは、モンスタージャムの四輪駆動がパトカーのコスプレしたような車に乗せられ、浜街道を北北東へ。ゴールドタワーの麓を通過して、山を登り、トンネルを抜け――高松港へ至る。
そのままフェリーに乗り入れ、瀬戸内海を渡り始める。
「まさか、岡山か大阪行じゃないよな」
「ダイザンは香川の統治者だよ。さすがにね」
与一の答えはもっともだ。行先は県花・県木のオリーブ茂る小豆島か、瀬戸内芸術祭を彩る島々か。
やがて到着したのは、瀬戸内海に浮かぶ島の中でも比較的大きな、女木島という島だった。別名を鬼ヶ島という。あの桃太郎伝説の舞台だ。
桃太郎といえば岡山のイメージが強いが、香川にも鬼無という土地があり、鬼無駅には某電鉄ゲームのキャラが石像になって並んでいる。岡山駅前の桃太郎像おそるに足らず(御無礼!)
フェリーから上陸した四輪駆動は、朝焼けの中、女木島の山をガンガン登っていく。山頂にあるはずの洞窟は、役所感のある大きな施設に呑まれており、カナメを乗せたパトカーもどきは施設内の駐車場でエンジンを停止する。
「ようこそ、香川県庁へ」
先にぴょんと降車した与一が、あっけらかんと告げる。
「まずは、君の同僚を紹介しよう」
「同僚ぉ……?」
「《偉人兵器》ってことだよ」
無機質で未来的でディストピア感満載の廊下を進み、ふと与一が足を止める。壁の認証パネルに掌をかざすと、鉛色をした(廊下の壁と同化していた)ドアが、ぷしゅーっと音を立ててスライドする。
途端に、噎せ返るような血の臭いが溢れ出す。
「おえっ、なんだ、これ……」
「食事中なんだよ。ほら」
与一が指さした先には、ミキサーにかけられたような動物の死骸がいくつも転がっている。犬、猿、……雉? 桃太郎のお供じゃねーか。
「鬼でも飼ってんのか」
「まあ、そうだね」
しだいに暗闇に目が慣れてくる。死骸を貪っている何者を、カナメは認識する。
それは、まさしく桃太郎であった。あえて描写せずとも想像に任せられるビジュアル、ただしバーサーカーの雰囲気がヤバみの化身である。獣のごとく低い唸り声を上げている。
「彼は、鬼無桃太郎。女体化されなかった《偉人兵器》は軒並みアレだ。狂化されてる」
ダイザンの趣味で女体化されてよかったよ。と那須与一が軽口を叩く。
「軒並み、ってことは他にもいンのか」
「然り。桃太郎の後ろをよおく見てごらん」
「……」
カナメは目をこらす。見えてきたのは、桃太郎と違い、落ち武者に毛が生えたようなナリの屈強な男たちだ。雰囲気だけは同じくバーサーカーめいて、やっぱり犬・猿・雉を食っている。
「彼らこそ本家本元の鬼、村上水軍の皆さん」
「こりゃ参った」
村上水軍は、女木島を根城にして、海上の通行料をせしめていた〝海賊〟だ。ある意味で海の治安を守っていたとも言えるが、桃太郎伝説は彼ら村上水軍を討伐するストーリーに他ならない。
ここまでヤバイ武を揃えているとは。レジスタンスの連中はよく全滅せずにいられるな。
「ふふ、道草を食わせたね。ダイザンのところへ案内するよ」
お邪魔しました、と食事部屋を後にし、与一とカナメは先へと進む。
それにしても人とすれ違わない。県庁とはこれほど閑散としているものであったか。あまり県庁に行ったことないから分からねえ。
「着いたよ」
「最奥ってか。ボス部屋だな」
「ダイザンは権威が大好きだからね」
おっと口を慎もう。嘆息して与一が最後のドアを開く。
中は、石柱の連なる大広間となっていた。アレだ、勇者が王に謁見するときの部屋だ。レッドカーペットまで敷いちゃって。SFからいきなりファンタジーになってきた。
(あれが……)
ボス部屋のさらに一番奥、やや高い位置に玉座があり、そこにダイザンらしき男が腰掛けている。
(香川の統治者、悪の親玉か)
ダイザンなんて名前だから、どんな大男かと思っていたが……痩せ身で初老、能面の翁を十五年若返らせたような、のっぺりとした面構えをしている。身なりはスーツにネクタイ。そういえば誰かが「ダイザン議員」なんて言ってたな。《偉人兵器》と比べて覇気こそ感じられないが、まとわりつくタールのような、怖気立たせる目つきをしている。
「ダイザン様、お連れしました」
「うむ。報告は受けている。その方、レジスタンスの《偉人兵器》らしいな」
「ああ……浦島太郎だ」
ダイザンから目を逸らさずカナメは答える。
「ふむ。詫間町は浦島伝説の舞台であったな。それで、浦島太郎には何ができるのかね」
就活の最終面接かよ。ムカムカするぜ。
「何ができると思う?」
「私に問うか、浦島よ。貴様にできるのは、釣りか、悪餓鬼から亀を救うくらいのものだろう」
俺はな、亀が大好きなんだ。悪餓鬼のテメーから救いに来たんだよ。
――と、啖呵を切りたいところではあるが。
「浦島太郎としての俺の能力、それは時を越えられるってやつだ」
「なんとも壮大だな。続けろ」
「時を越えてきたからこそ、失伝した知恵を持っている」
「例えば」
「美味いうどんの作り方とか」
仏頂面を崩さなかったダイザンが眉をぴくりと動かす。
「……役立たずだな。与一よ、殺してしまえ」
傅いていた那須与一が「御意」と答え、背負った矢筒から下へ矢を抜く。やっぱ生存ルートは無理だったか。くそっ、諦めねーぞ。
「いいのか殺して。俺は死んだら、過去に遡れるんだぜ」
「本当にそうなら、種明かしをする道理はあるまい」
「へへ、確かに」
さすがは悪の親玉、頭いいじゃん。詰んだな。あとは与一の初撃をラッキーで躱し全力逃走だ。
お手上げポーズで「死」が飛んでくるのを待ち構えていると、都合良く、ちゃぶ台返しが起こる。広間の石壁をぶち破り、県庁の外から一匹の巨大なドラゴン――日本の昔ばなしに登場するような――が突入してくる。その龍に跨るのは、でんでん太鼓を持つ金太郎めいた坊や、ではなくSWAT装備のハルナだ。
「おいで!」
まっすぐ見つめて差し伸べられた手を、カナメは反射的に握っていた。龍の膂力をもって引っ張り上げられ、ハルナとタンデムになる。
「現れたな、妖(あやかし)め!」
与一が洋弓を引く。龍の目を狙って放たれたカーボン矢は、ハルナのぶん回したライフルの銃把により打ち落とされる。そこが弱点であることを重々承知しているようだ。一点狙いのカバーだったな今の。
「ダイザン!」
ハルナは空いた手で、懐から書状を取り出し、投げつける。龍の加速力が乗ったそれは、ダイザンの顔面に叩きつけられる。ハリセンのような音がした。
「ウチは、あんたを許さんきん!」
ダイザンの反応を見る間もなく、龍は石壁の穴から脱出する。
かくしてカナメは死線を越え、この不浄の地を離れるのであった。
「はあ~~死ぬかと思った」
蒼穹をうねるように泳ぐ龍の背で、カナメはようやく一息つく。眼下にはミニチュアのように小さな讃岐の山々、川、民家、例のチェーンのうどん店。岡山の某ブラジリアンパークも顔負けの絶叫アトラクションだが、今のカナメは不思議と緊張の糸がほどけていた。
「ハルナ、お前は、逃げたんじゃなかったんだな」
防弾チョッキを着た小さな背中に声をかける。
「荘内半島の灯台に棲む、この子を呼びに行ってたんよ」
ぽんぽんと龍の腹をハルナはやさしく叩く。制圧されていた闇市はドラゴンパワーを借りて解放し、戦線を鳥坂峠まで押し返したらしい。
「鳥坂峠つったら中讃と西讃の境だろ。わざわざ鬼ヶ島まで来るこたぁ……」
「カナメはもんてきてくれた。それにハマダから聞いたんよ。――あっ、ハマダっていうのは、テントでいっしょにいたサブリーダーね」
ロン毛で無精ひげのアイツだな。
「カナメは《偉人兵器》那須与一を謀って、戦場から遠ざけてくれた。おかげで死人はゼロ」
何よりだ。今後、闇市の場所は変えざるを得ないだろうが。
「そんな功労者を見捨てるなんて」
「リーダーとしてできない、か?」
それもあるけど、と一度瞼を伏せてから、ハルナはよじっていた身体を完全に反転させる。龍頭に対して後ろ乗りして、カナメと対面になって見つめる。
「本多榛名としてできない」
彼女の琥珀色の瞳が、ずいっと迫る。
「ウチのお父さんな、今は疎遠になってるんやけど、昔は行動で示してくれるパパやった」
瞳の奥に憂いと願いが混ざって現れる。
「カナメも行動で示してくれた。そういう人を、ウチは大事にしたいの」
「……俺はさ。お前が、初恋の女に似ていたから、良いとこ見せようとしただけだ」
「ほんだきん褒められた人間やないって?」
やれやれとハルナが溜息をつく。
「それゆったら、ウチやって、カナメが初恋の男に似てたからよ」
「話の流れからして、お前の父親だろ」
「そうやけど文句あるん?」
「いいや?」
どちらからともなく笑いが漏れる。
「似た者どうしやね」
「そういうことにしとく」
『はるなとかなめ、なかなおり!』
「おうとも、仲直り……って、その声は!」
『ニコルだよっ』
確かに、あの舌足らずな少女の声である。まるでラジオを通しているかのような、ヘンに反響している具合だ。
「どこから喋ってる。龍に食われてんのか?」
『ニコルがどらごんなの! かっこいいでしょ♪』
「ははあ~~ん、骨伝導で声が伝わってきてるとかそういう。つかビジュアル変わりすぎだろ」
『だっぴしたら、元にもどれるもん!』
「変身とかじゃないのかよ」
「……びっくりした。カナメ、ニコちゃんと面識あったんやね」
スケこまし、とかボソッと言ってんじゃねーぞ。
「ニコちゃんはね、ダイザンのところで実験動物として扱われてたの。あの人は《偉人兵器》の技術を応用して、昔ばなしの神性を再現させようとした」
アニメのオープニングのアレね。香川がモチーフになってるもんな。
「ウチは、ニコちゃんといっしょに一抜けしてきたんよ」
『いちぬけ~♪』
どんだけ~、みたいに言わないの。
「お前って、元々は県庁勤めだったのか」
「ん。まあ、そんなとこ」
この話題は触れられたくなさそうだな。墓穴掘ったって雰囲気だ。
「そういや、ダイザンの鼻っ面に叩きつけてたアレ、何だ?」
「あれはねぇ、果たし状」
「果たし状」
思わず、ニコルみたいにオウム返しをしてしまう。令和の世から(たぶん)ン百年進んだ未来で、そんな古風過ぎる言葉を聞くことになろうとは。
「寡兵で劣勢とあっちゃあ、一騎討ちを挑むしかないでしょ」
斎藤道三みたいに。とハルナは続ける。
「道三はそれで息子の高政に負けたぞ」
途中から一騎討ちを反故にされてな。大河で観たやつだが。
「カナメなら勝てるよ」
『かてるぅ!』
「謎の信頼すんの、やめてくんない」
と言いつつ、頼られるのは心地良くもあり。
「ダイザン本人は出てこないかもしれんけど、果たし状を決して無視はできんよ」
「どうして」
「そういう性格なん知っとるから」
「……つってもなあ。ワン・オン・ワンに持ち込めたとして、俺は武芸からきしだぞ。県庁で見た《偉人兵器》どもに到底勝てるとは思えん」
『わお~ん!』
「言うと思ったわ」
ニコルなら勝てるだろうがな。いいや……たとえ勝ち抜き形式でも、ニコルにばかり負担はかけられない。那須与一はソッコーで龍の眼球を狙ってきやがった。
「カナメの危惧しとる点は、無問題よ」
ハルナはなぜか胸を張ってドヤ顔で続ける。
「果たし状で申し込んだんは――うどん対決やきん!」
かくして、漂流者・鹿目潤の、本当の闘いが始まろうとしていた。
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