第636話 タケシの想い
地下の暗い死体安置室には一つのベッドがポツンと置かれていた。
その上に横たわる体の上に白いシーツがかぶせられている。
ゆっくりと近づくルリ子は、力なく顔の上の白い布をまくり上げた。
そこには優しそうな笑顔で目をつぶるヒロシの姿が……
「お父さん……」
ルリ子の家庭は父一人娘一人。
貧乏ながら二人でここまで一緒に生きてきた。
たしかに、父はお金にはだらしない……ダメなクソ親父である。
だけど、ルリ子にとってはかけがえのない父親なのだ。
そう……それは……小学校の運動会……二人で走ったパン食い競争……
トップで走っていたヒロシとルリ子は、吊り下げられたあんパンに飛びつくと、ライバルたちのアンパンまでも残さず食い漁ったのだ……
ムシャムシャムシャ!
ライバルたちは食らうアンパンがないのでそのまま駆け抜けていく。
だから、当然、二人はビリっケツ……それでも、父はルリ子の頭を優しくなでてくれたのだ……
「ルリ子wwwアンパンうまかったなwwww」
「うんwwwお父さんwwwwまた食べようねwww」
ルリ子がグレようが……
父が博打で遊び狂おうが……
そんな父の存在はルリ子にとって唯一無二の存在。
その関係は変わらなかったはずだったのだ……
今ごろ……今頃になって父の存在を大切に思う……
その瞬間、ルリ子のこらえていた感情が一気にあふれ出す。
「お父さんっっっっ!」
ヒロシの体にすがりつくルリ子。
そんな悲鳴にも近い泣き声が冷たい死体安置室にいつまでもいつまでも響いていた。
ツョッカー病院から泣きはらした目で帰ってきたルリ子は、ハイクショップで茶を飲んでいる立花、タケシ、クロトに事の顛末を説明した。
ヒロシが死んだ⁉
鰐川先生が死んだ⁉
意味が分からない……
驚く三人はドラム缶のテーブルを囲んだまま固まり言葉を失っていた。
シーンと静まり返ったハイクショップの中に、ルリ子のすすり泣く声だけが小さく響く。
――これからルリは……ルリは……どうやって生きていけばいいの……お父さん……
父が死んだ事実……いや、なぜ、父が死ななければならなかったのかが納得できないルリ子の心は激しいきしみ音を立てていた。
それはタケシをはじめ三人にもよくわかった。
このままではルリ子の心が壊れる……
だが、死んだ人間を生き返らせることなどできやしない。
ならばどうすれば……どうしてやればいいのだろう……
分からない……
そんな時、いきなりタケシが大声で笑い声をあげたのだ。
「わはは! ヒロシ先生! 死んだんだって! 超ウケるじゃないか!」
その途端、ルリ子はキッと厳しい視線をタケシに向けた。
――このクソ野郎が!
そう言いたそうな唇は固くかみしめられ小刻みに震えている。
――タケシのくそ野郎が、あの時、クソ親父を無理やりにでも連れて帰ってくれていれば!
あの時、タケシが手術室から帰るとき、無理にでもヒロシと一緒に逃げ帰ってくれていれば、父は死ななかったはずなのだ。
――このクソ野郎! このクソ野郎! このクソ野郎!
それが、のうのうと一人だけ帰ってきて、その上、父の死を笑うのだ……
――こいつだけは許さない! クソ親父の仇をとってやる!
そんな殺意をむき出しにしたルリ子の眼を見ながら、タケシは笑みを浮かべるのだ。
――これでいい! これで!
そう、今のルリ子は誰かを責め続けていないと心が壊れてしまうのだ。
ならば……
誰かを責め続けることで心が保てるのであれば、恨めばいいではないか!
誰かを恨むことで生きていけるのなら、それでいいではないか!
生きていればそれでいい!
今のルリ子の心が何も希望のない枯れた大地であったとしても、生きていれば、そのうちきっと花が咲く!
「そうだ! 恐れないで♪ 生きる喜び♪ 例え胸の傷が痛んでも~♪」
「顔が(漂白剤で)濡れて力がでないよぉぉぉ!」
話は戻って、いまだにタケシの悲鳴が響くハイクショップのシャワー室。
そんなドアをルリ子が必死に押さえ続けていた。
「死ね! 死ね! このクソ野郎が! クソヤジの仇! 死にやがれ!」
そんな様子をビックリしながら見ているタカトとビン子に、クロトが事の成り行きを説明していたのだ。
「というわけで、鰐川さんは、父親であるヒロシさんを見捨てたタケシさんを許せないでいるというわけ」
――って、長いわい!
ビン子などはヒロインの座を奪われるのではないかとやきもきするぐらい。
そして、タカトは……
――実にくだらなかった……
と、興味なさそうに両方の鼻の穴に二本の指を突っ込んでいた。
仮面ライダー
さあ! お前の罪を数えろ!
一つ……二つ……
だが、この時、タカトは気づいたのだ。
そう! 指いついた鼻くそは二つ!
その二つの鼻くそと鼻くそがくっついちゃった場合、鼻くその存在価値は二乗の関係ではなく二倍の関係になることを!
って、そんな事じゃないわい!
というのも、
「ヒロシが死んだのはタケシのせいではなくて、デスラーのせいじゃないのか?」
何度も指をはじきながら指先についた二倍の鼻くそを何とか飛ばそうと頑張っているタカトから、そんな質問がくることはすでに予想済みであったかのようにクロトは肩をすぼめて仕方なそうに笑いかけるのである。
「だって、ヒロシ先生の死因は、アンパンをのどに詰まらせた窒息死だから」
ぴょ~ん! あ! 鼻くそ取れたwwww
と、気もそぞろのタカトは、当然、クロトの言っている意味が分からない。
だが、今までの話からすれば、当然、鰐川ヒロシの死はデスラーの融合加工手術の失敗だと思うではないか。
「はぁ~? なんだそれ? どうせデスラーの嘘だろ」
「死亡診断書にそう書かれている以上、ヒロシ先生が自分のうっかりで死んだことになってしまっているんだ。しかも、ヒロシ先生の体は借金のかたとして検体に取られたから、実際にデスラーが手術を行ったかどうかもわかなかったんだ……」
もうこうなると……残されたルリ子はデスラーやツョッカー病院を訴えることなどできない。
だからこそルリ子は、何かと理由をつけてタケシの責任にするしかなかったのである。
そんな騒がしいハイクショップ。
クロトはシャワー上がりのタカトたちを店内のドラム缶テーブルへと誘った。
「ねえ! ねえ! タカト君! 君の持っている融合加工の道具を見せてくれないかな?」
「えっ⁉ ただで?」
――って、あんた! まさか!金とる気かい!
一緒にドラム缶のテーブルの席に座ったビン子はドン引きしていた。
というのも、タカトの作った道具は、どれもこれも訳の分からないものばかり。
身内である自分がひいき目に見ても、社会の役に立ちそうなものなのどないのだ。
それどころか、エロ……いや、今、巷をにぎわせている性犯罪を誘発しかねないのモノばかりなのである。
それを金を取ってまで見せようというのである。
あり得ない! 絶対にありえない!
というか、そこまでして見たいという奴など、この世におらんやろwww
だが、クロトからの返事は……
「さっき、オヤッサンに優勝賞金あげちゃったから、今手持ちにこれだけしかないんだよ……」
と、財布の中からありったけの大銀貨を取り出した。
その数……なんと3枚!(3万円!)
それを見たタカトとビン子は当然驚いた。
「「なんですとぉぉぉぉ!!!!」」
だが、クロトは笑いながら、その大銀貨を手に集めると、
「こんなはした金じゃ、君の道具に失礼だねwwwwそうだ! これで! 何か食べるものを買ってきてもらうことにしようwwwねえ、タカト君! それでどうだろうか?」
「「なんですとぉぉぉぉ!!!!」」
またもや、タカトとビン子は驚きの声をあげていた。
この男! 大銀貨3枚(3万円)を、はした金といいよった!
マジか! マジなのか!
赤貧のタカトとビン子にとって、大銀貨3枚(3万円)といえば大金である。
これだけあれば……権蔵と3人暮らしの一か月、まともな食事ができるのだ。
それを……はした金……
――コイツ! どれだけ金持ちやねん!
――コイツ! 絶対になり金に違いないわ!
と、タカトとビン子が拳を握り唇を震わせているにもかかわらず、クロトはシャワー室から戻ってきたルリ子を呼び止めて頼みごとをし始めたのである。
「ルリ子さん、これで6人分の夕食を買ってきていただけませんか?」
「えっ? クロトのためにルリがご飯を作ったのではダメなのか? くそっ!」
と、少し寂しそうな表情を浮かべるルリ子の背後から、濡れた髪をバスタオルでごしごしと拭くタケシが覗き込んでいた。
「ルリ子さん! それだけはやめておくことをお勧めする!」
というか……タケシさん……あんた、先ほどまで漂白剤を頭からかぶっていましたよね……
それが、普通にタオルでゴシゴシって……何ともないんですか!
あっ! そういえば……
若干、真っ黒だったタケシの肌が、若干、白くなっているような……
もしかして、漂白剤には美白効果があるのだろうか?
って、あるわけないじゃん! だから、いいこのみんなはルリ子のように絶対にタケシの真似をしちゃだめだぞ!
おそらくタケシの肌は、油汚れで黒くなっていただけなのだからwww
「ルリ子さんが! クロちゃんのためにご飯を作ったら! 気合が入りすぎて明日の朝になっちゃうだろwww」
そう、ルリ子はクロトが好きなのだ。
だから、クロトのために料理ができると思うと、今から豚骨を買ってきて、一から豚骨を煮出し始めるのである。
ちなみに、濃厚な豚骨スープを作り上げるためには15時間以上煮込まなければいけないそうなのだ。
そんなことをしていたら明日の朝どころか昼になっても豚骨ラーメンを食べることができない。
「これ美味しいわね♪」
と、ビン子はルリ子が買ってきた北京ダック入りのサンドイッチを頬張りながら、もう一つの手には伊勢海老カツサンドをタカトに取られないようにしっかりと確保していた。
一方タカトは、
「うーん……なんだこの味は……」
口にしたフォアグラサンドに少々不服な様子。
これなら、あん肝サンドでもいいんじゃね?
って、あん肝だと少々味が濃すぎるんです!
どうやら、ルリ子はクロトから預かった大銀貨3枚を全部使いきって近くにある閉店間近、というか営業時間が終了したパン屋を叩き起こしてパンを買いまくってきたようであるwww
「開けんか! このクソパン屋ぁぁぁぁぁ! 今!何時だと思っているんだ! 寝るには早いんだよ! 起きろ! 働け! このクソ野郎が!」
ガン!ガン!ガン!
まるで借金の取り立てのようにルリ子が激しくシャッターを蹴りまくってまでして手に入れてきたサンドイッチ。
そんなサンドイッチの数々にタカトとビン子は次から次へと手を伸ばす。
その食い意地のすさまじさ……
それはまるで飢えた野良犬www
もう、二人の周りには粉砕機で巻き散らしたかのようにパンくずが散乱していた。
汚ねぇ!
だが、仕方ない!
だって……この二人、今日はカレーしか食べてなかったのだから……
いや……タカトに至っては、昼食のカレーをエロ本カクーセル巻きの取り換えプラグに格納していたから全く食べていなかったのだ。
だからもう、餓死寸前の空腹! 腹減ったぁ!
そのため、タカトなどは、目の前のサンドイッチをビン子にとられまいと、口の中に突っ込めるだけ突っ込んでいた。
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