第635話 ルリ子の想い

 というものであった。

 というのも、デスラーの意識は、失敗体のタケシではなく、これから融合加工の対象となるヒロシに向いているのだ。

 まして、ブラック企業のウソに気づいたタケシである。馬車馬のようにこき使うには、少々気を使わないといけない。

 それならば、融合加工したヒロシにその分、働いてもらえばいいのである。

 という事で、タケシは、あっけらかんとデスラーに尋ねた。

「俺! もう帰ってもいいっすかね⁉」


 その問いにデスラーはムスッとした表情を向けた。

 やはりダメかwwww

 だが、デスラーの回答は意外なものだった。

「ウァハハハアハ! 本郷田ほんごうだタケシ! 貴様! まだいたのか! さっさと帰れ! この失敗体め!」

 なにかカチンっとくる言い方であるが、簡単にも帰っていいという許しが出たのである。

 しかし、これに異を唱えるものがいた。

 そう、鰐川わにがわヒロシである。

 タケシが帰ってしまうと、自分がデスラーの融合加工手術の実験体になることは明白だったのである。

 だから!

「デスラー副院長どの! 奴は! 奴は!まだ盲腸の手術代を支払っておりませんぞ!」

 裏切りやがったwww

 この鰐川わにがわヒロシという男は、自分可愛さに再びタケシを売ったのであるwww

 だが、急性盲腸炎で倒れたときのようにタケシは意識がもうろうとしているわけではないのだ!

 それどころか! 蒸着されたコンバットスーツを身にまとっているのである!

 

 コンバットスーツに内蔵された電子頭脳が、この問題の最適解を瞬時に導きだした。

 そして! ひとこと!


「ごちになります! 鰐川わにがわ先生!」


 と、鰐川わにがわに向けて渾身の笑顔でお辞儀をしたのである。

 そう、これは新人社員が上司に飲み会に誘われた際に使う渾身の必殺技!「勝手に上司のおごりで食い逃げ作戦」。

 飲み会の終盤、いざ会計となった際に、上司が財布を出すよりも早く(ここ重要!)新人から先に上司に向かって「今日の飲み会ゴチになります!」と言ってしまう荒業なのだwwww

 そもそも、気のいい上司であれば、おそらく割り勘額よりも少し多めにお金を出そうと思っていたに違いないwwww だが、さすがに全額は想定していなかったことだろう。

 しかし……ここで「何言ってんだよwww普通、割り勘だろwww」と言ってしまうと上司としての立場がなくなってしまうのだ。

 そう、明日から扱いにくい新人たちが事あるごとに「鰐川わにがわさんってケチだよねwww」と陰口をたたくのである。

 これでは仕事がはかどらない……

 そう、管理職としての自分の能力が疑われかねないのである。

 ――ならばどうする……

 もう、こういう思考に陥るとヒクヒクと笑顔がひきつりはじめるwww

 だが、これで終わらないwww

 そう!新人から、とどめの一言が叩き込まれるのである!

鰐川わにがわ先生! 俺! 明日から!一生懸命!仕事頑張ります!」

 などと満面の笑みを向けられるのだ。

 もう、こうなると……チェックメイト……このシチュエーションから割り勘などという言葉は口が裂けても言いだせない……

 ということでwww

「お……おう……任せておけ……」

 となるのだwwww


 意気揚々とスキップを踏みながら手術室のドアから出ていくタケシ君。

 それを見送る鰐川わにがわヒロシは何か腑に落ちない気持ちになっていた。

 だが、そんなヒロシに無慈悲な言葉がデスラーより発せられる。

「ウァハハハアハ! 鰐川わにがわヒロシ! よくぞ言った! 本郷田ほんごうだタケシの借金は貴様の体で払ってもらうとしよう!」

 そう、ヒロシはこの時に気が付いたのだ……

 タケシは日ごろ通っていたハイクショップのアルバイトだった。

 すなわち、タケシとヒロシは会社の上司と部下でも何でもないのだ。

 という事は……タケシが明日から仕事を頑張るといってもツョッカー病院に勤めるヒロシには関係ない世界だったのである……

「タケシ君! カンバッァーック!」


 だが、ドアの向こうではニコニコとした笑顔でタケシがバイバイ~と手を振っている。

 もう奴は戻る気などないのだろうwwww

 そして……

 ヒロシの目の前では手術室のドアがゆっくりと閉まっていくのであった。

 ならばせめて……今生の別れの一言を……

「ル!ルリ子に伝えてくれ! お父さんは、ルリ子の事を愛していたと!」

 そんなヒロシの声を遮るかのように、ついにドアがバタンとしまってしまったのであった。


 そして、ハイクショップに戻ったタケシは事の顛末を立花どん兵衛とクロトに嬉々としながら話したのだ。

「という事で! ヒロシ先生! ツョッカー病院に置いてきました! 以上!」

 ドラム缶のテーブルで、相変わらず薄い茶をすすっていたどん兵衛は激怒した!

 ドラム缶の天井に叩きつけられた湯呑が大きな音を立てて、木っ端みじんに砕け散る!

 ガンっ! ガシャン!

「タケシ! お前というやつは!」

 やはり、タケシが博打仲間のヒロシを見捨ててきたのが気に障ったのであろうか。

 いや違うのだ……

「おまえ! ツョッカー病院に再就職しようとしていたのか!」

 そう、立花ハイクショップのアルバイトをやめようとしていたことに激怒したのである。

 って、そっちかよwwww


 だが、仕方ないのである……

 このハイクショップには、タケシ以外働く者がいないのだ。

 もし、タケシが仕事を辞めれば、立花自らが仕事をしないといけなくなるのである。

 そうなると、地下闘技場に通う時間などなくなってしまう……

 あり得ない! 絶対にありえない!

 怒りに震える立花を見たタケシはこれ幸いと、

「オヤッサン! だって! ツョッカー病院は時給大銅貨3枚だすっていってたんだぞ!」

 デスラーの提案したイイィィっ!内容の部分だけをわざと伝えたのである。

「なに! 大銅貨3枚だと⁉」

 この話には立花も驚いた。

 あり得ない……絶対にありえない……

 このアホのタケシに大銅貨3枚は、さすがにもったいない……

 だが、このままではツョッカー病院にヘッドハンティングされかねないのだ。

 何とかしなければ……

 自分が地下闘技場に通うためにはタケシを何とか引き留めて仕事をさせなければならない……

 ――し……仕方ない……

 ということで、立花はしぶしぶ労働条件を引き上げたのである。

「タケシ……ならば、社員にしてやる! それで、時給大銅貨2枚という事でどうだろうか?」

 ――なんだと!

 タケシは驚きで目を丸くしていた。

 このおやじ! ツョッカー病院が大銅貨3枚だと言っているのに、大銅貨2枚で交渉できると思っているのだろうかwwww

 だが!

 だがしかし!

 だがしかしである!

 あのケチでドケチで有名な立花どん兵衛が時給を倍に上げたのだ。

 しかも、社員待遇!

 これは……ツョッカー病院よりもいいではないか!

 だって、ツョッカー病院の契約は請負契約! しかも、引き去り分が多くて時給はマイナスだったのだ。

 なのでwwwタケシは二つ返事で

「オヤッサン! どこまでもついていきます!」

 と、立花の足に飛びついて頬ずりを始めたのである。

 このタケシの態度の急変に、なにか早まったことをしてしまったような後悔を感じた立花は、すぐさま改定した条件を取り消そうとしたのだが……

 その横で、融合加工の参考書を読みながらコーヒーを飲んでいたクロトが、本から顔をあげることもなく、グサリと立花に釘を刺したのである。

「オヤッサン……いまさらタケシさんとの条件なしっていうのはダメですよ。私はちゃんと聞いていましたからね」

 舌打つ立花。

 ちっ!

 アホのタケシが相手なら、先ほどの話が無かったことにできる自信はあったのだが、クロトが相手だと絶対に無理である。

 だからなのか、立花はタケシに向かって負け惜しみを言いだしたのだ。

「だが! タケシ! 立花ハイクショップは個人事業! だから社会保険はないからな!」

「な・ん・だ・と!」

 タケシの驚きは、さも当然。

 社員になったのだから社会保険は当然は入れると思っていたのだが、そもそも5人未満の個人事業には社会保険の加入義務がなかったのである。

 という事は……これからもタケシは保険に未加入……全額自己負担が待っていた。

 ――まっ! いいかぁ!

 だが、タケシはそんな事にはお構いなしwww

 ――怪我したって、唾つけとけば治るっしょ!

 って、治るんかい!

 そう、なぜかタケシの怪我は治りが早くなっていたのだwww

 幸か不幸か第三世代の融合加工手術がもたらした恩恵であったのである。

 よかったじゃん!

 まぁそれよりも、時給が上がった方が超うれしいんですけどwwww

 

 と、三方丸く収まったかのように思えた立花ハイクショップ。

 だが、一人だけ全く納得していない者がいたのである。


 そう、それは鰐川わにがわヒロシの娘ルリ子である。

 ハイクショップの入り口にもたれかかり、外から中の話を聞いていたルリ子であったが、タケシの話が終わった瞬間、店の前の通りを全速力で駆けだしていたのだ。

「クソ親父!」

 そう、顔を真っ赤にしながら走るルリ子は一目散にツョッカー病院を目指していた。

 どうやら、タケシの話ではそこに父である鰐川わにがわヒロシがいるということなのだ。

 ――やっと見つけた! クソ親父!

 給食費まで使い込んだ父ヒロシである。

 ルリ子自身、父など居なくなればせいせいすると思っていた。

 いや、それどころか、別れる前に一発ぶち殴ってやろうと思っていたぐらいなのだ。

 だから、タケシの話を聞くと居ても立っても居られなかったのである。


 だが、そこはツョッカー病院……

 しかも、ヤブ医者で有名なデスラーによって第三世代の融合加工手術を受けているかもしれないのだ。

 もしかしたら、もう……

 先ほどから嫌な予感がルリ子の心に襲いかかる。

 だが、そんな不安な気持ちを振り払うかのように懸命に足を前へと走らせる。

 ――いや! まだ間に合うかもしれない……

 そんな一念でルリ子はツョッカー病院の受付に飛び込んだ。


 汗まみれのルリ子はボサボサになった髪を垂らしながらハァハァと肩で息をする。

「す……すみません……ここに鰐川わにがわヒロシがいると聞いてきたのですが……ハァハァ……クソ」

 今や息を切らすルリ子の目には一杯の涙。

 その涙がこぼれ落ちまいと必死に唇をかみしめて頑張っていたのである。

 その様子に驚いた受付嬢は、慌てた様子で目の前の書類を確認しはじめた。

 そして、一言。

鰐川わにがわ先生は……さきほど、お亡くなりになられました……」

 えっ⁉

 顔を上げたルリ子の表情は、まさに何を言っているのか分からないと言わんばかり。

 その様子に受付嬢は心配した様子で声をかけた。

「もしかして、鰐川わにがわ先生のご家族の方ですか?」

 すでに言葉を失っているルリ子は、うなずくのがやっとだった。

「ご遺体は死体安置室にございますが、お会いになられますか?」


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