第602話 アダム因子

 それからのタカトは、第七の駐屯地内であてがわれた小さな部屋にこもって出てこなくなった。

 あの事件から一週間……

 開くことのない粗末なドアの前に、ビン子やチビ真音子がかわるがわるに食事を運ぶ。

 しかし、そのドアの前にはいまだ手を付けられなかった食事が置かれたまま。

 その食事と入れ替えるように新しい食事をそっと置くとビン子は、静かに立ち上がりドアに額をあてるのだ。

 ――タカト……


 チビ真音子も口数が減っていた。

 おそらくチビ真音子もチビ真音子で、アイナが死んだ原因は自分が寝る前にトイレに行ってなかったからだと思っているのかもしれない。

 このままではビン子もチビ真音子も参ってしまう……


 見かねた権蔵がそんな部屋のドアをノックした。

「タカト……そろそろ出てこんか……」

 だが、部屋の中からは何も返ってこない。

 権蔵は思うのだ。

 仕方ない……タカトは……あれだけアイナの事を思っていたのだ。


 この駐屯地に来たばかりのアイナは笑うことすらなく冷たい感じを漂わせていた。

 そのせいか駐屯地にいる人間などは、だれも気味悪がって近づかない。

 いや、フィールドのはずれの村で起こった虐殺事件はこいつらの仕業とばかりに嫌悪すらしていたのだ。

 そんなアイナは、いつもただ一人で小屋の屋根の上に座り歌うだけ。


 だが、タカトと出会ったアイナは笑うようになった。

 真音子やビン子たちと共に歌の練習に汗を流す笑顔はキラキラと輝いていた。

 タカトの元居た世界のトップアイドルだか知らないが、もともと顔がイイだけあってアイナの笑顔は人を引き寄せた。

 皆、声には出さないが、自然と頑張るアイナたちを応援しはじめていたのだ。

 その証拠にあのコンサートの夜、あれだけアイナの事を嫌悪していた連中がアイナの歌声に熱中していたのである。


 おそらく、アイナにとっては幸せな時間だったのだろう。

 いや、タカトにとっても幸福な時間だったに違いない。


 だが、それも終わりを告げた。突然に……

 しかも、終わった理由が分からない……

 なぜ……


 権蔵自身、アイナを切り刻んだ金蔵勤造からの話を聞いた後でも、いまいちよく理解できていなかった。

 いや、もしかしたら、権蔵もまたタカト同様に理解したくなかったのかもしれない。

 アイナの死を……


 金蔵勤造は一之祐の命により、フィールドの奥にある村、そう、アイナたちがいた村の調査をしていた。

 その村は回収されるはずだった第三世代をかくまった村である。

 アルダインの回収命令に逆らって一之祐がフィールドの奥に住まわせていたのだ。


 聖人世界のフィールドの奥にある村は、前線の駐屯地と異なり魔物の襲来に脅かされることはあまりなかった。

 まぁ、確かに門外のフィールドのため魔物は出る!

 だが、ここに住む住人は皆、第三世代の融合加工手術を受けた者たちなのだ。

 一匹や二匹の魔物ぐらい襲ってきたところで、その対応など造作もなかった。

 そのため産業といえば、野良で出てくる魔物を狩っては魔血を採取し魔物素材と共に第七駐屯地に納めることだけ。

 それでも、村の住人が何とか生きていける量の物資を駐屯地から分けてもらえていたのである。


 だが、そんな村に異変が起きた。

 そう、アイナと黒い三年生『キメれン組』が村人を虐殺し始めたのだ。


 そもそも第三世代は魔物組織を人間の体の中に組み込む融合手術をしている。

 すなわち、第一世代などの道具との融合と異なり、魔物の遺伝子が直接体内に入りこんでいるのだ。

 そのため、人間の持つ能力そのものが飛躍的に強化されるのであるが、安全かどうかはいまだに議論が尽きない。


 そんな議論の中、一つの論文が発表される。

「アダム因子による魔物組織の活性について」

 小難しい話はよく分からないが……

 どうやら魔物の遺伝子には、その創造主であるアダムの遺伝子が組み込まれているようなのだ。

 そのアダム因子というものがどういうものなのかは正確には分かってはいない。

 だが、一つの可能性としては、このアダム因子が魔物を魔物たる姿にしているというものであった。

 そう、魔物が人間の生気を取り込めば取り込むほど魔人へと進化する。

 これは人間の生気の中に含まれるエウア因子がアダム因子を抑制していると考えられるのだ。

 すなわち、アダム因子がなければ、魔物もまた人や動物の姿をしていたのかもしれないのである。

 このことに本能的に気付いている魔物たちは、本来の自分を取り戻そうとエウア因子を渇望する。そして、こんな姿に作り替えたアダムを憎むのである。


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