第572話 ヤシマ改作戦!

 タカトは建物の入り口に勢い良く駆けこんだ。

 石造りの建物の中は外のコンサート会場の熱気とは反対に、どこかすこしひんやりとした空気を漂わせていた。


 そんな暗い廊下に立ち止まり、先に行ったはずのアイナの姿を探す。

「あれれ……アイナちゃんはどこに行ったんだ?」

 どうやら、タカトはアイナの姿を見失ってしまったようなのだ。


 だが、おそらくアイナの行き先は風呂場に違いない!

 なら、風呂場に直行すればいいだけのことではないか!


 だが、

 だがである!


 タカト自身、ここ最近とても忙しかった。

 というのも、朝、起きてすぐに権蔵の道具作りを手伝い、それが終わればすぐさまアイナと歌のけいこ。

 夜は夜で、コンサートに向けて「アイナの光」を作る傍ら、ビン子が眠ったのを確認して「ディアボロマント」を作っていたのだ。

 飯ですら真音子たちが運んできてくれた握り飯を作業台に座りながら食う始末。

 ハッキリ言って、風呂に行く時間など全くもってなかったのである。


 そう、タカトはこの駐屯地に来て以来、まったく風呂に入っていないのだ。

 汚い?

 汚いよね……

 だからタカトの体は、少々匂うのである。

 おそらく先ほどのビン子の鼻は、この匂いを鋭く嗅ぎ取ったに違いなかった。


「風呂場ってどっちだ?」

 当然、風呂に入っていないタカトがこの駐屯地にある風呂場の場所など知るわけはなかった。


 かといって、ビン子に聞きに戻ればハリセンの餌食となることは確実だ。

 それはなんとしても避けたい……


 ならどうする。

 どうすればいい……


 ピコーン!

 タカトは何かひらめいた。


 ビン子がダメなら、他がいるじゃん!

 ほらほら!

 権蔵じいちゃんがいるじゃぁないか!


 権蔵は奴隷として、この駐屯地に長年勤めているのだ。

 風呂場の場所ぐらい知っていて当然である。

 そう考えたタカトの足は、自然と権蔵の工房へとスキップを踏んでいた。


「アイナちゅわ~ん♪ アイナちゅわ~ん♪ 待っててねぇ~♪」

 今のタカトの姿はディアボロマントで全く見えないが、おそらくその鼻の下はだらしなく伸びきっているに違いなかった。


 だが、タカトは突然、何かにハッと気がついた。

 風呂場を探してどれだけ時間が経ったのであろうか……

 数秒?

 いや、数分は経っているかもしれない……

 こんなところで悠長にスキップなどしていていいのであろうかと。


 というのも、ヤシマ作戦はアイナが風呂場の中にいて、初めて実行できるのである。

 うなじの匂いをんわり嗅いで……

 2つのピンクのチェリーをっかり凝視して……

 仰向けのローアングルから乙女の秘密をじまじと見上げる……


 そんなフルコースを堪能するつもりだったのだ。


 だが、アイナが風呂から出てしまえば、それは実行不可能!

 いや、まだ脱衣所までなら何とかなるかもしれない……

 しかしもし、アイナ様が完全に服をお召しになられた後であったとしたならば、もう、ヤシマ作戦は完全に失敗したと言わざるを得ない……


 それじゃダメじゃん!


 こんなところでスキップなど踏んでいる時間の余裕などあるはずはなかった。

 そう今は、一刻を争うのだ!

 一分一秒が惜しいのだ!

 時は金玉なり!


 そんな焦るタカトは権蔵の工房へと一目散に駈け込もうとした。


「じいちゃ」

 ドン!


 その時である。

 何かにぶつかったタカトの体が跳ね返って、廊下の石畳の上に転がった。

 しかも運の悪いことに、そこは少々、床石が出っ張っていた。

 そんな出っ張った石のトン先にタカトのスナイパーライフルが直撃したのである。

 さすがは石。

 タカトのスナイパーライフルが「く」の字にペキっと折れ曲がってしまったではないか。


 そのあまりの激痛にタカトの時間がピタリと止まった。

 必死で股間を押さえこむタカトの表情は微動だにしない。


 ア……ア……ア……

 悲鳴すら上げられないタカト。

 いや、声なき悲鳴を上げ続けているタカト。

 どうやら股間への一撃はそれほどまでの激痛だったようである。


 ようやく四つん這いで腰の裏を叩きだしたタカト。

 ……ど……どこの……アホやねん!


 そんな工房の入り口から一人の大男が姿を現した。

「何かにぶつかったか?」


 この男、背の高い地黒の男、第八の騎士モーブであった。

 どうやらタカトは出合い頭でモーブにぶつかったのであった。


 モーブは不思議そうに頭をかきながら再び辺りを伺った。

 だがやはり廊下には何もない。

 いや、何も見えなかった。

 当然である。

 今のタカトはディアボロマントをかぶっているため姿が見えないのである。

「うーん、何もないなぁ~」


 ということで、モーブは何か納得したようにポンと手を大きく打った。

「うん! きっとハエにでもぶつかったんだろ! そういう事でいいや!」


 ガタイの大きなモーブにとって貧弱なタカトなど、まるで小さきハエみたいなもの。

 まして、風呂に入っていないタカトからはウンコのようなにおいがしているのだ。

 ハエという表現はまんざら間違いでもなかったかもしれない。


 ――いてぇなぁ!

 いまだに四つん這いで腰をたたいているタカトからは声が出なかった。

 そんなタカトの涙目がモーブを忌々しい視線で睨みつけていた。


 だが、当のモーブは知らん顔。


 ――クソ! しかもよりによってハエよばわりとは! 人にぶつかっておいてその態度は何だ! 謝れよ! 

 と大声で叫びたいが、痛くて痛くて声が出ない。


 だが、よくよく考えてみると、モーブは今のタカトの姿が見えてないのだ。

 ようやくその事実に気付いたタカト君。

 先ほどまでの険しい顔が、今度はいやらしい笑みへとニヤリと変わっていった。


 ――やられたらやり返す! 10倍返しだ!

 どうやらこの笑顔、モーブに仕返しをしてやろうと思いついたようである。


 って、お前……アイナちゃんのお風呂を覗きに行くんじゃなかったのかよ!

 ヤシマ作戦はどうすんだよ?

 ピンクのチェリー見るんじゃなかったのかよ? 

 読者の皆さんはそれを期待しているんだよ!

 分かってるのか! コラ!


 って、単純なタカト君。

 一つの事を思いつくと、それ以前に考えていたことがトコロテンでも押し出すかのように、すっぽりと抜け落ちてしまうようなのだ。

 もう、いたずら心に火が付いたタカト君は止まらない!

 完全にアイナの事など忘れている様子であった。


 モーブは権蔵の工房を出ると、タカトが来た方向とは逆の廊下へと歩き出した。

 その後を、足を忍ばせついていくタカト。


 ――さてさて、このおっさんにどうやって仕返ししてやろうかな。


 だが、相手は第八の騎士である。

 イタズラがバレたら大変なことになるのは間違いない。

 間違いないのだが、幸い、今の自分は姿が見えていない。

 ということは、タカトがイタズラしたということは誰にも分からないはずなのだ。


 ――ウッシッシ!


 例えばあのオッサンの顔に落書きをするのはどうだろうか。

 目の周りを黒く塗ってパンダです! ってな具合に。

 だが、このモーブのオッサンは地黒の黒肌!

 黒に黒で塗っても判りゃしない!


 なら、足元にウ●コでも置いて踏ませるのはどうだろうか?

 あわよくば、ズルっと滑ってスッテんころりん!

 いいねぇ!

 だが、今からこの場でウ●コをするには時間がかかる。というか、さっきウ●コを出したばかりだから、もうでねぇ!


 ――うーんこ~~~うなんかスカッとするような方法…………なんかないかな……


 そんなタカトの頭の中で突然、女参謀が大声を上げた。

「司令! ここに『ヤシマ改作戦』を具申いたします!」


 脳内の暗い奥底で机に両肘をつき組んだ手の甲に上唇を押し付けている男が、上目遣いで女を睨みつけた。

「なに……ヤシマ改だと……」


 その問いかけに女参謀は改めて姿勢を正し、男を直視した。

「ハイ! ツの! ぼんだ ラを 御帳! 名付けて『ヤシマ改作戦』であります!」


 マジウケる!

 オッサンのズボンとパンツをいきなりずらしてフルちんにしてやるのだ!

 ついでにずらしたズボンで足が絡まって、すってころりん!


 そんな作戦を思いついたタカトの顔面は、いやらしい笑みを浮かべていた。







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