第573話 パニクった!

 タカトの先を行くモーブは一人である。

 その周りに付き従うものの存在は全く感じられなかった。


 これでもモーブは第八の騎士である。

 カルロスのようにピタリとエメラルダに付き従う従者の一人や二人いてもおかしくはない。

 だが、今のモーブの周りには、誰もいない。

 というか、モーブの背中から漂う何かを思い詰めたかのようなどんよりと重い気配は、あえてこの場に一人で来たという感じなのだ。


 モーブには何か人に言えないような理由があるのだろうか。

 背後をこそこそとついていくタカトには、目の前の大きな背中が少々丸まりどことなく老けて見えたような気がした。


 先ほどからそんなモーブから、何やら小さき声が漏れおちていた。

 どうやら周りに誰もいないことに油断しきっているのだろう。

「……今度こそ……今度こそ……」


 モーブのズボンのベルトに手を伸ばし、ヤシマ改作戦を実行する瞬間を伺っていたタカトはその小言に気を取られた。

 ――何言ってんだよ、このおっさん! 遂にボケたか?


 頭を上げたタカトはある事実に気が付いた。

 それは、自分がとても危険な状態にあるということを!

 ――ひぃっ!


 というのも、ここは駐屯地の中。

 しかもついでに言うと、ここしばらく魔物の襲来などを知らせる警報など全く出ていない。

 それはもう、アイナたちのコンサートができてしまうほどノホホンとした平穏そのものなのである。

 だから、ついついタカトはモーブが丸腰だと思いこんでいたのだった。

 だが、そんなモーブの手には、なぜか一振りの白き剣がしっかりと握りしめられているではあ~りませんか!


 その白き剣は紛れもなく一之祐の白竜の剣。

 この聖人世界で最も固いと言われている白竜の牙から削り出した一品である。

 そんな固い剣を権蔵は何時間、いや、何日もかけて研ぎ澄ましていたのである。

 どうやらモーブは、その権蔵の工房から研ぎ終わったばかりの白竜の剣を持ち出していたのだった。


 ――あぶねぇぇぇぇ!

 当然、タカトはビビった。


 モーブのオッサンはボケたと言えども、一応、騎士である。

 タカトが見えていなくとも不穏な気配ぐらいは分かるかもしれない。

 あのビン子ですら、僅かなタカトの気配(いや、匂い)を感じとったのだ。

 モーブのオッサンが感じ取ることは容易に想像できる。

 そんなモーブの手に白竜の剣がしっかりと握られているのだ。


 もう、どうなるか分かるよな!


 タカトがヤシマ改を実行したとたんに、振りぬかれる白竜の剣。

 先ほどまで何も見えなかった空間から大量の赤き血が噴き出したかと思うと、胴体が真っ二つになったタカトが石畳の上に転がっているのだ。


 ――やばいよ! やばいよ! やばいよ!

 どうして今まで気づかなかったのかなぁ~俺……


 だが、モーブは背後でおたおたと慌てふためくタカトに全く気付く様子はなかった。

 ――おりょ?

 これはもしかして、本格的にボケたかな?

 なら、「ヤシマ改作戦」実行できちゃう?

 出来ちゃうんじゃな~い!

 やっちゃいな! ヘイ! ぼーい!


 ハエの様に近づいては離れるタカトのうっとおしい気配にモーブは気づくどころか、何かにとりつかれたかのようにブツくさとつぶやき続け、うつむきながらゆっくりと歩み続けていた。

「今度こそ……オキザリスを……オキザリスを解き放してみせる……」


 うん? この名前、なんか聞いたことがあるような、無いような?

 まるでハエがウ●コの上でその存在を確かめるかのように、タカトはモーブの背後で手をこすりながらクルリと頭をひねった。

 ――オキザリス?

 確かに聞いたことがあるのだが、思い出せない……

 ――うーん、誰だったけ?


「……この世に……王など……王など……不要なのだ」


 ――あっ!

 タカトはようやく気付いたようである。

 そういわれれば融合国の王の名前もオキザリスだったような気がする……


 てっ! そんな突然に!

 今まで王の名前なんて出てこなかっただろうって?

 だって、仕方ないじゃん!

 大体、奴隷と生活しているタカトにとって王などはるか雲の上の存在。

 日ごろからそんな高貴なお方の名前が出てくるような生活なんかしてませんよ。


 え? なに? ついさっき名前を考えたんだろって?

 ギクり!

 何を証拠に申しているのでsひょうkぁ……パニクった!


 そうこうしているうちにモーブは地下にある小さき部屋に入っていった。

 タカトもまた、その後に続いてこそこそと入っていく。


 その部屋は6畳ほどの大きさ。

 大きな石づくりの壁に囲まれているせいかシンとした冷たい空気があたり一面に張り詰めていた。

 中心には腰ほどの台座が一つ。

 それ以外には何もない。

 その殺風景な風景がよりこの部屋の寒さを強調してるようにさえ思えた。

 だが、部屋の中心にある台座からはそんな寒さとは裏腹の圧倒的な威圧感が放たれ続けていたのだ。

 台座の上に鎮座するキーストーンが、部屋に入ってくる者に睨みを利かせるかのように黄金の輝きを放ち続けていたのである。

 そう、この部屋こそが第七駐屯地のキーストーンを安置されている場所であった。


 部屋の真ん中でモーブはキーストーンを睨みつけていた。

「こんなものがあるからだ……こんなもののせいでオキザリスは……」


 そういい終わったモーブの手がゆっくりと動く。

 その手に握られていた白竜の剣が鞘からするりと抜け出すと、美しい刀身を現した。

 それはまるで、目の前のキーストーンが放つ黄金の光に反抗するかのような白き美しい輝きであった。


「今度こそキーストーンを叩き割る!」

 そう叫んだモーブは白竜の剣を大上段に構えあげた。


 現時刻、ヤシマ改作戦を実行すべきかどうかモーブのケツとにらめっこしていたタカトは、このモーブのいきなりの剣幕に驚いた。

 ――おいおい! このおっさんキーストーン切るつもりかよ!


 が、その瞬間!

 力強く踏み込まれるモーブの右足。

 その勢いに石畳の上にたまったホコリが渦とともに吹き飛んだ。


 何の迷いもなく真っすぐに振り下ろされる白竜の剣。

 この融合国、いや、聖人世界で最高硬度を誇る剣だ。

 今、その白竜の剣がキーストーンに勢いよく打ち付けられた。


 ガキーン!

 ものすごい金属音が小さき部屋に轟いた。

 タカトは、咄嗟に耳をふさぐ。


 そんなタカトのふさいだ耳にモーブの乾いた笑いがわずかに聞こえた。

「ははははは……またダメか……」


 いまだに台座の上のキーストーンは割れることもなく相変わらず一つの塊として光り輝いていた。


「やはり、この白竜の剣をもってしてもやはり無理か……」

 モーブは忌々しそうにキーストーンを睨みつけた。


「こいつさえなければ……ワシも、アルダインも、史内も、そして、オキザリスも笑顔を失うことはなかったのだ……」


 投げ出された白竜の剣がカランという無機質な音を立てて石畳の上に転がった。

 モーブのごつごつとした手がゆっくりと上がったかと思うと、今度は腰がすとんと真っすぐに落っこちた。

 石畳の上で膝まづくモーブは両の手で顔を押さえ、いつしかおいおいと泣き始めていた。


 モーブの泣き声が小さな部屋にこだまし続ける。

 誰もいない小さな部屋。

 そんなモーブのなく声だけがひときわ大きく聞こえ続けていた。


 おそらく、モーブ自身、この部屋には自分以外に誰もいないと思ったのだろう。

 だが、そこにはディアボロマントをかぶったタカトがいたのだ。


 ――ヨシ! 現時刻をもってヤシマ改作戦を中止する!

 目の前で泣いているモーブは第八の騎士である。

 その権威ある騎士が今、タカトの目の前で大粒の涙を流しながら泣いているのだ。

 モーブの背後にいたタカトは、なにか見てはいけないもの見てしまったような気がして、少々気まずい気持ちになったのは言うまでもない。


 おそらくモーブにも人に言えないような事情があるのだろう。

 それも泣くほどの事情が……

 今は、そっと泣かせてやるのも男の優しさだ……


 ということで、タカトは何も見てなかったことにしようと決めたようで、すっと部屋の入口へと体の向きを戻した。


 ――というか、オッサンのマラを見ること以外にやることがあったんだヨ!

 ようやく本来の目的を思い出したタカト君。


 ――俺にはアイナちゃんのお風呂を覗きに行くという重要な作戦があったんだヨ!


 という事で、本来のヤシマ作戦再開である!

 ――待っててね! アイナちゃ~ん!


 タカトは入り口に向かって意気揚々とスキップを踏み出した。

 だが、そんなタカトの前を一つの人影が遮った。


 入り口の奥に広がる廊下の暗闇。

 その闇の中から次第に見えてくる細き影。


 その影の正体を見た瞬間、タカトの表情がパニクった!

 ――どうして……


 ココにいるはずのない人間……


 いや、この場所に来る理由のない人間……


 ――どうして……アイナちゃんが……


 お風呂場にいるんじゃなかったのかよぉぉぉぉぉ!





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