第541話 超お宝!

「待て! この野郎! 今度と言う今度は逃がさないからな!」

 オッサンを追いかけるタカト。


 どうしたらいいのか分からないビン子は、一瞬遅れてタカトを追った。

「待ってよぉ」


「待てと言われて待つバカは、犬だけだ!」

 カウボーイのオッサンは、後ろから追いかけるタカトにアッカンベー。

 余裕しゃくしゃくの様子でピョンピョコピョンピョコ廊下を走る。


 しかし、そう言ったそばからオッサンはよろけた。

 足もとに何かある。

「おっとッと! 危ない!」

 その何かにぶつかりそうになったおっさんは、本能的にとっさによけた。



 オッサンの前には寝惚け眼ねぼけまなこをこする小さき真音子。

「ねぇ、なぁ~に?」


「コラ! 待て! こそ泥野郎! 今度は捕まえたぞ!」

 タカトのスパナが、カウボーイハットのオッサンのすぐ真後ろまで迫まっていた。

 その距離、なんと数センチ!

 タカトの縮んだ潜望鏡よりも短い!


 やばっ!

 オッサンの先ほどまでの余裕が一瞬で吹き飛んだ。

 焦ったオッサンは、よろける体勢をなんとか立て直すと、

「嬢ちゃん! ちょいとごめんよ!」

 ひょいっと邪魔な真音子を脇に担ぎあげた。


 だが、真音子を廊下の脇に降ろす暇はない。

 タカトのスパナが、もうそこまで迫っているのだ。


 オッサンは、こともあろうに真音子と大袋を担いだまま一目散に猛ダッシュ!

 だって、あんな硬そうなスパナで殴られたら、超! 痛そうだもんね……


 いきなり担ぎ上げられた真音子は突然のことに目を丸くする。

 だが、どう考えてもこれは夢じゃない。

 真音子は、訳も分からないまま大きな悲鳴を上げた。

「きゃぁぁぁ! お兄ちゃん! 助けて!」

 そんな真音子の小さき手の平が、タカトのスパナを掴もうと命一杯に伸ばされて暴れていた。


 瞬間、タカトはスパナを持つ手をひねった。

 ――ちっ! 届くか?

 大きく見開いた真音子の黒い瞳。

 その瞳に、月明かりに輝く銀色のスパナが映っているのがタカトにもよく見えた。

 行き先を変えたスパナは、弧を描くかのように真音子の手へと伸びていく


 ――あと、数センチ!

 タカトは、強く右足を踏み込んだ。


「届けぇぇぇぇっぇ!」

 宙に浮くタカトの左の足先。

 一気に飛び込むタカトの体が傾いていく。


 だが、スパナの先端は真音子の指先をわずかにこすっただけだった。

 スパナは勢いそのままに月明かりの暗闇の中に銀色の円弧を描ききる。

 そして、タカトの体もまた、前のめりに大きく崩れていた。

 スパナが届くよりも一瞬早く、オッサンの体が加速していたのである。

 ――アブねぇ……アブねぇ……

 後ろをちらりと伺うオッサンは、冷や汗をぬぐった。


 廊下にドンと叩きつけらるタカトの左足。

 崩れ行く体重を受け止める。

 ――クソ!

 飛び込んだ衝撃を吸収するかのように左膝がバネののように曲がりゆく。

 だが、これだけではまだ足りない。

 倒れこむ勢いの方がまだ強いのだ。

 タカトは咄嗟に近づく床板に手を打ち付けて、残った勢いを受け流した。


「コラ待て! 泥棒! 真音子を放せ!」

 よろける体勢を立て直し、再度、加速しはじめるタカト。

 いつものタカトだったら、スッテンコロリだよ! コレ!

 いやぁ、万命寺の修行が役に立っているじゃん!


 中庭から玄関までは距離がある。

 その上、玄関では使用人同士が争う声や野次馬のはやし立てる声で騒がしい。

 だが、ペンハーンを足蹴にしている座久夜さくやは、かすかに届く我が子の悲鳴を聞き逃さなかった。


「真音子ぉっ!!!」

 咄嗟に中庭に続く廊下の先を睨み付ける。

 しかし、動こうにも足にまとわりつくペンハーンが邪魔で駆け出せない。

「邪魔や! このくそボケがァァ!」

 鬼の形相でペンハーンを蹴り上げる座久夜さくや


 ゲホ……

 口から垂れた唾液を拭くペンハーン

「ちょっ! 座久夜さくやちゃん! コレはちょっと痛いって! マジで痛いって!」

 へらへらと作り笑いを浮かべながら頭上の座久夜さくやを見上げた。


 だが、その笑みは瞬時に凍りついた。

 ――マジで殺される……

 ペンハーンの本能が己が命の危険を感じ取ったようである。


 そこには、異様な殺気をみなぎらせる座久夜さくやの視線。

 三途の川どころか地獄の大底である阿鼻地獄あびじごくまで閻魔様の裁判すらをもすっ飛ばして一気に直行してしまいそうなほどの殺気である。

 こんな座久夜さくやちゃんは見たことがない。

 ――これはマジや……これはホンマモンや……


「なら! 放さんかい! ボケ! マジで殺すぞ!」

「ハイ!」

 ペンハーンはパッと手を放して、引きつる顔で懸命に愛想笑いを作った。


 だが、もう、その笑みの先には座久夜さくやの姿は無かった。


「早やっ!」

 走り去る座久夜さくやを呆然と見送るペンハーン。


 ――まぁ、いい。モンガもそろそろ仕事を終えたころだろうしね。

「そろそろ、引き上げるよ!」


 こちらは、中庭の廊下を走るタカト。

 目の前を走るオッサンの背中がどんどんと離れていく。

 やはり、タカトの足の遅さは万命寺の修行で何とかなるものではなかったようである。


 このままでは逃げられてしまう。

 どうすれば……


 タカトは手に持つスパナをオッサンめがけて投げつけようかと考えた。

 だが、すぐさま躊躇した。

 というのも、このスパナは、超‼ 硬い!

 そんな硬いスパナが真音子にでも当たったら大変である。


 というか、もしオッサンに当たらず外れたりしたら、中庭のどこかに飛んでいってしまう。

 いや、まだ飛んでいったのが中庭ならまだいい。探せばいいだけのこと。

 だが、壁を越えて外にでも飛び出すようなことにでもなれば大変である。

 というのも、このスパナは頑固おやじ印が入った匠シリーズの限定品なのだ。

 超レア! 超お宝!

 そんなお宝が目の前に転がっていたら、すぐさまネコババされるに決まっているではないか。

 そんなことにでもなったら、再度、このスパナを手に入れるのは絶対に不可能!

 ということで、投げるのは無し! ナッシング!!


 って、こんなスパナの価値が分かる奴……普通そんなにおらんやろ……


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