第442話 空腹の獣(5)

 ディシウスとソフィアは廊下をひた走った。


 ディシウスの左腕から垂れ落ちる鮮血が、廊下の上に赤い一条の破線を描いていく。

 

 その線の後をついて行くソフィア。

 しかし、腹をすかしていたはずのソフィアは数人の研究員とすれ違うも全く見向きもしなかった。

 そう、ソフィアは今ディシウスの硬い硬い左手を食らっているせいで、研究員に食らいつく暇がなかったのである。


 だが一方、ディシウスとソフィアを見た研究員は、当然、大声をあげた。

「荒神崩れが逃げだしたぞ!」


 そんな大声を上げる研究員の頭が、次々とはじけ飛んでいった。

 叫ぶ研究員の頭を、ディシウスの残った右手が殴り飛ばしていたのだ。

「どけ! じゃまだ!」


「ディシウスが裏切ったぞ!」


 その研究員たちの悲鳴にも似た声に、城中がざわめきだった。

 廊下の脇から次々と現れる魔人や魔物たち。

 近づきつつあった出口の光がどんどんと魔物たちの影で塗りつぶされていく。

 

 だが、入口が黒塗りになるよりもディシウス達の方が早かった。

 出口の先へと一気に走り抜ける二人。


 城の出口を駆け出した二人を魔人国の空が出迎えた。

 空同様、目の前の広場には何もない地面が広がっていた。

 だが、安堵するのはまだ早い。

 出口を抜けたとしても、幾重にも張られた城門を潜り抜けないとならないのである。


 当然、ディシウスの眼前の門には警護する魔人たちが、何事かと身構えていた。


 「うぉぉぉぉぉぉぉ!」

 ディシウスが雄たけびを上げる。

 残った右手を振り上げて、警護する魔人たちへと突っ込んだ。


 そんなディシウスの体が、魔人たち押しのけ城門の中に一本の道を作りだす。

 ディシウスは、ソフィアに向かって叫んだ。

「お前は逃げろ!」


 だが、躊躇するソフィアは、どうしていいか分からない様子。


 再び、ディシウスは魔人たちに頭突きを食らわせながら大声で叫んだ。

「お前を必ず元のソフィアに戻してやる、それまで生き続けろ!」


 それを聞いたソフィアは小さくうなずいた。

 荒神と同化したソフィアがディシウスの言葉を理解したのかどうかは分からない。

 ただ、背後から迫る無数の魔人や魔物たちの気配がソフィアの恐怖を掻き立てたのは間違いなかった。

 また、アイツらにつかまれば鎖につながれるかもしれない。

 また、永遠と満たされぬ空腹に耐え続けなければならない。


 それは嫌だ……


 そんな恐怖がソフィアには芽生えていた。

 そう、荒神と同化したソフィアであっても、それが分かる知能があったのである。


 今のソフィアは、ただ獣のように本能に突き動かされるだけの生き物ではなかった。

 その本能をより効率的満たそうとする知性が残っていたのである。


 ソフィアは再び小さくうなずくと、一心不乱にディシウスが作った道を走り抜けていった。

 

 ――必ず戻してやる……それまで、絶対に死ぬなよ……ソフィア……

 その背中を見送ったディシウスは、体を反転させると門の前に仁王立つ。


 いまやディシウスを取り囲むように、魔物たちの群れが城壁の内側に広がっていた。

 先ほどまで見えていた広場の地面すら、もうほとんど見ることができない。

 だが、いまだに魔物たちの数はどんどんと増え続けている。

 しかし、魔物たちの群れは城門にたつディシウスに関止められてピクリとも動けなかった。


 そんな群れの中から、ゆっくりとヨメルが姿をみせた。

「ディシウス! そこをどけ!」


「死んでもどかん!」

「知っているぞ! 貴様! ハトネンを裏切ったそうだな!」


 フン!とせせら笑いを浮かべるディシウス

「そんなこともあったかな」


 ヨメルの顔が怒りで赤く染まる。

「今度はわしを裏切るのか!」


「馬鹿か! そもそもお前の仲間などではない、いや、なるはずがない!」

「貴様まぁぁぁぁ! こんなことをして魔人国に居場所があると思っているのか!    魔人国の連中は、地の果てまでも、お前の命を追い続けるぞ!」


 ああ、そんな事は言われなくても分かっている。

 そもそも俺の居場所はこの国にはなかった。

 俺の居場所はソフィアの側、ただ一つだけ。


「俺は雲! どこにでも行ける雲! 行きたい場所に流れていくだけのことよ!」


 だが、今の俺の心は乾いている。

 ソフィアと言う、水を失った。

 水を失った雲が、一体、どこまで行けるのだろうか……


「ディシウス! 生きて帰れると思うなよ! 骨一本残らず食らってやるわ!」

「やれるもんならやってみろ!」


 ヨメルが叫ぶ!

「魔獣回帰!」

 大きくなるヨメルの体が、その身にまとうローブを引き裂いていく。


 みるみると大きくなるヨメルの体が何かの形を成していく。


 そこには巨大なナメクジが体をうねらせていた。


 ヨメルは魔人騎士である。

 この魔人国内では、当然ながらヨメルは騎士スキルである魔獣回帰や、騎士の盾が使えるのだ。


 そんなヨメルにディシウスがまともにやって勝てるわけがない。

 そんなことはディシウス自身が一番わかっていた。


 だが、ディシウスは決して自暴自棄になったわけではない。

 その証拠にディシウスの双眸は、先ほどよりも鋭く熱く輝いていたのである。


 今、ディシウスの背後にはソフィアが懸命に駆けているのだ。

 ここで自分が身を引くことは、再びソフィアの拘束を意味することになる。


 なら、ココで引くわけにはいかない。

 引けぬのだ!

 絶対に!


 叫ぶディシウス。

「このナメクジ野郎が! お前こそ俺が食ろうてやるわ!」

 彼は、すでに自分のなすべきことを決めていた。


 ディシウスは思う。

 ソフィアは腹をすかせた獣だった。

 俺もまた、ソフィアを失い空っぽになった。

 ならば、二人して全てを食ろうてやろうではないか!

 ソフィアとなら、どこまででも落ちてやる!

 地獄の底まででも落ちてやる!


 そして、俺は! どんなことをしてでもソフィアを元に戻す!


 俺は獣!

 空腹の獣!

 すべてを食らい尽くす獣!


「ヨメルゥゥゥゥ!」

「ディシウスゥゥゥゥ!」


 ディシウスとヨメルの体が、激しくぶつかった。

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