第441話 空腹の獣(4)
廊下を歩く研究員の胸倉をつかみあげる。
「ソフィアはどこだ!」
「あの荒神崩れの事か?」
ディシウスは、掴みあげる研究員の頭に頭突きをくらわす。
「ソフィアだ! 荒神崩れじゃない! ソフィアだ!」
まるでそれは自分に言い聞かせるようであった。
研究員の鼻から鼻血が垂れていた。
「ひっ! それなら地下の牢獄に隔離してある」
「そうか!」
「でも、もう遅いかもしれんぞ!」
「どういうことだ!」
「ヨメル様が、せっかく手に入った魔人と荒神の融合体だから、解剖してみたいと準備中なんだ。もう、今頃、解体台の上かも知れんぞ」
「なんだとっ!」
ディシウスは駆け出した。
一目散に地下へと駆け降りる。
その長い廊下の奥に一つのドア。
そのドアを激しく開ける。
目の前には、壁から伸びる鎖に両手をつるされたソフィアがうなだれていた。
「ソフィア!」
ディシウスは駆け寄った。
うなだれていたソフィアがゆっくりと顔を上げる。
じーっとディシウスの目を見つめる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「ソフィア……私の名はソフィアと言うのか……」
記憶を失っているのか?
自分の名すら覚えていないのか?
だが、ディシウスは目に涙を浮かべた。
初めてソフィアがしゃべったのだ。
あの夢のような状況では、まるで獣のような唸り声をあげていたソフィアが、言葉をしゃべった。
魔人としての知性が残っている証拠。
記憶がなくてもソフィアはソフィアだ……
そっと、その頬に手を近づけるディシウス。
ソフィア……
うれし涙を浮かべるディシウス。
自然と近づける手が震えていた。
しかし、その時である。
ソフィアがディシウスの左手に噛みついた。
ソフィアの口である。
そう、女の口。小さき口である。
ディシウスの左手の親指に噛みついた。
ガウゥゥウゥ!
親指のの付け根に歯を立ててたソフィアが首を振る。
そのソフィアの口角から、ディシウスの手のひらから漏れ出した血が垂れていく。
だが、ディシウスは、ソフィアの口を払いのけようとしなかった。
ただ、ただ、己が手に食らいつくソフィアの様子を悲しげに見つめるだけだった。
ソフィア……もう、お前は、いつものソフィアじゃないのか……
どんどんとソフィアの刃がディシウスの手のひらの肉に食い込んでいく。
ソフィアが頭を振るたびに、手の肉がえぐれていく。
ディシウスは、残った右手で、そっとソフィアの頭を撫でた。
涙を流しながら、何度も何度も撫でた。
ディシウスの手に噛みついていたソフィアの動きが止まった。
ソフィアが口を放す。
ソフィアの目からはいつしか涙がとめどもなく流れ落ちていた。
そして、ディシウスに助けを求めるかのようにつぶやいた。
「お腹が減って、減ってどうしようもないの……」
ディシウスは、そんなソフィアを静かに見つめていた。
そしてつぶやく。
「そうか……」
そして、おもむろに自分の左腕に噛みついた。
ディシウスの顎に力が入る。
ウグググウグ!
それは、力を込めた声なのか、それとも痛みをこらえる声なのか。
ディシウスの二の腕の骨がべきべきと砕ける嫌な音がする。
ディシウスの右腕が力いっぱいに、その左腕をちぎり取る。
肩から大量の血が噴き出した。
その血が、ソフィアの顔を染め上げる。
キョトンとするソフィアの前に、ディシウスが、ちぎった左手を突き出した。
「腹が減っているんだろ……少し硬いが、これで食え」
ソフィアの口にそれを突っ込むと、いきなり立ち上がる。
残った右腕で壁につながる鎖を思いっきりに引っ張った。
ゴキっ!と言う音共に鎖がちぎれる。
ディシウスは、自由になったソフィアの手を取った。
「ここから逃げるぞ。お前を解剖させたりしない!」
そう、ソフィアはソフィアなのだ。
どんな姿をしていようがソフィアはソフィアなのだ。
きっと俺が、元のソフィアに戻してやる。
それまでは、ソフィアの命は誰にもやらん!
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