第301話

 タカトが地下室のドアをあけ放つ。

 目の前には、廊下の光に照らし出された血の海が広がった。

 散らばる肉片。それはもとは収容者たちの人の形を成したものだった。

 ――ひぃぃぃぃ!

 タカトはのけぞった。

 飛び込んだ勢いはすでになく、カタカタと足が震えていた。

 脇からミズイが覗き込む。

「これは死んどるな……」

「そんなこと言われんでもわかるわい!」

「しかし、アヤツは、まだ生きておるのか……」

 悔しそうにミズイは暗闇の奥をにらみつけた。

 タカトはその先に目をやった。

 暗い部屋の中が、徐々に見えてくる。

 暗闇に目が慣れてきたようである。

 ミズイが見つめる先には、一人の少女が横たわっていた。

 それが見えた瞬間、タカトは駆けた。

 先ほどまで震え、おびえ、情けなく泣いていたというのに、それを忘れたかのように、走り出したのだ。


「ビン子! 大丈夫か!」

 横たわるビン子のもとに駆けつけるタカト。

 ビン子の目が赤黒く染まり始めているのが、目を黒くするコンタクトの上からもはっきりわかった。

 荒神化が始まっている兆候だ。

 ――どうしよう! どうしよう!

 焦るタカト。辺りを見回す。まあ、見回したところで、どうしようもないのであるが、わらにもすがる思いで、使える物を探したのである。

 デカい制御装置、オッサン二人と戦う女の魔装騎兵、その向こうで高笑いをしている赤の魔装騎兵。どれも使えそうにない。あ、あと、遅れて駆けてきたコウスケが、地下室の入り口の死体を見て、おびえていた。

 やっぱり、何も見つからない。いや、何を使っていいのかすらわからない。この状況をどうしたらいいのだろうか。タカトは、全く分からなかった。

 ビン子を抱きかかえるタカトの背中越しにミズイが覗き込む。

 このままいけば、この厄介な女は荒神か……

 何だかそう言っているように思えるほど、ミズイの表情がうすら笑いを浮かべていた。

「ミズイ! 何とかしてくれ! お前! 神なんだろ!」

 タカトが、涙をためた目でミズイに懇願した。

 うっ!

 その瞳を見たミズイは、少々自分のよこしまな想いに後悔した。

 ミズイは考える。何が一番最善なのかを。

 このまま、この女を見捨てることもできないことはない。

 いや、このまま荒神でもなってくれれば、タカトはフリーになるのだ。

 さすれば、私が、タカトの隣に立つことも。

 そして、あわよくば、タカトから名前を貰い『名持ち』になれば……

 めでたくタカトとの間に……ミズイは頬を赤く染めた。

 だが、しかし、そううまくいくだろうか……

 ここで、この女を見捨てたとしたら、タカトは、私の事を許さないだろう……

 そう決して……

 ならば、ここで恩を売っておけば、タカトは、私のいう事を聞くのではないだろうか?

 いう事を聞かなくとも、私の存在を受け入れることは間違いないだろう。

 あとは、時間をかけて、この女を追い出せば、結果は同じではないか……

 ミズイは叫んだ。

「まだ大丈夫じゃ! しばらくそいつを抱いておれ! それで荒神化は収まる!」

 意味が分からないタカトは、ビン子を強く抱きしめた。

 ビン子! ビン子! ビン子!

 ビン子の頬に必死に額をこすりつけていた。

 その目からは大粒の涙。

 なんでこんなことになってんだよ! タマホイホイのせいだっていうのかよ!

 タカトは後悔した。あんな道具作るんじゃなかった。だけど、時間はもとには戻らない。今はただ、ビン子が元に戻ってくれることを祈るだけである。

 タカトの頬に力ない指先が添えられた。

 ビン子の手がタカト頬を優しくさする。

 薄っすらと開いたビン子の目が、力なく微笑んでいた。

「もう……一体……どこ行ってたのよ……」

 ピンクの唇から、か細い声が漏れ落ちた。

「ビン子ぉぉぉ!」

 タカトは叫んだ。

 もう、ビン子の目はいつも通り金色に戻っていた。コンタクトを通して赤黒くよどんでいた光は、すでに消えていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る