第293話

 3000号の黒い塊から伸びる触手は無数にあった。

 そのほとんどが、今、イサクと格闘中である。

 しかし、幾本かの触手は、ビン子を取り込むために、ビン子の体にまとわりついていた。

 そんなビン子を救おうと、アルテラが、懸命に駆け寄ってくる。

 途中に転がっていた椅子を担ぎ上げ、3000号に突進した。

 ガシガシ!

 力任せに3000号を椅子で叩きつける。

 しかし、3000号の体は、その都度、スポンジのようにへこみ、何らダメージを受けていない様子であった。

「なんなのよ! この塊は! ビン子ちゃんを離しなさいよ!」

 3000号の体に足をかけ、ひたすら椅子でどつき続ける。

 しかし、その椅子が、アルテラの頭上でピタリと止まった。

 その反動で、アルテラの体だけが前後していた。

 ポトリと、アルテラの頭上にしずくが垂れた。

 ふと、上を見上げるアルテラ。

 ひっ!

 その目には、気持ちの悪い巨大な紫色のミミズがこちらを除いていた。

 そう、3000号の触手が、椅子に絡みつき、その先端がアルテラを見つめていたのである。

 別の触手がアルテラの足を絡みとったかと思うと、アルテラを逆さに釣り上げる。

 きゃぁぁぁ!

 必死でスカートを押さえるアルテラ。

「ちょっと! 私は、アルダインの娘よ! こんなことしたらお父様に言いつけるわよ!」

 真音子の剣撃を受け流しながら、ソフィアが気持ち悪い笑みを浮かべている。

「それは、生きて帰れたらの事ですよね。アルテラお嬢様」

 アルテラが、キッとした表情をソフィアに向けた。

「おぉ、怖い怖い! まあ、今は侵入者やら、脱走者が走り回っておりますから、巻き込まれるかもしれませんしね。あいつらは、何を考えているのか分かりませんから。フフフフ」

「何言ってるの! あなたたちが、何を考えているのかが分からないわ!」

「えーーー! まだ、ご理解できないとは! 相当に頭がよろしくないようで!」

 ソフィアが爆笑している。真音子の攻撃は、全く意に介していない様子である。

 頭に来たアルテラは、スカートを押さえた手を振り上げた。いや、この状況なら振り下げたか。

「なんですってぇ!」

「仕方ないですわね……要は、これを見たアルテラお嬢様は、不慮の事故でお亡くなりになるということですよ!」

 剣を振るソフィアは、やれやれと言う顔をしながら、説明した。

「何を考えているの! 今ならまだ! ぐふぉ!」

 アルテラが、ソフィアを説得しようとした矢先、アルテラの口から胃液が噴き出された。鞭のようにしなった触手の一撃がアルテラの腹部を直撃していたのだ。

 口から吐き出された胃液が、逆さまにつりさげられたアルテラの顔に従って垂れていく。鼻の横を通り額に到達した胃液が、一筋の糸のように垂れていく。

「あれ? アルテラさまは確か騎士だったのでは? こんな一撃で、終わりではないですよね……」

 ソフィアが大笑いしている。

 次の瞬間、無数の触手が、アルテラを打ちのめす。

 ぐはぁ!

 ――何でこんなことに……?

 痛みの中でアルテラは思った。

 ――ただ、タカトに喜んでもらおうと思っただけなのに……

 そう、タカトの借金が少しでも減ればいいと思い、ソフィアの提案に飛び乗った。これがあさはかと言われても、この時には分からなかったのだ。ソフィアのどす黒い魂胆なんか、分かるわけはなかったのだ。

 ――タカトは……ビン子ちゃんは……私のせいで……

 いつの間にかアルテラの目から涙がこぼれていた。

 その涙は、痛みから流れたものではない。

 やっと見つけた心の安らぎを、自分のせいで、潰してしまったのである。

 ――ごめんなさい、ごめんなさい……

 薄れゆく意識の中でアルテラは、何度も謝った。

 ……ごめん……な……さ…………


「アルテラ!」

 消えゆくアルテラの意識は、最後にひときわ大きな女の声を聴いた。

 ――だれ……

 しかし、アルテラの意識は、その声の主を確認するよりも先に、暗闇へと落ちた。

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