第292話 Oh! Noooo!!

 突然、地下室のドアが激しい音ともに勢いよく押しひらかれた。

 暗い地下室に、廊下の明るい光がどっと流れ込んできた。

 そんなドアが作り出す四角い光の中に、仁王立ちのアルテラが偉そうに立っているではないか。

 

 だが、その肩は小さく上下していた。

 どうやらここまで走ってきたようで、息が切れているようなのだ。

 しかし、アルテラはその疲れをぐっと飲みこむと怒鳴り声をあげた。

 

「タカトは、どこ!」


 一応、アルテラは宰相アルダインの娘。

 人魔管理局の局長であるソフィアすらゴマをする娘である。

 だが、そんなアルテラの問いかけに答える声は全くなかった。

 しかもそれどころか、何やら騒がしい様子でアルテラの声がかき消されていた。


 先ほどから部屋の奥ではなにやら激しく争う音が続いている。

 ――もしかして、この音は剣を打ち合う音かしら?

 その証拠に体育館ほどの暗い空間の中を火花が、所狭しとあっちこっちに行き交っていた。

 

 当然、この状況が理解できるわけがないアルテラ。

「コレは、一体、何の騒ぎよ!」

 怒鳴り声をあげながら、ズカズカト地下室の中へと踏み込む。


 廊下から差し込む光で若干明るくなったとはいえ、いまだ薄暗い地下室の奥では怪盗マネーがはねまわっていた。

 火花がとび散るたびに、暗い空間の中にマネーとソフィアの顔を刹那、浮き上がらせていた。

 ちなみに、この時点のアルテラ様は怪盗マネーのつけた大きな蝶の眼鏡のせいで、その正体が真音子であることはご存じないのである。


 ――何なのよ……

 いまだ状況が整理できないアルテラはさらに周囲を伺った。


 争う真音子とソフィアの横では、男が魔物のような形相でぶ厚い小刀を振っていた。

 いや形相と言うより、魔物そのもの。

 その顔は、人間と言うには恐ろしくほど遠いものだった。

 しかも、もっと恐ろしいのは男のいでたち……

 なんでエプロン? しかも、裸エプロンって!

 そして、どうやら両手に持って振り回しているのは小刀ではなくて料理で使う包丁のようである。

 なるほど……包丁ならエプロン姿も納得である。って、なんでやねん!


 その出刃包丁が振り回されるたびに、男へと伸びてくる触手がブチブチとぶつ切りにされていた。

 その断面から紫色の気持ちのわるい粘液を垂らすその触手は、どうやら男の目の前にある黒い塊から伸びてきているようなのだ。

 驚くべきはその大きさ……二階建ての程もあるこの地下室の天井に今にもつきそうなぐらい大きいのである。

 

 そんな黒い塊から一斉に触手が伸びた。

 その数、数十! いや、もっと多いかもしれない。


 「今日の晩御飯はタコわさ決定やな! って、これ食べられるんかいな?」

 だが、余裕のようすをみせる男の体が、ぐるりと回転を伴なった。

 両手に持つ出刃包丁が、まるでミキサーの刃のように迫りくる触手をみじん切りにしていく。

 

 一方、そんな触手の動きをすでに把握しきれていないアルテラはきょとんとその様子を眺めていた。

 そんな惚けた頬にビチャっと何かが飛び散った。

 ――何?

 ぬるっとした感覚が頬を伝って垂れていく。

 すぐさま、その不快感をぬぐうアルテラ。

 手にしていた白いハンカチがどす黒い紫に変わっていた。

 ――Oh! Noooo!!

 それは、目の前で振り回される出刃包丁の返り血。

 そして、大きな黒い塊から伸びていた触手の肉片であった。


 もうすでにパニック状態のアルテラ。

 当然、この地下室から今すぐにでも逃げ出そうとしていた。

 だが、アルテラの体は動かない。

 動けなかった。

 もしかして、恐怖によって硬直してしまったのだろうか?


 いや違う、アルテラは見てしまったのだ……ビン子の姿を……

「ビン子ちゃん!」

 触手を伸ばす黒い塊のちょうど中腹。その黒き肉の中にビン子の体が埋もれているのを見つけた。

 しかも、うねる肉によってビン子の体はどんどんと塊の内部へと沈んでいるではないか!


 アルテラはとっさに振り向くとソフィアに命令した。

「ソフィア! 今すぐ、その汚い塊の中の女の子を解放しろ! その女の子は私の伴侶となる男の妹。どのような理由でその得体の知れないもの中に取り込もうとしておる!」

 

 いまだソフィアは真音子の件の打ち込みを受けていた。

 だが、その剣劇をいなすソフィアは余裕の表情。


「これはこれはアルテラ様ではありませんか。このようなところにいらっしゃいますと、アルテラ様のお体にもしかしたらがあるかもしれませんよ。さっさと、お部屋にお戻りくださいな」

 ソフィアはアルテラの命令に答えるそぶりを見せないどころか、バカにするような笑みを浮かべてたのである。


「ふざけるな!」

 怒鳴るアルテラ。

 瞬時に発動されるアルテラのスキル!

 『威圧!』

 すべてのものをその足元に服従させる力である。

 その威圧スキルを持ってソフィアを命令に従わせようとした。


 だが、相変わらずソフィアはひょうひょうと舞っている。

 いまだ、真音子の剣激をかわしながら、笑みを浮かべていた。

 どうやらアルテラの威圧の効果が、ソフィアには及んでいないようである。

 ソフィアの方が格上なのか。


 ――クソ!

 苦虫を噛み潰したような表情を見せるアルテラは後悔した。

 ――こんなときこそ2.5世代の魔装装甲アルテミスがあれば……

 しかし、今、アルテミスは、クロトのもとで修理中なのだ。

 まぁ、仮に使えたとしても、いちいち馬車に積んでいつも持ち歩くのは女の子には大変である。


 だが、今のアルテラは、本当に悔やんだ。

 というのも、戦うすべがアルテラには何もないのだ。


 ――あの女!

 もはやアルテラは、ソフィアを睨みつけることしかできない。


 そんな視線の先でソフィアはアルテラをバカにするかのように笑っている。

 いつもは卑屈におべっかを使うあの女が、今は自分の天下であるかのように勝ち誇っているのだ。

 だが、ソフィアはこんな態度をとって大丈夫だと思っているのだろうか?

 この後、アルテラがアルダインにでも告げ口をすればソフィアの立場はかなり悪くなるのは想像に難くない。


 もしかして……

 もしかして、ソフィアは、この事実を知ったアルテラをも亡き者にしようと考えているのだろうか?


 その証拠にソフィアは、何やらケテレツに目配せをしはじめた。


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