第272話 イサクの過去(6)

あねさん……」

 人魔収容所の中で942号の犬女と959号を前にしながら、イサクは、座久夜さくや、すなわち、真音子の母のことを思い出していた。


――俺は、あの時、幸運にもお嬢のお袋さんに救われた。その上、人としての人生を与えてもらったようなものだ。それに対してお前たちは、いまだに、アイツのおもちゃのままか。人としての時間どころか、すでに、人の意識すらもなくなっているのか。


 イサクは、悲しい目で、942号の犬女と959号のろくろ首の男を見つめた。

「お嬢、先に行ってください。こいつらは俺が何とかしてやらないといけないんで……」

「そうか……なら、私は、先に行くぞ……」

「あのアンチャンによろしくお願いしますわ!」


 真音子は、狭い廊下を一気に加速したかと思うと、脇の壁へと瞬時にはねた。

 犬女の横の壁を踏み台として、体を反射させる。

 959号のろくろ首が、真音子の動きを予測していたかのように、真音子のいる壁へと、すぐさま伸びていた。

 膝を曲げ、壁との間に力をためる真音子。

 その肩に、大きく開いたろくろ首の口が迫りくる。


 ガシ!


 ろくろ首の歯が大きな音を立てて閉じられた。

 しかし、ろくろ首の歯は、あと一瞬届かない。

 矢のように飛んでいく真音子の髪をほんの数本かすっただけであった。


 そう、その伸びた首をイサクがつかんでいたのだ。

 見る見るうちに、苦しそうな表情を浮かべる959号。

 イサクが絞める腕に力をさらに籠めると、959号の伸びきった首が砂時計のくびれのように細くなった。


 真音子の体が鳥の羽のように軽やかに、ろくろ首の男の背後に膝をつく。

 一瞬、真音子の表情がイサクを伺うも、その口はもう何も発しない。

 前方の廊下へと目を戻した瞬間、真音子の体は、引き絞られたゴムがはじけるかのように前方へと疾走した。


 それを確認したイサクが力いっぱいに首を引き回す。

 ろくろ首の頭が、まるで振り子の如く勢いよく回転した。


「俺が、楽にしてやるよ……」

 イサクが、エプロンから鋼鉄製のおタマを取り出し、体の前に構えた。

 廊下の奥に真音子の姿が小さくなっていく。



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