第271話 イサクの過去(5)

 そんな研究から942号の犬女と959号ろくろ首の男は生まれたのである。

 その技術は、それ以前に作られていたイサクとは全く異なっていた。

 だが、イサクにとって、同じ研究室で生まれた兄弟であることは間違いなかった。


 イサクが、まだ、139号と呼ばれ、研究所の檻の中で飼われていた時の事であっる。 


 ある日突然、人魔研究所の中が騒がしくなった。

 そのころは丁度、ケテレツが神と魔物を融合実験をし始めたころと符合する。


 当時のケテレツは一つの融合体を完成させていた。

 そう、それこそ荒神と魔物の融合体である。


 だが、その融合体が突然、暴走を始めたのだ。


 ケテレツの制御を押し切り研究所内を暴れまわる融合体。

 融合体は、己が空腹を満たすかのように手当たり次第に生き物を襲った。

 その融合体の大きく開け広げられた口で飲まれていく研究員たち。

 所中のありとあらゆる生き物たちが、次々と融合体に取り込まれ生気を奪い取られていった。


 これに慌てたのがケテレツである。

 この融合体の存在が研究所の外にでも漏れたら大変である。

 なぜならここは人魔収容所。

 人魔となったものを処分する施設である。

 当然、人魔症にかかった人間を処分するだけならとがめられることはありえない。


 だが、ケテレツが切り刻んできた人間は、人魔症の疑いをかけられた者たちなのだ。

 そう、今だ人魔症かどうかの確証がつかめていないものたちなのである。


 ケテレツいわく。

 「人魔症にかかっている者などイキが悪くて使えるか!」


 そして、それは局長であるソフィアの考えとも一致した。

 「イキのいい人間を連れてこい!」


 そう、ここでは人魔症と無関係な人間すらも処分されていたのである。

 だからこそ、この人魔収容所から出てきたものはいないのである。


 そんな人間たちの切り刻まれた部位を使って、ケテレツは日夜、融合体づくりにいそしんでいたのだ。


 人魔症とは関係ない人間を殺していた。

 それどころか、その人間を使って融合体の実験をしていた。

 人魔症とは全く関係のない実験をだ。

 そんなことがバレたりしたら、自分の立場が危うくなってしまう。


 いやそれどころか、この人魔収容所の存在そのものが無くなってしまいかねない。

 そうなれば、ソフィアはどうなるのだ……

 せっかくソフィアの血という強力な触媒を得たのに、それを失いかねない。

 ケテレツにとって、それだけは絶対に避けなければならないことであったのだ。


 とにかく、ここは隠密にことを処理したい……


 だが、暴れている融合体は、完成したばかりの荒神と魔物の融合体である。

 到底、研究所の中の守備兵だけでは手が足りなかった。


 そこで、ケテレツはある作戦に打って出た。

 そう、その荒神の融合体を止めるために、イサク達の第三世代の融合体を投入したのであった。


 人魔収容所内で繰り広げられる融合体と融合体の戦い。

 それは、もう、獣たちが争うかのようであった。


 飛び散る肉。

 赤き飛沫で壁がどんどんと塗り替えられていく。

 狭い廊下にはむせ返るような血の匂い。


 イサクの兄弟たちの多くは、命令されるままに懸命に戦った。

 

 転がる兄弟たちはもう動くことすらままならない。

 廊下の奥からいまだに続く悲鳴と衝撃音の中、小刻みに切れおちるか細い呼吸音が血だまりをかすかにふるわせていた。


 「役立たずが!」

 まるで転がる空き缶でも踏み潰すかのようにケテレツの足が、兄弟たちの頭の上に落ちた。

 グシャっ

 肉がつぶれる音とともに、頭の下に広がる血だまりが大きく揺れた。

 だがしばらくすると、その血だまりは元の静かな水面に戻り、もう二度と揺れることはなかった。


 そんな戦いの中、イサクの兄弟たちの多くは命を落としていった。

 まるで消耗品のように使いつぶされていく命。


 いや……そもそも、それを命と言うのかは分からない。

 だが、確かに兄弟たちは生きていたのだ。


 そんな兄弟たちの死を目の前にしながら、ついにイサクもまた傷つき倒れた。

 ――俺もやっと死ねるのか……

 イサクの目が徐々に徐々にと閉じていった。


 だが、イサクが次に目を覚ました時、ソコは人魔収容所の中ではなかった。


 白い壁がない世界。

 そうそれは、外の世界である。

 

 突き抜けるような黒い夜空に仰向けに転がるイサク。

 そのイサクの目には、雲一つない夜空に浮かぶ月が映っていた。


 イサクの視界には、綺麗な街並みの影が見て取れた。

 どうやら、自分は道の真ん中で、ぶっ倒れているようである。


 ――どういうことだ?


 訳が分からないイサク。

 だが、今のイサクの体は巨大な融合体との戦闘で開血解放を使いすぎて、もういう事を聞かない。

 すなわち血液切れの状態であった。

 死ぬのが先か、人魔症になるのが先か……どちらに転んでも助かる見込みはなかった。


 あきらめたイサクは、大の字で天を眺めた。

 だが、その表情はどこかせいせいとしていた。


 自分の最後は、てっきり、あの何もない人魔研究所の中だと思っていたのだ。

 もう、あの研究所から二度と外に出ることは叶わない。

 だが、なぜだか分からぬが、今、こうして外の世界にいるのだ。

 それが、ほんのひとときの命であったとしても、外の空気を吸うことができたのである。

 これはこれで幸運と言うべきではないだろうか。

 そう思うイサク目には、笑みが浮かんでいたのである。


 今のイサクは、神民街とおぼしき夜の街の中に倒れていたのであった。

 だが、イサクに融合された魔物部位が、解決開放に使用した血液切れにより、今度は自分の血液を吸収し始めた。

 その苦痛に、イサクの動かぬ体がもがき苦しみ始めた。


 いつの間にかイサクの頭の先に一人の女性が立っていた。

 いつからそこに立っているのか分からぬが、じーっと、苦しむイサクを見下ろしている。


 ――なんだ! この女は……

 苦しさに耐えかねるイサクは石畳を掴みとる。

 爪が石畳に削り取られて、さらに赤き筋を引いていた。


 だが、女は、何もしゃべらない。

 月明かりを背に立つ女は、年のころ20後半か。

 赤い着物に黒い帯。

 その着こなしは、その年齢とは異なり、かなり落ち着いていた。

 そんな女の顔はすっきりと美しい。

 化粧などの飾り気は全くないのだ、深紅の口紅のみが妙に映える。

 そして、後ろ髪をアップにまとめたべっ甲のくしが月の光で黄色く輝いていた。


 そんな女が、やっと口を開いた。

「お前、その顔……第三世代の融合手術やな……」


 とっさにイサクは顔をかくした。

 だが苦しい。血液が切れた禁断症状が全身を襲う。

 このままでは人魔症が発症してしまうだろう。

 イサクはふらつく足で立ち上がろうとした。


「まちな! その体でどこに行くんや!」

 女は、イサクに声をかけ、イサクの手を掴もうとした。


 そんな女の手をイサクはさっと振り払った。

「俺に構うな! このままだと人魔になっちま……」

 と、言葉を言い終わらないうちに、イサクの体は宙を舞っていた。


 女がイサクの腕を取り、その体をひねっていたのである。

 地に伏せるイサクのみぞおちに女の体重がのしかかる。

 グハ……

 身動きが取れないイサク。


 ――こんな女一人に第三世代の俺が一瞬で……


 いくら弱っているとはいえ、イサクは第三世代の融合体である。

 全く持って訳が分からない。

 だが、のんきに倒れている場合ではなかった。

 このままでは、人魔症が発症してしまうのだ。


「のけぇ!」

 イサクは叫んだ。


「やかましいわ! このぼけぇ!」

 着物の裾からのびる白い太ももが、イサクの胸をさらに押し付ける。

 女は懐に手を入れると、そこから抜き出したドスを逆手に抜いて頭上に掲げた。


 月明かりにドスの白刃が美しくきらめく。


 ――さすつもりか!

 イサクは体に力を込めた。

 だが女の膝が力を込めてその動きを封じこむ。

 ツボの入っているのか、イサクの体はピクリとも動かない。


 女は左腕をぐるりと回し着物の袖から白い手首を突き出した。

 そして、次の瞬間、その手首に迷うことなくドスを突き刺したのであった。


 まるで滝のようにドクドクと流れ落ちていく深紅の血液。


 そんな血液が、月明かりの闇の中、静かにイサクの顔を濡らしていった。


 何がおこったのか分からぬイサク。

 だが、顔にかかった血液は、イサクの禁断症状を緩和する。


「これで少しは落ち着いたか……」

 そういうと女は、イサクの胸に押し付けた膝を外した。


 だがイサクは、動かない。

 仰向けのまま女を見つめ続けていた。


 女はドスを投げ捨てると、右手で手首の傷を強く押さえつけた。

「お前、名前は……」

「139号……」

「なんや、その名前は……お前は犬か……」

「それしかない……」

「ならば、お前はイサクや! 今日からお前は私の飼い犬や!」

 と言うと、女の体は力なくその場に崩れ落ちた。


 遠くから、数人の男達の声が駆け寄ってくる。

「奥様! 金蔵かねくら座久夜さくや奥様!」


 駆けつけてきた男たちが倒れ込む女を抱き起した。

「奥様! 大丈夫ですか!」


 残りの男たちは、目の前にあおむけに倒れ込む異様な顔の人間をにらみつけていた。

「この化け物が! 奥様に何しやがった!」


 その瞬間、座久夜さくやの腕が、叫ぶ男の胸倉をつかみあげた。

「どこに目つけとんや! このカスが! そいつは、けが人や!」


 いや……どう見ても、目の前のイサクよりも、失血死しかけているあなたの方が、けが人ですが……


 男たちは、イサクから飛び離れ、座久夜さくやに頭を垂れた。

「そいつは、今からウチの飼い犬や……可愛がりや……」

「オッス!」

 座久夜さくやは、そう言い残すと、再び男の腕の中で目を閉じた。

 腕は力なくだらりと垂れ落ち、今だ、傷口からは血が流れ落ちていく。

 そんな地面にできた赤き水たまりに、美しい月が波紋を作る。


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