第267話 イサクの過去(1)

 真音子とイサクはタカトたちの後を追い無機質な白い廊下を疾駆する。

 先のT字路を左に曲がると、突然現れた守備兵たちの背中が目に前に迫っていた。


 そう、その背中はタカトたちを追いかけていた守備兵たちの後ろ姿である。

 おそらくこいつらの前にタカトがいるのだ。


 先を急ぐ真音子は焦った。

 目の前の守備兵たちを迂回するには時間がかかりすぎる。

 まして、守備兵たちの姿が見えなくなるまで、どこぞに隠れている暇はない。


 ならば!


 真音子は走る速度を上げると勢いをそのままに右側の壁に足をかけた。

 床と水平になりゆく真音子の体が前をゆく守備兵たちに追いついたと思った瞬間、その垂直の壁を足場にするかのように前方の天井へと跳ね上がった。

 空中でくるりと回転する真音子の膝が深く折り曲げられると、今度は強く天井をけり出した。

 その動きはまるで、光の矢が鏡に反射するかの如く電光石火のスピード。


 そのため守備兵たちには目の前に突然、真音子が現れたように見えたのである。

「こいつ一体どこから?」

「何やつだ!」

 だが、床に片膝をつき、うつむく真音子は答えない。

 それどころか一切微動だにしないのである。


 そして、驚く守備兵たちの体もまた、真音子同様ピタリと止まっていた。

 いや、止まったのではない、先ほどから動けなかったのである。

 しかも、そのつま先は床から離れ浮き上がっているではないか。

 体の自由が奪われた守備兵たちの顔に苦悶の表情が浮かぶ。


「……銘肌鏤骨めいきるこつ……」

 そういい終わるや否や、うつむく真音子が両手を素早く交差させた。

 甲高いキュルキュルという無数の音が真音子の背後で飛び交うと、その指先から伸びる数本の糸が一気に緊張した。


朱殷しゅあんの花を散らしなさい……」

 一瞬おきた悲鳴の後、床や壁はあたり一面、真っ赤に染まった。

 赤く染まった空間に縦横無尽に張り巡らされた金糸。

 その金糸から赤いしずくが垂れ落ちていた。

 しずくは、その下に無数に散らばる守備兵だった肉片へと落ちていく。

 いまや廊下は、むせ返るような血の香りで充満していた。


「お嬢……あんまり、その技は使わない方がいいのでは……アルダインどころかオヤッサンにでも見つかったら大変ですぜ……」

 イサクが腕を組み、ため息交じりにつぶやいた。

 ちなみにオヤッサンとは金蔵家の当主である勤造の事をいっているようだ。

「そんなことは言われなくても、分かっています……」

 すっと立ち上がった真音子が軽く腕を振ると、まるで主に命令されるがごとく張り巡らされた金糸たちがスルスルと戻りくる。


 そう、真音子の父である勤造は、真音子に情報の国から伝わる忍者の技を教えることを嫌っていた。

 娘だけはまっとうに生きてほしい。

 そう願い、真音子に借金の取り立て業務に励ませたのである。

 だが、真音子は時折金蔵家に訪れてくるジャンボポール・ゴルチン13サーティーンに隠れて忍者の技を教わっていたのである。

 この銘肌鏤骨めいきるこつもゴルチン13サーティーンに教わったものである。

 というのも、ゴルチン13サーティーンは勤造がまだ情報の国にいたころの一番弟子であったのだ。

 かつて勤造が蘭蔵に忍者マスターの証である翡翠の石を譲り国を出たことを、いまだに快く思っていなかったのである。

 そんなゴルチン13サーティーンは勤造をたびたび訪ねては説得を重ねるのだ。

 また、情報の国にかえって忍者マスターを目指そうと。

 だが、勤造は首を振る。

「もう、過ぎたことだ……」

「ならば……ならば……われらオンリーだけでも忍者マスターの座を奪い返すまで……」


 先ほどまで廊下に張られた金糸が邪魔で前に進めなかったイサクが、やっと障害がなくなった廊下を歩きだしていた。

「ならいいんですが……」

 一歩踏み出すたびに、ビチャビチャと踏み潰される肉片が嫌な音を立てていた。


 真音子は、鋭い視線を廊下の先に向けた。

 これで、タカトたちとの間に障害はなくなった。

 後は全力で追いつくだけである。

 確かに、その時そう思ったのだ。


 だがしかし、その先には2つの異なるモノが立っていた。

 そう、一つはマルチーズの体に女の顔、もう一つはろくろ首のように長い首を持つ男の姿。

 どう見ても異形のもの。人間ではなさそうである。


「私の邪魔をするな!」

 咄嗟に、真音子は顔の前で剣を横に身構えた。


 だが、そんな殺気立つ真音子の肩にイサクの大きな手がポンと置かれた。

 肩を掴む手が真音子を後方へと引き下げるかのように、その動きを制していた。

「お嬢、ココは俺がやりますよ。あいつらに隙ができれば迷わず先に行ってくださいな」


 イサクは真音子と入れ替わるかのように前へと静かに歩みだす。

 そして、まるで昔を懐かしむかのように犬女とろくろ首の男に声をかけはじめた。

「よぉ兄妹! 942号と959号じゃないか!」


 もしかして、この犬女の名前は942号というのだろうか。

 ということは、ろくろ首の男が959号で間違いないだろう。


「俺だよ! 139号だよ! 覚えてないか?」

 そういうとイサクは頭にかぶる紙袋を脱ぎ捨てた。

 イサクの醜い魔物のような顔が現れる。

 それは大きく裂けた口ととがった耳。

 そして、獣のように吊り上がった恐ろしい目であった。


 以前、イサクが紙袋を脱いだのは人魔があふれる神民病院の屋上だっただろうか。

 その時は月明かりだけだったせいで、その表情はあまりはっきりとわからなかった。

 だが今は違う。

 天井の明かりによってイサクの不気味さがはっきりとわかるのだ。


 おそらく、そのつぎはぎでつながれた異形な表情は、いろいろの魔物の組織の寄せ集めだろう。

 どう見ても人の顔と言うより魔物の顔である。

 だが、その瞳の色は黒色。

 魔物の緑色とは異なっていた。

 と言うことは、やはり、その体は人間であることは間違いないようである。


「お前たち、まだ生き残っていたのか!」

 イサクは自分を139号と呼んだ。

 そして、目の前の異形のものを懐かしむ。

 イサクもまた、この者たち同様にココで第三世代の改造手術を受けたという事なのだろう。


 イサクは笑う。

「しかし、お前ら、ますます人間から遠のいたようだな……」

 というか、今のイサクも人とは言い難いのだが……


 だが、942号の犬女と959号ろくろ首は笑わない。

 それどころかイサクを見るなり、うなり声をあげて威嚇をしているではないか。


 ――もう、人としての思考もできなくなったか……

 そんなイサクは二人を憐れんだ。


 だが、ふと何かに気付いた。

 ――コイツらが居ると言うことはまだ、あの糞ドクターもいるってことか。


 拳を固く握りしめる。

 ――必ずぶっ殺してやる! ケテレツの野郎!


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