第231話 湯煙騒乱(5)

 いくら鈍いタカトと言えども、そのオオボラの殺気には気が付いた。


 ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ!

 バレたかもしれん……

 どうしよう……どうしよう……


「いや、俺はちょっと忙しくて……」

「礼金なら弾むぞ」

「いやぁ、道具屋の仕事でいそがしくてさ……」

「仕方ないな、それでは私の奴隷たちだけで行かせるかな」


 温泉にも浸かっていないというのに汗だくになっているタカト。

 もう、いても立ってもいられない。気が動転するタカトは、御簾垣の隙間を、とにかくガリガリと両指でひっかいていた。すでに、その両目はどこを見ているかもわからない。何かをしていないと落ち着かないのだ。


「そんなにみたいなら見せてあげるわよ! ダーリン!」

 アルテラが、御簾垣の横から飛び出した。

 まさに裸! すっぽんぽん!

 しかし、今のタカトには、そんな姿を楽しむ余裕はなかった。


 咄嗟のことにびっくりするオオボラ。

「アルテラさま、これをお召しください」

 オオボラは、手にあるバスローブを渡そうとする。


「ダーリン、一緒に入ろうよ」

 アルテラはタカトの手を引っ張っていく。


「なりません!」

 止めるオオボラ。


「ケチ!」

 すごすごと温泉に戻るアルテラ


 ホッと胸をなでおろすタカトとオオボラ。

 しかし、次の瞬間、アルテラが再び顔を出した。

「忘れてた! ダーリン! お仕事の依頼を持ってきたわよ!」


「アルテラ様!」

 オオボラが怒鳴る。


「ごめん。ごめん。人魔収容所で道具を作ってほしいんだって。詳しくはビン子ちゃんに伝えておくからね。私に感謝しなさいよ!」


 その会話を聞いた真音子の表情が、瞬時に変わった。先ほどまでお湯につかりのほほんとリラックスしていた表情が、急に険しく鋭くなったのだ。

 人魔収容所にタカト様を呼び出すだと?

 なぜ? 道具作りの依頼ですって? 融合加工院の技術者でないタカト様に依頼? そんな事なら、融合加工院の技術者で十分のはず……

 そういえばセレスティーノが何か言っていたような気がしないでもない。あの時は屋上から落ちながらだからよく聞こえなかったけど、確か、タマホイホイをソフィアに渡すとか……

 ならば、この話、タマホイホイ絡みか……


 タカト様の身が危ない!

 真音子はとっさに立ち上がった。


 その瞬間、ビン子の視界は、すぐさま丸裸の真音子の裸体をとらえていた。

 そう、奴は敵!

 巨乳を抱きし敵なのだ!

 キラーん! ビン子の目が、寸時に敵データを収集する。

 そう、敵よりも早く成長するために、常に警戒を怠らないのである。

 そんな人間メジャーと化したビン子の目が真音子のスリーサイズを特定した。

 ――あれ?

 キョトンとしためで真音子を見るビン子。

 ――おかしいな……

 何度見なおしても、首をかしげるばかり。

 ――アイナのスリーサイズと、ミリ単位まで一緒なんですけど……こんな事って、あるの?

 って、お前、なんでアイナちゃんのスリーサイズをミリ単位まで知ってんだよ!

 えっ? それは、アイナの最新版のハイレグ写真集を見ながら「エロイむエッサイム! エロイむエッサイム! 我は求め訴えたり! いでよ! 巨乳! わが胸にやどりたまえ~♪」などという呪いの言葉をかけ続けているため、自然と記憶されていたのである。


 湯の中で立ち上がった真音子もまた、自分をキョトンと見上げるビン子を見ながら、しまったという表情を浮かべていた。

――うっかり、ビン子さんが人間メジャーだったの忘れてた……

 なんだか、ビン子の前で肌をさらすことを極端に嫌がるかのように、すぐさまタオルで体を包む。

――だが、今はそんなことを言っている場合ではない!

「イサク! 帰るぞ!」

「イエッサー! お嬢!」

 その言葉に応じるかのように、露天風呂のすぐ後ろの岩陰から紙袋の裸エプロンの男が飛び出した。


 ぎゃぁぁぁぁ!

 とたんに、悲鳴を上げるアルテラとビン子。


 コイツ、いままでこの温泉を覗いていたのであろうか。

 というか……紙袋ふやけてないのだろうか?


 温泉の脱衣所の入り口を照らすランプの明かりだけが暗闇の中で妖しく揺れている。温泉で少々はめを外しすぎたのか、既に辺りは真っ暗になっていた。

 湯上りの体には、時折ふく夜風が心地よい。


 脱衣所を出たアルテラは、嬉しそうに手を振った。

「それじゃねー。ダーリンバイバイ」

 オオボラが軽く咳ばらいをすると、アルテラの足元を照らした。

 目の前には騎乗してきた馬たちが待機する。アルテラは、オオボラに急かされながら、馬の背に乗った。

 しかし今だに、タカトに手を振っている。


 タカトとビン子は愛想笑いを浮かべながら、手を振りつづけた。とりあえず、アルテラの姿が闇に溶け込み消えていくまで、振り続けた。

 脱衣所にぽつんと取り残された二人。

 ビン子は上気した頬を手拭いで拭う。

「気持ちよかったねぇ」

「それどころじゃねぇよ……」

 タカトは、脂汗を袖で拭った。


 ――オオボラの奴……気づいているよな……あれは、絶対に見通している目だ。

 御簾垣の横でタカトに向けられたオオボラの視線。

 それはとても冷たく鋭いものだった。

 今思い出しても身震いしてしまう。


「タカト? 湯冷め? 気を付けないと」

 何も知らないビン子は、震えるタカトを気遣った。


「アホか! 俺は温泉に浸かっておらんわ!」

「そうだった……ならどうして震えてるのよ」

「小門のことがオオボラにばれたかもしれん……」

「えぇぇ! 何ばらしてるのよ! 馬鹿じゃない!」

「アホ! ばらそうと思ってばらしたんじゃないわい! いつの間にか、見透かされていたんだよ!」

「どうするのよ……」

「とりあえず、今日のところは、爺ちゃんの道具屋に戻ろう。もしかしたら、つけられているかもしれんし……」

「そうね……それがいいかも」


 二人は、権蔵たちが待つ小門に向かうことをあきらめ、権蔵の道具屋へいったん帰ることを選んだ。


 暗い森の中をタカトとビン子が並んで歩く。タカトが持つランプだけが暗い森の中では唯一の明かり。その明かりが歩調に合わせて、ユラユラ動く。

 しかし、タカトたち以外にも、この暗闇の中で動くものがあった。森の暗闇の中でゴソゴソと動く影。だが、その影は、光を発しない。ただ、暗闇の中で、音を立てずに静かに動く。そして、タカトとビン子をつけるかのように、常に一定の距離を保ちついていた。


 しかも、その影は一つではなかった。二つ・・イヤ、少なくとも三つはあるようだ。

 バカ話をしているタカトとビン子は、この影たちに気づく様子は全くない。じつにお気楽なものである。


 この影たちの正体は、オオボラの奴隷たちであった。

 アルダインの神民となったオオボラは、稼いだ金で、奴隷を買いあさっていた。それも、情報の国あがりの奴隷たちである。

 この情報の国は、その名の通り、情報を集めることに長けている。その職業は、スパイ、忍者、探偵など多岐にわたる。

 以前、融合の国は隣国の情報の国といさかいを起こした。融合国が情報国の人間を拉致誘拐したとのうわさが広まったのである。

 そのため、その真偽を明らかにするため情報の国から多くの間者が送りこまれた。

 融合国は内政干渉と情報国に反発するが、情報国も知らぬ存ぜぬとシラを切る。

 このため融合国内では情報の国の間者狩りが盛んにおこなわれた。手あたりしだいにとらえては、拷問にかける。おそらく冤罪も多くあったことだろう。その拷問は凄惨を極めた。拷問に耐えかねて融合国に寝返るものもいたとしてもおかしくはなかった。

 その者たちは融合国内で奴隷として生を長らえていたのであった。




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