第230話 湯煙騒乱(4)
ビン子はアルテラの胸を見つめる。
「大きくていいですね。ところで、それは騎士の刻印?」
アルテラが左胸につく刻印を見ながらつぶやいた。
「ああ、この騎士の刻印。前の騎士の人がなんか大変なことをしたらしくて、アルダインお父様から、引き継ぎなさいって言われたんだ」
「なんか肌の感じが少し違うね」
「前の人の肌ごと移植したんだって、なんか気持ち悪いよね。そうまでして騎士なんかになりたくなかったんだけどなぁ」
頭の後ろに手を回し笑うアルテラ。
その笑いと共に二つの大きな胸がユラユラと湯を揺らす。
――巨乳なんて……巨乳なんて……大嫌いだぁぁぁぁぁぁぁぁ!
ビン子の悔しそうな目がアルテラの二つの塊を凝視し続けた。
オオボラは、脱衣所と露天風呂との間にある
ココは露天風呂である。アルテラに何かがあれば大変だ。脱衣所の外で待機していたのでは、ガメル襲来の時のように後れを取ってしまうかもしれない。かといって一緒に入るわけにはいかない。そんな時、ちょどよい御簾垣があったのだ。露天風呂を背にし、アルテラのバスローブを手にしながらオオボラは直立不動の姿勢を崩さない。
そしてもう一人、御簾垣に控える奴がいた。オオボラに並んで立つタカトである。いや、強制的に横に立たされていった方が正解か。
「何やってんだよあいつら」
タカトはそわそわしながら、御簾垣の隙間に目を押し付ける。
その隙間から温泉の様子を伺おうというのであろうか。
しかし、隙間が狭くてよく見えない。
少しでもよく見える位置はないものかと頭の位置を、あちらこちらに忙しく動かす。
「暇そうだな」
明らかに馬鹿にした様子のオオボラが話しかけた。
そして、大きく息を吐き出すと、意を決したかのように口を開いた。
「お前、万命寺が燃えたこと知っているか?」
「あの寺、古いからよく燃えただろうな。キシシシ!」
オオボラは静かにタカトに目を向ける。
タカトは相変わらず、ゴキブリのように御簾垣にへばりついている。
「お前、ガンエンやコウエンがどうなったのか気にならないのか……」
⁉
タカトの動きが止まった。
まるで、ゴキブリが人間に見つかったかのように、ピタリと止まる。
御簾垣に張り付いたタカトの髪の毛が、ゴキブリの触角のように危険を察知しピクピクと揺れ動く。
「……あぁ、そ、そう言えばどうなったのかなぁ」
オオボラはタカトに済まなさそうに語り掛けた。
まるで、許しを請うかのように、小さく、小さく声を絞り出す。
「万命寺から逃げ出たものはいないそうだ」
――そうだった……あの時、井戸の抜け穴から寺の外に出たんでした。そうそう……そして、これはオオボラには内緒って言ってたよな。
なぜなら、それを言えば、オオボラならエメラルダが小門にいるって気づいてしまう。
「へえー」
タカトは動かない。
今、動けばドツボにはまる。
ゴキブリの本能なのか。
「それだけか? ガンエンもコウエンも焼け死んだかもしれないのだぞ」
オオボラが拳を強く握りしめている。
――俺が二人を殺した……だが、決して後悔はしない。これが、皆を救う最善の方法だったんだ。
オオボラは自分に何度も言い聞かせたはずだった。
しかし、それでも目をつぶれば、二人の笑顔が浮かんでくる。
誰かに許しを請いたい。
そんな気持ちがあったのかもしれない。
「イヤァ、それは大変だなぁって」
⁉
オオボラは驚いた。
厳しい修行をつけられたとはいえ、ガンエンとコウエンが万命寺と共に焼け死んだというのだぞ!
怒りや驚きはないのか!
燃やした奴に対して、憎しみの心は抱かないのか!
「それだけか!」
オオボラは怒鳴った。
タカトの胸倉をつかもうと腕が伸びる。
しかし、その動きはすぐに止まった。
いや、タカトに限ってそれはない。
コイツはアホだ。
確かにアホだ。
だが、まっすぐなアホだ。
ガンエンとコウエンが死んでいれば、誰よりも深く悲しみ、誰よりも怒り狂うはず。
それがタカトだ。
しかし、この反応。
考えられることは一つだけ。
おそらくガンエンとコウエンは死んでいない。
そして、コイツはそれを知っている。
「……そうか……分かった」
オオボラは、大きく息をつく。
そして、自らを落ち着かせるかの如く、自らの服の襟を整え直す。
そして、再び前をしっかりと見つめ直した。
「ところで、お前、あの小門のキーストーンは見つけたのか」
危機が去ったと思ったのか、御簾垣に引っ付くゴキブリが再び動き出す。
ゆっくりとだが、ごそごそと。
「いや、あれから行ってないからな」
「そうか、まだ、あの小門の中にはキーストーンが眠っているんだな」
「でも、もうお前、神民になったから入れないじゃん」
小門は、神民や騎士、王は拒絶され、入ることができないのである。
「そうだな。ところで、あのスライムがいた穴の奥には何があるんだろうな」
オオボラは、ちらっとタカトの様子を伺った。
「いや、何もなかったよ。行き止まりだった。うん! 行き止まり!」
「そうか……」
オオボラはタカトから目を戻す。しかし、その眼光は何かを確信したかのように鋭く光っている。
「なぁ、タカト。なぜエメラルダが罪人になったか知っているか」
オオボラは前を見ながらタカトに尋ねた。
しかし、その言葉は、妙にハキハキと重みを感じる。まるで、殺人犯を追い詰める検事の言葉のように、一つ一つがハッキリと発せられる。
「さぁ、興味ないしな」
タカトは御簾垣の上でゴソゴソと頭を動かす。
すでに危機が去ったと思ったのであろうか。
ひときわ大きな隙間を見つけて喜んでいるようである。
「魔人国の騎士ミーキアンと内通して聖人国に対して反逆を企てていたんだ」
オオボラの言葉が、外堀を埋めていく。
「それは恐れおおいことだな」
それに気づかないタカトは、アルテラ達の様子を覗くのに必死である。
それどころか、御簾垣の隙間を少しでも大きくしようと指を押し込んでいる始末。
こいつはアホか!
「その内通の密書が、あのスライムの穴から出てきたんだよ。不思議だろう」
「なんで?」
「分からないか。あの小門は行き止まりではなく、魔の国に通じてないといけないんだよ」
チェックメイト! と言わんばかりに、オオボラはとどめの一言を発した。
ギクッとするタカト
やっと今頃、オオボラの言葉の真意に気づいたようである。
「へ……へぇ、そしたら、あの小門は魔の国に通じているんだな。きっと、俺が見つけられなかった道がまだあるんだな……」
しどろもどろになりながら、必死に誤魔化そうとするタカト。
その様子を見ながら、オオボラは確信した。
ガンエンもコウエンも生きている。
そして、小門の中でエメラルダを匿っている。
「キーストーンがあるとするなら、その奥なんだよ、俺の奴隷たちと一緒に探しに行ってくれないか、お前がいる方が何かとよさそうだからな」
オオボラは笑いながらタカトに頼む。
しかし、目だけは笑っていない。
得物を見つけたオオカミのように、まっすぐにタカトをにらんでいた。
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