第229話 湯煙騒乱(3)

 既に燃え落ちた万命寺の近くある温泉。まだ、辺りにはかすかに焦げ臭いにおいが漂っていた。


 だいぶ日も傾き始めた夕暮れ、タカトとビン子は、森の中にある露天風呂の暖簾をくぐる。その先には大きな露天風呂が湯煙を立てていた。しかし、服のまま湯船に入るわけにはいかない。温泉の横に建てられた粗末な脱衣所を目指す。そこは、以前タカトがエメラルダを連れて行った脱衣所である。


 タカトはビン子と共に脱衣所ののれんをくぐろうとした。しかし、いきなり後ろから腕を引っ張られ、体を止めた。オオボラが、タカトの腕をつかんで睨み付けている。


「なに、しれっと一緒に入ろうとしているのだ」

 キョトンとするタカト

「えっ? 風呂に入るなら、服脱がないと……お前、服着たまま入るつもりか?」


 オオボラが、腕を握る手に力を込めた。

「イテテテテ」

「お前は、アルテラさまと、一緒に風呂に入るつもりか?」


 そうなのである。この温泉は大きな露天風呂が一つ、脱衣所も一つなのである。

 まぁ、俗にいう混浴なのである。


「えっ? ダメなの?」

「身分を考えろ! まして、男であるお前が女性と共に風呂に入れるわけがなかろうが!」

「えっぇぇぇっぇえぇ! それだけが楽しみだったのに!」


 脱衣所の暖簾を持ち上げビン子が顔を出す。

「バーカ! 変態タカト!」


 オオボラはタカトを引きずりだす。

「それ見ろ! ビン子でさえ嫌がっているだろうが!」

「ちっ! ビン子の奴! 裏切りおったか! あとで、パンツの中にワサビ塗り込んでやる!」


 ガツン!

 オオボラのげんこつがタカトの頭上に落ちた。

 ピヨピヨピヨ

 タカトの目がくるくる回る。


 脱衣所の中。

 格子状になった大きな棚の前に、アルテラとビン子が並んで服を脱ぐ。

 ビン子はスカートを脱ぐと棚のカゴに丁寧にたたんだ。

 アルテラもライトグリーンの髪をかき上げると、ブラのホックを外した。

 ビン子はふと何かが気になった。それを確かめるために、横にいるアルテラを伺った。

 アルテラの真っ白な上半身。ブラを置いたアルテラは、次いで、スカートを脱ぐために上半身を傾けていた。

 そう、ちょうどビン子にはアルテラの背中が見えていたのだ。

 その真っ白な背中には、大きく広がる赤いあざがあった。

 それは、まるで背中一杯に広がる四つの大きな赤き羽。

 まるで蝶の羽のように広がる大きなあざであった。


 ビン子の視線に気づいたアルテラはとっさに身をよじる。

「あんまり見ないで。きもち悪いでしょ」

「ううん、天使の羽みたいでかわいいよ」

「そういってくれる人は初めてだな。このあざ生まれた時からあったらしくて、小さい時には神民学校で結構、キモイキモイって言われたな。まぁ、今ではそんなこと私の前で言う人はいないけどね」

 それはそうだ、宰相の娘であるアルテラにそのような口をきこうものなら、一族郎党打ち首間違いなしであろう。そのため、アルテラの緑の髪に対しても何も言わない。いや、言えないのであるから。


 温泉に飛び込むビン子とアルテラ。

「気持ちいい!」

「ビン子ちゃん! 奥の方が深くて気持ちいよ」


 二人は湯けむりをかき分け温泉の中をじゃぶじゃぶと歩く。

 湯煙の中に一つの影が、ゆっくりと浮かぶ

「はぁ、いい気持ちですね」

 そこになぜか金蔵真音子が温泉につかっていた。

 手拭いを頬に当て、汗を拭いている。


「なんであんたがいるのよ」

 とっさに怒鳴るアルテラ。

「何をおっしゃっているのですか、私は、ただ温泉につかりに来ただけですよ」


 フン!

 そっぽを向いたアルテラは、ドボンと肩まで湯につかる。

 ビン子は、真音子とアルテラを見比べた。

 湯に浮く大きな塊が4つ。真音子とアルテラの前に2つづつ浮かんでいた。

 ビン子は悔しそうに自分の胸を見下ろした。

 ――私のって……

 敗北感にさえなまれたビン子の心が沈んでいく。

 ブクブクブク

 ビン子の頭も湯に沈む。


「タカトの借金はいくらなの?」

「アルテラさまと言えども個人情報なのでお教えするわけにはまいりません」

「何が個人情報よ! 私が、タカトの借金肩代わりするわ!」


 真音子は指を口に当て少し考えた。

 しばらくして、頭を傾け、微笑んだ。

「ダメです。この借金の契約者はタカト様であって、アルテラ様ではありません」

「だれが返しても同じことよ。ダーリンがいいと言えばいいのよね」

「そタカト様が、アルテラ様に援助を申し出るのであれば、それで構いませんが、タカト様は決して、誰かにすがるようなことは致しません。それがタカト様です」

「うっ……っ」


 この女、意外にタカトの事を知っている。

 ここで、返済を強制するようなことがあれば、まるで、自分がタカトの事を何も知らないことを明言するようなものである。

 これ以上、この女の前で、強く言う事は、自分のプライドが許さない。


 真音子がフフフと不敵な笑みを浮かべている。

 何も言い返すことができないアルテラの表情を楽しむかのようである。


「なによ! ダーリンのことをさも知っているかのように、あぁイラつく!」

 その笑みにカチンとくるアルテラ。

 次の一手を封じ込まれたアルテラは、捨てゼリフを吐き捨てた。

 最後の強がりである。

 この勝負は真音子に軍配か。


 先ほどから静かなビン子は何をしているのであろうか。

 湯の中でビン子はアルテラと真音子に背を向け、何かごそごそとやっていた。


 真音子から逃げるように視線をそらしたアルテラがビン子の肩越しに覗き込む。

「ビン子ちゃん。何してるの?」


 ドキ!

 ビン子の動きがピタリと止まった。


 アルテラの視線がビン子の胸へと降りていく。

 ははぁん……

 にやけるアルテラ。


 ビン子は、懸命に自分の胸のマッサージをしていた。

 今さら、マッサージをしたところで、そんなにすぐには大きくならないぞ。ビン子。


「うらやましぃ?」

 アルテラは意地悪そうに笑った。

 真音子に負けた腹いせをビン子で晴らすつもりなのか。


「ビン子ちゃん! 私が揉んであげる。揉んだら大きくなるのよ」

 アルテラは、ビン子の胸をももうと跳びかかる。


「きゃぁぁ! やめてください」

 ビン子は、ビシャビシャと湯をまき散らしながら逃げ惑う。

「待て! 待てぇ!」

 アルテラは面白がって追いかける。


 その横で、飛び散る水滴を手拭いで拭く真音子。

「お風呂は静かに入るのがマナーですよ」


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