第211話 苦肉の策(7)

 駐屯地に残った長兄コウケンも奮闘を続けていた。

 城壁の上で、連撃弩の部隊の指揮を取る。

 空を飛ぶ魔人たちを、この駐屯地に足止めしていた。


 連撃弩から矢が絶え間なく飛び出した。

 次々と落ちていく空魔たち。

 既に総力戦を見越したコウケンは、次戦のことなど気にしない。

 矢や毒など、倉庫にあるだけ全て投入する。

 手あたりしだいに、打ち尽くす。


 しかし、コウケンには一抹の不安があった。

 いくらすべての連撃弩を配置したとしても、全ての空の魔人をせん滅することは叶うまい。

 一方向からの矢の攻撃など、距離を取られてしまえば、意味がない。

 しかも、目の前の空魔どもが、弟のコウセンとコウテンの後を追えば、そのスピード。瞬く間に二人に追つくことだろう。

 地の魔人と空の魔人。

 この二つの魔人を相手にするには、あの二人には荷が重い。


 上空を見あげるコウケン。

 連撃弩の射程範囲外をぐるぐると飛び交う魔人たち。


 ――その数15と言ったところか……

 連撃弩の毒矢が意外にも、魔人たちの数を減らしていたようである。

 それでも残り15人

 それも空を飛ぶ者たちである。


 今、空魔に飛び去られてしまっては、二人の弟の命は危うい。


「コウケン、どうする?」

 連撃弩のハンドルを回す、年老いた一般兵はコウケンに尋ねた。


「私が、あのうるさいカトンボを叩き落してきますよ」

 コウケンはすがすがしい笑顔で答えた。

 老兵は唖然とする。

「相手は空だぞ! どうするというのだ?」

「我ら万命拳、空の敵に備え無しと思われますか?」

「できるのか?」

「当然!」

 コウケンはにこやかに微笑み、ガッツポーズを見せる。


「分かった。で、我らは何をすればいい?」


 コウケンは指先で空魔の位置を目測する。

「そうですね……投石車の角度をもう少し上に変えてもらえますか」


「何をする気だ……」

「いやぁ、私も空を飛ぼうかと思いましてね」

「バカか! 投石車で飛ぶというのか!地面に落ちれば死ぬぞ!」

「なら簡単な話、落ちなければいいんですよ」

 コウケンは大笑いする。


「さてと……」

 コウケンは手を組み伸びをする。

 首を左右に振り、ストレッチをするかのように組んだ手を背に回す。

 ふー

 大きく息を吐くと、一台の投石車に乗り込んだ。


 投石車の周りに集まった多くの一般兵がコウケンを止める。

「コウケン! やめておけ!」


 二人の弟を思う気持ちはよく分かる。

 次兄のコウセン、末弟のコウテン、どこか危なっかしいこの二人。

 道が外れそうになった時に、そっと手を差し添えるのが長兄コウケンの役割だった。

 だが、コウケンが、その手を差し添えるのは、この二人の弟たちに限ったことではなかった。

 駐屯地の皆が困れば、最後に手助けするのがコウケンであった。

 コウケンは、皆が己の力でやり遂げることを見届ける。

 しかし、その力が及ばぬとなりかけた時、どこからともなく手を差し出すのである。

 今回の件も、そうであろう。

 神民の減少により、この駐屯地が魔人国のフィールドにおちるのは自明の理。

 籠城したところで、意味はない。

 かといって、退路には神民魔人が待ち受ける。

 そのうえ、一之祐の性格である。引くこともままなるまい。

 引くも地獄、とどまるも地獄。まさに、八方ふさがり。

 そんな時にコウケンが手を差し伸べる。

 撤退ではなく、援軍だといい神民兵を下がらせた。

 ゴネる一之祐に嘘をつく。

 取り巻く神民魔人は、我ら3人に任せろと気勢を張った。

 それが、どんなに困難な事かは、バカでもわかる。


「では、私が戻るまで駐屯地の守備はお任せしますよ!」

「戻れるわけなかろうが!」


 老兵は知っていた。いや、駐屯地の皆が知っていた。

 コウケンの性格……あいつは、嘘つきだ。

 嘘つきは、嘘つきだけど、優しい嘘つきだ。

 そう、とても優しい嘘つきなのだ。

 おそらく、空魔への対抗手段は容易なものではないのだろう。

 現状、連撃弩の射程外、我らに取る手段はもう既にない。

 奴らの足止めすらままならぬ……

 ならば、その身で空魔を引き受けようというのか。


 コウケンは見慣れた周りの顔々を、にこやかに伺った。

 その微笑みは、悔しいほどに清々しい。

 そう、まるで、最後の別れをするかのように晴れやかだ。


 意を決した目は、キッと空を見上げた。

「それでは、お願いします!」

 涙をたたえた老兵が、木の棒に力を込めた。


 バン!


 引き絞られた投石車が大きな音を立てた。

 兵たちの目の前にあったコウケンの体が瞬時に消える。

 振り切られた投石車の腕のはるか先にコウケンの姿。

 解き離れた矢のようにコウケンの体が、まっすぐに天へと昇る。


 駐屯地の上空をぐるぐると回る15匹の魔人たち。

 その輪の真ん中をコウケンという名の一本の矢が貫ぬいた。

 まさに太陽を貫かんとするその矢の勢いは、光り輝く日輪の輪の中に溶け込んだ。


嚆矢濫觴こうしらんしょう!」

 太陽の光からコウケンの声が鳴り響く。

 一斉に上空を見上げる魔人たち。


 その瞬間、甲高い音が一匹の魔人の頭を吹き飛ばす。


 太陽の光の中から一つの影が落下する。

 落下とともに、コウケンは右足を大きく後ろに引いた。

 半身になった体の前に左前腕を立て、まるで、弓を引き絞るかのように右こぶしを後方へと引いた。

 コウケンが拳が勢いよく前へと突き出される。

 拳から空気の塊が撃ち出された。

 その塊は周りの空気を裂くかのように甲高い音を立てていく。

 音は一直線に、上空から落下する。

 コウケンの手から鏑矢が放たれたかのように、一気に降下する。


 一匹の空魔の羽が飛び散った。

 その技は、まるで合気道の遠当てのようである。

 制御を失った魔人がクルクルと回りながら落ちていく。

 一斉に動きを止めた魔人たちが、上空から向かい来るコウケンを見上げた。


 咄嗟のことになすすべがない魔人たち。

 上空の自分たちに対して手も足も出ないと踏んでいた。

 確かに油断があったと言えば油断があった。

 だが、その警戒は自らの下に這えずるゴミのような人間たちに向けていれば十分であった。

 それが、こともあろうか、自分たちの頭上からの一撃である。

 今まで経験したことがなかった。

 ましてや、神民でない一般の兵士ごときに……


 動きが止まる魔人たちの輪の中を、一直線に降下するコウケン。

 気勢をそがれた魔人たちは、そばを通り過ぎるコウケンをただ見送るだけ。

 魔人たちの視線が、コウケンの落下に従って地上へと落ちていく。


 頭から一直背に降下するコウケンもまた、速度をさらに増していく。

 スピードがコウケンの頬や髪を後ろへと引っ張った。

 このままでは、城壁の屋上への直撃は避けられない。

 城壁の石畳を作る石々が、まるで早送りをするかのように、その形をハッキリと大きくしていく。


 この落下スピード、魔装騎兵でもなければ耐えられまい。

 普通の人間であるコウケンの体は、落下と共に砕け散る。

 そんな事が分からぬコウケンでなかろうに。






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