第195話 人魔パニック!(1)

 一方、タカトの病室から泣きながら飛び出したビン子は、行く当てもなく、暗い中庭のベンチに腰掛けてうつむいていた。

 天空に浮かぶ満月の青白い光が、ビン子のパジャマを優しく包み込んでいる。

 パジャマのズボンを両手で掴み、肩を震わせ泣いている。

 タカトが自分を求めている……そんな、アホな勘違いをしたことが恥ずかしかったのだろうか?

 それとも、タカトに真顔で気色が悪いと言われたことがつらかったのであろうか。

 いつもなら、タカトがゴメン、ゴメンと笑いながら追って来るはずなのに、今日に限って待てども待てども、一向に追ってくる気配が全く無い。


 ――私の事なんてどうでもいいの……


 ビン子の頬に一筋の涙が流れ落ちた。

 あの、フジコっていう看護師のほうがいいと言うの。

 そうよね。巨乳だもんね。

 貧乳の私なんか、もう、目にも入らないの。

 そんな気持ちだったのかもしれない。


 ビン子の座るベンチの上にうすっすらと青い塊がよいしょよいしょととよじ登ると、ビン子を見おろすように立ち上がった。

 しかし、うつむきズボンに涙を落とし続けているビン子は、その塊の存在に全く気づかなかった。

 その塊は、青く伸びた二つの触手を、形を変えながら、ビン子の頭へと近づけた。

 触手は、薄っすらと青く透き通る手へと形を変えていく。

 透き通る手は、ビン子を安心させるかのように優しく優しくビン子の頭を包み込んだ。

 ビン子は、その安らかな手にはっと気がついた。

 涙をこらえ手の主へと顔を上げる。

 ビン子の目の先には、薄っすらと青く透き通る女の子が微笑んでいた。

 ――大丈夫だよ。

 薄っすらと青く透き通る女の子は、そう言っているように見えた。

 ビン子は涙を手で拭うと、安心するかのように微笑みうなずいた。


 がさがさ


 その時、ビン子たちの後ろの茂みが慌ただしく揺れた。

 タカト?

 ガサガサ

 まだ揺れている。

 もう、また、驚かそうとして!

 ビン子はおもむろに後ろを振り返る。

 茂みの中に、緑色の目をした女の顔が。

 きぃやっぁぁぁぁぁぁぁ!

 隣に立つ薄っすらと青く透き通る女の子の手を振り払い、ベンチから飛びおりた。

 と思ったやいなや、ビン子は、脱兎のごとく病院の中へと逃げ込んだ。


 神民街では、ソフィアが起こした人魔首切り騒動の際に、城門から神民街へと逃げ込んだ元第6の神民たちが、次々と人魔となっていた。

 各門の守備兵たちは、神民街を捜索し、逃げ込んだ元神民たちを捜索していたが、思うように成果が出ていなかった。。

 元神民たちは捕まれば生きて戻ることができないと言われている人魔収容所に隔離されることを恐れ、知人宅、路地裏、倉庫など、ありとあらゆるところに身を潜めていたのだった。

 それから数週間。

 魔の生気が体内に回った元神民たちが、次々と人魔症を発症し始めた。

 最初は、数人程度であった者が、次第にその数を増してくる。

 そして、やはり、同時期に魔の生気を取り込んだせいなのか、今夜、その発症が一斉に重なった。人魔が街の中で爆発的に増えていく。

 どっと、表通りにあふれだす人魔たち。

 路地裏や、倉庫から人の血肉を求めて顔を出す。

 満月に照らし出された、神民街を人魔たちが闊歩する。


 突然あふれ出す人魔への各宿舎の守備兵達の対応が遅れた。

 それは無理からぬこと、いつも通り、コツコツと駆除していたはずなのに、こんなに急に湧き出すとは予想外であった。

 対応の遅れは、最悪の事態へと向かっていく。

 そう、すでに、神民街の住人である神民たちにも人魔症が、広がり始めていたのだ。

 人魔が人魔を呼ぶ連鎖反応が起き始めていた。

 特に第6神民居住区に隣接する第5神民居住区と第7神民居住区は、人魔たちの襲撃により悲惨な状態になっていた。


 神民街の路地上を人魔たちが口を開け、さまよっている。

 外の騒動に何事かと窓から顔を出した神民たちの首に、人魔たちが次々と噛みつき、引きずり出していく。








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