第193話 タカトの知らない世界(2)

 暗い暗い廊下の奥

 曲がり角の壁から何か覗いている。

 ――何だろう?

 タカトは手にもつランプをかかげる。


 人であろうか?

 そう、人だ。

 男の人だ。

 壁から半分顔だけを出してこちらの様子をうかがっている。


 しかし、次の瞬間、その男の黒い瞳がカクっと傾いた。

 いや、傾くというより、こけたと言った方がいいのであろうか。

 垂直の壁に対して、男の顔は、直角に曲がったのである。

 まだ、曲がっただけならまだいい。

 その後、おかしなことに、その顔は、壁から離れ、タカトが凝視している廊下の真ん中へと進んできた。

 何がおかしいかって?

 そりゃぁ……顔だけが宙を動けば、おかしいに決まっているだろうが!

 いや、それは正確ではない。

 顔の後ろには、何か太いひものようなものがついているのである。

 それが、壁の向こうからスルスルと伸びている。

 そう、それは、まるで『ろくろ首』


 タカトは、もう体を動かすことができなかった。

 タカトの目だけが、その男の顔を追って、スライドしていく。

 男の顔がピタリと止まる。

 タカトを見つめる目がニヤァーと笑う。

 動けぬタカトの足は、自分の意思とは関係なしに、小刻みに震えだす。

 ランプが照らす足元の影が、その震えによって伸び縮みしていた。


 トトトトトトト

 顔の伸びてきた壁の横から、地面すれすれに何かが急に走り出してきた。


 ――今度は何ですか……


 ドクン、ドクン、ドクン

 静かな廊下に、タカトの心臓の鼓動が、やけに大きく響くような気がする。

 タカトは、その鼓動がに聞かれないようにと、音を押さえるかのように強く胸のシャツを握りしめた。


 走り出した影は、伸びた男の顔の下でジャンプした。

 ウゴ! ウゴ!

 ジャンプするたびに、その影の髪が降り乱れる。

 ぼさぼさの髪からくぼんだ眼

 先ほどの女の顔をした犬のようである。

 まさしく犬女。


 ひとしきり咆えた犬女が、壁の向こうへと戻っていく。

 それに呼応するかのように、伸びた男の顔もするすると元に戻っていく。

 そして、その廊下の奥には何も見えなくなった。


 ――一体何なんですか……ここは


 タカトの口は笑っていた。

 いや、もう現実逃避するしかなかったのかもしれない。

 これは夢だと思うことで、何とか、自分を保つことができた。


 トントン

 そんなタカトの肩を背後から誰かが叩いた。

 タカトは思う。

 ――もう……振り向きたくありません……


 トントン

 手は、更に催促するかのように再びタカトの肩をたたく。

 ――絶対に嫌だ……死んでも嫌だ……

 震えるタカトは口をへの字につぐみ、必死で涙をこらえていた。


 トン! トン! トン! トン! トン! トン! トン! トン!

 いっこうに振り向かないタカトに苛立ちを覚えたのであろうか。

 その手はタカトの肩のツボを16連打でもするかのように激しく叩きだした。

 トン! トン! トン! トン! トン! トン! トン! トン!


「いててててて!」


 痛みに耐えかねたタカトは、ゆっくりとたたかれる肩越しに振り返る。

 タカトの視界に見なかったほうが良かったと今更ながら後悔するものが映った。

 ひっえぇぇ……


 タカトのほっぺたに何かが突き刺さる。

 その何かは、振り返るタカトの顔の動きに伴って、ほっぺた越しに口の中へと押し込まれていく。

 押し込まれたほっぺたが、伸長の限界を迎えると、タカトの顔の動きを制止した。


 そこには、緑の目をしたハエのような顔が、タカトの肩に手を置き、人差し指でタカトのほっぺたを突っついていた。


 タカトの股間に、うっすらと液体のシミが広がった。

 先ほど、トイレに行ったから大丈夫と思ったのだが、やはり、ダメだったようである。


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