第178話 タカト入院する(1)

 ぼやけた視界が徐々に広がる。

 白い天井に白いカーテン。

 ここはどこだ……

 ぼやけた意識が戻ったタカトは、ゆっくりと目を開けた。


 何もない天井

 白いカーテンが視界の中をゆっくりと揺れている。

 窓から心地よい風が頬をなでていく。

 にわか雨でも降ったのであろうか。

 タカトは、雨上がりのやわらかな風が来る方向へと頭を動かした。


 太陽の光が窓から差し込む

 きらびやかな光の粒が、窓に映る緑の木々を装飾していた。

 窓の前に一人の女性の影が座っている。

 長い美しい髪が、窓から吹き込む風と共に舞っていた。

 髪が揺れるたびに、緑の光を散らしていく。

 まるで、小さな宝石がその波に漂うかのようにきらびやかに揺れていた。


「きれいだ……」

 力ないタカトはつぶやいた。

 まだ、動くこともつらそうなタカトは、そうつぶやくのが精いっぱいであった。


 その言葉を聞いた女は、一瞬ドキッとするも、瞬時に下を向く。

「私は……緑女だ……」


 タカトは、そのゆらめく光を掴もうとゆっくりと手を伸ばした。

 しかし、その手はこと切れるかのようにベッドの上へと静かに落ちた。

 咄嗟に女はその手を掴む。


 掴んだ女の手がかすかに震える。

 やはりこの人も私を拒絶するのだろうか……

 もしかしたら、あの人みたいに私と一緒に笑ってくれるかも……

 いや……やめよう……

 そんな夢みたいなことを願うのはもうやめよう……

 拒絶するのが当然なんだ……

 ただ……この一時だけでも……


 アルテラは、強く強くタカトの手を握りしめた。


 ぐぅぅぅううぅ!

 タカトの布団の中から大きな音がした。

 その音はどう考えても腹が鳴る音である。

 はっと顔をあげるアルテラ。


「タカト、飯だ!」

 入り口から入ってきたオオボラが、病院食をタカトの前に無造作に置いた。


「飯!」

 飛び起きたタカトは、アルテラの手を払いのけ、茶碗に飛びついた。

 一心不乱に飯をかき込むタカト。


 その様子をあんぐりと口をあけ眺めるアルテラ。

「大丈夫ですよ。アルテラさま」

 オオボラは、飯に食らいつくタカトをあきれるよう見下しながらつぶやいた。


「えっ?」

「だから、こいつは毒にもかかってないし、人魔症にもかかっていません」


 オオボラは、ドクターの診察結果を聞いて愕然としていた。

 担ぎ込まれたタカトのケツから、ドクターは確かにハチビィの毒針を抜いていた。

 ドクターは言う。


「いやぁ、幸運ですね。尻の穴にうまいことはまって、どこも傷つけていませんよ」


「いや、普通、針が刺されば腸とか傷つくだろう……」

 オオボラはドクターに確認する。


「いやぁそれが、うまいことに直腸の長さよりも短い針でして……」

 ドクターは頭をかく


「そしたら、普通、肛門が裂けるだろう……」

 オオボラはしつこく確認する。


「いやぁそれが、針が意外と細くて、筋肉すら傷つけてないんですわ……」


「そしたら、せめて人魔症とかにかかっているのでは……」


「いやぁそれが、病院用の精密な人魔検査キットで検査しても、全くの陰性でして……」

 ドクターは額の汗を一生懸命に拭いていた。


「それでは、なんのために、俺はエメラルダの捕縛をあきらめたのだ!」

 オオボラは怒鳴った。

 何か激しい怒りが体の内側から沸き起こってくるのが分かる。


「しいて言うなら……貧血ですね。まぁ、おなかが減っていたのでしょう」

「貧血……」

 オオボラは目の前が真っ暗になっていくような気がした。

 先ほどの怒りは、急に小さくなっていった。

 なにか、どうでもよくなったような気がした。


 ひたすら飯を食うタカトを見ながら、アルテラは笑った。

 腹に手を当てて大いに笑った。


「ひんけつ! ただの貧血って!」


 こんなに笑ったのはいつ以来だろうか。

 いや、生まれて初めてだったかもしれない。

 自分がこんなに大声を出して笑えたのだと、今更ながらびっくりしていた。


 顔中に米粒を付けたタカトは、お茶碗を口につけながら悔しそうな表情でアルテラをにらんだ。

「なんだよ! 何か文句があるのかよ!」

「いや、ないよない……しかし、貧血って……」

 アルテラは、笑いをこらえようとして頑張るも、はやり吹き出してしまった。


 オオボラはあきれた様子でタカトに命令した。

「タカト。お前はしばらく重症と言うことで、入院しておけ。ドクターにはその旨伝えてある」


「えっ! その間、この白い飯食えるの!」

「そうなるな」


 必死で、飯を食うタカト。

 すでに、以前、冷たい態度をとったオオボラのことなどどうでもよかった。

 とにかく目の前のちゃんとした食事を、自分一人で独占したかったのである。

 と言っても、誰もタカトの食事を奪おうなどと考える人間は、今のタカトの周囲にはいないのではあるが。


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