第173話 燃える万命寺(9)
ドゴーーン!
アルテラは傷ついていく兵士たちの様子を悲しそうに見つめていた。
――どうして……そんなに、傷つけあうの……ここまで傷つけあわなくちゃいけないほど、エメラルダってひどい人なの……そんなひどい人のために……皆どうしてここまでするのよ……
アルダイン、すなわち、最愛の父からの命令は、極悪非道の罪人を一人捕縛するだけの簡単なもの。
アルテラの認識では、極悪非道のエメラルダが逃げ込んだ万命寺は、被害を受けている側のはずであった。
それならば、寺にいる皆が協力して、エメラルダを突き出せば、争いもなく終わるもの。
なのに今、目の前では不毛な争いが起こっている。
もしかして、エメラルダの元神民たちが万命寺に立て込んでいるのであろうか?
いやそれはない、元神民たちは、エメラルダが引き起こしたとされる城門での人魔症騒動時に、散り散りになっているという。エメラルダと立てこもるなど決してありえない。
と言うことは、万命寺がエメラルダを匿っているということなのであろう。
ならば、そもそも万命寺はエメラルダと通じていたのか。確かに、エメラルダは元騎士である。かかわりの多い者たちもいるだろう。しかし、百歩譲っても父が言う極悪非道の罪人である。
寺の皆がここまで必死になって極悪非道のエメラルダを匿う必要があるというのか。
アルテラには万命寺の考えが、全く分からなかった。
そしてまた、アルテラは、殺気立っているオオボラに対しても同様に理解ができなかった。
たった一人の罪人に対して、数十人もの守備兵たちを動員する必要があったのか?
いや、実際に今、戦闘をしているのだから必要だったことには間違いない。
しかし、戦闘がおこることをあらかじめ知っていたというのか?
それは、まさに万命寺の反撃を予期していたと言っているようなものである。
エメラルダと言う罪人は、そこまでしなければいけない大物だというのであろうか。
いや違う……
このオオボラは何かを守ろうとしているのだ……一体、何を……
目の前の光景は、明らかにおかしい……
アルテラは、自分の認識のどこかにボタンの掛け違いが発生しているような違和感を覚えた。
アルテラは、緑女と言うことで神民学校で無視され一人ぼっちであった。
それ故、唯一の心のよりどころである自身の父親を疑うなどということは、これっぽちも存在しなかった。
この争いの主たる根源である父アルダインというパーツをかたくなに信じるアルテラにとって、このパズルは決して答えにたどり着くものでなかった。
ただ、アルテラはこの戦いが間違っているという事だけは確信した。
ドゴーーン!
丸太の突撃はいまだ続いている。
しかし、万命寺の門は、薄汚れた表皮から鮮やかな木目をのぞかせてはいるものの、依然かたくなにその口を閉じていた。
中に突入した兵士たちからも、一向に音沙汰がない。
焦るオオボラ。
――どうなっているのだ……
いつまでたっても開かない万命寺の門を忌々しくにらむ。
――やはり、あの時、最善を取るべきであったか……これ以上、ここで時間を無駄にするわけにはいかぬ。
オオボラはついに決心する。
「火を放て!」
引き絞られた弦から、次々と火矢が飛び交った。
赤い火の粉をまき散らし、火矢は万命寺の門へと突き刺さる。
乾いた門は、ゆっくりとその赤き傷口を屋根へと広げていく。
焦げ臭いにおいが、ゆっくりと守備兵たちを包みこむ。
なおも火矢は、放たれつづけた。
突き刺さった火矢から伸びるその赤き爪は、門だけにとどまらなかった。
万命寺の境内、いや、その建物までもその赤き爪によって引き裂かれ始めていた。
寺の中から黒い煙が次々と立ち上っていく。
この寺には逃げ道はない。
オオボラは門が開くのを今か今かと切望する。
――早く開け!
徐々に、炎は大きくなっていく。
離れているオオボラの頬にさえその熱が伝わってくる。
――このままだと本当に焼け落ちるぞ……
しかし、今だ門は固く閉ざされている。
――せめて……コウエンだけでも……
熱風がオオボラの髪を揺らす。
眼前の万命寺の門が、赤き炎の中に気丈にもその姿を揺らしている。
門の側に控える鬼神たちも、燃え盛る炎の中で最後の最後まで、決して膝を屈する様子を見せない。
しかし、鬼神の剣が炎の熱でひときわ赤く光り輝くと、ついに折れ、地に落ちた。
それでも鬼神たちはオオボラをにらみ続けていた。
不意にオオボラは、横の茂みに何かの気配を感じた。
ゆっくりと横目でその様子をうかがう。
しかし、次の瞬間、オオボラの顔は、その茂みを正面に見据えていた。
炎の明かりで、赤く輝く黄金の弓
木の影からオオボラを金色の弓が狙っていた。
燃え盛る熱風がフードから伸びる金色の長い髪を揺らしている。
火の粉と共に金色の長い髪がきらびやかに揺れる。
「エメラルダァ!」
鬼の形相のオオボラは叫んだ。
その声に応じるかのように、ローブに包まれたその影は、森の奥へ駈け込んだ。
「エメラルダは外だ!全員!エメラルダを追え!」
オオボラは叫ぶ。
馬の頭をひるがえすと、森の中へと飛び込んだ。
守備兵たちも、慌ててその向きを変えた。
アルテラも何が起こったのか分からないままにオオボラの後を追う。
――くそ! 何のために万命寺を燃やしたというのだ!
駆け抜けるオオボラの頬を木々の葉っぱが切りつける。
しかし、今は万命寺の消火に割ける時間はない。
――俺は、コウエンを見殺すのか……いや、仕方のない犠牲なのだ! 目的のための仕方のない犠牲……
唇をかみしめるオオボラ。
オオボラの後ろから何かが崩れ落ちる音がした。
最後の最後まで、立ちふさがっていた鬼神が、ついに力尽きていた。
――エメラルダァ!
万命寺の門が勢いよく火の手をあげていた。
寺もまた、燃えていた。
ここに融合国で長年いきづいてきた万命寺の幕は閉じた。
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