第172話 燃える万命寺(8)


 ドゴーーン!


 丸太を抱えた兵士たちが、万命寺の門へ突進する。

 その衝撃で兵士たちの手から丸太が少しずつ押し出されていった。

 それにしても、全くびくともしない万命寺の古き門。

 守備兵たちは、その頑なな門の表情を恨めしく思いながら後ろへと下がっていく。

 大きな掛け声とともに、再び息を一斉に揃え足を大きく前へと踏み込んだ。

 数人の守備兵たちによって両脇から抱えた丸太が、万命寺の門へと再び突進した。


 いつまでたっても開かぬ門。

 その門を支える両側の壁の前には、別の兵士たちがうずくまっていた。

 痛みに耐え、歯を食い縛るものもいれば、大袈裟に叫ぶ者もいる。

 そのうずくまる守備兵たちの眼前の壁には、その上に登るためのはしごが数本、掛けられていた。

 次々と、壁の上から守備兵たちが叫び声とともに落ちてくる。

 開かぬ門を内側から開けるべく、別の守備兵たちは壁によじ登り、寺の境内へと侵入を試みようとしていた。

 しかし、壁を登りきった矢先、境内にいる万命寺の僧たちが振るう棍によって、叩き落とされていたのである。


 万命寺の僧たちはガンエンの指揮のもと、門の内側にありとあらゆるものを積み上げていた。

 書だなにベッド、花瓶に庭石、とにかく重そうなものはなんでも積み上げていた。


 ドゴーーン!

 門が揺れるたびに、荷物も崩れる。

 ついに一番上に載っていた金の仏像が地に落ちた。

 一体誰が、金の仏像まで持ってきたのであろうか、ここは万命寺、仏様をまつる寺である。本当に罰当たりな奴もいたものである。


 ガンエンが金の仏像を拾いあげ、袖の布でそのご尊顔を優しく拭った。

「やっぱり軽かったか……徳でもつまっておるかと思ったが、所詮、木の置物よなwww。これなら石地蔵の方が、漬物石にできるだけ、まだマシというものかwww」

 お前か! ガンエン! 金の仏像をこんなところに置いたのは! だいたい、お前はこの寺の住職だろうが!


 そう、ガンエンにとって仏像など単なる飾りでしかなかったのだ。

 というのも、ガンエンは自分のことを僧侶だと思っていない。

 確かに医者である。だから坊主ではないと言えば坊主ではない。

 だが、ガンエンは自分のことを詐欺師で嘘つきだと思っているのだ。

 医者として、救えぬ命を前にすることは多くある。

 この世の中、人間は騎士や王でなければ、必ず死ぬのである……

 それこそが自然の摂理。

 ならば医者として救えぬ命があるのも仕方がないと理解していた。

 だが、人として迎える最後の瞬間……

 せめて、その命が尽きるその瞬間……どのように見送ることができるのであろうか。


 遥か昔、ガンエンが万命寺の僧になった時の頃だった……

 万命寺の治療室。その粗末な治療台の上に一人の老人が横たわっている。

 口の周りには吐いたであろう血の跡が黒く残っていた。

 おそらく、もう長くはないだろう……

 手の施しようがないと分かっているガンエンはその横に立ち、老人の手を固く握りしめて微笑みかけていた。

「天国ではな……腹いっぱいご飯が食べられるそうだぞ……」

「ガンエン様……私は天国に行けるのでしょうか?」

「当たり前だ。お前は頑張った! 私よりも頑張っているのに天国に行けないわけないだろうwww」

「私はガンエン様ほど……頑張っておりません……」

「何を言うwww私は見ていたぞ。お前が日ごろ、一生懸命に生きている姿をな」

「私は、仏さまに迎えていただけるのでしょうか……」

「大丈夫だwwww私が保証する! 笑って、仏様の所に行ってこい」

「はい……ガンエン様がそうおっしゃるのなら……行って……き……ま……」

「おお……気をつけて……行ってこい……」

 ガンエンは、わずかに微笑む老人の手をギュッと力強く握りしめた。

 その手の中で徐々に冷めゆく老人の体温。

 もう二度とその老人が目覚めることはないだろう。

 ――天国……天国だとwwww下らぬwwww

 ガンエン自身、いくら修業を重ねたとしても天国の存在など知りようはなかった。

 それでも、人は日々死んでいく。

 ガンエンは悟った。

 この世に仏というものは存在しない……

 そんなものがいれば、誰も苦労などしないのだ……

 だが、そんなものでも、人が旅立つ最後に役に立つのであればいいではないか。

 命の終わり、その最後を笑っていけるのであれば、それに越したことはないのだ。

 ――ならば、私は……その嘘をつきとおそう……人が天国を夢見て笑っていけるのなら、嘘つきでもいいではないか……

 それからのガンエンは修行に明け暮れた。

 それは、自分が付く最後の嘘を人々に信じてもらうため……

 日々、経を唱え、人を救い、功徳を積んできた。

 日ごろからそのような行いを積み重ねてきたガンエンが最後に笑って天国に行けると言ってくれるのだ。

 だからこそ、人々はこの嘘つきの言葉を心から信じ、笑って旅立っていくのである。

 そんなガンエンにとって金の仏像など単に詐欺師の道具でしかなかったのである。

 

 次の瞬間、万命寺の広場で金の仏像を持つガンエンの足元に一本の矢が突き刺さった。 

 カツン! カツン! カツン!

 いや、一本だけではない。

 見上げた上空に無数の矢が、壁を越えて飛来する。


 ガンエンは、飛来する矢を腕で払いのけながら叫んだ。

「戦えるものは壁に近づけ! 離れると矢が刺さるぞ!」


 僧たちは、壁の死角に飛び込んだ。

 その死角から、登りくる守備兵たちを棍で叩き落す。

 しかし、途切れることなく上りくる守備兵。

 その棍の動きが追いつかない。


 ついに、何人かの守備兵が境内へと降り立った。

 棍を振る僧に向かって剣を抜く守備兵たち。

 僧たちは、壁の上へと、地面へと、交互に棍を懸命に振るう。

 僧たちの周りで、棍がしなやかにしなり、裂くような音を立てている。

 しかし、壁の上と地上の二手からの攻撃は、なかなかにぎょし難い。

 僧たちは、徐々に間合いを詰めらる。

 振り下ろされる剣を棍で受けとめる僧たち。

 既に壁の上は手薄になっていた。

 その隙に、次々と万命寺の境内へと降りてくる守備兵たち。


 勇猛果敢な一人の僧は、無数の剣を一本の棍で受け止める。

 棍が体の上を回ると、風を切る音とともに守備兵たちが吹き飛んだ。

 さらに、その棍がしなやかにしなると、幾本かの剣が空を舞った。

 さすがは万命寺の僧である。

 多数の守備兵を相手に一歩もひかぬ。


 しかし、多数に無勢。

 懸命に抵抗する僧たちの体は、徐々に赤く染まり始めていた。

 激しく振り下ろされる一つの剣

 それを、頭上に掲げた棍が受け止める。

 しかし、数えきれぬ剣を受け続けた棍もまた限界であった。

 剣筋とともに、折れる棍。

 剣は勢いをそのままに、僧の顔へと落ちてきた。

 僧の瞳のなかを、ゆっくりと剣が落ちていく。

 まるでスローモーションのような剣筋を追う意識は、妙にはっきりとしているのに、体は、ゆっくりとしか動かない。

 このままでは、死ぬ!

 俺は死ぬ!

 僧は、そう思った。


 その瞬間、僧の体を何かが力強く後ろへと引っ張った。

 鋭い勢いの剣先が僧の鼻すじをかすめて落ちていく。

 振り下ろされた剣先が石畳に火花を撒き散らす。

 火花がその輝きを消すその刹那、剣を振り下ろした守備兵の体が、まっすぐ後ろへと吹き飛んだ。


 かろうじて斬撃から逃れた僧の横から、一本の足がまっすぐに伸びていた。

 足の主を見上げる僧。

 その先には、上半身裸のガンエンが緩やかに息を整えていた。

 体から噴き出す闘気が、まるで炎のようにガンエンを包んでいる。

 燃えるガンエン!


 ガンエンは、僧を手放すと、一気に前へと踏み込んだ。

 突き出された掌底により、先ほどとは別の守備兵の腹部が大きくへこむ。

 口から胃液を吐き出しながら吹き飛んでいく。


 くるりと回ったガンエンの足が、また別の守備兵の頭をしっかりととらえた。

 そのまま刈り取られる顔面は、ほほが砕け、鼻血を飛ばす。


 足をつく隙を狙って振り下ろされる守備兵の白刃

 振り向きざまに放たれるガンエンの掌底。

 クルクルと回る白刃の光がゆっくりと弧を描きながら落ちていく。

 段違いに放たれたその手によって剣は根元から折れていた。

 剣先が地面に乾いた音を立てた瞬間、その守備兵のあごは砕けちった。


 フーーーーゥ

 長い息がガンエンの口から吐き出される。

 息の終わりと共にガンエンが構える。

 残る守備兵たちをガンエンの眼光が鋭く見据える。


 守備兵たちはたじろいだ。

 ほんの一瞬の間に、4人の仲間たちが吹き飛ばされたのだ。

 いまだに、何が起こったのか分からない。

 こんな怪物がいるなんて聞いてないよ……

 顔を見合わす守備兵たち。

 すでに、彼らの顔からは戦意が消失していた。





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